第八幕 世界樹に喧嘩を売るだけの簡単なお仕事です ④
〈聖女視点〉
人族においては長命種として知られる精人の少女、エルナカーナは、彼女が所属する勇聖教においてその才と精神の高潔さを認められた、聖女である。
実年齢は百代の半ばを超えているが、帝国でもっとも多い人族とされる只人換算で、見た目はおおよそ十代半ばといったところ。
手入れの行き届いた翠銀の髪が、白と金を基調とする勇聖教の高位修道服に映えており。
精人特有の整った高貴なる顔には、汚れやシミなどひとつとて見当たらない。
長い睫毛に縁取られた翡翠の瞳はどこか気だるげであるが、才能の他にも容姿が選考基準にあると噂される勇聖教の聖女に選ばれるだけあって、美形揃いの精人のなかでもさらに上澄みとされる美貌は、物憂げにため息を漏らす仕草さえ、神秘的な絵画の一幕に仕立てていた。
(……ああ……もう、面倒くさいですね……)
とはいえその薄い胸中を満たすのは、祖国である千年帝国に影を差す不穏への憂いや、これから相対するであろう魔族への不安ではなくて。
自分にこのような役回りを与えた、
勇聖教への鬱憤であった。
(……このような……気苦労を、背負うのなら……やっぱり聖女なんて、なるもんじゃないですね……)
今でこそ高貴なる家系の養子となっているものの。
引き取り手の貴族に美貌と才覚を見出されるまで、エルナカーナは帝都の城下町にある、孤児院で暮らしていた。
そして生まれ持った美貌という才能に反して、彼女が興味を抱いたのは、それを活かせる政治や社交界ではなく、ある意味では長命な精人らしい、知識欲を求めること。
(……でも……こんな形でも……とうとう、魔樹迷宮に、やってこれました……)
孤児院への出資と引き換えに貴族の養子となった彼女は、教養を身につけるためという名目で……実際は彼女を高位貴族の嫡子にお目付けさせるために……貴族が通う学園へと通わされた。
養父の思惑通り、すぐに優れた才覚を発揮して衆目を集めるようになったエルナカーナであるが、彼女の興味はそうして群がってくる級友たちよりも、授業で触れた帝国の成り立ちと、人族の歴史。
それにまつわる魔族や冒険者たちといった、かつてはそれなりに重きを置かれていたが、現在においてはほとんど触れる者がいなくなった、考古学に傾倒していった。
(……ひととおり、学園の図書館や、帝国図書館は、調べ尽くしましたけど……千年より前の文献は、ほとんど見当たりませんし……それよりあとの歴史は、あきらかに、改竄されていますからね……)
少し興味を持って調べてみれば。
民衆に流布されている帝国の偉業にあちこち違和感があることを、聡い者ならすぐに察することができる。
同時に、それを見通せる者ならこれがどれほどの危険を孕んでいるかも理解できるため、口外などしない。
とはいえ知的探究心とは、知性を獲得してしまった生物の業なので、一部の好事家のあいだはまこと密やかに、そうした資料の発掘と研究が行われていた。
幸いにもその秘密結社じみた繋がりに加わることができたエルナカーナは、表では貴族の子女としての評判を積み上げていく一方で、裏では帝国が禁じた歴史の探究に精を出していた。
だがそれも、彼女の恵まれすぎた美貌が勇聖教の目に留まり、聖女として選抜されるまで。
勇聖教における聖女とは、表向きは宗教をより広く民草に認知させるための広告塔であるが、実際には優れた容姿の子どもたちを掻き集め、都合よく洗脳して上位貴族の愛人として出荷することで、教会がそれらとの繋がりを作るための道具だと、エルナカーナは認識している。
修道院という鳥籠は、
不自由かつ不便かつ退屈であり。
少女が抱いていた好奇心という名の翼を、ゆっくりと時間をかけて削ぎ落としていった。
このままでは自分はいずれ、果実がもっとも瑞々しく実った折に、高値を付けた豚貴族にでも貪られるのだろうと、少女が達観するまでに、そう時間は掛からなかった。
(……本当にあそこは……何の面白みも感じられない、牢獄でしたけど……でも今回だけは、感謝してあげてもいいですね……)
そのように。
周囲が自分の容姿磨きばかりに全力を捧げる、
無能揃いだったからこそ。
今回の魔樹迷宮探索に、勇聖教が派遣する聖女として、エルナカーナが選ばれたのだから。
だからそこは、本当に僥倖だったと思っている。
帝都どころか、教会すら自由意志で出ることのできない聖女にとって、普通であれば魔樹迷宮の探索など、できようはずもない。
此度の迷宮探索は、長らく枯渇していた知識欲を満たすための、絶好の機会だ。
よって、エルナカーナが不満を感じているのは……
「……聖女様、そろそろ聖浄石に蓄えた魔力が尽きます。石の交換を」
「……ええ。……そのよう、ですね……」
「はっ! ではこちらを、お使いください!」
「……」
