第六幕 魔王様は待ち焦がれる ③
〈魔王視点〉
魔生樹に転生した異世界人の魂が目覚め、
天使の説明で己の現状を呑み込んだ後で。
改めて意思疎通を許されたニーズヘッグは、今度こそまともな会話を成功させて、彼の信頼を得ることに成功した。
(……さすが、正常な神に選ばれた人族の魂よのう。分体越しとはいえ、妾の威容を前にして、あそこまで堂々たる態度をとれるとは、天晴れなものよ)
じつのところ、魔王に拝謁した異世界人は当時、内心ではチビりそうだったのだが。
恋人の前で情けないところを見せたくない一心で、なんとか見栄を張っていただけらしい。
そのことを後日〈守護天使〉自身から暴露されて、羞恥に悶えていた青年の姿に、邪黒竜はつい火炎を吐き出してしまうほどに、大爆笑したものだ。
(とはいえ、甘い顔ばかりはしておれぬ)
たとえいくら言葉を重ね、
心を通わせようとも。
リキエルと名乗ることになった異世界人が閉ざされた魔樹迷宮の現状を打破するには、現存する世界樹を攻略して分配資源を奪い取る必要があり。
即ちそれは、番魔獣であるニーズヘッグの討伐を意味しているのだから。
(彼奴のためにも、何よりも妾自身のためにも、引き締めるべきところはしっかりと引き締めねばな!)
魔王であれ、魔人であれ、魔獣であれ。
世界樹、あるいはその種から芽吹いた魔生樹から産まれた魔族は、肉体を維持するために必要な栄養素とは別に、母樹が生み出す特殊な『魔樹液』を摂取しなければ、生きていけない。
それゆえに知能の低い魔獣であっても、母樹から遠く離れて活動をすることはなく、創造神から自死を禁じられた魔王もまた、そうした種族としての性質からは逃れられない。
(妾が討たれたあとでも、世界樹の権能を引き継いだリキエル殿であれば、僕たちが機能を維持できるだけの魔樹液を引き続き生産することは可能らしいが……番魔獣である妾だけは、そうもいかぬからのう)
番魔獣とは、一定の規模まで成長した魔生樹が、自らを守るために産み出す特別な魔獣である。
その到達点である魔王ともなれば、母樹を守る本能はもはや呪縛であり、如何なる理由があろうとも、魂に刻まれた本能を意思の力で抑えつけることは不可能だ。
できることといえば精々が、加減した闘争を繰り返すことで、リキエルに戦いの経験値を積ませることぐらい。
それすらも一定の境界を越えれば、強制的に番魔獣としての本能が目覚め、手加減など忘れて、愛しい勇者をズタズタに引き裂いてしまう。
暴虐じみた蹂躙のあとで。
我に返ったニーズヘッグがいったい何度、覆せない己の本能に涙を流したかわからない。
慟哭し、自傷し、剥き出しの岩盤に頭部を叩きつけて、気が狂いそうになった夜は、一度や二度ではない。
魔王は恐れていたのだ。
幼子のように怖がっていたのだ。
もし、今回の戦いで、異世界人の心が折れてしまったら。
リキエルが世界樹の攻略を諦めてしまったら。
魔獣の本能を抑え込めなかった所為で、最後の希望の芽を、自らの手で摘み取ってしまったのだとしたら……
(……あれは、堪えたのう。今思い返しても、身体の芯が怖気づくわい)
だが、それでも。
たとえ何度踏み潰し、引き千切り、燃やし尽くして、噛み砕いても。
リキエルは、諦めなかった。
何度殺しても、確固たる意志を持って、もう一度自分を殺そうと、本気で挑んできてくれた。
それがたまらなく、嬉しかった。
生きるのに膿んだ自分に死を与えてくれるのが、彼であって欲しいと心から願った。
求めてしまった。
欲してしまった。
愛してしまった。
世界樹を守るために産み出された魔王が、よりにもよって、他の世界樹に恋をしてしまったのだ。
