第四幕 そのおっぱいで巫女は無理でしょ ②
〈モーエッタ視点〉
それからさらに、数年が過ぎて。
閾値を超えて魂の汚染が進んだモーエッタの肉体からは、もはや以前の輝きは失われていた。
黒染みが広がった肉は腐り、萎んで、悪臭を放つ。
瑞々しかった褐色肌は焼かれたように爛れて、片目はすでに視えていない。
桃色の頭髪も抜け落ちて、表皮が一部、露出していた。
もはや満足に動くこともできずに、布団を敷いたまま、一日の大半を寝て過ごしている。
それでもまだ、少女は生きていた。
最期まで己の役目を全うするため、生にしがみついていた。
「モーエッタ」
それでも、蝋燭が燃え尽きる日は近い。
見舞いにやってきた族長が、優しい声音で語りかける。
「……お前は、よくやった。村のために良く尽くしてくれた。なんとか、次の巫女もお役目が果たせるまでに成長した。だからもう……休んでいい。次のお役目が終わったら、魔王様に謁見を申し出よう。魔人様にも連絡しておく」
全百階層もある神代魔樹迷宮において、モーエッタたちが暮らす階層は中層に属しているとはいえ、魔王に謁見するため最深部に到達するには、魔人の協力が不可欠だ。
なにせ魔樹迷宮を満たす魔素濃度は、階層数に比例する。
当然ながら、濃い魔素のなかで育まれた魔生樹から産み出された魔獣は、それだけ強力な個体となり、それらの生息地を抜けて先に進もうとする者たちと脅威となる。
一方で、周囲の魔素濃度に適応した魔獣は、それよりも低い魔素濃度のなかで長時間活動をすることが難しくなるため、自然と魔獣たちは、己が産まれた階層から上がってくることは少なくなる。
これが階層ごとに魔獣の強さが違う魔樹迷宮の仕組みであり。
そして強大な力を有する魔人や半魔人たちが、外の世界に出られない理由の一因でもあった。
世界樹によって管理され、かつては魔樹迷宮の秩序を保っていた棲み分けの原則。
迷宮封印時に地上人がその一部を上書きしたことにより、原則は強制力と化して、世界樹や魔生樹の影響を受ける魔族たちを、本能的に縛った。
現在では皮肉なことに、強力な個体ほど迷宮の深部に囚われて、行動を制限されてしまう。
最深部から移動することさえ叶わない魔王などが、その最たるものだ。
そしてそれらの縛りが比較的緩い迷宮上層の魔物を閉じ込めるため、地上人は迷宮封印時に、奪い取った世界樹の機能を行使して、上層へと繋がる経路を物理的に封鎖した。
その際に中層などに取り残されたのが、当時の勇者たちに協力して迷宮攻略に挑んでいた、人族である。
当時の王族や貴族たちよりも、勇者らに傾倒する彼らを疎んだ者たちの、計画的な犯行なのだろうと、当事者である長老衆などは語っていた。
それらが魔王の慈悲によって〈存在進化〉した半魔人は、当然ながら、当時の人族と比較して優れた能力を有していた。
そもそもが、魔樹迷宮の攻略に挑むような、人族の上澄みである。
彼らが〈存在進化〉すれば、それが進化前の個体値を上回るのは、当然の結果。
さらにそうした半魔人たちが過酷な環境で、優れた血を交配させながら、九百年以上も力を高め続けてきたのだ。
地上に出れば幼子であろうと小さな村を単身で壊滅させられるだけの力を秘めていることを、当人たちは知らない。
それよりも、そうして個体としての力を増していくごとに、魔素濃度が足りなくなり、生きるために少しずつ生存拠点を下層に移動させなければならないことに、半魔人らは焦りを覚えていた。
当然ながら階層を越えれば、そのぶん生息する魔獣たちも強力となり、環境に適応するまでに少なくない犠牲を強いられることになる。
部族の数が最も大きく減少するのが、このタイミングだ。
それでもまだ、下の階層が存在する間はいい。
