第二幕 異世界転移ってこんなだっけ? ④
〈理樹視点〉
自分の不手際をやり直すために、世界そのものを崩壊させろなどと告げる、異世界の管理神に対して。
「……いや、嫌に決まってるでしょう、そんな馬鹿みたいな役割」
至極当然な反応を返した理樹に、道化男は大仰な仕草で腰を曲げ、手を耳に当てて問い返してくる。
「……はい? あれ? あれれれ? もしかしてボク、耳が悪くなった? もしくはリッキーの頭が悪くなっちゃった? あはは、っていうかそれは今更か! ごめんごめん!」
端正な男の顔には、悪意が浮かんでいた。
「でないと前世であんな、クソみたいな生活に耐えられるわけないもんね! いやマジでリッキー、いったいどういう理屈であの境遇を受け入れてたの!? ボクには心の底から理解不能なんだけど!」
【貴様……黙りなさい! 貴方のような下衆が、これ以上理樹を侮辱することなど、許されませんよ!】
「まあまあ、落ち着いてよアンジェ。あんなの、慣れっこだからさ。それに僕がちょっとおかしいっていうのは、事実だと思うし」
【で、ですが……っ!】
自分なんかのために、心優しい天使が憤ってくれるのは嬉しいが。
今はそれよりも先に、確認しておかなければならないことがある。
「ねえアンジェ。僕ってホントに、あの邪神が言うように転移した先の世界で人間たちを殺さないとダメなワケ? 覚えている範囲だと、たしか僕が契約したのは『異世界に転移する』ところまでで、『そのあとの行動』までは含まれてなかった気がするんだけど、それって僕の認識違いかな?」
もちろん転移した世界の住人になる以上は、その世界を管理する神に対して、多少の融通なら利かせようとは考えていた。
とはいえさすがに『その世界の人間を虐殺しろ』などという、無茶振りは許容できない。
理樹の抱いた疑念に、天使の声が弾む。
【そ、そうです……その通りですよ、理樹! 私としたことが怒りで我を忘れていましたが、貴方があの〈門〉を潜った時点で、我が主とそこな下級神との契約は、果たされております! 貴方が転移した世界で手を汚す謂れはありません!】
「いやいやいやいや、それはなくない!? だったらボク、なんでわざわざクソ面倒な手間暇かけて、ソイツの魂をこっちに招いたっていうのさ!? 言うこと聞く気がないんならせめてクーリングオフさせてよ!」
【却下です。いかに適正のある魂とはいえ、二度目の異世界転移に耐えられる保証はありません。返品する魂の品質が保証できない以上は、その申し出は受け入れられませんよ】
「ガッデム! そんなの、悪徳セールのやり口じゃないか! 汚いぞ!」
「いや二人とも、僕の世界の商法に詳し過ぎない……?」
そういえばアンジェは某大手通販サイトの常連客だったなと、しみじみ思い出す主夫であった。
「というか仮にも神がガッデム発言とか、大丈夫なの? 自虐してない? 頭悪過ぎない?」
「いいんだよ、細かいことは! っていうかさりげなく神をディスるなよ! 不敬だぞ!」
「頭も性根も性格も悪いって、お前。マジで」
「堂々とディスればいいわけじゃないからね!?」
「死ねよ」
「ただの悪口!?」
すでに異世界人からの扱いが、地に落ちている邪神である。
「それよりもリッキー、ボクは断固として、ズルは認めないからね! キミがあくまでボクの要請を突っぱねるって言うんなら、ボクもキミに協力なんてしてあげない! もちろん異世界人ボーナスのチートスキルもあげないよ!」
【おや、それはおかしいですね? 神の事情で魂を転移、あるいは転生させた場合は、対価として異世界人に相応の権能を与えることは、創造神様が定めた最低限の保証として規約化されているはずですが?】
「んぐ……っ!?」
「いやいやロキシル、キミのほうこそやり口が悪徳業者じゃん。人間が神様のルールに疎いからって、さっきからカマかけ過ぎじゃない?」
とは言うものの。
実際にはアンジェのように、神々の規約に精通した者がいなければ、大抵の人間は神の言うことを、唯々諾々と受け入れるしかないだろう。
こうして邪神の口車を回避できているのは、すべて彼女の存在があってこそだ。
(……あー。となるとアンジェはやっぱり、ここまでの状況を危惧して僕の権能になってくれたって感じなのかな。だったら感謝しかないや)
【はい。理樹はもっと私に、感謝を捧げてください。具体的には一日に八時間はおしゃべりしましょう】
(ナチュラルに心を読まないでくれる!?)
