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風戸恭一と7月18日

「改めて入学おめでとう。これからの1年間、良い時間にしていければ嬉しいです。よろしくお願いします」


 入学式後のホームルーム。ハキハキと話す先生の言葉をぼんやりと聞いていた。

 4月。晴れて僕も高校生だ。しかし、どうでもいい。どうせ何も変わりはしないのである。


「はい、じゃあこのクラスの仲間としてやっていくみんなに、1人ずつ自己紹介をお願いします」


 幼い頃から、両親の仕事の都合で引越しを繰り返していた。そうしていると、せっかく作った友達もリセットリセット。別れを繰り返すのが段々ストレスになり、友達を作るのをやめてしまった。

 すると、とかく浮いた存在になり、陰口や仲間はずれをされる。それが嫌で、また人を避けていく。そうしてこうして他人を信じられず、怖がってばかりいる。


「はい、次。風戸君。自己紹介よろしく」

「あ……か、風戸恭一(かざと きょういち)です……。あの……よろしくお願いします……」


 そう、それが僕。それが風戸恭一である。  


 県立永翔高校(けんりつえいしょうこうこう)。ようやく両親の転勤が落ち着き、腰を据えて学校に通えるようになったが、今更どうしようもない。生き方はそう簡単に変えられないのだ。


「それじゃ自己紹介も終わったところで、クラスの委員を決めましょうか。まずは学級委員。誰かいませんか」


 先生の言葉で軽いざわめきが起こる。当然だ。わざわざそんな面倒なことを引き受けるやつはいないだろう。もちろん僕もやりたくない。


「はい!」

 

 声がした方を二度見した。やるのか。面倒を引き受けるやつもいるものだ。


「不肖、二見敬真(ふたみ けいま)。誠に僭越ながら、この永翔高校、1年3組の学級委員に立候補させていただきます!!」


 熱い。無駄に熱い。短髪でがっちりとした身体をしているので、武道かなにかやっているのだろうか。


「はい、じゃあ学級委員は二見君で。よろしくお願いします。はい、拍手〜」


 みんなに合わせて、適当に拍手をする。僕とは全く違う人間だ。おそらく関わることもないだろう。




 入学して2週間が経った。思った通りのぼっち暮らし。まあ、自分で選んだ道なのだが。

 今日も今日とて、チャイムが鳴ったら鞄を持って、すぐ教室を出る。いつもなら即帰宅するところだが、今日は月曜日だ。人目を気にしながら、特別教室棟の3階に行く。

 ここには普段授業には使用されない教室がいくつかあり、物置として使われている。その中で、鍵がかかっていない教室を見つけ、ちゃっかり使わせてもらっている訳だ。


「さてと」


 空き教室に入り、カバンから漫画雑誌を取り出す。

 少年クラッシュ。毎週月曜日発売の人気漫画雑誌だ。教室後方に積まれている椅子を一つ下ろして、埃を払い、座って読み始める。


 うちの家は厳しく、漫画など読んでいようものなら小言を言われる。かと言って、制服を着た学生が街中で漫画を読んでいるのも補導の恐れがある。結果、中学の頃から学校の空いたスペースを探しては、こういう形で読んでいる。


「…くすっ」


 やっぱり漫画はいい。漫画を読んでいる時は静かな気持ちになる。物語の世界に入り込み、現実から解き放たれる。今の自分にとって一番安らげる時間だ。

 まだ小学生で、まだ友達がいた頃に漫画の存在を教えてもらい、夢中になった。お小遣いを貯めて自分で買うようになり、むさぼるように読んだ。親に叱られるので、あれこれ隠し場所を考えたものだ。


