第三幕 僕の愉快な異世界ライフ ⑦
〈理樹視点〉
『グ大オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
「もおおおおおっ、イヤッ! このドラゴン張り切り過ぎいいいっ!」
竜型の魔王が守護する、理樹のそれよりも遥かに巨大に、神々しく育った原初の世界樹を背景として。
創造神より魔王の役割を与えられた巨大黒竜は、蝙蝠じみた黒翼によって広大な地下空洞を舞い、口から祝砲のように景気良く、咆哮とともに紅蓮の炎を吐き出していた。
『ガアアアアアッ! ゴオオオオオッ!』
ブンブンと、暴風を巻き起こして。
大樹のような尻尾が、まるで子犬のように振られている。
「可愛くない! こんな即死を伴ったドラゴン流のじゃれつきなんて、全然可愛くないからね!」
【大丈夫ですよ、理樹。安心してください】
樹を捻じ曲げて、捻り合わせたような、樹槍を手にしたまま。
必死の形相で地面を舐める炎から逃げ回る理樹であるが、脳内に響く女の声は、いたって冷静なものである。
【アレは本心から、自らの死と、現状の打破を望んでいます。流石に自ら不利になるような真似は、魔族の本能として取れないでしょうが、それでもギリギリまでは力を加減して、理樹の成長の糧となってくれるはずです。このように戯れているのが、いい証拠じゃないですか】
「戯れで即死攻撃連打とか、この世界の難易度って理不尽過ぎない!?」
【死んでもいいじゃないですか。本当の意味で、理樹は死なないのですし】
「そりゃそうかもしれないけれど!」
空から降り注ぐ火球の雨を掻い潜るように、手にする樹槍を使いながら、前世の人間では考えられない身体能力を以てそれらを回避し続ける理樹の身体は、本体である世界樹が産み出した分体だ。
創造神が世界樹から魔人を産み出した要領で、本体である世界樹から権能〈守護天使〉の補助を得て造り出された、身動きのできない本体に代わって手足となる、仮初の肉体である。
口元だけを露出した、特殊な木彫りの仮面を装着することで。
理樹の意識と五感を接続させている分体は、本体である世界樹から一定間隔を置きながら萌芽した魔生樹を中継地点として、魔力が届く範囲であれば、操作が可能となっている。
イメージとしては前世に存在していた、フルダイブ型のアクションゲームを操作している感覚に近い。
高収入の天使が配信用に購入したものを、何度となく理樹もプレイさせてもらったものだ。
とはいえ。
「でも痛いんだよお! 死なないけどメチャクチャ痛いんだよおおおお!」
あちらはあくまで、仮初の世界での出来事。
理樹が訴えるように、この現実においては、あれこれと仕様が異なる。
特に問題なのが、安全が配慮されていない痛覚機能であった。
分体が肌を焼かれれば普通に熱いし、
肉を抉られれば涙が滲むほどに痛い。
死を迎えるたびに相応の苦痛を覚える死亡遊戯に、挑戦者が文句を言うのは当然と言えよう。
【ですが痛みとは、生物が精神的に成長するうえでも、肉体の状態を把握するうえでも、欠かせない重要な機能です。それを避けて勝利を得られるほど、魔王という壁は、低くありません】
「正論! でも痛いのは嫌だから、アンジェ代わってえ!」
【そうしたい気持ちは山々なのですが、今の私は肉体を持たない権能ですからね。ああ、無力な私……めそめそ】
「ダウト! その嘘泣きは、流石に僕でもわかるよ!」
【……まあ、正直な話、こうして私が手助けができる程度にも、限度があるということです。権能化したとはいえ、私は主の末端ですので、こと他の世界を左右するような事象に、過干渉することはできないのです】
たとえ親会社から派遣された正社員であっても、子会社の経営を左右するような越権行為は、許されないといったところか。
神々の契約によってこの異世界に招かれ、直接的な干渉行為を認められたのはあくまで理樹であり、補佐であるアンジェにできるのは、彼に足りない知識を補い、より良い未来を掴み取るための道筋を整えるところまで。
実際に挑み、足掻き、勝ち取るのは、それを選択した理樹本人でなければならない。
それが創造神が定めた、神々の規定だ。
だったら。
「……チクショウ、やってやる! やってやるよお! 絶対にあのドラゴンをぶっ飛ばして、こんな地の底から這い出てやる!」
【その意気ですよ、理樹。貴方が諦めない限り、私はどこまでもついていきます】
『ゴオオオオオオオッ! グアアアアアアアッ!』
【ほら、魔王も応援してくれてますよ?】
ズガアアアンッ!
