第五章 世界樹育成計画 ③
〈リキエル視点〉
凶魔発生の原理について、一応の理解を示したリキエルに、アンジェ先生は授業を続ける。
【ですがこの凶魔状態は、魔獣にとって本来あり得ない進化を……言い換えるなら、個体限定の『突然変異』を引き起こす可能性があります】
「それってつまり……本来は成長しないはずの魔獣が、個体限定で『進化』しちゃうって感じ?」
【ええ、その認識でも問題ありません】
そもそも、魔獣や魔人のような、魔生樹から産み出される魔族とは。
母樹の子宮とも呼べる卵型の果実……『魔擁卵』の内側にて生成される際に、創造神が設定した設計図に基づいて肉体が構成されており、産み出された時点で成体として完成しているそれは、上限値が決まっている。
本来であればそれを超える能力の獲得は起きないはずだが、精緻に設計図が書き込まれた魔人よりも、大量生産で種類が多いがゆえに設計図に甘い部分がある魔獣などは、ときに低確率で生産誤差を引き起こし、同種の個体を凌駕する性能を有した希少種を産み出すことがある。
そして凶魔とは、いわば魔生樹の異常生産であり、そうした『本来の規格を超えた魔獣の発生』を高確率で引き起こすのだと、博識な天使は述べているのだ。
【そして理樹。今の貴方の肉体……分体には、世界樹に保存されている生命目録から、優れた生物の特徴を選別して、生成しています。ですがそれらはあくまで『規定の枠に収まった上限値』であって、どう足掻いても、その最高峰である魔王の領域には届きません】
だからこそ、魔王を。
創造神が設定した『規定値の最大上限』を上回るためには。
定命であるがゆえに進化し続けることができる人間のように、何らかの方法で、上限値を限界突破しなければならないのだ。
「ん、やっと僕にも話が見えてきたよ……つまりそうした『創造神が定めた上限の解放』、限界突破の糸口が、突然変異として産み出された凶魔だっていうんだね?」
【はい、その通りです。貴方の推測通り、生産異常を引き起こした個体である凶魔は、上限突破の可能性として、極めて有効な素材です。またそれらを生産するために必要な汚染魔晶石を回収することは、魔人や半魔人たちの負担を軽減することでもあり、さらにそうして生み出された凶魔を討伐することは、貴方の経験値獲得にも繋がります。どうですか? 一石三鳥の、誰も損をしてない、素敵な提案でしょう?】
「ヒュー、さすが僕の天使様! 今日も冴えてるねえ! いよっ、世界樹も嫉妬しちゃう全能っぷり! いっそもう、アンジェが神様になっちゃえば!?」
【い、いえいえ、それは流石に、過大評価というものですよ。お気持ちだけ、ありがたくいただいておきましょうか……】
言葉では否定するものの。
恋人にベタ褒めされて、満更でもなさそうな、チョロい天使様である。
【……ですが実際のところ、この計画は神ではなく、世界樹である貴方にしかできないものなのですよ?】
何しろ『意図的な凶魔の量産』とは、たとえそれを誘発する汚染魔晶石が大量にあったとしても、魔獣を生産する魔生樹を上位権限で完全に制御できる世界樹がなければ、安定した管理は不可能なのだ。
自らの意思を持たず、勇者に施された〈侵蝕神犯〉によって正常な機能を阻害された世界樹によって生み出された、今の混沌とした魔樹迷宮の在り方を見れば、その危険性は一目瞭然である。
つまりはこれは、自分にしかできないこと。
成すべきことと、成したいことと、成せることが、一致した。
であれば……
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〈リキエル視点〉
(……僕が拒む理由はないから、『仕方がない』よね?)
