★さよなら初恋
春でした。
領地は一面に黄色と白の花が咲き、まるでふわふわした絨毯のよう。
私はウルス兄さまと一緒に、蝶々を追いかけ、走っていました。
兄さまと言っても、ウルスはお隣に住んでいる、三歳年上の少年です。
もっとも、元は侯爵家からの分家同士なので、親戚筋にはあたります。
十三歳になると、貴族の子女は王都の学校に通うので、ウルス兄さまも来月からは、此処を離れます。
こうして一緒に遊ぶことも、なくなっていくのでしょうか。
ウルス兄さまの薄めのブラウンの髪が、春の日差しでキラキラしています。
「はい、どうぞ。お姫様」
ウルス兄さまが野の花で、カチューシャを作ってくれました。
「わあ! 綺麗!」
いつか……
いつかね。
ティアラを被って、純白のドレスを着て、ウルス兄さまの隣で……
そんな幼い恋心を、私は抱いていたのです。
でも、初恋はレモン味のキャンデイみたい。
初めは甘くて、すぐ酸っぱくなるの。
一つ年上の私の従姉が、何年かぶりに王都から遊びに来たので、ウルス兄さまに紹介しました。
「ごきげんよう。フローナの従姉、ステアです」
ウルス兄さま、口をぽかんと開けて、しばらく無言でした。
「あ、ああ。どうも……」
頬を染めてステアを見る兄さま。
私の胸は、小さな棘が刺さったような感じがしました。
そしてその棘は、抜けることがなかったのです。
◇◇
従姉のステアは透き通るような肌と、流れ落ちるような金色の髪を持つ、美しい女の子です。一歳年上ですが、体は私よりも小さめです。
そばかすだらけで、ネズミ色の、ほわほわした髪を持つ私と、あまり似ていません。
ステアのお母様、私の父の妹ですが、王都でも有名な美少女だったそうです。
父は実の妹である叔母を、溺愛していました。
今も、です。
そして、叔母の若い頃にそっくりだという従姉のステアのことも、大変可愛がっています。
私よりも、です。
ステアは体が弱いらしいので、我が家に遊びに来た時など、父は大変気を遣っています。
なんでもバクバク食べる私と違って、彼女は好き嫌いも多いです。
「うんうん、ステアは好きな物だけ食べていれば良いからね。余ったら、フローナがバクバク食べるから、問題ないよ」
父はさりげなく、私をサゲます。
無言で私は、葉っぱを口に運びました。
ステアはいつも王都で生活しているので、我が家の領地のような処は、あまり好きではないようです。
一緒に遊んでいて、草むらや土塊から虫が出てくると、悲鳴を上げてしまいます。
「ステアは深窓のお嬢様だからな」
虫を見て涙ぐむステアの頭を、父は「よしよし」と撫でてます。
その後、私にはお小言がきます。
「もっと、貴族の令嬢らしい遊びをしなさい。ステアはか弱いご令嬢なんだぞ。お前と違って!」
初めてステアをウルス兄さまに紹介した翌日、彼女は熱を出して寝込んでしまいました。
ステアを遊びに誘おうとやって来たウルス兄さまは、がっかりして、肩を落としていました。
持って来た花束は、わざわざ花屋で買ってきたものでしょう。
投げやりに渡されても、私は笑顔を取り繕えませんでした。
ため息をつき、遠い目をするウルス兄さま。そんな表情、私は初めて見ました。
私は諦めました。
ウルス兄さまは本当に、恋に落ちたのでしょう。
ならば私のこの想い、この恋、誰にも言わずにさよならしよう、と。
ウルス兄さまは十五歳になると、ステアと婚約しました。
二人とも、王都の学園に通っています。
そのお祝いのパーティで、彼はこう言ったのです。
「僕が彼女を守ってあげなきゃ、そう思って婚約を決意しました!」
王都の学校に入学したウルス兄さまは、毎日一緒に学校生活を送りながら、休みの日はステアのお邸で一緒に過ごしているそうです。
道理で領地には、全然帰って来なかったわけです。
ウルスはプラウディ子爵家の嫡男なので、ステアは学校を卒業したら、プラウディ家にお嫁入するのだとか。
「正直、体の弱いウチのステアに、結婚相手が見つかるとは思っていなかったですよ」
汗を拭きながら、ステアのお父上、グロリアス伯爵が言ってました。
グロリアス伯爵は、私の父と同世代ですが、鍛えられた体躯と優しい眼差しを持つ男性です。
「いやいや、こんな美人さんと婚約出来て、息子は幸せですな」
ウルス兄さまのお父上、プラウディ子爵もにこにこしていました。お酒好きなプラウディ子爵は、最近お腹周りがぽっこりとしてきましたね。顔色は赤黒いです。
「ステアは私の妹に、そっくりなんですよ。」
なぜか私の父までが、自慢げに喋ります。
父の一族は叔母だけでなく、端正な顔立ちが多いです。
父もそれなりに、整った外見です。
「まあ、ステアと比べてしまうと、ウチのフローナなんて嫁の貰い手があるんだか」
はははと笑う父に追従する叔母。
ステアを誉めるのは構わないけど、なんで私を貶す必要があるのでしょう。
「フローナ嬢だって、これから美しくなっていきますよ」
ほお。今はダメってことですね、プラウディ子爵。
私は母似だそうです。
女性にとって、美しさは武器なのでしょうね。
では、私は?
