あと107日、最悪な掃除当番。
9月9日。
僕もそうだけど、早乙女も別に誰彼構わずに敵意を剥き出しにしているわけじゃない。
全然身に入らない午後の数学の授業。
何気なく怨敵へと視線を送ると、隣の席の男子に教科書を見せて貰っている早乙女の姿があった。
家にでも忘れたのかもしれない。
よくある話だ。
しかし。
早乙女は隣の席の男子に対して礼儀正しく手を合わせ、申し訳なさそうにしていた。
別にやろうと思えば、授業なんて適当に受ければ良い。
教科書なんて見なくても、問題はない。
「……」
コイツは本当に変わらない。
派手な見た目をしながらも根は真面目。
ちゃんと板書に向き合いながら、今もノートに書き込んでいる。
昼休憩の時だって、そうだ。
クラスの女子と楽しげに談笑しながら、小さな弁当箱をつつく。
至って普通の女子高生の一幕―――――。
奴が決定的にその態度を変えるのは、僕のみ。
僕から言わせればアレは、「擬態」。
薄汚い本性を隠すために、奴は普通の女子高生を演じているに過ぎない。
クラスメイトも、なぜ僕達がこんなにいがみ合っているか、不思議に思っていることだろう。
しかし、僕は早乙女のことがどうしようもなく「嫌い」だった。
***
早乙女とは同じ地元、同じ中学、三年間ずっと同じクラスだった。
忘れもしない。
中二の夏。
そう、それこそ今くらいの時期だったように思う。
当時在籍していたクラス中に、早乙女の悪評が流れ始めた。
そのどれもが根も葉もない噂。
やれ「早乙女一華は援交をしている」だとか、「サッカー部のキャプテンには彼女がいるのに、手込めにして寝取った」などなど。
証拠なんてない。
でも、当時の中学生にとってそれらの噂は刺激的だった
瞬く間に噂は学校中を駆け巡り、早乙女一華は一躍時の人となった。
心ない中傷に早乙女は数日学校を休みはしたものの、人の噂も七十五日。
今度は新たな噂がクラスへと広まることになった。
そう。
他でもない僕。
杉下凪が、早乙女の一連の噂を流布した張本人である――――――という噂。
当然ながら僕はそんなことをしていないし、噂の出所も不明。
しかし。
早乙女はその話を完全に信じ、クラス中にアンチ杉下の空気を作りだした。
当時のことと言えば……それはもう、酷いモノだった。
クラス中の目の前で、僕を指差しながら大泣きする早乙女。
それに同調する女子達。
男子も、明るくてクラスのアイドル的な存在だった早乙女を守るかの如く、俺を無視した。
やられたらやりかえす。
徹底的に俺を目の敵にし、そしてある日、面と向かって早乙女は僕に言った。
「このクズ野郎」と。
いくら僕が声を大にして異論反論を唱えたところで、世論は完全に早乙女に傾いていたから、あまり意味がない。
以降、クラスから圧政を敷かれた僕は、中学卒業まで暗い青春を送ることとなった。
故に。
高校からはこの一件を知ることのない、地元から離れた学校へと進学することを決めた―――――その初日。
同じクラスに足を踏み入れて、僕は目を疑った。
クラスの中程の席に座っている、その女。
見間違えるはずがない、仇敵である早乙女一華。
奴も僕と同じ思考回路だったようだ。
早乙女自身も身に覚えのない噂を流された。
だから、その噂の届かない、誰も知るよしもない学校を選んだのだと思うけど、真偽は不明。
僕と早乙女が、そのことについて話すこともない。
ただ、僕はあの日、あの時。
目を大きく見開き、表情を歪ませた早乙女の顔を今でも忘れない―――――。
***
放課後。
僕は早乙女と、ほうきを持って教室内で向き合っていた。
「……何で、アンタがいるのよ!」
手に持ったほうきで、ズビシっ!と僕を指す早乙女。
その手は怒りにワナワナと震えていた。
「……哲に頼まれたんだよ。
部活が忙しいとかで……」
「アタシも光に頼まれたのっ!
当番、横山君だと思ったから引き受けたのに!!」
クソ!!とおもっくそ舌打ちを教室中に響き渡らせて、早乙女は僕を睨み付けた。
なんと言うことだ。
掃除当番を僕に頼んだ哲も、これは想定していなかったと思われる。
というか、僕も相手が早乙女だと分かっていたら、引き受けてはいない。
クラスメイト達は僕と早乙女の仲の悪さを知っているため、意図的にこのような当番で一緒になることはないようにしてくれていた。
完全に悪い偶然だった。
「……嫌なら、僕が一人でやるから。
早乙女は帰れば良いだろ」
「別にやらないって言ってないじゃん!!
クソウザいから、勝手に決めつけないでくれる!?」
「……」
根は真面目という早乙女の性質上、仕事をせずに帰るという選択肢がないことは分かっていての発言。
今回は言い合いを止めてくれる人もいない。
さすがに頼まれた当番の仕事を投げ出して帰るわけにもいかない。
俺はさっさと終わらせた方が得策であると判断し、さっさと机の間を掃き始める。
「……っ!!
じゃあ、アンタは教室の前やってよ!
アタシは後ろやるから!!」
「はいはい……」
嫌みったらしく言い捨てると、僕もまた掃き掃除へと戻る。
うるさいな……。
コイツ、いちいち大声出さなきゃ会話できないのか。
開け放たれた窓から吹き込んでくる真夏の不快な外気が、僕のイライラを更に増長させていた。
お互いに半分ほど掃き終わったところで、着信音が教室中に鳴り響いた。
「っ!!」
言うまでもない早乙女のスマホだ。
しかし。
着信音が鳴った瞬間、先ほどまでの仏頂面から一転。
嬉々とした表情に変わり、スマホを耳へと押し当てて話し始めた。
「廉っ!?
あ、うん、ごめんね。今ちょっと教室の掃除してて……。
うん……、うん。
じゃあ、いつものとこで待ってて、すぐ行くからっ!」
そう言いながら早乙女は電話を切り、制服のポケットにしまった。
……分かりやす。
彼氏か?
1個上の彼氏がいるとか何とか、クラスの女子が話しているのを小耳に挟んだことがある。
「アタシが戻ってくるまでに、黒板、ベランダ、その他諸々、終わらせといてよねっ!」
言うが早く、早乙女はゴミ箱を抱えて教室の外へと出て行った。
「終わるわけないだろ……、一人で」
悪態をついたところで、その相手はとうに廊下を全力疾走の真っ最中。
「……はぁ」
溜め息一つ。
僕は仕方なく、手に持ったほうきで、今しがた掃いたゴミを集め始めた。