第三幕 僕の愉快な異世界ライフ ⑥
〈理樹視点〉
「これって僕たちも、外に出られなくない?」
【……】
「ねえ、アンジェさん? ねえってば?」
【…………】
普段は饒舌な天使の沈黙こそが、
何よりの答えであった。
(……う〜ん、マジかー。転移早々に詰んじゃってるパターンかあ……)
異世界転移が確約されていた前世において、何かの参考にはならないかと、超過勤労から解放された理樹は持て余した時間の一部を、異世界転移や転生を題材とした創作物の鑑賞に充てていた。
そのなかで、できることなら御免被りたかった展開のひとつが、今現在が置かれている状況である。
(だけどまあ、こうなちゃった以上は『仕方がない』か)
嘆いてみたところで何も生まれないし、待っていたところで現状が好転する気配もない。
ならばできることをひとつずつ、
着実に積み上げていくだけだ。
生来の特異性である、異様な思い切りの良さが、青年を前に推し進める。
「ん、おけおけ。じゃあ、アンジェ。僕はいったい、何をすればいい? 今の僕には何ができるの?」
【……貴方のその……ちょっと、というかかなり、ポジティブが過ぎるところ、頼もしいですが、正直引きます】
「うん、よく言われる」
【でもちょっとキュンしました。これが惚れた弱みってやつですね】
「ごめんその感覚はわからないや」
【では私も、理樹にキュンしてもらうため、精々見栄を張るとしましょうか】
「お、威勢がいいねえ。いいのかい、そんなにハードル上げちゃって?」
【――理樹、私についてきなさい!】
「キュン!」
【チョロっ!】
恋人が勇まし過ぎる件。
などと、そうした理樹の普段通りな対応に、アンジェも調子を取り戻してきたようだ。
【とはいえ、理樹がこの魔樹迷宮からの脱出を願うのであれば、貴方が成すべきことは、じつは明確に決まっているのです】
「へえ、そうなんだ」
小気味よく相槌を打つと、会話の速度が上がっていく。
【そもそも問題なのが、この魔樹迷宮を管理する世界樹が、不正な方法で一部機能を上書きされて、封印状態にあること】
「ふむふむ」
【であれば理樹自身が正当な方法で、この魔樹迷宮を攻略してしまえば良いのです!】
「なるほど、具体的には!?」
【先ほどのドラゴンをブチ殺してください!】
「ごめんそれは無理いいいいいいっ!」
どっしりとした安定感のある枝の上で、見事な土下座をかます青年であった。
【いけますよ! 理樹ならいけますって! ほら、こんなときこそ、いつもの気持ち悪いくらいのポジティブを見せてくださいな!】
「切羽詰まっているからかもしれないけど、本音が漏れてきてるからね!? あと僕が思い切りがいいのは『仕方がない』状況に限った場合のハナシであって、こんな人間ボディでドラゴンに特攻とかいう積極的な自殺を、肯定する気はありません〜っ!」
【いいから行け、オラ! 私のために死んできなさい!】
「アンジェがDVに目覚めた!?」
そしてオラオラな彼女に、ちょっとドキドキしている自分がいる。
【でも……理樹。正直な話、それが唯一にして最善の方法であることは、真実なのです】
「……ねえ、あのドラゴンって、そんなに重要なポジションなの? たしかに見た目からデカいしゴツいしイカつかったけど、その感じだと、ただのドラゴンじゃないんだよね?」
【ええ、当然ですよ。なにせあのドラゴンは、世界樹の『番魔樹』……この世界のおいて、魔王と呼ばれる存在ですからね】
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〈理樹視点〉
あのあともしばらく続いた、アンジェ先生の説明によると。
どうやらこの世界に存在する生物は、創造神が種を蒔いて芽吹かせたものと、それらに対する『試練』として生み出されたものの、二種類に分けられるらしい。
前者が人間を含めた動物などであり。
後者が魔王を筆頭とする魔族である。
両者の違いは多岐にわたるが、もっとも大きな違いの一つが、生物の根幹である『魂の在り方』だった。
体が存在する物理世界。
魔力で満ちた精神世界。
魂が循環する根源世界。