 最後の作者コメントまで読んで雑誌を閉じる。今日も充実したひとときだった。そう思った瞬間だった。


「風戸君」


 背後からの声に、びくりとなる。

 後ろを振り向くと、教室の扉を背に女子生徒が立っていた。何故こんなところに。というか校内で漫画を読んでいるところを見られてしまった。


「ごめん、驚かしちゃったね」


 彼女は微笑みながら、そう言った。ショートカットで、身長は僕より僅かに低い。どこかで見た気もするが、思い出せない。


「なんで僕の名前を……」

「自己紹介で言ってた。風戸恭一ですって」


 ということは同じクラスか。正直他の生徒なんて気にしていないので、分からなかった。


「風戸君、お願いがあるんだけど?」 


 自分の名前も名乗らずにお願い。ここで見たことをネタにしての恐喝だろうか。思わず身構えてしまう。


「それ読ませてくれないかな?」


 僕の手元を指差してそう言った。


「こ、これ…?」

「そう、それ週間少年クラッシュでしょ。今週号の」


 よく知っている。彼女も漫画が好きなのだろうか。


「ダメかな?」

「いや……いいよ、どうぞ」

「ありがとう」


 そう言うと、僕と同じように積まれていた椅子を一つ下ろして埃を払い、座って読み始めた。  


「あの…」


 声をかけてみたが、反応がない。集中しているようだ。

 時折笑みを浮かべながら楽しそうに読んでいる。どうするべきか迷ったが、とりあえず読み終わるまで待つことにした。 




「うん、面白かった。ありがとう」


 作者コメントまできっちり読んだ後、満足そうな顔で雑誌を手渡された。さて、この後どうすればいいのか。


「えっと……」

「久世。久世(くぜ) 路美(ろみ)

「く、久世さんはどうしてここに?」

「せっかく自分の通う高校だからね。隅々まで知っておきたいと思って」


 校舎を探検していたのか。変わった人だ。


「というか風戸君こそ、どうしてこんなところでクラッシュを読んでるの」


 咎めるような様子は無く、純粋に気になっているように見える。恥ずかしいが、正直に言うことにした。


「親が厳しくて。家で読んでると、怒られるから」

「そうか、私と同じだね」

「え」 


 思わず変な声が出てしまった。久世さんは気にする様子も無く続ける。


「お母さんがね、どうして男の子の本なんて読むのかって。もう少し女の子らしいのにしたらって。だから読むのやめてたけど、久しぶりに読めて嬉しかった」


 本当に嬉しそうに見える。

 この様子だと先生に密告したりはしないだろうが、念には念を入れておいた方がいい。


「あの……久世さん」

「ん?」

「ここで漫画読んでいたこと、内緒にしてもらえませんか」


 久世さんは、んーと唸った後、こう告げた。


「でもさ、私も読んでたし共犯じゃない?」

「は、はあ」

「だからお互い秘密を守ろう。私は風戸君の秘密を守るし、風戸君は私の秘密を守る」


 なんなんだ、この人は。ペースを握られっぱなしだ。


「ね、また読ませてよ。クラッシュの代金は払うから」

「は、はあ……。いやでも、お金はいいですよ」

「いいからいいから。それと敬語やめてね。同い年でしょ」


 徹底して主導権を握られる。何も変わらないと思っていた学校生活だが、妙な方向に転がっていきそうだ。




 一夜明けて翌日の昼休み。なんだか昨日のことが夢だったような気がする。

 久世さんとは連絡先は交換したものの、他の人がいる場ではあの教室のことは話さないと決めたので、一言も喋っていない。ちらりと久世さんの方を見ると、大勢の女子に囲まれていた。


「路美。何してるの?」

「何も。ぼーっとしてただけ」


 他愛もない会話と笑い声が聞こえる。久世さんはクラスの中でも人気のある人のようだ。休み時間のたびに人に囲まれている。

 授業の様子を見た限りでは、勉強も出来るらしい。部活はといえば、自分でフットサル同好会を立ち上げて活動しているそうだ。

 僕とは正反対の人だな。そう思っていたら不意に視界が遮られた。


「風戸君!」

「ふ、二見君」


 学級委員の二見君だ。がっしりとした体格で、近くに寄られると迫力がある。


「何か困っていることはないかい」

「い、いえ特には」

「そうか。何かあったら遠慮なく言ってくれ。皆の力になるのは学級委員の務めだ」

「ど、どうも」


 二見君は満足そうに頷くと、別の生徒のところへ行った。


「三ツ石さん、何か困っていることはないかい」

「ないわ」


 すげなく一蹴されても、そうかと言ったきりで堪えた様子はない。なんというか大したやつだ。


 


