第七幕 祭りの楽しみ方は人それぞれ ①
〈リキエル視点〉
神樹魔法で造り出した転移樹を潜り抜けると、迷宮階層が変わったために、景色が一変した。
全百階層にも及ぶ広大にして深淵なる神代魔樹迷宮は、おおよそ十階層を一区切りとした階層領域ごとに特色があり、中層にあたる五十二階層は、鬱蒼とした緑が生い茂る、密林のような景観をしている。
魔樹迷宮には天空型や深海型など、様々な種類があるが、新世界樹の根差す迷宮は地上から地下に向かって伸びていく洞窟型であるため、当然ながら各階層には陽の光は届かず、迷宮の住人たちが本物の空を仰ぎ見る機会はない。
とはいえ洞窟内には光苔や光石といった、生物が健康を保つために必要な光を、周囲の魔力を置換することで放出する植物や鉱石があちこちに分布しているため、そこに住まう住人たちが蚯蚓や土竜のように、視力を退化させてしまうことはなかった。
さらに水源や空気の循環といった機能を代替するものも魔樹迷宮にはいくつも存在しており、生態系に組み込まれているため、むしろ天候に左右される地上世界よりも、地下世界は安定した環境を保っているとさえ言える。
これらの不自然なまでに、地上の生物が魔樹迷宮で活動し易い環境が整えられているのは。
かつて人族に『試練への挑戦』を望んだ創造神の手によるものであり、その環境を維持するのが、端末である魔生樹や、それらを管制する世界樹の役目でもある。
そもそも地上に発生する魔生樹とて、人族のあいだでは魔獣を産み出す脅威ばかりが喧伝されているようだが、見方を変えればそれもまた、世界の均衡を保つための必要な装置だと言えよう。
なにせ魔生樹とは基本的に、魔素が多く堆積する『魔素溜まり』と呼ばれるような場所に、霊脈を伝って芽吹くもの。
発芽した樹がその土地の余剰魔力を吸い上げることで、結果として、その土地の魔力を安定させているのである。
そうして魔力を蓄え魔獣を産み出し、子獣が母樹に更なる養分を捧げることで肥え育った魔生樹は、一定の魔力容量を超えると〈聖魔反転〉を引き起こし、天聖樹と成りて、今度は土地に恵みを与えるのだ。
破壊と再生。
生命の循環。
繰り返される自然の営みを保つことこそが、世界樹とその末端に与えられた役割であり、そうした神視点の視野を持つことができない短命な人族が、一部を切り取って自分たちの主観で悪か善かを判断しているに過ぎない。
ゆえに、そのような視点で捉えるならば。
ここ数百年ほどは地上の『穢れ』を強制的に押し付けられてきた魔樹迷宮の住人たちが、正常なる機能を取り戻した世界樹によって、試練を乗り越えた『報酬』を甘受していたとしても、何ら不思議はない。
「おお、リキエル様!」
「偉大なる我らの世界樹よ!」
「天使様と魔王様もおられるぞ!」
「なんたる眼福! なんと神々しい……っ!」
階層移動したリキエルたちがしばらく森の中を歩くと、鬱蒼としていた緑が割けきた。
次第に空気が澄んでいき、
人の気配も湧き始める。
今やこの階層の一部は、リキエルが与えた神聖樹を用いることで、そこに住まう半魔人が安全に暮らせる生活環境が整えられていた。
そのうえ本日はリキエルが前魔王を討った十年の節目として、再誕祭と銘打った催しを行っている。
各階層の生活拠点ごとに設けられた移動樹を利用して、多くの半魔人が集まっているため、普段よりもずっと人気が多い。
美女と幼女を連れ歩く青年は、あっという間に半魔人たち囲まれて、次々と感謝の言葉を捧げられた。
「いいからいいから。そんな、大仰な。僕のことは気にせず、みんな祭りを楽しんでよ」
リキエル自身が苦笑しながら告げることで、名残惜しそうにしつつも、ようやく人垣が崩れていく。