プライバシーという概念が、
権能サマには欠如しているようだ。
あと発言に、前世での職業病が微妙に滲んでいる。
【無能神、観念して理樹に権能……ギフトを、与えなさい。それが貴方の役割です】
「ぐ、ぐう……だったら、ギフトは与えてやるよ! でもそのギフトは、自分で選びなよ! 言っとくけどボクには、ステータスをオープンしたり、わざわざギフトの内容を説明してやる義理まではないからね!」
「うわあ……この悪徳業者、とうとう説明書を抜きで、商品を売り始めたよ……」
「はっ、タダで貰えるものに文句をつけるほうが、傲慢ってもんさ! 弁えろ人間!」
【問題ありません。下級神が贈与できる権能など、全て把握しております。――〈情報開示〉】
「うちの説明書が優秀過ぎる件。グーグル先生かな?」
「ぎゃふん」
電子の海で情報を漁るような、
小慣れた様子で。
理樹の眼前に現れた半透明な四角画面を、権能であるアンジェが、高速で流し読みしていく。
見慣れない文字の羅列が濁流のように流れていくが、全知全能な存在の端末ともいえる守護天使には、その意味が理解できているらしい。
全くもって、頼もし過ぎる相棒だ。
【理樹……私を信じて、貴方のギフトを、私に選ばせていただけますか?】
「当然じゃないか。今までアンジェが見繕ってくれた服に、間違いなんてなかったからね!」
【うふふ……お任せください】
「おっ……珍しい。アンジェが笑った」
なにせ天使とは、その概念上、仕える存在に貢ぐ、奉仕する、献身することに、本能的な多幸感を覚える種族らしい。
そうした種族特性を聞いた理樹が「なんだかホストに貢ぐキャバ嬢みたいだね」と呟いて、わりとマジな説教をいただいたのは、前世の苦い記憶である。
【決めました……では、こちらのギフトにしましょう】
「ん? どれどれ……って何コレ!? 表示を隠さないでよ!? 確認できないじゃん!」
【当然です。このギフトはすでに理樹のもの。となればプライバシーの保護は、当然の権利ではないですか】
さりげなく選択したギフトを確認しようとした道化男に対して、アンジェはそれを認識できない防衛機能を行使したようだ。
第三者に暗号を盗み見されないように、確認画面が『⚫︎⚫︎⚫︎』で表示されるアレかと、理樹は納得する。
【さあ、いただくものはいただきましたので、さっさと転移を終わらせましょう。こんなところにいても時間の無駄です】
「いや別に、ここは限りなく時間の概念を薄めた空間だから、そんなことは気にしなくても――」
【訂正します。貴方という存在をこれ以上認識したくありません。吐き気がします】
「――おいリッキー。キミのギフトは口が悪過ぎるぞ! 飼い主ならちゃんと躾けてくれたまえよ!」
「え? 美人に罵倒されるとか、むしろご褒美なんじゃないの?」
「ん、それはそう!」
【……それでは行きましょう、理樹。ほら無能神、さっさと〈門〉を開きなさいな。本当に、愚鈍な邪神ですね。創造神に申し訳ないと思わないのですか? 私ならとても、のうのうと存在などしていられませんけどね】
「美人なら何を言っても許されると思うなよ! チクショウ!」
顔を真っ赤にして喚きながらも。
これ以上の口論は無意味だと悟ったのか。
邪神は渋々と、何もない空間に、新たな〈門〉を作り出した。
「……ほれ、とっとと行った行った。そしてできることなら、さっさとくたばっておくれよ。契約上、キミという存在がいる限り、新たにこっちから異世界人を誘致することはできないんだから、ボクのために可及的速やかに死んでくれたまえ」
「う〜ん、この、いっそ清々しいまでの自己中っぷりよ。逆に好きになってきたかも」
【おやめなさい、理樹。そのゲテモノは、煮ても焼いても食べられません。捨て置きなさい】
顔をしかめる邪神の横を通り過ぎて。
通算三度目となる〈門〉を、理樹が潜った瞬間に――
「……それはこっちのセリフだよ、クソ天使」
――道化じみた顔が、酷薄に歪んで。
【……っ!】
「……うわっ!?」
道化男の親指を立てた拳が首元を横切り。
下方向に向けられたのを視認した直後に。
理樹の視界が、暗転した。
【作者の呟き】
信じられるかい……?
ここまできて、まだ異世界転移すらしていないんだぜ……?