 1週間が経ち、また月曜日になった。日直の仕事があったので、少し遅れてあの教室に行くと、久世さんは既に来ていた。


「やあ」

「お、お疲れ」


 軽く手を上げて挨拶されたのを会釈で返す。久世さんは自分のリュックを開け、中から何かを取り出した。


「買ってきたよ、少年クラッシュ。私もう読んじゃったから読んでいいよ」

「あ、ありがとう」


 クラッシュの代金については、結局2人が交互に負担するということで話がついていた。椅子に座って読み始める。

 ちらりと久世さんの方を見ると、久世さんもこちらを見ている。なんとなく気まずい。


「月曜日は部活の練習はないんです……ないの?」

「体育館が空いてなくてね。他の部活との取り合い。新しく出来た部活は、なかなか練習出来ないんだ」


 部活を立ち上げるというのも大変なようだ。久世さんは椅子から立ち上がると、少し伸びをした。


「やっぱりクラッシュはいいね。読むと1週間が始まるって気がする」

「分かりま……分かる」

「お、でしょ」


 久世さんが笑った。かわいいという言葉が浮かんで、慌てて脳内から消す。


「いろいろ嫌なことがあっても、1週間に1度楽しむことが出来る。それって素敵なことじゃない」


久世さんは、自分で言った言葉に感心するかのようにうんうんと頷いた。久世さんみたいな人でも嫌なことあるんだな。


「今、私でも嫌なことあるんだって思ったでしょ」


 まずい。顔に出ていたか。


「す、すいません」

「いーよ。そういう風に見えるの自覚してるし。というか考えてること、表に出やすいね」


 恥ずかしさで顔が赤くなる。久世さんは、けらけらと笑うと、少し真剣な顔になった。


「親は親で女の子らしくしろって言うし、好きで立ち上げた部活も苦労が多いし、高校になったら塾も通わされるし、いろいろ大変だよ」


 そう言った後、久世さんは微笑んでこう続けた。


「だから、私にとってはこの時間がものすごく大切なんだ」

「えっ」

「ん、どしたの?」

「い、いや。なんでも」


 なんだろう。すごいことを言われたような。

 でも言った本人は何とも思っていないような。

 こちらが意識しすぎなだけなのか。いやでも。

 頭の中がぐるぐる回る。クラッシュを読んで気持ちを落ち着けようとするが、早いテンポを刻み始めた鼓動は、ちょっとやそっとでは鎮まってくれそうになかった。




 それから少しずつ時が経った。相変わらず会うのは週に一度。クラッシュを読んで、他愛もない話をするだけ。

 最初はかなり緊張していたけど、今ではこの時間が心地よい。人と関わってこんな風に感じるなんて思わなかった。


 ある日、例の教室に行くと、久世さんが待ちかねていたかのように声をかけてきた。


「風戸君、見たまえ」


 クラッシュのページを開いて、こちらに見せている。漫画の映画化に関する特集だ。


「この作品って確か……」

「そう、私の好きなやつ。映画化は既に発表されていたけど、今年の8月に公開されることに決まったの」


 満面の笑みでそう言った。この作品は単行本も全巻持っていて、アニメも何周もしているほどのファンだと聞いていた。公開をずっと待たされていだけに、喜びもひとしおだろう。


「おめでとう。待った甲斐があったね」

「うん、絶対見に行くよ」


 期待と喜びに満ちた表情を見て、僕の心にある思いが浮かんだ。別のことを考えようとしても、後から後から泡のように浮かんできて、頭の中がその思いで一杯になるのを止められない。


 久世さんと映画を見に行きたい。




 その日以降、奇妙な生活が始まった。

 ネットを駆使して、その漫画や映画に関する情報を徹底的に集める。最寄りの映画館を調べ、実際に足を運び、どんな施設か確認する。親の目を盗んでアニメを見て、登場人物やストーリーを把握する。 

 自分でも驚きだった。久世さんと映画を見るためにこんなに頑張るとは。

 しかし、最も重要かつ最も心配な点については、いくら努力を重ねても不安を消し去ることは出来なかった。

 

 久世さんと一緒に映画を見るためには、まず久世さんを誘わなくてはならない。


 当然、友達を遊びに誘ったことなどない。だから、どうやって誘えば良いのか。分からない。それに、もし久世さんに拒否されたら、今のこの関係も終わりだろう。考えるだけでとても怖い。


 悩んでいたら1学期も終わりに近づいてきた。夏休みに入れば、久世さんは自分で友達を誘って映画に行くだろう。それまでに決着をつけなくては。


 勝負の日は終業式の前日。7月18日と決めた。火曜日なので、本来は会わない日なのだが、前日の月曜は海の日で学校がないので、代替日をこの日とした。ただ、火曜は久世さんも部活の練習がある日なので、いつもの教室には集まらず、帰り際に自転車置き場でクラッシュを渡す約束をした。このタイミングで伝えよう。

