第九幕 ようこそ、新世界へ ①
〈リキエル視点〉
新たなる世界樹、リキエルこそが守護神だと崇める魔樹迷宮の住人が、一方的な圧力をかけてくる帝国に反旗を翻して、一年半が経過していた。
この間に三度ほど、帝国は威信をかけた『迷宮奪還作戦』なるものを決行していたが、その悉くが魔樹迷宮の二十層以下に至ることもできずに敗北を期して、甚大なる被害を被っている。
いかに大国であれ、もはや看過できない損害の調整と、例年通りに舞い始めた降雪の影響を受けて、現在は行軍を控えている状況だ。
地上への警戒を一時的に緩めることができた魔樹迷宮においては、都合三度目となる、再誕際が執り行われていた。
「うえーい! リキエル様サイコー! かんぱーいっ!」
「かんぱーいっ!」
「お、なんだ人間、イケる口か? ならこれを食べてみろ、美味いぞ」
「なんだと!? じゃあこっちの、上から持ってきた肉も食べて見ろよ!? うっめえぞー?」
「がはは! 人族のくせに生意気な口を利くじゃねか!」
「あははは酒の席に、人族も魔族も関係あるかあ!」
「もっと酒持ってこい酒え!」
「うっひょーっ!」
帝国との敵対が本格化した魔樹迷宮において。
もっとも大きな変化といえば、もともと魔樹迷宮で暮らしていた半魔人とは別に、地上から降りてきた人間たちが、新たな住人として加わっていることだろう。
なにせ魔樹迷宮に蓋をするようにして建てられた地上の迷宮都市は、三度に亘る帝国軍の侵攻と、占領と、横暴を受けて、酷い有様となっていた。
とくに被害を受けていたのが冒険者とその関係者たちで、魔樹迷宮における道案内のような使いっ走りとして酷使されるばかりが、敗戦が重なる度、その責任を強引に押し付けてくる……とはいえこれは、内部に協力者がいるという点では事実であったのだが……ために、嫌気を指して帝国から離れるようとする者が続出したのは、当然の成り行きだった。
その一部がリッドのような伝手を使って、新たな魔樹迷宮の住人になりたいと、申し出てきたのだ。
【まあ過度に遇したりせず、自分たちの力で迷宮の上層に暮らし、力を蓄えて、いずれは半魔人への〈存在進化〉を目指すというのであれば、彼らを無理に排除せずともよろしいのではないのですか?】
とは、そうした人間たちの懇願を受けて、リキエルからの相談を受けた、アンジェの返答である。
もともと、迷宮が封印される千年前まで記録を遡れば。
もっと深い階層に人族が拠点を構え、町を作って、行き交う冒険者たちを客とする商売が行われていたこともあるのだ。
あくまで『進化を目指す』という気持ちを忘れなければ、その過程において人族が迷宮に居着くことは、創造神の意向に背く行為ではないのだというのが、天使の見解であった。
【まあ半魔人からすれば、無自覚とはいえ自分たちを虐げてきた彼らを受け入れるのに、良い気持ちは抱かないでしょうが……けっきょく人間という生き物は流されて、変化していくものです】
良くも悪くも。
進化か退化なのかはさておくとして。
交流を重ねるうちに、気を許せる者なら互いに歩み寄るし、そうでないものは遠のいて距離を置くことで、自然と棲み分けができるのではないかというアンジェの先見は、見事に的中していた。
現在では半魔人の三割ほどが、何らかのかたちで地上からやってきた人族との交流を持ち、五割がまだ様子見の段階、二割が遺恨を断てずに彼らとの接触を拒んでいる、とった塩梅だ。
【とはいえ貴方が命令を下すのなら、服従を誓った半魔人たちは涙を飲んででもその命令に従うでしょうが……貴方はそんなこと、望まないでしょう?】
正直なところ、リキエルとしては、両者が争わない程度の距離感を保ってくれているのであれば、それでいい。
気持ちとしては付き合いの長い分、魔族側に傾いているが、とはいえ言葉を交わして多少なりの意思疎通を図ってしまった以上、人間側にもそれなりの情が湧いてしまっている。
たとえ世界樹という存在に転生して絶大な力を得ようとも、リキエルという存在の根幹は未だに前世の人間であり、大局的な視点よりも個人の情を優先してしまう自分の狭量さを、本人も自覚していた。
「……如何、なさいましたか? ……リキエル様?」
「……ああ、ごめんごめん、ちょっと考え事をね」
人と魔が、ぎこちなくも、交わろうとする光景を前にして。
成り行き任せで進んだ結果が本当にこれで良いかったのだろうかと、物思いに耽っていたリキエルを、独特の間延びをした少女の声音が、現実に引き戻した。
