第一幕 やっぱり彼女は欲しいよね ④
〈理樹視点〉
「と言うわけで、お兄ちゃんの彼女でーす。どーん」
「ご紹介に預かりました、アンジェです。これからよろしくお願いいたします、莉子様」
「え? あ、はい、こちらこそ、兄をよろしくおねがいします……?」
もはや安心感すら覚えてしまう、
通い慣れた病院の一室である。
様々な専門機器が設置されて『いた』ために、高額な利用費を払い続けていた個室部屋であった。
しかし数日前にそれら機材は撤去され、この部屋で十年近い歳月を過ごしてきた少女もまた、このまま順調に容体が回復していけば、相部屋へと移動できる手筈となっている。
「あの、えっと……本当に、おにーちゃんのカノジョさん、なんですか?」
投薬の副作用によって、常に頭部を覆う帽子を着用している少女の言葉に。
無機質じみた無表情を浮かべる、
絶世の美女が首肯する。
「はい、私は間違いなく、理樹様と恋人関係にあります。お互いにそれを認知し、生活拠点を共にして、未だ懐妊には至っておりませんが性行為も定期的に行っているため、そのように断じて間違いはないかと」
「うん、なんでこんな美人さんが恋人って一瞬思っちゃたけど、なんかこの人なら納得しちゃった。だって変人だもん。おにーちゃんと一緒だね!」
「あはは、莉子ちゃん、ナイスブラックジョーク」
「……? 御自覚しておられてなかったのですか?」
「おにーちゃん? そういうわかりにくいボケはやめて。カノジョさんが困っちゃってる」
無表情が基本であるアンジェが珍しく、困惑の色を浮かべていることに、理樹は慌てて抗議した。
「い、いやいや! そりゃ僕が、人とはちょっと感性が違う持ち主だって自覚はあるけど、そのぶんちゃんと、普段から気をつけてるんだ! そんな如何にも変人みたいな言動は、慎んでいるつもりだよ? だよね? そうだと言って!」
「……理樹様。あれから私も現代の人間社会における常識を学びましたが、どうやら普通の恋人関係とは、出会ったその日に求愛してベッドインまで果たすのは少数派であるようですよ? 加えて理樹様は私の脇や足裏に、強い性的関心を抱かれているご様子であることからも、総じて変人と判断するに十分な証拠であると、主張させていただきます」
「だってアンジェの脇とか足の裏って、めっちゃ良い匂いすんだから仕方ないじゃない! あの芳醇でフローラルな香りを、無視できる男はいないって!」
「恐縮です」
「待って待って、唐突に妹の前で兄の性癖を暴露しないで。吐きそう」
うっぷと、口元を押さえてしまう、薄幸少女である
「……っていうか、そういうところだよ、おにーちゃん? カノジョさんも大概だけど、普通そういうデリケートな話題は、そんな簡単に人前でペラペラと口にするものじゃないからね?」
「なるへそ。今後は気をつけるよ」
「あとサラッと流そうとしてるけど、え? なに、おにーちゃん、こんな美人さんをナンパしたの? 正気なの? 勇者なの? 一回鏡見て出直してきたら?」
「あはは妹よ、兄を褒めるのか貶すのかどちらかにしてくれたまえ」
「最初から最後までディスってしかいないよ?」
「だよねチクショウ! わかってました!」
めそめそと泣き崩れる兄を無視して、病院着の妹は、美人過ぎる自称彼女さんへと視線を向けた。
「あの……失礼ですけど何か、弱みでも握られてます?」
「本当に失礼な質問だよ! 僕に対して!」
「問題ありません。彼の提示した条件に、私は納得しております。これは双方の合意に基づく契約関係であります」
「……え? け、契約関係……?」
「ステイ、落ち着くんだ莉子ちゃん。今の流れにスマホは必要ない」
流れるように枕元からスマホを取り出し、指先を滑らせて国家権力に通報しようとしていた妹の細腕を、真顔の兄が寸前で取り押さえた。
