第九幕 ようこそ、新世界へ ⑤
【注】今回はストレス展開なため、耐性がない読者様は本文を読み飛ばして、最後の【作者の呟き】をご確認ください。
〈リキエル視点〉
存在する世界が異なるため、
時間の流れが違うものの。
道化男の言葉を信じるなら、リキエルの前世……利根理樹におけるたったひとりの肉親、莉子の生涯は、あまりに報われないものであった。
実に兄であるリキエルの、異世界転移後に。
アンジェに後任を託された天使から、その理由を告げられた莉子は、一時的に荒れはしたものの、半年のうちには冷静さを取り戻したらしい。
そして通信制の学校で卒業資格を習得する傍らで、兄とアンジェが残した遺産と環境を使って、自らを代表とする人道支援を目的とした、法人団体を設立したとのこと。
そこからが、地獄の始まりであった。
たとえ崇高な目的があり、
実現するだけの資産があっても。
能力や才能に恵まれていたとしても。
まだ二十代に至ってすらいない莉子には、経験が圧倒的に足りていなかった。
そこを経験豊富な悪党たちにつけ込まれ、いいように食い荒らされて、気づけば無意味に時間と資産だけを消費させれられて、身に覚えのない多額の借金を背負わされていた。
そうして一度社会の底辺に叩き落とされてしまえば、そこから自力で這い上がることは、難しい。
すでに頼りとしていた人々は様々な事情から遠く離れ、この時点においては異世界に旅立った実兄や義姉はもちろん、彼女が後任として置いた天使の保護期間も終わっているため、謂れのない借金地獄に苦しむ善意の第三者など、都合よく現れるはずもない。
とはいえ借金には複数の連帯保証人も巻き込んでしまっているため、彼らを無視して自己破産や逃亡をしてしまえば、真っ当な筋ではない裏稼業の者たちがどのような取立て行為に出るのか、わかったものではない。
けっきょく莉子は、法外な利息で膨らむ利息を払い続けるためだけに貴重な時間を消費して。
命を削って。
心を病んで。
ついには二十七歳の若さで、誰にも看取られぬまま、その生涯を閉じてしまったのだという。
「……キミの後輩天使ちゃんが言うには、彼女の口癖は『おにーちゃんならきっとこうする』とか『おねーちゃんならもっと上手くできていた』だったらしいよ? まったく、いたいけな少女にそんな影響を残して勝手に異世界に旅立つだなんて、悪い世界樹や天使もいたもんだねえ?」
「……っ!」
「……そ、れは……そんな……っ」
「う、うるさいのう、悪神! うぬに、そのようなことを言われる筋合いはないわ!」
がるるる、と唸り声をあげて。
嬉々として情報を開示する邪神を、魔王が威嚇するも、彼女が背に庇う青年と天使の表情は晴れない。
リキエルはただ黙って、血が滴るほどに拳を握り締め。
アンジェは無表情を崩して口元を両手で覆い、動揺を露わとしていた。
(そんな……僕のせいで、莉子ちゃんが……莉子ちゃんの人生が……)
自問する。
自分はいったい、どこで間違ってしまったのだろうか。
今振り返ってみても、そのときそのときで、自分は、自分たちは、そのときにできる最良の選択を、選んできたつもりだ。
だがそれは、偶然その出目が、良い方に転がったに過ぎない。
そして莉子の場合は、悪い目に偏ってしまったのかもしれない。
弛まぬ努力が、真摯な覚悟が、崇高な目標が全て叶えられるとは、リキエルも考えてはない。
思いがけない幸運が訪れることがあれば、思いもよらない悲劇に見舞われることもあるのが、人生というものだ。
つまり莉子の生涯は、個人でみれば不幸に塗れた不運極まるものであるが、人類全体でみれば有り触れた、とるに足らない出来事であった。
それは理解できる。
そんなことは、それなりの人生経験を積んできたものなら『仕方がない』ものとして、受け入れざるを得ない時が来る。
それでも。
(納得……できるか! なんで莉子ちゃんが、莉子ちゃんばっかりが、そんな理不尽に見舞われなくちゃいけなんだ! あの子がいったい、何をしたっていうんだよ!? そんなにも不運に塗れるような罪を、あの子が犯したっていうのかよ!?)
そんなのは全然……『仕方が』なく『ない』。
世界中の人間が『仕方がない』と言って切り捨てようとも。
リキエルだけは。
莉子の兄である理樹だけは。
絶対に、受け入れることなど出来はしない。
「それでけっきょく、うぬは何がしたいのじゃ!? 斯様に主様の心を傷つけて、軽口を叩いただけなどとは、到底許されぬぞ!」
「はいはい、そうだったねおチビちゃん。本来は語る必要のない情報だったけど、悶えるリッキーの顔が面白過ぎて、つい喋り過ぎちゃったよ。てへぺろ」
「……このっ……ゴミクズ無能神が……っ!」
「おいおい、そんな顔で睨むなよ天使ちゃん。たしかにボクも愉しんでたけど、これはむしろ、サービスだよ? だって、そうした『真実』をちゃんと知っておかないと、この後の『再会』の意味が、正しく理解できないだろ?」
「……は? お、おい邪神、それはいったい、どういう意味だよ……?」
戸惑い、恐れて、震える、リキエルの声に。
三日月のように。
道化男は、口元を横に裂いた。
「言葉のままだよ。これが天使ちゃんの本来仕える神様から、ボクに託された役割であり、キミが前世で妹ちゃんに譲渡した『願いを叶える権利』を、妹ちゃんが『死んだ後でもいいからもう一度おにーちゃんたちに逢いたい』というかたちで、行使した結果だよ」
「……っ! そ、れは……そんなことの、ために……っ!」
利根莉子は。
理樹の妹は。
そんな叶うかどうかもわからない願いのために。
自分を取り巻く様々な不運を跳ね返せたかもしれない切り札を、ずっと伏せてきたというのか。
自分に逢うために。
自分なんかのために。
彼女は本当に自らの人生を、捨ててしまったというのか。
「いやはや、愛されてるねえ、おにーちゃん? これぞまさに、麗しき家族愛! おにーちゃん冥利に尽きるってもんじゃないかい!? ええっ!?」
「お、お黙りなさい、下衆! 貴方にこれ以上、彼を貶める資格はありません!」
「主様に対する無礼の数々、もはや看過できぬぞ! 消し炭にしてくれる!」
「おおっと、だから早まるなって、ビッチども! 忘れてるのかい!? ボクは今、そこのおにーちゃんが大切にしてる妹ちゃんの『魂』を、彼の前世を管理する上位神様から預かってきてるんだよ? 乱暴なことをされて砕け散ってしまっても、責任は取れないぜえ?」
「こ、の……っ!」
「つくづく見下げ果てた、邪悪じゃわい!」
「んああああ゛あ……っ! 負け犬どもの遠吠えが、ぎんもぢいい〜っ!」
絶対的な優位性を確認して、
しばし愉悦に浸ったあとで。
「……それで、どうするよおにーちゃん? 妹ちゃんに、逢う勇気はあるかい?」
喜悦に塗れた問いかけに。
「……あ、ああ。お願いだ……お願いします、ロキシル様。僕を莉子ちゃんに、逢わせてください……っ!」
涙を溢れさせたリキエルは、血を吐くように、顎を引いたのであった。
【作者の呟き】
久々に登場した邪神が、リキエルの前世から、悲運の死を遂げた妹の魂を連れて、今世での二人の再会を……悪意を添えて……仲立ちしました。




