第三幕 僕の愉快な異世界ライフ ③
〈理樹視点〉
……。
…………。
……………………。
そのはずなのに。
(……あれ?)
不思議なことに、理樹の自我は、連続性を保っていた。
(いやいや、それはおかしい。だって僕、今さっき、絶対に死んだじゃん!)
地面を転げ回る痛みも。
黒龍を見上げたときに覚えた感情も。
踏み潰された衝撃も。
骨が砕けて内臓が弾ける感触も。
それら全てを、鮮明かつ鮮烈に覚えている。
あれを幻覚や妄想だと判ずることなど、
到底出来はしない。
あれは間違いなく、現実であった。
であるならば。
(この僕は、いったい何者? っていうかここはどこ? また真っ暗だし、手足が動かないんだけど!?)
混乱する理樹の脳裏に、
女の声が響く。
【……ああ、そういうことですか。これは失礼、私としたことが配慮を欠いておりましたね。そうですか、何か齟齬を感じると思えば、なるほど、理樹は『アレ』を、自身の転生体であると錯覚していたのですね?】
(アンジェも〜ん! いったい何が、どうなってるのお〜!?)
【よしよし、理樹くんはほんと、ボクがいなければ何もできない無能だねえ】
(猫型の青い彼はそんなこと言わないから! 謝れ! 作者とファンの皆さんに謝れ!)
【ごめんニャン。許してほしいのニャン】
(あざと可愛いッ!)
などと、心の安定を図るための会話をしているうちに。
カチカチと、理樹のなかで名状し難い感覚が生まれる。
例えるならこれは、人間には存在しないはずの回線を、何かに接続しているような……
【……はい、これで同期完了。また『視える』ようになったでしょう?】
「……ごぽっ! ゴポゴポがはあっ!」
再び認識した五感を操作して、ひとまず目を見開いてみると、視界は琥珀色に覆われていた。
肌に感じるのは生暖かい液体の温度。
どうやら自分はそこに、母親の胎に収まる胎児のように、手足を畳んで浸っていたらしい。
気泡を吐き出した口の中には直接、植物の根のような細管が差し込まれており、頭上から伸びるそれが、自分に必要な栄養なり酸素なりを供給してたのだと、直感的に理解する。
(あ、でももうダメ、苦しいっ!)
とにかく無我夢中で、ガムシャラに。
喉の奥から蔦のような手触りの細管を引き抜いて、四肢をばたつかせていると、琥珀色の液体を満たす外殻に触れた。
向こう側が透けて見える半透明であり、肉厚なゴムと、硬質な卵殻の中間ような手触りのそれを、とにかく夢中で引っ掻き続ける。
すると外殻が壊れて、割れて、弾けて。
内部を満たしていた液体が溢れ出し、
理樹も一緒に排出される。
(えっ!? 今度は落ちる!? 落ちてるの!?)
外気に触れる感覚とともに、全身を、高所から落下するときの独特な浮遊感が包み込んだ。
すわ本能的に背中を丸めて身構えようとする理樹であるが、幸いにもその肉体は、数秒とかからず地面に到達したようである。
「痛あっ!」
だがそれは、地面ではない。
硬く、ゴツゴツとした感触は、先ほどまで足裏で触れていた剥き出しの地面とは、まるで別物だ。
むしろその肌触りは、幼い頃に経験した……
(……樹の、表皮?)
はたして青年の直感は、正しかった。
あらためて周囲を確認した理樹の身体は、道路のように広く分厚い巨大樹の枝上にある。
視界に収まりきらない広葉樹の傘のもと、無数に垂れ下がって発光する奇怪な繭のひとつに、どうやら自分は閉じ込められていたらしい。
何十メートルも離れた地面に墜落する前に、こうして巨大な枝の上に着地できたことは、じつに幸運であった。
【まったく……理樹も、せっかちさんですね。これではあの堪え性のない番魔獣を、笑えませんよ?】
「いや、いいから! そうやって情報を小出しにしてもったいぶるのはもういいから、少なくとも僕の現状くらいは、ちゃんと教えておくれよ!」
でないといい加減に、頭がどうにかなりそうだ。
そうした理樹の嘆願に、美女が返答する。
【ええ……そうですね。その通りです】
声音には、怯えの色が含まれていた。
【……いいですか、理樹。ひとまず、落ち着いて私の話を聞いてください。そのあとでなら私をどう罵ろうと構わないので、まずは私に、現状の説明をさせてください】
まるでそれは、自らの失態を親に語る、幼子のようですらあり。
【まず……いま貴方がそうして五感と自我を接続している肉体は、本当の貴方ではありません。神で例えるなら分体、人で例えるならコントローラーを握って操作する、画面の中のゲームキャラクターみたいなものです】
「じゃあ、僕の身体は!? 僕の本当の『本体』は、いったいどこにあるのさ!?」
【……貴方の『本体』は、目の前にあります】
「……はあ? いやいやいや、だってここには、このバカでっかい樹ぐらいしか――」
【――目の前、です】
「……は?」
じわじわと、女の言葉が脳に染み込む。
背筋が冷たくなり、手足が震えた。
女の声が、淡々と告げる。
【だから目の前にある『それ』こそが、新しい理樹なのです】
つまり――
「――こっ、この、バカでっかい樹そのものが、僕の本体……?」
【……はい。この世界に四柱しか存在しなかった『世界樹』の、五柱目こそが、貴方の新たな受肉体です】
紆余曲折を経て。
異世界に転移した青年は、どうやら人間を辞めて、世界樹へと転生してしまったらしい。
【作者の呟き】
ようやくタイトル回収!