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第九幕 ようこそ、新世界へ ⑥

〈莉子視点〉


 自分の兄は凄い人物だったのだと、彼がいなくなった後に、莉子は何度となく思い知ることになった。


 そもそも奇病が発症してからというもの、それが神の奇跡で完治するまで人生の半分近くを病室で過ごしていた莉子は、知識があっても、経験というものが足りていなかった。


 だから妹目線で見てもところどころおかしな部分を持つ兄に対して、感謝や信頼を抱いていても、本当の意味での理解が及んでいなかった。


 普通に生きるということは。


 莉子が思っている以上に、大変なものだった。


 社会というものは。


 莉子が思っていた以上に、悪意に満ちたものだった。


 学校を辞めて、睡眠時間を削って、ときには法律に抵触するようなリスクを抱えてでも、莉子のために働き続けて、たまの休みには見舞いに来てくれていた兄の偉大さが、理解できていなかった。


 高校中退という学歴が。


 親が不在であるという環境が。

 

 信頼のできる人のいない生活が。


 どれほど人の進路を閉ざし、心を病ませるかなど、わかっているつもりでいて、想像力がまるで足りていなかった。


 心の片隅では、まるで自分が悲劇のヒロインであるかのように錯覚していたが、その実、どれほど恵まれていたのかなど、本当の意味で一人きりになるまでは考えることもなかった程度には、莉子という少女は幼く、弱い、愚かな存在であった。


(……おにーちゃんならきっと、わたしとおんなじ状況でも、きっとなんとかしちゃったんだろうなあ……)


 何も考えていないような。


 何かを諦めているような。


 あるいは、いずれ本当になんとかなると。


 いつか、なんとかしてみせると。


 本気で信じているように。


 気の抜けた表情で『仕方がないな』と呟いて。


 兄であれば最善ではなくても、ちゃんと自分の中では納得できるところに、現実を落とし込めたのだろう。


 莉子にはそれが、できなかった。


 ちゃんと考えれば。


 諦めなければ。


 正しく努力し続ければ。


 いつか結果がついてきてくれるものだと、子どもの願望じみた希望を、最後まで捨てることができなかった。


 その結果が、この有り様だ。


 おそらくは報道にすらされないような、惨めで無価値な人生の終わり方を迎えた莉子の魂は、彼女の世界を管理する神様によって、兄が転移したという世界の神に引き渡されて、何もない空間で、再会の時を待ち侘びていた。


「……あー、あー、う〜ん、自分じゃわかんないなあ。ちゃんと今のわたしって、昔の姿になってるのかな?」


 異世界での、兄との面会に際して。


 軽薄な優男にしか見えない異世界の神様……ロキシルは、莉子の姿を選ばせてくれると申し出てくれた。


 莉子が選んだのは、兄と別れた直後の、少女の姿である。


 莉子が人生で一番幸せだったときの姿だ。


 前世の最期の姿なんて、

 とても人様には見せられないし。


 ましては兄には絶対に、知られたくない。


(そのへんのことをロキシル様はなんとか上手く誤魔化してくれるって言ってたけど、ホントかな〜。怪しいよな〜)


 兄の転移後から様々な人間と接していく中で、多少なりは人の裏表を察することにできるようなった莉子からしても、あの神様を名乗る優男は信用ならないと感じた。


 とはいえ現状では、彼に頼るほか選択肢がないので、こうして言われるがままにするしかないのだが。


(あー……わたし、また流されてるなー……ホント、嫌になっちゃうよ……)


 少なくとも兄ならば。


 普段はヘラヘラしていても。

 妙なところで間が抜けていても。

 根本的に面倒くさがりだとしても。


 ここぞというときは、揺るがぬ信念を持っていた。


 これと決めたことにを、最後まで貫く強さを秘めていた。


 つまりはそうした特異性が、結果として神に見出され、天使の心を射抜き、妹に奇跡を齎して、本人の自覚がないままに、周囲の心を揺り動かして、世界を変えてきたのだろう。


 そして自分には、それがなかった。


 兄にできたのなら妹にもできると、慢心して、勘違いしていた。


 だから失敗した。

 

 ただそれだけの話だ。


(……うううう、ダメダメ、ネガティブになるな、わたしっ! せっかくおにーちゃんたちに逢えるかもなんだから、ちゃんと気持ちを切り替えなきゃ!)


