近衛騎士フレディの苦労日誌
※王直属近衛騎士フレディによる、アルフェンルート城下町生活の記録
陛下に呼ばれて伺った執務室にて。
先日までは確かになかった物が、室内にさりげなく増えていることに気づいて息を飲んだ。
(あれは、まさか……いやしかし、そんなまさか)
以前よく見ていた物にも思えるが、世の中には似た物はよくある。自分の気のせいかもしれない。目に入った物にどんな顔をしたらいいかわからない上、執務室で陛下を前にして視線を彷徨わせるのもよくないと、視線を陛下に戻す。
しかしである。
視界の端に映り込む物が気になって仕方がない。それというのも。
(これはやはり、あの時のアレでは……?)
思い出すのは、この国の第一皇女アルフェンルート殿下が家出……否、平民の暮らしを体験するという名目で城下町に潜伏……いや、お忍びでいらしていた時のことである。
近衛騎士一の地味さ。という、ある意味残念な立場にある自分は、元々陛下の隠密的な立場になることが多かった。
これでも侯爵家の人間だが6人姉兄妹の四男な上に、見た目がとにかく地味なのだ。茶色の髪に同色の瞳、爽やかさは心掛けているが特徴の薄い顔立ち。
家族はほっとする顔だと言ってくれて、周囲に警戒心を抱かせないのは取り柄だ。だが、どこに混じりこんでも違和感がない、どこにでもいそうな顔と身長。鍛えても着痩せするので逞しくも見えない。
しかしこれでも侯爵家という後ろ盾を持つ為、いざとなれば多少の無理もきく。おかげで陛下には「素晴らしい逸材だ」と言われて重用されていたが、嬉しいような切ないような……。
とにかくそんな立場だった為、自分を近衛騎士だと知っている人の方が少ない。花形職であるはずなのに任務的に恋人ができる気配もなく、もう28歳。
……俺の春は一体いつになるんだろう……。
いや、今はそれはいい。
とにかくそんな立場だった為に、ある日、陛下に命じられた任務。
『フレディにならば安心して任せられる』
そんな言葉に誇らしく思えたのは一瞬で、任されたのはなんと、家出皇女の護衛であった。
なぜ、こんなことに!?
***
一体全体何がどうして、皇女が平民に混じって市井で暮らしたいなどと思われたのかわからない。それを陛下が許されたのも理解は出来かねる。
しかし実際にアルフェンルート殿下は城下で過ごされていて、自分が護衛に就いたときには既に借家に暮らし、仕事まで始めていた。
なんて恐ろしいほどの行動力だ……!
今まで城の中で静かに暮らしていたのが不思議に思えてくる。つくづく謎な人である。元々謎めいた人物だったが、更に謎が深まるばかりである。『至宝』と謳われるだけあって、やはり常人とは一線を画されているのだろう。
最初は胡乱さを覚えながらも、アルフェンルート殿下に見つからないよう、密かに監視ならぬ護衛に就いて数日。
(普通に街娘として馴染んでおられる!)
一見すると、普通に街によくいる娘であった。
今までの立場的に平民に馴染んでいること自体が異常ではあるが、それを考えなければ、普通にいそうな少女になっている。
勿論危なっかしい部分はあれど、ギリギリ許容範囲と言っていい。
同じ借家に住む少女と針子の仕事に出かけ、昼頃には露天をひやかす。財布に入った給金を見て骨つき肉を悩ましい顔で諦めたものの、休みには楽しそうに安い古着を選ぶ姿など普通の女の子らしい。
というか、アルフェンルート殿下!?
骨つき肉を「直に齧り付くのが夢なんだ、マンガ肉」とご友人に仰られてていましたが、それはマンガ?という肉ではありませんが!
あと我々でも齧り付いたりはせず、ナイフで削ぎ落として食べるんですよ!
あとマルシェで古着を値切るのお上手ですね!?
しかし安易に笑顔を振り撒かれますと、人攫いに目を付けられますので! ほどほどにしていただけないかと!