 これを逃せば後はない。ラストチャンスだ。




 7月18日。決戦の日。放課後のチャイムが鳴る。


「ああ……疲れた……」


 今日は散々な1日だった。

 1時間目の英語。小テストがあるのを忘れていた。おそらくひどい点数だろう。

 昼休み。予想される展開をシミュレーションしていたら、購買に出遅れパンを買い損ねた。

 5時間目の数学。久世さんにどう切り出すか考えていたら、先生に当てられ、全く答えられなかった。代わりに答えた三ツ石さんが完璧に答えたので、余計に恥ずかしかった。

 

 思い返すのも嫌になるが、悪運を使い果たしたと思いたい。さあ、勝負だ。


 時刻は18時過ぎ。僕は学校の自転車置き場にいた。


「ふう……」


 緊張する。校舎の隙間から差し込む西陽も気持ちを落ち着かなくさせる。

 久世さんはどんな反応をするだろうか。迷惑だったりしないだろうか。


「風戸君」


 慌てて振り向くと、久世さんがそこにいた。まずい。完全に不意を突かれた。心臓が早鐘を打っている。


「ごめん。少し長引いちゃった」

「いや、全然待ってないから……」


 1時間前にはここにいたのによく言うもんだ。緊張を必死で抑えながら、鞄から紙袋を取り出した。


「これ。入ってるから」

「ありがとう。なんかヤバい取り引きしてるみたいだね」


 久世さんの冗談にも、ぎごちなく笑うことしか出来ない。顔がこわばっていないだろうか。早く誘わなくては。


「あの……久世さん」

「ん?」


 不思議そうな顔でこちらを見ている。鼓動がまた一段と早くなった。 

 言わないと。大きく息を吸った。


「お、親御さんにばれないよう気をつけて読んでね」


 久世さんは少し当惑したような顔をしていたが、すぐにまたいつものような笑顔になった。


「分かった。ありがとう。最大限の警戒をしながら読むよ」

「うん、それがいいよ……」


 久世さんは紙袋を背負っていたリュックに入れると、自分の自転車のところに行き、サドルに跨った。


「じゃ、また夏休み明けにね」

「うん、クラッシュありがとう。またね」


 手を振ると、久世さんは帰っていった、後に残されたのは、どうしようもないこの僕だ。


「なんで言えないんだよ……」


 今まで人と積極的に関わってこようとしなかった。そのツケが回ってきたのか。

 久世さんに嫌われるのが怖い。自分に自信がない。肝心なところで自分を信じられないのか。それとも、久世さんのことを信じていないのか。 

 頭を振って、支離滅裂な思考を追い出す。言えなかったのはもう仕方ないだろう。受け入れるしかない。それしかないのだ。


「帰るか……」


 スマホを取り出して時間を確認する。18時15分。肩を落として自分の自転車を探し、ハンドルに手をかけようとした。


「痛っ!」


 突然頭に刺すような痛みが走った。立っていられず、地面にしゃがみ込む。訳が分からぬまま、視界が狭くなり、そして真っ白になっていった……





「出来た! 遂に完成だ!」


 白衣を着た男が歓声をあげている。様々な機材や書類で散らかった部屋の中で、人生の幸せが一度に訪れたかようにはしゃいでいる。


「長かった…本当に長かった……」


 男は泣き始めた。床に蹲り、溢れんばかりに涙をこぼしている。抑えることなく、ただただ感情に身を委ねているように見える。


「これで……これでやっと未来を……」


 泣き続ける男の姿が不意にぼやけた。周囲が明るくなり、上に引っ張られるような感覚とともに、意識が覚醒していく。




 目を開いて、そして僕は自分が自転車に乗っていることに気づいた。


「えっ!? ちょっと!?」


 驚いた拍子にハンドルを切り、バランスを崩した。派手な音を立ててすっ転ぶ。


「いたた…」


 腰と膝をひどく打ちつけた。自転車に乗りながら、居眠りなんてしてるから自業自得だ。スマホの画面が割れてないだろうか。ポケットから取り出して確認する。


「8時5分……えっ、7月18日の8時5分?」


 時間表記を見て、愕然とする。

 さっきまで7月18日の18時15分だったはずだ。なのにスマホの時計は8時5分を差している。

 故障か? いや、周囲の光景はどう見ても夕方ではなく、朝だ。場所も自転車置き場から普段使う通学路に変わっている。これは、いったいどういうことなんだ。夢? それともまさか