(そのような浅ましい妾を受け入れてくれたアンジェには、感謝してもしきれぬのう……)
そこには当然、打算もあったのだろう。
リキエルがニーズヘッグを討ち倒すには、どう考えても、邪黒竜自身の協力が不可欠だ。
そのことを理解して彼女に心情を吐露した魔王の駆け引きも、聡明なる天使はお見通しだったのはずだ。
だとしても、アンジェが己の『提案』を受け入れてくれたとき。
ニーズヘッグは心からの感謝を捧げたものだし、彼女もまたそうして本心を吐露した魔王に対して【ともに彼を支えましょう】と、表情は窺えずとも、真心を込めて応えてくれた。
彼女の言葉を信じること。
そして実現させることが、今の邪黒竜を突き動かす原動力である。
(まあそんな妾に僕どもは思うところがあるようじゃが……そこは追々に、なんとかしていくしかないのう……)
創造神から託された目的以外に、新たな目標を抱いた魔王に対して、ニーズヘッグに仕える魔人たちの反応は様々であった。
しかし『迷宮の封印を解除する』ことだけはどうにか理解を得られたので、一部の魔人などはリキエルへの反骨心を露わにしつつも、魔王の意向に従って、彼の分体改良に協力する姿勢をとってくれた。
そのように魔王と魔人たちの協力を得ることで。
迷宮の最下層に根付く本体を成長させた世界樹が、迷宮中に張り巡らされた霊脈と呼ばれる魔力の流れに乗って種を蒔き、眷樹を増やして支配領域を拡大していくうちに、接触した半魔人らの信頼を得られたのは、僥倖であった。
長きを生きた邪黒竜は、個としての力よりも、数としての力が勝ることがあることを、知っていたからだ。
彼らの信頼と協力を得て、より効率的に魔晶石を集め、産み出した希少種を討つことで貴重な特異素材を手に入れた世界樹が、分体の強化を図ることさらに二十年ほど。
はじめてそれと出会ってから、
実に九十年にも及ぶ歳月をかけて。
ついに新たな世界樹は、古き世界樹の守護者を、討ち倒すにはまでに成長したのである。
「……聴こえてるかい? ニーズ」
(……ああ……勿論だとも、妾の勇者よ……)
だが喉を引き裂かれているため、
声を出せない。
全身から出血しているため、
身体も動かせない。
竜尾を斬り落とされ、四肢を砕かれ、黒翼すら破られて。
全身を血に染めて大地に横たわる邪黒竜の瞳に映る青年もまた、満身創痍といった有様であったが、その立ち姿はまさしく、魔王を討ち倒した勇者の威光を纏っていた。
喜びから。
嬉しさから。
愛おしさから。
もはや言葉を発することのできないニーズヘッグは、目を細める。
縦に裂けた黄金の瞳孔に映る青年は、魔王の意志を、ちゃんと汲み取ってくれたらしい。
「うん、そうだね……長い、長い時間だったね。四十年近くも、待たせちゃったね。遅くなってごめん。でもキミとの約束は、こうして果たしたよ?」
(ああ……よくぞ、妾を討ってくれた……よくぞ……妾を、解放、してくれた……っ!)
「お勤め、ご苦労様。ひとまずは、安心して眠りなよ。あとのことは僕たちに任せて。ちゃんとキミとの『約束』は、守ってみせるから」
(……ああ……ああ……ああ……もちろん、だとも……信じて、おるぞ……妾の、勇者……っ!)
「おやすみなさい、ニーズヘッグ。偉大なる〈黒〉の魔王よ」
(……おやすみ……妾の……新たな……世界樹よ……)
かつてない、多幸感に包まれて。
今際の際に走馬灯を過らせていた邪黒竜の頭部に、世界樹の樹槍が、深々と突き立てられた。
【作者の呟き】
安心してください。
邪黒竜ちゃんもヒロイン枠です。