場所は魔獣迷宮の三十階層に設けられた、安全地帯。
ここなら普段はそれより上の階層で暮らしている人間たちと、下の階層で暮らしている半魔人たちが、互いに負荷をさほど感じずに長居できるだろうという読みで、リキエルは中央広場に面した宿屋の一室を訪れていた。
宿屋の二階から見下ろせる広場には、露店で様々な肉が焼かれ、香ばしい匂いを漂わせている。
果実酒や、果汁水なども振る舞われ、楽士らが奏でる陽気な音色に、人々は身を委ねていた。
広場の中央に設置された巨大板には、五十階層で執り行われている武闘大会の映像が通映樹と拡音樹によって投影されており。
選手たちの奮闘を、馳走を手にした老若男女が悲喜交々といった様子で見つめては、歓声を上げている。
なかには賭博を行っていた者たちもいたようで、人族の間では未だに仕様されている帝国貨幣を握り締め、歓喜したり落涙したりする者たちの姿もあった。
(……ま、僕程度の人間があれこれ考えても『仕方がない』か。成るようになるさ)
眼下のそうした光景から、視線を上げて。
リキエルは背後に控える少女に、顔を向ける。
「それよりもエルナカーナさんのほうは、大丈夫? 問題とか起きてない?」
「……ええ、問題ありません……リキエル様のご威光によって、こうして生を、賜らせていただいております……」
青年の言葉に、恭しく頭を垂れて。
傅くのは、かつては勇聖教の聖女と呼ばれた精人の少女、エルナカーナである。
とはいえ現在の彼女は、世界樹の化身であるリキエルを頂点とした魔人や半魔人を崇める、魔神教なる宗派に改宗しており、その身を包むのはかつての白と金を貴重とした修道服ではなく、むしろそれと相反することを主張するかのような、黒と銀を基調する修道服に身を包んでいた。
剣と光輪を模した勇聖教の首飾りではなく、神樹教のそれに近い世界樹を模した魔神教の首飾りを胸元で握りしめながら、長耳を垂らした黒聖女は言葉を続ける。
「……ご覧のとおり……この魔樹迷宮には余すところなく、リキエル様の御自愛が、注がれております……不満を抱くものなど、いようはずもございません……いたとしても、そのような不届者は、私どもの手で処理します……リキエル様が、お気にかける必要はございません……」
「んー、その忠誠心は有難いを通り越してもはや重いんだけど、え? なにキミ、そういう性格だったけ? なんか会うたびにどんどん、過激派に寄っていってない?」
「つまりそれだけ、主様の威光に、感服しておるということじゃろうて!」
「まあ実際、人間側に、ダンナにブー垂れるようなヤツはいませんぜ。そりゃ最初は魔樹迷宮の中に暮らすってもんで、ビビってる奴らが大半でしたが、ここは気候が安定しているうえ、天聖樹の恵みもあって地上よりも多くの獲物や収穫物が採れる。そのうえ税が地上の五分の一程度とくりゃあ、どんな馬鹿たれでもケチのつけどころがないってもんでさあ!」
部屋の中には現在、四名の人影があった。
魔神教の黒聖女と化したエルナカーナ、世界樹の化身であるリキエル、その番魔獣である魔王ニーズと、魔樹迷宮に引っ越してきた人間たちのまとめ役である冒険者のリッドという、魔樹迷宮において魔族と人族の重鎮とされる者たちだ。
ちなみにリキエルの片翼である天使はこの場にはおらず、武闘会場で例年通りに進行役を務めているが、彼女の分体とは世界樹を通して常に繋がっているため、呼びかければいつでも応答は可能。
また今のところ、番魔獣である魔王を除くなら、新たな世界樹の産み出した唯一の魔人であるモーエッタは、武闘会の合間に組み込まれている演舞に向けて、自らが率いる少女たちともに、舞台の最終調整を行っていた。
転生前のモーエッタのような、各部族の巫女職に就いていた少女たちで結成された『神樹舞姫』なる一団は、すでに魔樹迷宮の一部では異様な人気を博しており、定期的に各階層を巡って奉納演舞を行う彼女たちを追いかけるために、自らを鍛える魔族や人族も徐々に増えてきているとのこと。
『でもでも、あーしの飼い主は、いつだってパーパだけだからねっ♡ ちゅきっ♡』
とは、自らを『パーパの愛玩動物なのっ♡』などと称して自らの信奉者らを『パーパに貢ぐための奴隷どもめっ♡』と罵るくせに、何故か神樹舞姫の中でもっとも人気の高い、褐色魔人の言葉であった。
【作者の呟き】
天使P【ふふ……私のプロディースに、間違いはありません!】