「……ねえパパあ。あのひとたち、えらいのー?」
「ああ、そうだよ。パパとママが生きているのも、お前がこうして健やかに育っているのも全て、世界樹様と、その守護者様たちのおかげなんだ。だからいつまでも、感謝の気持ちを忘れてはいけないよ」
「わかった! あいがとおー! せかいじゅさまーっ!」
「こ、こら、やめなさい! リキエル様に失礼だろうが!」
そうした人の動きを、やや離れた場所から見ていた幼女が、リキエルたちに向かって無邪気に手を振ってくる。
父親は慌てているようだが、青年たちは笑顔で手を振り返す。
「いやいや、どうかお気になさらずにー」
「うむうむ、童は元気なのが一番じゃ! そのまま健やかに育つが良いぞ!」
「貴方に、世界樹の加護を」
「うっ……ぐう! なんたる、幸甚……っ! なんと、身に余るお言葉か……っ! もはやこの人生に、一片の悔い無し……っ!」
「ああ、パパがないちゃった! よしよし、いいこ、いいこ〜」
人懐っこい幼女にリキエル、ニーズ、アンジェがそれぞれの言葉を贈ると、父親は娘を抱えたまま、咽び泣き始めてしまった。
今度は娘に宥められる親子に苦笑しつつ、世界樹一向はこの安全地帯の中央に設けられた、広場に向かって進んでいく。
「……良い、光景ですね」
「じゃのう」
「だね」
ポツリと、美女が漏らした呟きに、幼女と青年も同意する。
すれ違う人、行き交う人、立ち止まって談笑する人々の顔には、笑みがあった。
手には串焼きや果実酒といった食料が握られ、そこかしこで打楽器や吹奏楽器が奏でられて、地上世界と連動して発光量を調節されている魔樹迷宮の光源が、今は穏やかな夕暮れの景観を作り出している。
異なる階層から移動してきたのか、魔素濃度の変化を軽減させる効果のある木彫りの仮面や、同様の効果が見込める魔法印を、身体に刻んだ者たちの姿もあちこちに見受けられた……ちなみにそれらは神樹魔法で生成した特殊な魔樹や魔樹液を用いており、開発者は有能なる天使である……が、彼らが住んでいる階層や部族などを理由に、諍いを起こしている様子もない。
老いも若きも。
男性であれ女性であれ。
強者も弱者も。
各々に祭りを楽しんでいる様子の半魔人らに、半世紀前までのような、救いのない未来へと向かう、昏い終末観はなかった。
人々は未来に希望を見出し、より良い明日を信じて、活力に満ちた表情を浮かべている。
「これもみんな……主様の、おかげなのじゃ。不甲斐ない妾はかつて、この笑顔を守れなんだ。まっこと主様には、感謝してもしきれぬわい」
「そんなことはないよ。だって少なくとも、ニーズが率先して迷宮に取り残された人たちに手を差し伸べなきゃ、そもそも彼らは僕の転移まで生きていられなかったんだ」
「そうですよ。魔族はただ、人に試練を与えるだけの存在でありません。彼らを育み、導く存在でもあるのです。貴方とその眷属たちは、立派に魔族の務めを果たしていましたよ。胸を張りなさいな」
「ぬう……そうかのう……そうじゃといいのう。主様らにそう言ってもらえると、救われるのう……」
「っていうか、そもそもさあ――」
極端に自己評価が低い魔王に、慈愛の視線を注いでいたリキエルであったが。
直後に表情が一転。
「――この世界にはキミよりももっと真摯に、世界に謝らないといけないヤツがいるよね?」
険しい顔つきとなった青年が、右手で握っていた樹槍を回転させて肩に担ぎ、空に向かって投擲する。
「……うぎゃあああああっ!」
放たれた樹槍は弧を描いて飛翔し、着地点にいた人影を貫いて、悲鳴と共に地面へと縫い付けたのであった。
【作者の呟き】
次回、久方ぶりにアイツが登場します。
ヘイト注意。