しかし、いかに広大な魔樹迷宮とはいえ、終わりはある。
そして終点に辿り着いたとき、運よく彼らが生き残っていたとしても、いずれ訪れる破滅の運命は避けられない。
生まれながらに強大な力を有している反面、上限値が固定されている魔族と異なり、進化し続ける可能性を与えられた人族の、皮肉な末路である。
せめてそうなる前に、慈悲深き魔王の糧となりたいと願うのは、半魔人であれば誰しもが抱く想いだ。
ともあれ、そのような理由で危険を孕んだ階層移動であるのだが、魔王の庇護下にある半魔人だからこそ、例外的な抜け道があった。
それこそが、魔王に使える魔人に、対象の移動を託すというもの。
半魔人において魔人とは、身動きのできない魔王に代わって、自分たちを守ってくれる守護者である。
現在生き残っている魔人は本来であれば下層を拠点としているため、上の層に移動するだけでも相応の苦痛を伴うはずだが、それでも事前に決められた方法で連絡をとれば、哀れな半魔人に最期の慈悲を授けてくれるために、魔人が迎えに来てくれる。
場合によってはその魔人が、魔王に代わって、もはや動くことすらできない半魔人に、慈悲を与えてくれることもある。
族長の申し出は、つまりそういうことであった。
「……はい。……おねがい、します」
「任せろ。ラース様であれば、確かな安らぎを与えてくださるはずだ」
モーエッタの属するミラル族を守護する魔人の名を、ラースと言う。
もはやこの魔樹迷宮に四体しか残っていない魔人の中でも、もっとも魔王に近いとされる、男性型の魔人である。
魔樹迷宮の封印時には七体が存在していた魔人であるが、現在ではその数を、半分以下に減らしている。
彼らが数を減らした要因は、勇者らを筆頭とした当時の迷宮攻略の被害もあるが、それよりも深刻なのが、巫女であるモーエッタと同様に、我が身を犠牲とした汚染魔力の浄化活動であった。
むしろモーエッタなどは、魔人がその命を削って行う魔素浄化の、ほんの一端を担っているに過ぎない。
彼らの献身がなくてはとうの昔にこの魔樹迷宮は汚染魔力に満たされて、そこに住まう命を道連れに、崩壊していたことだろう。
上位者の命令とはいえ、自らの命を対価に捧げて自分たちを守り、最期は魔王自身の手によって散っていったという魔人は、半魔族にとっては信仰の対象だ。
その生き残りともなれば、否応にも畏敬は増す。
しかも聞くところによると、ラースという魔人は、大層な美丈夫であるらしい。
本人たちにその自覚はないが、優れた人族のみで交配を続けてきた半魔人は、総じて機能的な『美』を有している。
そうした美形揃いな半魔人から見ても、さらに美形とされる魔人とのお目どおりに、死に瀕しているとはいえ年頃の少女の心がざわつかないはずがない。
スンスンと、長く垂れてしまった胸元の臭いを嗅いで、包帯の巻かれた顔を顰める。
「……族長」
「任せろ、湯浴みの準備はさせよう。それに化粧もだ。なに、村を守ってきた巫女の、当然の権利だ。文句を言うものはいない」
「……感謝、いたします」
そういうことになった。
(も、もしかしたら……魔人様に、お手付けしていただけるかも……っ!)
生殖活動を行わないため、擬似機能を有していてもただでさえ性欲が薄いとされる魔人が、こんな弱りきった肉体に欲情する可能性などまずあり得ないだろうが、それでも妄想するだけなら自由である。
たとえ瀕死の重篤であっても、逞しい胸板には抱かれたいし、低く力強い声音で愛を囁かれたいのだ。
(今日はひさしぶりに……いい夢、みれそう……)
だが、そうした少女の儚い願いすら。
魔樹迷宮に蔓延る悪意は、許してくれなかった。
【作者の呟き】
ピンク髪は脳内もおピンク畑だから、仕方がないね!(偏見)