咆哮とともに頭上から叩きつけられる巨大な竜尾を樹槍で受け止めると、両足が膝下まで埋まって、周囲の大地が陥没した。
前世の肉体なら爆散不可避の一撃であるが、魔力的な強化が行われている分体であれば、歯を全力で食い縛り、全身の筋肉を隆起させることで、堪えることが可能である。
「物理的に、期待が、重過ぎるんだよっ!」
【理樹。女性に対して重いとか、失礼ですよ?】
「今その情報いるう!?」
『ゴアアアアアッッッ!』
【ほら、魔王も怒っているではありませんか】
「クソう、異世界でも女性の扱いは、難しい、ねっ!」
世界樹である理樹に備わっている機能のひとつ。
彼の本体から撒かれた種子によって発芽した魔樹を、自在に育成できる能力を用いて造り出した、特殊な樹槍を用いて黒竜の尾打を受け切った理樹は、受け止めた竜尾を弾き飛ばすと、地面に埋まった両足を引き抜いてその場から脱出。
再度振り下ろされた超重量の一撃を回避しつつ、それを道をして駆け上がり、本体の背中に樹槍の先端を突き立てる。
ガキインッ!
「硬った!」
大岩をも貫通する刺突が、
硬質な音とともに弾かれた。
【駄目ですよ、理樹。この世界において強者を相手取るには、攻撃にも防御にも精錬魔力を纏わなければ、話になりません】
魔素が身近に存在する世界においては、生物は己の肉体を『器』として、身体の外にある体外魔力を取り込み、器の内側で魂より生じる特殊な波長を浴びせることで、自分だけの色に染まった体内魔力へと変換するのだという。
そうした体内魔力を操作して、練り上げ、凝縮することで、魔法や魔技の前段階となる精錬魔力を精製することが、術士や戦士としての基礎だった。
【落ち着いて、まずは息を深く吸ってください。腹の底に溜まる力の存在を感じてください。それを動かし、全身に行き渡らせて、徐々に固めていくイメージです】
立て続けに見舞われる爪や牙、
竜尾や火炎弾に晒されながら。
脳内に響く天使の指示に従って、理樹はこの世界に転生してから感じている不思議な感覚を手繰り、引き寄せ、手綱を握ろうと四苦八苦する。
黒竜との戦いの前に、そうした魔力応用の基礎を学んでいても。
実戦の最中にそれを行うのは、
難易度が桁違いだ。
それでも何度目かの挑戦で、ようやく少量ながら精錬魔力を精製することに成功した理樹は、それを手先から放出して、手にする樹槍に浸透させていく。
【そうです、理樹。それが武器に魔力を注ぐ感覚です。そうすることで物質は強度を増し、魔道具は真価を発揮します】
「いよっしゃあああああ!」
ガキンッ、と。
精錬魔力で覆った樹槍で刺突を繰り出すと、またしても黒鱗に弾かれたものの、今度は微かに、表面に傷をつけることができた。
『……ガッ、ガアアアアアアアアアアッ!!!!!』
空間を爆撃するような黒竜の咆哮に、理樹は生物として、本能的な怖気を覚えてしまう。
「やっべ、怒らせちゃったかな!?」
【いいえあれはむしろ、喜んでいますね】
「ドラゴンさんドM過ぎない!? もしくは僕が竜語わからないからって、アンジェさん適当言ってない!?」
【失礼な。失敬です。心外です。ぷんぷんの、ぷんすこです】
「だからあざと可愛いんだって! 気が抜けるからやめてよ!」
【……まあ、彼女からすれば初めて自分を傷物にした相手ですからね。それは昂るというものでしょうよ】
「言い方あ! 言い方に悪意を感じるう!」
【初めての責任……とって、あげませんとね?】
「ぐうう、何、この新感覚!? 彼女公認の浮気現場を監視されるみたいで、僕の情緒が捻じ曲げられちゃううううう!」
『グガアアアアア――――ッ!』
「……あ、ヤバい」
雑談で集中力が途切れてしまった。
直後にズドオオオオオンッ……と。
世界最古の神代魔樹迷宮における最下層に。
何度目かの轟音が鳴り響いて。
死に戻りを前提とした世界樹の分体と、死を欲する魔王との、気の遠くなるような戦いが、人知れずに幕を開けのであった。
【作者の呟き】
初手がラスボスなんて、無制限コンティニュー可能だとしても、作者なら即アンインストール確定なクソゲーですね。