第四幕 そのおっぱいで巫女は無理でしょ ③
〈モーエッタ視点〉
「うわああああ!」
「クソったれ、凶魔暴走だ!」
「皆、慌てるな! 戦える者は魔生樹へと向かえ! 少しでも産み出される前に、魔獣を狩るのだ! そうでない者は村と、家族を守れ! 森の中に逃げろ! 動けない者は、とにかく、死ぬな!」
「ったく、なんで、よりにもよってこんなタイミングで……っ!」
扉の向こうから、ミラル族の怒声と悲鳴、それらに指示を飛ばす族長の叫び声が聴こえてくる。
三日後に、役目を終えた巫女を、魔人が下層へと搬送するための催しが控えていたミラル村を、予期せぬ悲劇が襲っていた。
(たぶん……この前の転移で、村の近くに、魔晶石が転送されてたんだろうな……)
魔樹迷宮に浸透する、独特な魔力波長を伴って。
地上人から一方的に、転送されてくる魔力汚染された魔晶石は、魔樹迷宮の内部に無作為にばら撒かれる。
今回はたまたまそれがミラル村の近くであり、新たな汚染魔晶石から魔力を吸い上げた魔生樹が急速成長。
凶魔を大量に産み出し、飢餓と破壊衝動に侵された魔獣たちが、近くの餌場を襲っているのだ。
この四百年ほどで半魔人たちが何度となく経験してきた、突発的な魔力災害のひとつ、凶魔暴走である。
(でも……なんで本当に、こんなときに……)
すでに片方しか機能していない少女の瞳に、涙が滲んだ。
なにせ最期を迎える巫女を魔王の元に送り出す儀式は、娯楽のない一族にとっての、数少ない神聖な催しだ。
巫女を搬送する魔人を出迎える意図もあって、日々を生き延びるだけで精一杯なミラル族も、このときばかりは精一杯のもてなしと、質素ながらもできる限りの飾りつけをして、村を彩り、宴を奉じる。
楽器の奏でる音色と、子どもたちの無邪気な笑い声が響く日を、モーエッタは心待ちにしていた。
それなのに。
(それさえも、許されないというのですか……っ!)
逼迫するミラル族の声に比例して、正気を失った魔獣の咆哮が近づいてきている。
このままだと、村の中にそれらが流れ込んでくるのは、時間の問題だ。
もう自分で立ち上がることすらできない少女にとって、それは、避けられない無惨な結末を意味していた。
「……モーエッタっ!」
とうとう溢れた涙で頬を濡らす少女のもとへ、扉を乱暴に開け放った族長が駆け寄ってくる。
手には魔獣の骨を加工した短刀が握られており、鈍い光沢を放つそれを、モーエッタの枕元にそっと置いた。
「村の状況は、理解しているな?」
「……はい」
「であればお前に残された選択も、理解できているな?」
「………………はい」
「恨むなら、恨んでくれていい。しかし私にはこの村を率いる者としての責任がある。後生だが、行かせてもらうぞ」
「わかって……います。どうか、わたしのことは、お気に、なさらずに……っ」
「……っ、ありがとう。そしてさようなら、我らの巫女よ」
最後に深く頭を下げて、族長は部屋を出て行った。
残された少女の枕元には牙の短刀。
これをどこに向けるのかが、少女に残された、唯一の選択である。
(せめて最後に……一目くらい、魔人様の尊顔を、拝見したかったなあ……)
しかしそれは、叶わぬ夢だ。
魔人が本来いる下層から上に移動するには、魔人にも、迎える側にも、相応の準備が必要となる。
それが整わないうちに階層移動を結構すれば、ただでさえ汚染魔力の浄化で疲弊している魔人を、さらに衰弱させることになる。
それはこの魔樹迷宮の寿命を縮めるのと同義だ。
自分たちのために全体を危険に犯す真似を、賢明なる彼らが選択するとは思えない。
助けはない。
少女が迎える結末は、確定している。
(だったらいっそ、魔獣に貪り喰われる前に……)
半ば麻痺した腕を伸ばして、枕元の短刀を手に取る。
それを待っていたかのように小屋の天井が吹き飛んで、複数の凶眼が、荒い鼻息とともに、室内を睥睨してきた。
魔樹迷宮に属する魔人が、魔王の種族と同一であるように。
そこで発生する魔獣もまた、高確率で魔王と同様の種族となる。
『ゴルルル……』『ギシャアアアッ!』『ゲッ! ゲッ!』『クルルルルウ……』
屋根の破壊とともに部屋の隅に吹き飛ばされたモーエッタを見下ろすのは、四本首の多頭竜だった。
ボタボタと滴り落ちて、
ジュウジュウと床を焦がす強酸の唾液。
飢餓に染まった四組の凶眼から放たれる視線が、少女に生物としての本能的な恐怖を呼び起こさせる。
狩る者と狩られる者。
捕食者と被捕食者。
残酷な対比が、絶望的な現実が、そこにあった。
(む、無理……こんなの、勝てるはずがない……っ!)
カチカチと、奥歯が鳴って。
少女の短刀を握る手が、無意識のうちに、自らの首筋へと伸びていく。
それを、理解しているのか。
はたまた涙で歪んだ少女の瞳が、
たまたまそのように捉えただかなのか。
か弱い虫ケラの無意味な抵抗を前にして、圧倒的強者であるヒドラの瞳が、嘲笑に歪んだように見えた。
(……っ!)
瞬間、名状し難い感情が、モーエッタのなかで吹き荒れる。
(ふっ、ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな! なんでアンタみたいなケダモノに、笑われなきゃいけないのよ!)
それは、抑え込んでいた怒りだった。
それは、目を逸らしていた悲しみだった。
それは、諦めかけていた生への執着だった。
仕方がないから、皆のためだから、誰かがやらなくちゃいけない役割だからと、押し殺していた感情が、堰を切ったように溢れ出る。
「お前っ……なんかに、負けて、たまるか!」
自然と刃は首元から離れ、見上げる視線の先、ヒドラへと向けられていた。
「わたしは、誇り高き、勇者パーティーの末裔っ! ミラル族のモーエッタだ! おまえみたいな魔獣に、馬鹿にされたまま死んでやるもんか! ぶっ殺してやる! かかってこい!」
追い詰められた獲物の自暴自棄か。
はたまた燃え尽きようとする蝋燭が放つ、
最後の輝きだったのか。
どちらにせよ、そうした少女の必至の抵抗は、ヒドラの動きを静止させた。
時間にして数秒ほど。
それが過ぎてしまえば、破壊衝動に汚染されたヒドラは躊躇うことなく、凶悪な牙を剥いて多頭を少女に殺到させた。
『『『『 キシャアアアアッ! 』』』』
「……っ!」
そうしたほんの僅かな時間が。
自ら手を伸ばした、勇気が。覚悟が。決断が。
その後のモーエッタの運命を変えた。
「だっりゃああああああああっ!」
と、頭上から降り注いだ男の声とともに。
少女の眼前で、ヒドラの頭部が一つ、弾けたのである。
【作者の呟き】
ヒドラA「クク、いい気になるなよ、小僧」
ヒドラB「今のは我らのなかで、一番の小物よ」
ヒドラC「貴様に本物の絶望を教えてやろう」
ヒドラD【死亡判定】「……あっ(察し)」