ここに至るまでの、アンジェとの遣り取りを思い返しつつ。
改めて自分を納得させたリキエルの眼前には、十メートルほどの高さまで育った魔生樹が、剥き出しの大地に根差していた。
しかし一般的な広葉樹の外観とは異なり、その魔生樹に葉はなく、枝先を枯らした幹が抱くように、中心には、巨大な琥珀色の卵型が鎮座している。
通常であれば枝から無数に垂れ下がり、産まれてくる魔獣の揺籠として機能している魔擁卵であるが、汚染魔力によって奇形種と化した樹が抱くそれは、通常の何倍にも膨れ上がっていた。
大量の汚染魔晶石から魔力を吸引したことで、歪な楕円形の中で蠢くのは、母樹の在り方を歪めてまで、魔獣という定義の枠組みを逸脱した希少種。
もはやその思考に母樹を想う思考はなく、耐え難い飢餓を満たそうと、周囲の生物を食い散らかすだけの害獣だ。
(キミに罪はない。あるとすればキミをそのように産み出す、僕の責任だ。だからその魂は、責任を持って、僕が大いなる大河のもとへ送り出してあげるよ)
魔樹迷宮の下層に存在する、未だかつて人族が自力で到達したことのない、広々とした空間において。
岩壁に繁茂する光苔や、地表から突き出た発行する水晶体が光源となる大洞窟には、もうじき産声を上げる魔獣と、それを抱える奇形樹、そしてそれらを見つめる二つの人影があった。
「……そろそろだね。ラースさん、僕が仕損じたら、あとのことはお願い」
「……フンッ。貴様に言われるまでもない。全ては魔王様のためだ」
人影の一方は、樹槍を構える世界樹の人型分体、リキエルである。
身体に刻まれた魔法印を発光させ、戦いの準備を始める青年の隣で不機嫌そうな表情を浮かべるのは、身の丈二メートル近い、燃えるような赤髪の大男であった。
白と黒が反転した瞳。
野生味と精悍さが同居した顔の左頬には火傷のような跡が刻まれており、魔力汚染による黒染みが這う肌の一部が、硬質な竜鱗で覆われていた。
簡素な革鎧を纏っただけの肉体は、極限まで絞られた筋肉で覆われており、骨盤の付け根から長く鋭い竜尾が生えている。
彼こそが現在、この魔樹迷宮において三体しか活動していない、魔人のうちの一体。
魔王より〈憤怒〉の冠を授かった、竜魔人のラースである。
「魔王様の庇護下にある半魔人は、俺が守る。だから貴様は魔王様のために、とっとと死んでこい」
「う〜ん、相変わらず辛辣。嫌われてるねえ、僕」
リキエルが苦笑すると、目線を合わせようともしない赤髪の魔人が、目元の皺を深くした。
「当たり前だ。何故に、我が王を討とうとする者に、媚びを売る必要がある? 阿呆が、死ね」
「でもその魔王様自体が、現状を打破するために死にたがってるんだけど?」
「だからこそ我ら魔人が、こうして協力してやっているのだろうが。無駄口を叩く暇があるのなら死ね」
「もはや死ねが定型文になっている件。なんでそんなに敵意剥き出し? 他の魔人さんたちって、別にそんなことないんだけど?」
「同胞たちは関係ない。ただ貴様が無惨に死ぬと、それだけで俺の心が満たされるのだ。だから無様に惨たらしく死ね」
「それもうただの私情だよねえ!?」
なんでもこの竜魔人は、現存する〈黒〉の眷属のなかでも特に魔王への忠誠心が高い魔人らしく。
そんな彼は敬愛する魔王から一目置かれているリキエルに対して、異常な敵対心を抱いているのだ。
『……グル……ルオおオオ……』
剣呑な会話を続ける男たちの前で。
ボゴボゴと、琥珀色の揺籠に気泡が湧いて。
すでに成体となった魔獣が、魔擁卵のなかで身じろぎを始める。
じきに外膜が破れて、新たな魔獣がこの世界に産まれ落ちた。
それが闘争の合図だ。
『……ゴッ……ゴオオオ、ゴガアアアアアアッ!!!』
魔擁卵ごと母樹をズタズタに引き裂いて誕生した凶魔に、リキエルは樹槍を向けて、ラースは白と黒の反転した目を細める。
「精々足掻け、魔王様の為に。そして魔王様の為に、死ね」
「……ごめんね、キミは何も悪くない。ただ僕のために、死んでおくれ」
『グルルルルッ! グルルルルウ……ッ!』
そして魔獣の咆哮と、樹槍の先端が交わって。
新たな世界樹がまた一つ、
神々の領域に近づいたのだった。
【作者の呟き】
ラースさんはツンドラです。




