第三幕 僕の愉快な異世界ライフ ⑤
〈理樹視点〉
「世界樹に、魔樹迷宮に、魔族ねえ……」
【順を追って説明しましょう】
情報の洪水に首を傾げる理樹の脳裏に、授業をする先生のような口調で、女の美声が響く。
【まず、偉大なる創造神はこの世界の基盤を造りたもうたあと、世界に四柱の世界樹を植え、それを守るための神代魔樹迷宮と、魔族を生み出しました。そして創世ののちに蒔かれた文明の種子、神を模して創造された人族は、それらに挑み、乗り越え、進化し続けることを、創造神から望まれまれております。ゆえにこの世界の人間たちは、地上に蔓延る魔獣を狩り、その発生源である魔樹迷宮に潜り、番人である魔人らを討ち倒すことで、試練を踏破した報酬として世界樹の果実を手にいれ、自分たちを神々の座する領域へと〈存在進化〉させていくべきだというのが、かつてこの世界でもっとも普及していた最大宗教の教えでした】
「過去形……ってことは、今は違うってこと?」
【ええ。本来であればそうした人族の営みが、正しい方向に進んでいるのか、監督して、ときには軌道修正していくのが、創造神から世界を託された管理神と天使の役割なのですが、この世界の神はあの、ゴミクズ無能神ですからね。私が世界樹の記録領域に接続して読み取ったした歴史は、それはもう酷い有様でしたよ】
「うわあ……」
この世界の歴史云々よりも。
邪神の呼称が悪化していることに、天使の底知れない怒りを感じてしまう理樹である。
【そもそも創造神から管理神に制限付きで与えられた『異世界人を招く権能』とは、停滞した文明や、破滅に向かう文明の起爆剤を目的としたものであり、自分が管理するのが面倒だからとただ闇雲に異世界人を召喚して、文明の過剰発展を促すものではありません。それをあのゴミクズ無能神は、こともあろうにひとつの時代に異世界人をまとめて召喚することで、文明の過剰発展どころか、暴走進化を招きました】
「その結果が、例の『迷宮封印』に繋がるわけ?」
【ええ、その通りです。ひとつの時代に収束された異世界人……この世界において勇者と呼ばれる彼らは、各々の叡智を結集させて、文明を十倍以上の速度で発展させました。その成果のひとつが、魔樹迷宮の封印であり、そこに座する世界樹の機能を一部とはいえ、簒奪して上書きすることでした】
「えっと……それって、何か不味いわけ? いちおうその人たちは、世界のルールに則って、魔樹迷宮を攻略したんじゃないの?」
【攻略ではありません! 封印と、簒奪です! そこには許し難い、明確な差異があります!】
「お、おう……そ、そうなんだ……」
声を荒げる脳内天使に、
動揺してしまう宿主である。
「……なんか、ごめんね? 無神経な発言だったかな?」
【……いいえ。こちらこそ、興奮してしまいました。申し訳ありません。べつに貴方に、憤っているわけではないのです。そして実際にそれらを実行した異世界人たちの行動にも、理解できる部分はあるのです】
「へえ」
【むしろ彼らの生き様は、称賛に値します】
「そうなんだ」
【はい。なにせ彼らは、優秀でしたが、何よりも善人でした。本当に、心から、この世界をより良くしようと、発展させようと、尽力していました。創造神から与えられた『異世界人を招く権能』にはそうした善性の魂魄をあらかじめ選別する機能があるので、当然と言えばそれまでですが、ですがそうした彼らの努力と献身は、やはり評価されて然るべきです。彼らの気高き魂は、繰り返される輪廻の果てで、いずれは創造神の御許へと導かれることでしょう】
「だとしたら……アンジェが怒っているのは、異世界人じゃなくて、元々この世界にいた人たちに対してってこと?」
【ええ。創造神の導きに従って文明を発展させようとする彼らに対して、この世界の住人たちはどこまでも不誠実で、悪辣で、怠惰でした。表面上はもっともらしい理由をつけて異世界人らを敬い、自分たちへの助力を申し出る一方で、裏側ではその利益を一方的に貪り、危険な役割を押し付けて、自分たちは安全な場所でのうのうと彼らの恩恵を啜って私益を増やしていた、唾棄すべき存在です】
「まあ……言っちゃなんだけど、どこにでもいるよね、そういう人たちって」
理樹の前世においても、ごくありふれた光景である。
【ですがそれを看過しないことこそが、管理神の、本来の役割なのです。先ほども申し上げたように、創造神に課せられた規約によって、管理神は管轄である世界の住人に直接的な働きを仕掛けることは難しいですが、世界の外側からやってきた異世界人になら、そのルールが緩和されます】