異なる三位相が重なり合って構成されている多重構造の世界において、ひとつの世界で循環して完結する物質と魔力とは異なり、深層次元にある魂だけは、数多の並行世界を貫き流れる大河の飛沫として各々の世界に散らばり、役割を終えて、やがてまた大河へと還魂することで、輪廻転生を繰り返していくことになる。
そうした世界の連環に組み込まれてた魂を有しているのが前者であるのに対して、後者のそれは、前者のそれを模して造り出された、紛い物の魂だった。
同種族の雌雄による交配からではなく。
創造神が世界に植えた世界樹、あるいはその末端である魔生樹から産み出された魔王や魔人、魔獣といった魔族は、各々が体内に魔晶石と呼ばれる独自の器官を有している。
それこそが彼らにとっての擬似的な魂の器であり、成体として魔生樹から産み出され、一定の条件を満たす限りは不老とされる魔族が、その核とされる魔晶石を破壊されると滅びる現象の根拠である。
またその際に、個体が魔晶石に蓄えていた記憶や経験値は、転送や複写が行われていない限り、この世界から完全に失われてしまうらしい。
アンジェからそうした説明を受けた理樹は、なんだか魔族って前世の人間が作り出した人工知能みたいな存在だなと、奇妙な感想を覚えたものだ。
あるいはそれすらも、創造神とそれを模して創り出されたとされる人族の、相似点なのかもしれない。
ともあれ。
魔生樹から大量に生産される魔獣などは別として、上位種である魔人であれば、言葉を介して人族と意思疎通を図ることも可能らしいが、それでも根本的な断絶が、両者の間には横たわっている。
なにせ自我を有する魔族は、大同小異の差はあれど、皆須く『死にたい』のだ。
創造主によって自殺を禁じられた不老者である彼らにとって、死とは、終焉ではなく解放。
人類に進化に必要な負荷を与える『試練』として造り出された魔族は、それを乗り越えた人族に討たれ、己の役割を果たすことに本能的な喜びを感じるよう、仮初の魂に刻印されているためだ。
そのため魔族の中には、進化の停滞した人族に滅びを齎す一方で、自らを討つ可能性を有する人間を手助けする例なども、過去には確認されている。
こうした魔族の行動から、人族のなかには彼らを崇め、自ら滅びを求める宗派が誕生したほどだ。
とはいえ、魔族の本能的欲求は、皮肉にも高度な知性と魔力を有する上位種ほど、満たされていないのが現実である。
種が芽吹いた土地の魔力を吸収して育つ魔生樹から、際限なく産み出される魔獣程度なら、ある程度の実力を有する人族であれば討伐できる。
一定の水準まで成長した魔生樹が自らを守るために産み出す特別な魔獣、通称『番魔獣』も、優れた人族が力を合わせれば、討伐することは可能だ。
ただし創造神が植えた世界樹から産み出された魔人が相手となると、それを正攻法で討ち倒せる人間は、極端に数が絞られる。
単体で小国を滅ぼすとされる魔人を討伐した者は、英雄と謳われ、人族の歴史に名を刻むほど。
時代を経ることに優れた血統を組み合わせ、個体の力を増していくことが可能な人族とはいえ、そのような英傑がポンポンと産まれてくれるはずもなく、九百年前に人族の最前線に立っていた異世界人たちでさえ、彼らと正面から衝突することは避けていた。
斯様に、人の及ばざる力を有した魔人である。
であれば、それらの頂点。
世界に四柱しかなかった世界樹。
その各々が番魔獣として産み出した特別な魔人、即ち四体の魔王は、この世界が創世されてから一度たりとも、創造神から与えられた役目を全うできていない。
そのうえ異世界人による封印が行われてからというもの、世界樹の機能簒奪によって、魔樹迷宮の最深部に縛られたそれらは、来るはずのない挑戦者に想いを馳せて、ただただ無意味な時間を消費させられていたらしい。
だからこそ。
『グ大オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
「もおおおおおっ、イヤッ! このドラゴン張り切り過ぎいっ!」
ようやく目の前に現れた想い人に、
黒竜は狂喜乱舞していた。
【作者の呟き】
嬉しすぎて待てができないドラゴンちゃんとか、可愛くないですか?