「え……でも、いくら異性に飢えてるからって、女性を金品で買って侍らせるクソ野郎が近親等にいるとか、わたし、耐えられないよ! 天国のおとーさんたちにも顔向けできない!」
「実の兄をクソ野郎呼ばわりしないの。めっ、だよ。あと何で、援交が前提になってるの? 莉子ちゃんの中の僕は一体どういう人間像なの? それとごく自然に僕を、肉親枠から引き剥がさないで。たった二人きりの、兄妹じゃないか」
「……まあこんな感じで、色々と面倒臭いし屁理屈臭いし性癖もおかしい兄ですが、カノジョさんの我慢できる範囲内で、今後もお付き合いしていただけると、嬉しいです」
「お任せください莉子様。今のところ私たちの交際において、致命的な問題は発生しておりません」
深々と。
ふざけたやり取りから一転して。
寝台から上半身を起こして、神妙に頭を下げる少女に。
天使の輪を浮かべた無表情の金髪美女が、迷うことなく細顎を引いた。
「よかったあ」
頭を上げた少女の顔に、安堵が広がる。
「ホント、おにーちゃんには勿体無いカノジョさんを見つけたね。褒めて遣わす。よくやった」
「でしょでしょ? すごくカッコいい彼女でしょ?」
「女の人にカッコイイとか言わない。これからおにーちゃんがカノジョさんに言えるのは、『はい』と『わかりました』と『ありがとうございます』だけだからね?」
「ん? 僕の人権どこいった?」
「あるわけないじゃんそんなの。っていうかほんと、わかってる? こんなに懐の深い美人過ぎるカノジョさんなんて、断言するけど、今後のおにーちゃんの人生において現れるわけないからね? もうおにーちゃん、一生ぶんのラッキー使い切っちゃったからね? 絶対に、カノジョさんに見限られるようなことしちゃダメなんだよ? 理解ってる? 自覚ってるよね? 約束しますって言えよ、おい」
「い、妹からの圧が凄い……」
「当然じゃん」
病院着の妹は、兄を睨みつけていた目元を緩ませて。
「やっとおにーちゃんが、自分のことを、幸せにしようとしてるんだから……」
骨に皮が張りついただけの痩せた顔に、
慈愛の笑みを湛えた。
「莉子ちゃん……」
「わたしのことはいいから、おにーちゃんはもっと、自分のことを考えてあげてください」
理樹の妹である莉子は、小学校に上がる頃に、原因不明の奇病を発症して、入院生活を余儀なくされていた。
免疫機能を著しく低下させ、様々な合併症状を引き起こす奇病に有効な治療法は見つかっておらず、彼女は十八年に及ぶ人生の半分以上を、この無味無臭な病室で消費させられている。
それでもまだ、両親が健在であるうちはよかった。
しかし彼らが六年前に不慮の事故に遭って、
帰らぬ人となり。
その遺産と遺族保険金を足しても莉子の入院生活が五年と維持できないことを悟ったとき、周囲の静止を振り切って理樹は学校をやめ、常軌を逸した過剰労働で賃金を稼ぐようになった。
将来も。趣味も。
友人も。恋人も。
それら全てを『仕方がない』からと切り捨てて。
目の前の日銭を最高効率で稼ぐことだけを目的として生きる兄の姿に、彼女が心痛を覚えていることを、理樹も当然ながら察していた。
だからこそ、である。
理樹はアンジェに『契約』を持ちかけたのだ。
――その、『願いが叶う権利』のひとつを使って、オネーサンが『僕の彼女になってもらう』のって、アリですか?
その結果が妹の涙であることに、青年はほっと、胸を撫で下ろしたのだった。
【作者の呟き】
なんだかんだで変人なおにーちゃんについていけてる妹ちゃんも、世間的には変人の部類なんだけど、世間との関わりがないからちょっと自分では気付きにくいよねー、というお話です。