よって、分体を通じての助言なり、夢の中の現れての予言なりして、何らかのかたちで彼らに啓示を与え、その力が世界に対して正しく働くよう導くことこそが、彼らをこの世界に招いた管理神のとるべき責任なのだと、天使は語る。
【それなのに……あのゴミクズ無能神ときたら……っ!】
「……あー。そのタイミングを、見逃しちゃったんだ」
【見逃すどころではありません! あれはもう、職務放棄です!】
なにせかの邪神は、当時、神が地上に干渉する手段の一つである分体を用いて急速に栄えていく人間の街に入り込み、毎日遊び惚けていたのだという。
ようやく彼が世界の異変に気付いたときには、全てが遅きに失していたらしい。
「く、クズ過ぎて笑えない……」
さすが神に仕える天使から、ゴミクズ無能神と罵られるだけのことはあった。
【一方で神からの啓示もなく、人面獣心な人間どもに利用され続けた異世界人たちは、彼らに言われるがまま、万全とは言い難い状態で世界樹を擁する神代魔樹迷宮を攻略させられることになりました。無論、彼らを支援する善良な者たちもいましたが、それらは少数であり、ほとんどは彼らを人身御供として甘い汁を啜ろうとするケダモノと、その子飼いの群れでした】
それでもなお、異世界人たちは、世界のために戦った。
周囲の実力が追いついていないため、少数精鋭の勇者チームを組み、数少ない理解者たちの協力を得て、なんとか魔樹迷宮を攻略しようと、命を賭した試行錯誤を繰り返した。
【……その結果として彼らが編み出したのが、異世界人の命を対価とする特殊な魔法であり、名を〈領域神犯〉と言います。その名の通り、魔樹迷宮の核である世界樹に強制接続して、一部の機能を不正利用するこの魔法を用いて、戦力が足りない彼らは魔樹迷宮を『攻略』ではなく、『封印』したのです】
世界樹の機能を乗っ取るという着眼点や、魔法の名付けから察するに、おそらくそれを生み出したのは、理樹と同じ世界からやってきた異世界人なのだろう。
そして異世界人が編み出した〈領域神犯〉という魔法と、多くの犠牲を対価として、世界は四つの魔樹迷宮を全て封印することに成功し、そこから魔人などの上位魔族が外へ出ていくことを禁じた。
これにより世界は、『試練』という名の『脅威』から解放されて。
さらには異世界人たちが遺した知識や技術を活用することで、この世界の人族は九百年以上に渡る安寧を手に入れているとのことだった。
「ふ〜ん。じゃあ今の世界って、利用されて死んでいった異世界の人たちには悪いけど、いちおう平和なんだ」
【そうともいえますが、あくまでそれは、偽りの平和です。生物の本質は競争と進化であり、試練を避けて安楽を貪る人族に、未来はありません】
「それはまあ、神様寄りの視点だねえ」
世界樹に転生したとはいえ、未だに人間寄りの感性を抱く理樹からしてみれば、それもまた、人間の一面だと納得してしまうのだが。
(どこの世界でも、人間のやることは変わらないねえ)
世界平和という大義のもと、
平等という名の戦力の拮抗状態を維持して。
大国に属する人間は生まれながらに満たされた生活を享受して、小国に属する人間は死ぬまでそれを支えるための搾取をされ続ける。
それをわかったうえで、上から下を見下ろして「可哀想」などと漏らしつつ、実際には何もしないどころか更なる権利を求めて訴える社会で生きてきた理樹は、そうした異世界人の恩恵を一方的に受け続けるこの世界の住人たちが、完全なる悪であるとは思えなかった。
彼らはただ、立ち位置が違うだけだ。
立っている場所が、属している組織が、住んでいる世界が違えば、主義主張も変わってくる。
自己を守るために他者を傷つけ、愛する者を守るためなら自らの死すら厭わない、矛盾した生物。
環境に適応する性質。
それが人間の本質だと、理樹は考えていた。
(でもまあ……となると、問題はやっぱり――)
平行線が目に見えている話題を切り替えて。
ひとまずは、目先の問題に切り込む。
「――ねえ、アンジェ。念のために確認したいんだけど、ここって、その封印された魔樹迷宮の、最深部ってことでいいんだよね?」
【はい、その通りです】
「そして僕は今、新たな世界樹に転生しちゃってるわけで」
【はい】
「かつてこの世界にやってきた異世界人たちは、世界樹ごと、魔樹迷宮を封印しちゃってるわけで……」
【……はい】
「これって僕たちも、外に出られなくない?」
【作者の呟き】
異世界転移からの即詰みパターンなんて、お約束ですからね!(邪悪)