 少なくとも兄たちの前では、かつての莉子でありたい。


 温かい想い出を、そのままの形で締め括りたい。


 せめてそれくらいは許してほしい。


 そんなことを考えているうちに、ぐにゃりと何もない空間が歪んで、扉が現れた。


「はいはい、おーまたー。リッキーとアンジェ夫人を、ご案内〜」


 そんな、久方ぶりの再会を台無しにするような、軽薄な声を伴って。


 莉子の感覚からすれば十年ぶり近い、実兄と義姉と慕った者たちが、優男に続いて扉から姿を現した。


「おにーちゃん!」


 堪らず駆け出して、その胸元に飛び込んでしまう。


「……莉子ちゃん、久しぶり。元気だった?」


「うん、うん、大丈夫、元気だったよ。おにーちゃんたちのおかげで莉子は、幸せいっぱいだったよ……」


「……そう」


 胸元に抱きついているため、顔を見られなくて良かった。


 真実を心の底に沈めるまで、ぐりぐりと久方ぶりの体温を、額で味わっている間。


 兄は幼い頃のように、優しく頭を撫で続けてくれた。


 しばらくして。


「……っていうかおにーちゃん、そんなに細マッチョだったっけ? なんか若干……っていうかだいぶ、美化されてない?」


「だってさ、アンジェ。莉子ちゃんも僕と同意見みたいだけど?」


「……そうでしょうか? 私としては前世のリキエ……理樹と、そう変わらないように見えるのですが?」


「あー、はいはい、ご馳走様ですー。そっちのほうでも仲睦まじいようで、よろしゅうございますねえ」


「当然です。理樹の管理は二十四時間、常に完璧に行なっておりますから」


「なんか思った以上に束縛されてない!? おにーちゃん、大丈夫!? 愛に押し潰されてない!?」


「はは、大丈夫だよ莉子ちゃん。たとえプライバシーが成立してなくても、人って意外と、慣れるものだからさ。へーきヘーき」


「……ダメだ……なんかもうそれは、極限状態に置かれて心が壊れちゃった人の心理状態だよ……」


「そんなことよりも莉子ちゃんは、変わらないね? 懐かしい姿のままだ」


「ま、まあねー。ホントのわたしってば、ヨボヨボのおばあちゃんだからねー。乙女としてはやっぱり、可愛い姿を見てもらいたいわけですよー」


「いやそれは、ズルくない? そんな嘘をついていたら、本音で分かり合えるとは思えないんだけど……?」


「男と女の間には、少しくらい嘘があったほうが長続きするの! ね、おねーちゃん!」


「……そうですよ、理樹。世の中には、優しい嘘というものが存在するのです。それを突き詰めることのほうが、配慮を欠く行いですよ?」


「さっすがおねーちゃん! 相変わらず、ハナシのわかるイイ女あーっ!」


 そう言って、今度は。


 アンジェの豊満な胸元に飛び込んで、表情を隠す。


 あらかじめ用意していた解答だが、果たして上手く演技できていただろうか。


 鈍感な兄は騙せただろうが、聡い義姉には通じないかもしれない。


 しかし優しく背中を撫でてくる手から彼女の思い遣りを感じて、つい、目に涙が滲んでしまった。


「……っとにもー、本当に、もうっ! やっぱりアンジェさんは、おにーちゃんには出来すぎた彼女さんなんだから、多少束縛がキツくても、絶対に手放しちゃダメだよ! わかってる!?」


「はいはい、本当にアンジェは、僕には勿体無いくらいのパートナーだよ。それに彼女だけじゃない、今の僕は、とっても周りの人に恵まれているから、その点については心配しないでよ、莉子ちゃん」


「……ちなみに今、おにーちゃんの近くにいる人たちって、どんな人なの?」


「莉子に伝わりやすいよう端的に述べるなら、常に(はべ)らせているのはのじゃロリとロリ魔乳、ときどき悪堕ち聖女ですかね。ツンドライケメンやイケ渋オジなども、割と関わってきますが」


「悲報、兄が異世界でハーレム野郎になっていた件! そして何よ、その腐女子も納得のラインナップは!? 妄想が捗っちゃうじゃない!」


「アンジェ……キミって、周りの人をそういう目で見てたんだね……」


「そういう個性の塊ばかりを惹きつける、理樹にも問題はあると思います。反省してください」


「ねーねーおねーちゃん、もっとそのへんのお話、詳しく聴かせてよ〜」


 そのような話の流れで。


 兄が現在置かれている状況……どうやらちょっとした規模の村を起こして、そこに集った仲間たちと協力しつつ、外敵の脅威に立ち向かっているらしい……に耳を傾けているうちに。


 莉子という存在に残された砂時計は、あっという間に流れ落ちていくのであった。


【作者の呟き】


 大丈夫です。


 莉子ちゃんはヒロイン枠ではありませんが、このまま退場はしません。


 詳細は次話にて!


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