「過去に……戻った……?」


 そうだ。あの時、頭痛がして視界が白くなって、気がついたら、ここにいた。自らの意識や記憶だけが過去に移動し、過去の自分と同化している。それはつまり


「タイムリープ……」


 クラッシュの漫画で見た設定だが、そんなことがあり得るのだろうか。あり得たとして、何故自分にそんなことが出来るのか。考えてみたが、答えは出ない。


「とりあえず学校行くか……」


 そう呟き、転んで痛む足でなんとか自転車のペダルを踏み込んだ。




 1時間目は英語。そして小テスト。経験した7月18日がそのまま再現されている。もちろん小テストの問題も一緒だ。少しズルい気がするが、前回よりかなり楽に解くことが出来た。


「2回目の7月18日を体験しているってことか」


 何故こんなことが起こっているのか分からないが、自分の理解を超えた現象だ。そんなことを考えていた時、不意に頭の中に閃くものがあった。


 もし、もし本当に、今日が7月18日なら。

 今日の18時。久世さんとの待ち合わせ。一緒に映画に行きたいと伝えるチャンスはもう一度ある。

 思わぬ幸運に胸が高鳴るのがはっきり分かった。




「じゃあ、次の問題。風戸くん、お願いします」

「はい」


 5時間目の数学。先生に当てられて、堂々と前に出る。答えが分かっているのだから当然だ。


「うん、正解。難しい問題だけど、よく勉強してるね」


 皆の前で褒められたので、照れてしまう。未来を知っているだけなので罪悪感もあるが、それでも嬉しい。幸せな気分だ。


 