一目惚れされるような、容姿をしているのでしょうか。
……多分、していないと自分でも分かっています。
武器になるような要素が、一つも見当たらないのです。
残念ですが、誰かに請われての結婚なんて、考えられません。
その晩、私は母の部屋を訪れました。
「ねえ、お母様。私、結婚できるのかしら?」
母は刺繍の手を止めて、私を見つめます。
「寂しそうな顔ね。どうしたの?」
「貴族の女性は、早く結婚して後継ぎを産むのが仕事って、さっきの婚約祝いで、お父様が言ってたわ。『ウチの娘には期待できないな』なんて……」
母の眉がピクッと動きました。
小声で「あのアホがっ」と聞こえたのは、きっと私の気のせいでしょう……。
「あのねフローナ。あなたは一人娘なので、結婚してもしなくても、いずれ爵位を継ぐわ。だから心配しなくていいのよ、先々のことは」
そうでした。家を継ぐのは、この私。
では、お婿さんを迎えるのでしょうか。
特に裕福でもない子爵家に、来てくださるような男性、いるのかしら。
「フローナ。どんなに綺麗なお花でも、いずれ枯れる日は来るわ。女性の姿形も、永遠に美しさを保てるわけではないの」
そういえば、伯爵に一目惚れされた叔母様も、今日見たら、なんだか丸くなっていて、ドレスがキツキツでしたわね。
「だけど、大地に根を張った木は、年月がたっても枯れないでしょう? 人間も同じなのよ」
大地に根を、張るのですか。
人間は、両足を踏ん張れば良いのでしょうか?
「あなたが学んだ知識は、誰にも盗まれない。努力して得た技能は、一生使えるの」
母は、大言壮語系の父に代わり、領地の経営を任されている頭脳派です。
見た目は、叔母みたいな派手さはないけれど。
父の祖父母が母の人格と能力を大層気に入って、縁談をまとめたと聞いています。
母が手掛けている刺繍は、細やかな図面を細い糸で描いていく、色彩も鮮やかなものです。
それは母が嫁ぐずっと前から、母自身が得た技能です。
「家庭教師のトビュー先生が誉めていたわ。フローナは賢くて、飲み込みが早いって。来年から、あなたも王都の学校へ行くのだから、自信を持って欲しいわね」
母はフローナの頭を撫でる。
「何よりも、笑顔を絶やさないこと。そうしたら、フローナのお婿さんになりたいって男性、たっくさん、見つかるわ」
そう言った母の笑顔は、満月よりもなお、輝いていました。
◇◇
母の言葉を盲信するほど、私は純粋ではなかったのですが、知識と技能の習得に努め、翌年学校に入学しました。
我がドロート子爵家は、王都のはずれに邸があるため、私は寄宿舎に入ります。
そのため入学するまでに、身の周りの事は、自分で出来るように訓練しました。
掃除、洗濯、料理は勿論、淑女の嗜みである刺繍とお裁縫、あるいは美味しいお茶の淹れ方を、少しずつ習得しました。家事と刺繍は主に母から教わり、それ以外は侍女と一緒にやってみました。
さらに、いずれ爵位を継ぐのなら、領地の人々の暮らしも知る必要があります。
まずは、いくつかの農作業の体験をしたのです。
特に、天候と収穫の関係や、収穫量を上げるための土壌の状態の見方も、いろいろ教えてもらったのです。
それが後に役に立つことなど、この時はまったく思いもしなかったのです。
そうして、春の訪れとともに、私は王立学園中等部へ入学したのです。
お読みくださいまして、ありがとうございます。
誤字報告、助かります。
2022/12/19 暮伊豆様作バナー設置。表紙絵です。