などなど心配になる言動はあれど、城の中で囁かれていた不穏さは欠片もなかった。極たまに城内で見かけた時の人形めいた無表情でもない。
大きな感情はあまり出されないが、控えめに笑ったり、困ったり、驚いて呆れてみせたりと、素の表情を見せる。ご友人と笑い合う姿は、どこにでもいる少女と何も変わらないように見えた。
それこそ城内で見かける、年若い侍女達が休憩中にはしゃぐのと同じように。親しい友人と過ごす姿は違和感なく場に馴染んでいる。
ここでようやく、気づかされた。
アルフェンルート殿下にも、そんな人間らしい面がちゃんとあったのだ。
あの方は皇女でもあるが、年相応の感情を持つ少女でもあるのだ、と。
今のように素直に表情を出せる姿は、あの方の立場ではなかなか許されることではなかった。だからこそ。
一時のことになるだろうとはいえ、陛下もこんな無茶を許されたのではないだろうか。
そこからは、密かに殿下を応援し隊に入隊である。
ちなみに隊員は自分の他には、もう一名。同じく、密かに殿下の護衛を夜間に務めていたラッセルである。
昼の申し送りを微笑ましそうに聞くラッセルは、自分と同じく殿下が心身ともに健やかにご成長される様を見守る目である。密かに心で隊長に任命した。
後に本人に告げたら、「隊長が私なんて恐れ多い。ええ、本当に」と引き攣った顔で言われるわけだが。
護衛任務にも慣れた頃。
アルフェンルート殿下がご友人との仕事帰りに、ふと大通りで足を止められた。どうやら店先の窓ガラス越しに飾られている品物が気になられたらしい。
しかしながら、いきなり止まられると密かに護衛している身としては非常に困る場面である。同じように立ち止まるわけにも行かず、殿下の傍らをゆっくり通り過ぎてから時間を稼ぐしかない。
すぐにさりげなく店の脇の細い路地に入る。即座に息を潜め、壁に同化して様子を伺う自分はちょっとどころでなく怪しい。だが幸い、夕刻の鐘が鳴ったばかりで足早に家路に着く人は多い。日が落ちて影になっている路地など、誰も気にとめない。
「どうしたの、アル?」
姿が確認しにくいので、いつも以上に耳を澄ます。すると、ご友人であるエリザベス嬢の声が聞こえてきた。
この方はいつも明るく笑み、時折暗い顔をなさる殿下の手を軽やかに引っ張っていかれる。優しさが滲み出した雰囲気は好ましく、人見知りが激しい殿下も今ではすっかり心を許されているようだ。
だから時々、失言もなさってしまう。
「あの置き物の猫、兄様が飼ってらした猫によく似てると思って」
「アル、お兄さんいたの!?」
案の定、口を滑らせた殿下にエリザベス嬢は心底驚かれた。
殿下が詳しく家族事情を話せるわけがないので、殿下は「あ、ああ、うん。一応、兄さ、ん……がひとり」と微妙に躊躇いつつ答えられている。
しかし、一応、とは。シークヴァルド殿下からも、
『アルフェが転んで擦り傷を作るぐらいは仕方ないが、くれぐれもよろしく頼む』
と直々に出向かれて言われている手前、一応扱いでは兄君がお可哀想です。
そういえばあの時の危機迫ってすら見える凄み具合を思い出すと、アルフェンルート殿下を応援し隊の隊長は、シークヴァルド殿下の方が適任だったかもしれません……。
それはともかく、兄君がいると教えられたエリザベス嬢はすぐに声を弾ませた。
「いいなあ、お兄さん! 私もお兄さん欲しかったなぁ。ね、アルに似てる? アルのお兄さんなら綺麗なんじゃない?」
「っまったく似てないよ!?」
殿下は大慌てで否定されていた。
確かにお二人の姿に似たところはないが、纏われる雰囲気は似ていることもある。そこまではっきり否定されなくとも。
自分はそう思うが、アルフェンルート殿下はシークヴァルド殿下に似ていると思われるのが、よほど恐縮だったらしい。
「兄さんに似てるだなんて、とんでもない! 兄さんは私と全然違っていて、もっと……そう、人間離れされているから!」
殿下ッ! 言い方ァ!
いや、わかりますよ? シークヴァルド殿下の美貌を知る身としては、人ならざる美貌と言われても理解できます。美しい冬の精霊だと言われたら、信じてもおかしくはないです。特に平凡な自分から見たら、同じ人間であることが理不尽にすら思えます。
が、しかし!
「ええ……そんな、ちょっとおおげさだよ」
ほら、エリザベス嬢がとても困惑されているではありませんか! 柔らかく仰ってくださってますが引き攣られてますし、たぶん逆の意味で受け取られていますよ!