 放課後のチャイムが鳴る。早々に鞄を持って立ち上がる。

 昼休みは1番に購買へ行ったおかげでパンを買えたので、腹ごしらえもばっちりだ。さあ、勝負。


「風戸恭一君」 


 呼ばれた声に振り向くと、長い髪を後ろで纏め、眼鏡をかけた女子生徒が立っていた。三ツ石さんだ。1回目の7月18日で、僕の代わりに数学の問題を解いてくれた人。


「な、なんですか」

「少し聞きたいことがあるの」


 三ツ石さんはまっすぐこちらを見て言った。少したじろいでしまう。1回目でこんな展開はなかったはずだ。


「5時間目の数学で風戸君が解いた問題。かなり難しかったと思うわ。あの問題を解けるなんて、すごいわね」

「い、いやあ……それほどでも……」


 冷や汗が出る。普通の会話のはずなのに、何故こんなに緊張しなくてはならないのか。


「もしかして数学得意なの? 私苦手だから、良ければ勉強法とか教えてくれないかしら?」


 数学が苦手? それは謙遜もいいところだろう。なにせ1回目で、問題を解いたのは三ツ石さんだ。どんな狙いがあるのか分からないけど、適当に流しておくのが良いか。


「ぐ、偶然だよ。偶然。たまたま予習をしたら、そこが出ただけ。本当にそれだけ」


 無理があるだろうか。三ツ石さんはこちらを見つめていたが、やがて頷くかのように視線を落とした。


「なるほど。純粋に対策をしておくことこそが結果につながるということね。勉強になったわ。ありがとう」

「ど、どういたしまして……」


 三ツ石さんは自分の席に戻っていった。なんであんな質問をしたんだろう。数学の問題に答えたことで、意図せずに未来を変えてしまったのだろうか。

 いずれにせよ今は三ツ石さんより久世さんのことだ。僕は鞄を持ち、足早に教室を出た。




 時刻は18時過ぎ。僕は学校の自転車置き場にいた。今度こそ絶対に伝える。強い決意とともに1人佇んでいた。


「風戸君」

「久世さん、部活お疲れ様」


 体育館の方から来た久世さんを迎える。よし、大丈夫だ。今回は心の準備が出来てるぞ。


「ごめん。少し長引いちゃった」

「大丈夫。全然待ってないよ」    


 大丈夫。大丈夫。自分にも言い聞かせている。少なくとも前回よりは心の余裕がある。鞄から紙袋を取り出した。


「はい。この中に入ってる」

「ありがとう。なんかヤバい取り引きしてるみたいだね」  


 冗談にもちゃんと笑えている。大丈夫だ。伝えよう。覚悟を決めた。


「あの……久世さん」

「ん?」


 不思議そうな顔でこちらを見ている。声を出そうと、大きく息を吸った時、頭に刺すような痛みが走った。


「痛っ!」

「か、風戸君! 大丈夫!?」


 しゃがみ込んだところを久世さんが心配そうに覗き込んでいる。だが、そう認識出来たのもほんの僅かの間だけだった。

 周囲の風景も久世さんの顔も真っ白になっていく。消えゆく不安そうな久世さんの顔を見て、申し訳ないなと思ったのが最後の記憶だった。




 目を開いて、そして僕は自分が自転車に乗っていることに気づいた。ブレーキをかけ、路肩に自転車を寄せる。


「3回目……?」


 あの時、確かに伝えようとしていた。しかし、その直前でタイムリープした。

 何故なのか。悔しくやるせない、なんともいえない気持ちになる。だが、考えていても仕方がない。そもそもどうやって時間を遡っているのかさえも分からないのだ。僕に出来るのは行動するだけだ。


「よし!」


 一つ気合いを入れて、自転車を漕ぎ始めた。




 時刻は18時過ぎ。僕は学校の自転車置き場にいた。朝からの流れは2回目とほぼ同じだが、数学の問題はわざと分からないふりをしておいた。

 思った通り、三ツ石さんは何も聞いてこなかった。やはり問題に答えるのが、質問をするきっかけだったのだろう。

 そんなことより、今は久世さんだ。今度こそ絶対に伝えなくては。そう思った時だった。  


「えっ!」


 またあの痛みだ。今度は久世さんに会ってすらいないのに何故こうなるのか。

 頭を抑えてうずくまる。痛みに耐えていると、向こうから久世さんが走ってくるのが見えた。僕がしゃがみ込んでいるのに気づいたのだろうか。

 何かを叫んでいる。それを聞き取ろうとして、そして何も分からなくなった。

  



 目を開いて、そして僕は自分が自転車に乗っていることに気づいた。

 ブレーキをかけて自転車を停め、ハンドルから手を離す。スタンドを立てていないので、支えを失った自転車は派手な音を立てて倒れた。


「なんで……」


 この現象はなんなのか。どうしてこう肝心な時に時間が戻ってしまうのか。

 心が折れそうだが、身体を起こし前を見た。諦めたくない。本当ならもう失われていたはずのチャンスなのだ。再挑戦出来るだけ、ありがたい話だろう。


「やってやる」


 クラッシュの漫画に出てくる主人公のように強い台詞を吐き、僕は自転車を起こして学校へと向かった。 




 4回目、久世さんが体育館の方からこちらに来るのを見たタイミングで時間が戻る。

 5回目、会って口を開こうとした瞬間、時間が戻る。

 6回目、自転車置き場に向かい、歩いている最中に時間が戻る。

 7回目、8回目、9回目……何度も何度も繰り返す。何度繰り返しても、必ず伝える前にタイムリープが発生する。

 時間が戻るタイミングには微妙にずれがあるようだが、結局伝えられていないということに変わりはない。何度挑戦しても時間の壁に跳ね返されるばかりであった。




 目を開いて、そして僕は自分が自転車に乗っていることに気づいた。そのまま、学校に向けてふらふらと自転車を漕いでいく

 今が確か15回目ぐらいだろう。流石に疲れた。時間が戻っているので肉体的な疲労はないが、精神的にはずっと起きっぱなしなので、ひどく参っている気がする。とても眠い。

 何故時が戻るのか。突然、自分に備わった能力なのだろうか。だとしたら自分が無意識に時を戻しているということか。いや、だとしたら何のために。

 半分考え、半分眠りながら自転車を漕いでいると、驚くほど近くで車のブレーキ音が聞こえた。


キキーッ!!


 えっ、と思ったのも束の間、気がつくと自転車と共に空中に投げ出されていた。

 ああ、車に撥ねられたのか。痛みはなく、ただふわふわするような気持ちだけを感じていた。

 死ぬのか。ただ、静かにそう思っていた。繰り返しがやっと終わる。そう安堵している自分もいるが、久世さんに伝えられないまま終わることが嫌な自分もいて、どっちが本当か分からぬまま、次第に意識が遠のいていくのだった。












 目を開いて、そして僕は自分が自転車に乗っていることに気づいた。

 漕ぐのをやめ、道端に止まる。寒気がする。歯がカチカチと鳴る。倒れそうなのを必死で抑えた。


 この繰り返しの前では、死ぬことすらも終わりではない。死んだら、また最初からだ。ただ、ひたすらに無意味な再挑戦を何度でも強要される。


7月18日に閉じ込められた。


もうタイムリープなんてしたくないのに。


(続)

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