あと114日、夏休み終了。
9月1日。
クラスに足を踏み入れると、始業時間ギリギリにも関わらず、クラスメイトの大半は特に席に着く様子も無く友人と談笑に興じていた。
休み明け一発目の登校日と言うこともあるのだろう、それぞれ自身がどんな日々を過ごしていたのか、互いに嬉々として語っていることがその表情から伺える。
そして。
その中の一人が今しがた教室に入ってきた俺に気付いたようで、足取りも軽く接近してきた。
「おっす、凪。
日焼けした?」
陸上部に所属している此奴は、夏期休業の最中もずっと練習があった様子。
短く刈られたスポーツ刈りに皮膚ガンまっしぐらのドス黒い肌のコントラストが恐ろしい。
で、何だって?
僕の夏の過ごし方?
「……そもそも、家の外にも出てない。
別に用事も無かったから」
「えぇ~~……。
せっかく華の高二の夏だってのに……」
僕の返答を聞いて露骨に眉根を潜める哲。
「そう言う哲は、何か夏っぽいことしたの?」
「エブリデイ陸上っ!!」
「それって、つまり……」
「何の成果も、得られませんでしたっ!!!」
ズビシっ!!とご立派な敬礼をし、哲は悔しげに唇を噛む。
なるほど……。
「部活動も立派な「成果」だと思うけど……」
「あん? ちげーよ。
女子とイチャコラすることこそが「成果」なんだよ。
あっつい中走っても何も得られるわけないだろうが」
じゃあ、どうして陸上部なんかに……。
僕の微妙な表情から何を考えているのかを察したのか、哲は「皆まで言うな!!」と僕の発言を遮った。
「そんで、凪の方は涼しい家でずっとダラダラしてたのか?」
「……悲しいけど、それで説明できちゃうなぁ」
哲はなんやかんや言っても、部活動で「陸上」という比較的キツめのものを選ぶほどにはアクティブだ。
対して僕は、永遠の帰宅部だし、バイトも何もしていない。
何の成果も、得られませんでした!と言うべきなのは、間違いなく僕の方だろう。
「凪、ところでさー」
と、哲が言いかけたときだった。
僕達は教室の扉から入ってすぐのことろで哲と会話していた。
しかも今は始業間際。
何が言いたいかというと、僕同様にギリギリに登校してくる輩がいるわけで。
しかも。
そんな始業時間ギリギリに来る奴なんて、僕を含めてろくな奴はいないわけで。
「―――――邪魔なんだけど」
明らかに不機嫌そうな声音。
声が聞こえた瞬間、全身で感じる生理的嫌悪。
「……うっわ、やっべー……」
俺の真ん前にいる哲には、今しがた教室に入ろうとしているその人物が既に視界に入っているようで、俺とその人物を交互に見ては、微妙な表情を浮かべている。
「……」
その人物が誰なのかは、俺もとっくに分かっている。
でも、せめてもの反逆心で俺はその声が聞こえていないフリをしていた。
「……聞こえないの?
邪魔だっつってんの。
さっさとどいて」
「……っ」
何でコイツはこんな言い方しかできないんだ。
「ごめん、ちょっと教室入らせてー」
これでいいじゃん。
何でそんな人を傷つけることに特化した言葉遣いができるんだ―――――。
「……ごめんごめん、邪魔者はさっさと消えまーす。
どうぞ、お入りくださーい」
ゆっくりと振り向くと……そこに立っていたのは一人の派手な女。
それはもう膝上何センチやねん、というスカートをはき、着崩された制服。
アッシュベージュの髪の毛は緩めに撒かれており、その小さい顔はメイクバッチバチ。
しかし、決してケバいわけではなく、自分の良さをあくまでも生かす方向とでもいうか、とにかく色々と研究しているんだろうな、ということが伺える。
控えめに言って、街で見かける分には「可愛い」部類に入るんだと思う。
―――――早乙女一華。
紛う事なき、僕の天敵である。
「……何その言い方」
眉間に深く刻まれるシワ。
俺の返答が気に食わなかったのか、こちらを思いっきり睨み付ける早乙女。
「喧嘩売ってきてんのはそっちだろ」
「……はぁ?
そんなとこに突っ立ってる奴が悪いでしょ普通!」
「どいてほしいなら、それなりに言い方があるだろ?
ほら言ってみろよ。リピートアフターミー、『お願いしますーどいてくださいー』」
「……オマエ、ホントにムカつくな!
いいからどけよ、そこ!!」
「通りたいんだったら、無理矢理入ってこいよ!!」
「……あーあー、はいはいー。
ほら凪も落ちついて落ちついて。
早乙女さんも入っていいよー」
哲は俺の体を押しのけ、人一人分通れるぐらいのスペースを確保する。
すると、早乙女は舌打ちをしながら、強引に教室へと入ってきた。
「……横山君、ありがと」
「いやいや、お気になさらず~」
そっぽを向きながらそれだけ呟くと、早乙女は教室中程にある自身の席へと歩いていった。
「……おい、哲。
余計なことをすんなよ」
「だって、君たちバチったら落ち着くまで長いじゃーん」
「……」
教室を見ると、クラスメイト達は「またかー」といった表情をこちらへと向けている。
……確かに、空気を悪くしていることは申し訳ない。
善良なクラスメイトに非はない。
あるのはあの女只一人。
既に自分の席で、悠然とスマホを弄っている早乙女一華。
まだ夏真っ盛りとも言える九月一日。
この頃の僕にはまだ想像すらできなかった。
114日後のクリスマスイブ―――――。
僕とあの早乙女一華は、キスをすることになる。
あの人生最大の天敵である早乙女一華と。