第四幕 そのおっぱいで巫女は無理でしょ ④
〈モーエッタ視点〉
「だあっしゃあああああ!」
誰にも届くはずのない、
少女の声に応えるように。
天より降り注いだのは、
聞き覚えのない男の声だった。
同時にボンッ、と多頭竜の頭部のうちひとつが、潰れた果実のように弾け飛ぶ。
屋根のなくなった室内に撒き散らされる、魔獣の血飛沫。
それがモーエッタの褐色肌に届く一瞬前に、ヒドラの頭部を貫いて少女の眼前に降り立った青年が、手にする槍を高速回転。
撒き散らされる魔獣の血を、
旋回運動によって弾き飛ばす。
「キミ、大丈夫!? まだ生きてる!? 死んでないなら返事して!」
「えっ!? あ、はい! い、生きてま、す……!?」
「ナイスガッツだ! よく耐えた! 頑張ったね!」
「……っ!」
その言葉を。
青年がどんな意味を込めて口にしたのか、モーエッタにはわからない。
しかし極限状態の最中であるためか。
それとも口にした青年の声にあまりにも、
邪気がなかったためか。
不思議と、ストンと、胸に落ちて。
少女の涙腺を破壊した。
「は、はい……わたし、がんばって……耐えて……でも、ダメで……それでもっ、諦められなくって……うあああああっ!」
「ん、情緒が不安てええええいっ! え? 僕また何か、やっちゃいましたあ!?」
突如としてガン泣きし始めた少女に、
青年は狼狽を隠せない。
「……っ!? だから言い方あ! でもまあまずは、この子の保護を優先ね! 了解!」
誰にともなく、独りごちて。
手にする樹槍を振るう青年は、この昏く閉ざされた世界において、不思議な存在感を放っていた。
濡れ羽のような、艶やかな黒髪。
顔は木を削った仮面に覆われているため口元しか見えないが、僅かに覗く優しげな目元と口元が、穏やかであろう青年の本質を感じさせる。
反面、簡素な獣皮を纏っただけの肉体は極限まで鍛え抜かれていて、全身に刻まれた身体能力を上昇させる魔法印が、溢れんばかりの活力を示すかのように、力強く輝いていた。
『ギイッ!?』『キシャアアア!』『ゴオオオオオッ!』
「はいはい、今楽にしてあげるからね、安らかにお眠りなよ!」
声音に悪意は感じられず。
槍先に、慈悲すら乗せて。
頭部のひとつを潰されて、怒り狂うヒドラの猛攻を掻い潜りながら、ヒュンヒュンと長槍を振り回す青年は、踊っているようですらあった。
それほどまでに洗練された武技。
想像もできない研鑽の極致。
武芸に疎いモーエッタにすら美しいと感じさせる青年の槍捌きは、見るものに神威を覚えさせる、神々しさを宿していた。
(……きれい)
思わず、状況も忘れて見惚れてしまう。
突き詰めらられた美とは、
一種の暴力ですらあった。
青年の踊るような足運びが。
奏でるような手の動きが。
舞うような槍の穂先が。
完璧な調律を保つ絵画のような完成度で、少女の心に、叩き込まれる。
刻み込まれる。
刷り込まれる。
「……おーい、大丈夫? もしかしてヒドラの毒、浴びちゃった?」
数秒か、数分か。
もっと長い時間だったのか……
いつの間にか正気を失っていたモーエッタの眼前に、気づけば、青年の顔を覆う木彫りの仮面が近づいていた。
背後のヒドラは完全に沈黙しており、樹槍を肩に担ぐ青年の反対側の手には、魔獣から摘出した魔晶石が握られている。
「……ッ!? いや、見てないから! たしかにもの凄いとは思うけど、僕だってこんな状況でガン見するほど、デリカシーのない男じゃないからね!?」
「……?」
まるで、姿の見えない誰かが、
そこにいるかのように。
唐突に慌てて弁明を始める青年に、
少女は首を傾げる。
ただなんとなく、直前まで青年の視線を感じていた胸元を、ギュッと両手で挟んで強調してみた。
「……ッ! エッ……って、ごめんごめんごめん! 溜まってないから! 僕にとってはアンジェがオンリーワンでナンバーワンだから! そもそもペーに貴賎無しって、これ世界の真実だからね!?」
なんだろう。
何かに負けた気がした。
敗北を告げる女の直感に、少女は唇を尖らせる。
「それよりも、キミ、立てる!? ……いや、僕は勃ってないから! アンジェはちょっと黙ってて!」
「……申し訳ありません。ちょっと……無理そう、です」
「……あー、ごめん。僕が無神経だったね」
一目でモーエッタの状態を看破したらしい青年は、ごく当たり前のように、少女の柔肌に手を伸ばした。
「ごめんね、ちょっとだけ我慢してね〜」
「……っ!? な、はわっ、わわわわわっ!」
「ごめんねごめんね〜、緊急時だから勘弁してね〜。あとキミは、できれば抱きついてくれると有難い。……アンジェ、誤解しないでね? 人命救助なんだから、『仕方がない』でしょ?」
魔晶石をその場に安置した黒髪の青年は、空いた手でモーエッタを抱き抱え、片手で器用に胸元へと引き上げた。
その際に大質量の果実がぐんにょりと潰れて、一瞬だけ青年が硬直したが、誰かに叱責でもされたかのように真顔で動き続ける。
「……よっし、それじゃあ行こうか。キミ、ちょっと汗臭いかもだけど、我慢してね?」
「ぜ、全然! とってもいい匂いですよ、おにーさん!」
「そ、そう……?」
瞳孔をガン開きにして鼻息を荒くする少女に、
ちょっと引いた顔をする青年である。
(……っ、ああああああ゛っ! わたしの、ばかばかばかあ……っ!)
だって、仕方がないじゃない。
パパ以外で初めて触れた異性なんだもん。
村の巫女であり、魔力吸収という種族特性を有する夢魔人である少女は、その立場と性質から、異性への接触を禁じられていた。
それなのに意欲だけは人一倍に旺盛な経験値ゼロ少女に、異性への直接接触は、刺激が強すぎた。
なんなら鼻血が垂れている。
(……うう……すごおい……男の人の胸って、硬くて大きい……あったかい……)
うっとりと、表情を蕩けさせて。
無意識のうちに桃色の瞳にハートマークまで浮かべる少女に対して、妻に浮気を咎められた亭主のように、ギュッと青年の口元が引き締まった。
(……はあ。カッコいい……)
そんな困ったような表情すら背徳的で、モーエッタの豊かな胸のうちは、高鳴る一方であった。
【作者の呟き】
権能さん【この子娘……無敵ですか!?】




