間幕 ⑧
〈ユグド視点〉
それから先は、一方的な蹂躙。
もはや戦いとは呼べない、虐殺であった。
あとで聞いた話によると、件の魔神とやらはあのとき魔樹迷宮の内部にて、貴族や騎士で構成された前線部隊と交戦……と呼ぶにはあまりに一方的な鏖殺……を行っていたらしい。
そして魔樹迷宮の地上においては、あの〈憤怒〉の魔人が率いる半魔人らが瞬く間に帝国軍を制圧したのちに、ああして魔人自らが迷宮都市の外に赴いて帝国軍を強襲したとのことだった。
だがそのような情報など知る由もない当時の帝国軍は、突如として現れた規格外の魔人に怯えるのみ。
半竜化した赤髪の魔人によって多重展開していた結界が粉砕されたあとは、混乱の坩堝に叩き落とされて、酷い有様だった。
「な、なんだあのバケモノは!?」
「ドラゴンの化身!?」
「あれが魔王っ!?」
「け、結界が、たった一撃で……うわああああっ!」
「馬鹿、逃げるな!」
「隊列を離れたら魔獣の餌だぞ!」
「――聞けい、愚かなる人族よ!」
恐慌する帝国軍の悲鳴を引き裂いたのは、ビリビリと大気を震わせる、魔人の叫び声である。
その声音は開戦前に、奇形樹から漏れていた男の声であったのだが、それに気づいた帝国兵がどれほどいたのか、この後に及んでは栓なきことだ。
「貴様らは、我らの慈悲を無碍にした! 貴様らは自らの意思で、超えられるはずもない試練に挑んだのだ! ならば我らは容赦しない! これから訪れる結末は、自らの選択が招いたものだと悔いて逝けッ!」
そして赤髪の魔人は、吹き荒れる業火のように帝国軍の只中に単身で突っ込んで。
爪牙を振るい、紅蓮を吐いて。
次々と帝国兵を引き裂き、大地へ沈めていく。
数多の命を贄とした紅い華が、
大地に咲き乱れた。
『グルルルオオオオオ――ンッ!』『ブギッ、ブギイイイイイッ!』『ンゴオオオオオオオッ!』
血の匂いに興奮したのか、結界という壁をなくした帝国兵に、魔獣の群れが遅いかかる。
いくつかの部隊は優秀な将に率いられ、それでも大勢を立て直そうとしたようだが、そうしたものたちは魔獣を率いる半魔人らに優先的に狙われて、すぐに五万以上いたはずの帝国兵は、惨めに逃げ惑うだけの烏合の衆と成り果てた。
そうした、地獄絵図の外側で。
(アイリスっ!)
幸運にも、帝国軍から突出していたために。
恐慌に巻き込まれることを免れていたユグドの頭に浮かんだのは、愛しい少女の安否であった。
だがそれを確かめようと踵を返すより先に、両脇から飛び出していく人影がある。
「ボケッとしてんなよ、ユグド!」
「人様の心配をしている暇はないだべ!」
悪友たちの繰り出した刃が、半魔人の振り下ろした牙剣と、飛矢を、それぞれ弾き飛ばす。
合わせるように魔法矢が飛来して、すぐに後方からユグドの所属する歩兵部隊と、ザックの率いる魔導部隊が合流してきた。
「……ユグド、お前に重要な任務を与える」
部下たちに魔族の相手をさせることで、
作り出した僅かな空白。
部隊長がユグドに指示を下した。
「これより我らは魔導部隊を伴って、この包囲網からの突破を試みる。ユグド、お前は先行して血路を切り開け」
「っ!? それでは、友軍は!? 仲間を、見捨てるのですか!?」
「優先順位を違えるな! すでに作戦は失敗し、ここからの巻き返しは不可能だ! ならば我々の為すべき事は、少しでも人的被害を軽減させ、情報を本国に持ち帰ることだ。そのために私情は捨てて、必要なことを成す。それが軍人だ。違うか?」
「……そ、れは……っ!」
「……恋人を想う気持ちはわかる。しかし兵士になることを選んだ以上は、今は軍令に従え。これに背くことこそが、失われていく命に対する何よりの冒涜だぞ!」
正論だ。
まさしく、完膚なきまでに、帝国軍人としての正答である。
(でも……そんなの……俺は、こんなことのために……っ)
勇者に憧れた。
英雄になりたかった。
大切な誰かを守りたかった。
でも、世界はあまりに不条理で、理不尽で。
突如として我が身に降りかかった現実に、ユグドは成す術がなかった。
それでも、時間は待ってくれない。