索敵や警戒などは、現地で雇った冒険者に任せているため。
とくにやることもなく聖女用の馬車に揺られて物思いに耽っていたエルナカーナに、護衛である帝国騎士が扉越しに話しかけてくる。
馬車を止め、扉を開いて騎士から交換用の聖浄石を受け取ると、聖女の美貌を目の当たりにした精人の青年は顔を緩ませていた。
(……ほんとはまだ……もう少し、使えそうなんだけど……勿体無いなあ……)
とはいえ聖女があまりにさもしい真似をすれば、あとで教会に苦情が入るので、黙って聖浄石を受け取るしかない。
教会から与えられた高価な聖浄魔道具である魔杖から、輝きの褪せた石を取り外し、代わりに新品を取り付ける。
けっきょく聖女に謁見するためのダシとして使われた聖浄石は、騎士によって、道端に投げ捨てられることになった。
帝都でそのような真似をすれば厳罰ものだが、ここは魔樹迷宮。
長年使い続けてきた廃棄場なので、咎める者はいない。
見窄らしい装備の冒険者たちが若干、物欲しそうな目を向けるぐらいだ。
「……何を見ている。散れっ。さっさと己の職務を遂行しろ」
「全く……これだから、下賎な冒険者どもときたら」
「聖女様の尊顔をあのように不躾な視線で汚すなど、無礼千万よ」
「それにしても聖女様の結界魔法は素晴らしい」
「流石は教会から遣わされた、才媛であらせられる」
馬車を警護する騎士たちの会話を耳にした所為ではないが、少しでも彼らが接触してくるための口実を減らすべく、聖女は己の職務を遂行した。
(……〈浄化結界〉
複数人で多重詠唱するのが前提の〈聖域結界〉には劣るものの、個人が使用できるものとしては最高峰とされる障壁魔法が、聖女を乗せる馬車を中心として半円状に、騎士と冒険者たちを包み込んだ。
魔族にとって不快な魔力を帯びる簡易結界は、周囲の魔獣を本能的に遠ざけ、それでも結界の内部に入ってきた魔獣には、若干ながら減衰効果がかけられる。
さらにこの結界には、周囲の魔素濃度を中和させる効果もあるため、かつて迷宮攻略が盛んだった時代には、適正以上の魔素領域に挑む冒険者たちには必須とされていた魔法である。
神代魔樹迷宮が封印された現在においては、需要の激減とともに継承が廃れ、手軽に扱える聖浄魔道具の普及もあって、使い手がほとんどいなくなってしまった魔法であるが、当時の記録を精力的に漁っていたエルナカーナは、幸いにして才能もあったため、失われかけていた魔法をなんとか再現することができていた。
術者がそのように魔法を使用できるなら、同系統の聖浄魔道具は増幅装置として使用できる。
結果として聖浄石にかかる出費を抑えることができるため、エルナカーナの趣味に勘付いていた修道女たちの告げ口によって、今回の迷宮探索に、白羽の矢が立ったわけである。
まあ、彼女たちの目的である『嫌がらせ』という点では、目論見は外れてしまっているのだが。
むしろこうして教会に貢献することで、組織での評価がより上がってしまうのだが。
そうした身近なことさえ見通せない、物事の上っ面にしか興味がない彼女たちに何を言っても無駄だと諦めているエルナカーナにとって、彼女らと同様に自分の外見にか興味がない騎士たちは、鬱陶しいことこの上なかった。
しかし教会の面目と、彼らの血筋を斟酌すれば、何かにつけて声をかけてくる騎士たちを無碍に扱うこともできない。
止む無しに最低限の付き合いだけを続けているが、それでも帝都から一月以上もの旅路をともにすれば、かなりの精神的負荷が溜まっている。
これこそが、彼女の抱いている鬱憤の正体だ。
(……本当に……鬱陶しい、蠅たちさえいなければ……興味深い、旅路なんですけどねえ……)
斯様にして、人知れずに。
聖女が教会への鬱憤を溜め込んでいると――
(――っ!? 何、この異常な魔力は……っ!?)
不意に。
世界が切り替わるように。
例えるなら浅瀬を泳いでいた魚が、深海に引きずり込まれるかのような錯覚を感じるほどに。
障壁結界の外側に存在する魔素濃度が、
急激に増した。
膨大な魔力波が吹き荒れて、
尋常ならざる魔法の発動を察知する。
(……これは、転移、魔法……っ!? ……でも、こんな場所に、いったい誰が………………まさかっ!)
ただでさえ、いま自分たちがいるのは、場数を踏んだ冒険者たちでも危険とされる、魔樹迷宮の中層深部である。
そのような場所に、わざわざ高額な転移魔法装置を設置する酔狂な人物に心当たりがあるはずはなく。
一方で、自分たちに接触してくる存在には心当たりがあった。
まもなく。
「……やほやほ〜、ヨワヨワなヒトゾクども〜♡ とっても可愛いモーエッタちゃんと、カッコ良すぎるパーパの御前だぞっ♡ 平伏しちゃえ〜♡」
馬車の外から、場違いに。
陽気な少女の声が聴こえてきたのだった。
【作者の呟き】
聖女ちゃんはペッタン娘です。




