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第一幕 やっぱり彼女は欲しいよね ②

〈理樹視点〉


「やあやあキミ、異世界転移に興味はないかーい?」


 今日も今日とて労働基準法を犬に食わせた掛け持ちバイトで日銭を稼いでいた青年が、スーパーで値引きシールが付いた惣菜を漁っていると、いま流行っているという闇バイトでももう少しマシな釣り文句を用意するだろと考えさせられてしまう、胡散臭さが極まった宗教勧誘に声をかけられた。


「……はあ。こんなのに目をつけられるなんて、そんなに僕、酷い顔色してるのかな? 今週はちゃんと、平均三時間は寝ているはずだけど……?」


「待て待て待てーい! ちょっとそこのお兄さん、ボクのこと、見えてますー? そんな虚な目をしてブツブツ呟きながらガン無視とか、キャッチの塩対応慣れし過ぎてませーん?」


 当然だ。

 

 何せ彼らは人間社会のハンター。


 的確に、心身の弱った獲物を狙ってくる。


 つまり週六日、一日十八時間労働の三時間睡眠がデフォルトな、常に目の下に濃いクマさんを飼い続けている青年など、彼らにとってはカモネギ以外の何者ではない。


 自慢じゃないが、街を歩けば一時間に一回くらいは、声をかけられる。


 次いで多いのは警官だ。


「いや待って待って、ホントに待って! 一秒でいいから足を止めて! こっちを見て! ちょっ……いい加減、こっちを見ろやコラあああああ!」


 ピッ。


「はい、今の暴言を録音しました。警察に提出されたくなかったら消えてください」


「本当に手慣れ過ぎてない!?」


 理樹だって本当は、こんなもの(ボイスレコーダー)を持ち歩きたくはない。


「いやだからさあ! ボクは本物だから! マジでキミを、異世界に転移させてあげるって言ってるの! キミたちそういうの大好きでしょ!?」


「ああ、そういう(トリップ)系のバイヤーさんですか。生憎と僕は宗教上の理由で身体に悪いおクスリは控えているので、結構です。……あ、警備員さ〜ん。ここに犯罪者がいますよ〜」


「だから流れるようにボクを逮捕の導線を作らないでくれるかなあ!? ええい、こうなったら――せいっ!」


 パチン、と。


 推定犯罪者が指を鳴らすと、世界から音が消えた。


「……え?」


 見渡せば、世界が凍っていた。


 人も、物も、音さえも。


 全てが重力に逆らってまで、

 停止している。


 凍りついている。


「ふふ、驚いたでしょー? これでボクが、キミたちの言う神さ――」


「てめえええええ! いつの間に僕に一服盛りやがったあああああっ!?」


「――これでもバイヤー疑惑を切り崩せないの!?」


 当たり前だ。


 突如として世界が停止しました。


 これを現実と捉えるほうが狂人である。


 まだ幻覚の類だと判断するほうが『普通』だ。


 とはいえその内容が、まさかの時間停止(タイムストップ)企画であるとは、最近シモの処理していないし溜まってるのかな……などと、少し不安になってしまう青年である。


「いい加減にしてください、青臭い人間。話が進みません」


「誰が童貞臭いってえ!? 童貞ですけどそれが何かあ!?」


「いやあ手慣れてるねえ。見事な切り返しだ」


 高校を中退してから九年ほど。


 伊達にこのご時世でもセクハラやパワハラの絶えない職場環境で揉まれてきてはいないのだ。


「っていうか、アンタ誰――っ!?」


 と、そこで理樹はようやく。


 この静止した世界で自分に話しかけてくる、人間たちに目を向けた。


 一人は先ほどから馴れ馴れしく話しかけていた、如何にもホスト崩れといった風体の優男。


 顔立ちこそ整っているものの、浮かべている笑顔がどうにも軽薄であり、顔の両頬に描かれた星と涙のペイントが、彼に道化(ピエロ)じみた印象を与えている。


 とはいえ十人に問うたら九人は美形だと答える程度には、堂々たるイケメンだ。


「……」


 だが――そんなことよりも。


 問題なのは、もう一方。


 先ほど辛辣な発言をしたばかりの、女性である。


 まさしく黄金のような艶髪に、新雪のように澄んだ白肌。凹凸に富んだ身体に、均整の取れた手足。顔はどの角度から見ても美しいと確信できるほどに整っており、その中心に据えられた無感情な翡翠の瞳が、彼女の人間離れした美貌には妙に馴染んでいた。


 こちらは百人に問うて千人が美人だと断言するほどの、美人さんである。


「……」


 人生で初めて目にするレベルの美女降臨に、異性関係に興味が薄いと自認している理樹であっても、数秒ほど硬直してしまった。


「……? 私の顔に、何か?」


 彼女からの問いかけで、

 慌てて我に返る。


「あ、ああ、無遠慮に眺めてしまってごめんなさい……っていうか、女優さんですか? それともアイドルさん? 演者さん? すいません、僕、芸能界には疎いものでして……というかこれ、ドッキリ? テレビか何かでしょうか?」


 冷静に考えるならば。


 突如として現れた不審者、停止した世界、美女降臨のコンボとくれば、某有名な対象を観察する番組などを想像してしまう理樹であるが、とはいえ流石にここまで大掛かり、かつ実現不可能な怪奇現象は、すでにその範疇を超えているとも理解している。


 つまり。


「……えっと、もしかしてこれ、夢ですか? もしかして僕また、寝ちゃってました?」


「そんな『僕また何かやっちゃいました?』みたいなノリで、悲しいこと言わないでおくれよ……」


 平均三時間睡眠の生活を送れば、人間誰しもが、立ったまま寝落ちするようになる。


「だから違うと、言っているでしょう。何ならその頬を、引っ叩いてあげましょうか?」


「お願いします!」


 バキッ。


「痛っ! え、何これメチャクチャ痛い!? ってうか女性が殴る音じゃなかったですよね!? グーパンでしたよね!?」


 引っ叩くと殴るは、似ているようで異なるものだ。


 躊躇うことなく拳を選択した美女に、

 理樹は動揺を隠せない。


「これで目覚めないということは、これが現実ということか、もしくは貴方の深層心理が更なる折檻を求めているということです? 続けますか?」


「お代わりマシマシでヨロ!」


「黙ってろクソホスト! テメエが殴られろ、マジで痛いからな!」


 普通に咥内が切れて血が滲んでいる。


 何なら歯が何本か、ぐらついていた。


「あ……やばい、涙出てきた。でもこれ、痛くて泣いてるだけだから! べつに情けなくて泣いてるわけじゃないんだからね! 勘違いしないで!」


「……ある意味、ここまで心に刺さるツンデレは、聞いた覚えがないなあ。なんか可哀想だから治してあげよう。――そいっ!」


 パチンと、再び道化男が指を鳴らすと。


 瞬時に口膣内の痛みと、舌先に感じていた鉄錆の味が消失する。


「どう、これで理解(わか)った? ボクが、超常の存在であることが」


「……なんだ。やっぱり夢じゃないか――」


「もう一発、いっときますか?」


「――くそう間違いなくこれは現実だ! だからお願いしますオネーサン、その掲げた拳を下ろしてください!」


 暴力の前に、理解(わか)らされた青年である。



【作者の呟き】


 グーパンには勝てなかったよ……。


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