ユグドが自らの答えを導き出す前に、学舎生活から散々と叩き込まれた上位下達の教えが、半ば麻痺していた少年を強制的に突き動かした。
「行け、ユグド! 殿は俺たちが受け持ってやるから、お前らはただ、走って走って、走り続けろ!」
「――ッ!」
一歩を踏み出すと、二歩、三歩と、勝手に足が動いて。
あとはただ、何かに急かされるように。
あるいは見たくない現実から、目を背けるように。
ユグドは駆け出した。
駆け出して、しまった。
「ディーロ! モッツ! 俺たちで道を切り開くぞ! ついてこい!」
「合点承知だべ!」
「おいガリ勉、遅れんなよ! 遅れたら置いていくからなあ!」
「うるさい、筋肉馬鹿ども! 帝国の精鋭を舐めるな!」
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今でも毎晩のように、夢を見る。
もしもあのとき、引き返していたら。
もしもあの日、あんな場所に赴かなければ。
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「行かせぬぞ、地上人!」
「自ら挑んだ試練から逃げるな!」
「おおっと、アンタらの相手は俺たちだぜ!」
「新米ばっかにいい格好させられっかよ!」
「帝国兵の底力、見せてやるぜ!」
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自分たちはまだ、一緒にいられただろうか。
あの頃の続きを、みんなと笑い合って、ともに過ごせていただろうか。
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「……ユグド、先に行け。ここは俺たちに任せろ」
「へへっ。帰ったらたっぷりと、酒を奢ってもらうべえ!」
「ふざけんな、モッツ! ディーロも、皆で生きて帰るんだろうが!」
「……行くぞ、ユグド。二人の覚悟を無駄にするな」
「邪魔すんなザッツ! アイツらを置いて行けるか!」
「だったら好きにするといい。お前がそこまで友の想いを無碍にする薄情者だったのかと、心底軽蔑するだけだ」
「……ちくしょう、ちくしょうがあ……っ!」
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全ては、すでに終わったこと。
決して変えることのできない、確定した過去。
⚫︎
「……おい、ユグド」
「……なんだよ、ザック。もう水はねえぞ」
「……お前は帝国軍が極秘裏に進めている、聖浄騎士計画を、知っているか?」
「……いいや、知んね」
「……元々は隣国に対する切り札として秘密裏に研究されていたようだが……この大敗で、軍部は思い切った軍備増強に舵を切るだろう。そのときに主軸となるのは、間違いなくこの聖浄騎士だ。だが研究がまだ未完成であるがゆえ、これから多くの実験体が必要とされるのは、想像に難くない。僕はそれに、立候補するつもりだ」
「……はあ。それで?」
「……お前は、どうする?」
「……」
「……友を、戦友を、恋人を、理不尽に踏み躙られて、ただ黙っていられるのか?」
「……っ! ふっざ、けんな! アイツらは、まだ……アイリスは……」
「……現実を見ろ、ユグド。それが生きている者の……生かされた者の、責任だ」
「………………」
⚫︎
けっきょく、あの日。
決行された包囲網の脱出作戦において、魔族の追手を振り切ることができたのは、五万人いた帝国兵のうち、たったの三千人ほどだった。
その頭数に含まれることになったユグドとザックは、幸運な人間だったのだろう。
侵攻作戦に参加したじつに九割以上の兵士たちが、その亡骸すら回収できぬまま、帰らぬ人となったのだから。
そして。
「……隊長……モッツ……ディーロ………………アイリス……」
ユグドの求める声に、彼らが答えることは、二度となかった。
【作者の呟き】
圧倒的な魔族の攻勢によって、帝国軍は瓦解。
九割以上の損耗率を叩き出して、ユグドとザックは幸運にも生き延びたものの、ユグドが所属していた歩兵部隊と、悪友たち、そしてアイリスは、帰らぬ人となりました。