「本当だよ。兄さんを初めて見た人は大抵固まるからね。私も三秒以上、兄さんと目を合わせるのは難しい……」
しかし殿下は兄君の麗しさを訴えたいのか、更に言葉を重ねてしまわれた。
いえ、知っている身としては殿下のお言葉は理解できます。シークヴァルド殿下ほどの美貌を前にすると、皇子であると思う以上に緊張して拝顔するのを恐れ多く感じます。アルフェンルート殿下でも、そう思われるのですね。
だが兄君を思い出されているのか、遠い目をされる姿がより一層の誤解を招いているような……。
「そ、そうなんだ? あの、答えにくいなら言わなくていいけど、アルってもしかしてお兄さんのこと、苦手……?」
ほら! やっぱり! 妹にそこまで言わせる嫌な兄君ではないかと、変に気を使わせてしまっているではありませんか!
そこでようやく殿下も雰囲気が微妙だと察せたらしい。急いで首を横に振った。
「苦手なんかではないよ。とてもよくしていただいたし、今でもとても、大事な兄さんだよ。本当に」
そう言って、柔らかい感情を噛み締めるように微笑まれる。
「ただあまり、全然、恩返しできないままで来てしまったから……今はもう簡単には会えないし、それが心苦しい、かな」
告げる表情は苦いものが混じって切なげで、言葉尻を濁される姿には息を呑んだ。
自分はそれほどシークヴァルド殿下とアルフェンルート殿下の関係を知っているわけではない。だがシークヴァルド殿下の近衛のクライブが、よくアルフェンルート殿下を構っていたのは見ていた。
この方が我々には普段見せない表情を見せていたことから考えても、噂と違ってクライブを含む兄妹の仲は良好だったのだろう。
その反応に、エリザベス嬢も複雑な事情を感じ取ったようだ。そっとアルフェンルート殿下の手を取った。
「そっか……会えないのは、さみしいね」
それ以上、深く問われることはない。何か大切なものを亡くされたことがある顔で、優しい声がそっと寄り添う。
繋がれた手の温もりは、きっと殿下に優しく染み込んでいるのだろう。
「それなら、せめてこの猫だけでも部屋に飾りたいよね。ちょっとはさみしくなさそう!」
場の空気を変えるように、エリザベス嬢が明るい声を上げて窓を覗き込んだ。釣られて殿下も懐かしそうに目を細めて覗き込む。
だが、二人の顔はすぐに強張った。
「値段は見なかったことにしよう」
「う、うん。大丈夫だよ、この道はいつも通るから毎日見られるし!」
遠い目をする殿下を励ましながら二人が再び歩き出す。その背を追いかける前に、自分もチラリと店に視線を走らせた。
ガラスの向こう側には、実物より二回りほど小さそうな灰色に着色された陶器らしき猫の置物がある。だが大通りに面した店だけあって、普段、彼女達が入る店よりはるかに高級そうだ。
しかも後でよくよく見れば、目に嵌め込まれているのはエメラルドだと思われた。今の殿下が即座に諦めたのも仕方がない。
(まあ、そんなにすぐ売れるものでもないだろう)
よほど猫好きな金持ちでもいない限り、あの置物が売れることはなさそうだ。……値段はすごかった。
そう思っていたが、毎日殿下が必ず目を向ける猫の置物が売れたのは、その数日後だった。
今まで付いてなかった赤いリボンが首を飾っていることに驚かれた殿下が駆け寄られ、「完売の札が付いてる……」と肩を落とされていたと記憶している。
よりによって、なぜ今。もうしばらく殿下の心をお慰めしてくれたら良かったのに。
そんなことを考えたが、売れてしまった以上は仕方がない。
しかしなぜか、その猫の置物は売れた後もずっと同じ場所に飾られ続けていた。
不思議に思い、殿下の護衛がないときに店に入って店主にさりげなく尋ねたことがある。
本来ならば買主のことなど教えられないはずだが、この猫に関しては微笑ましい理由だったからか答えてくれた。
『そちらの置物は、さるお方がお嬢様への贈り物にされるそうですの。渡す日まで秘密になさりたいから、こちらで今まで通り飾っておいて欲しいとお願いされたのですわ』
娘の誕生日プレゼントにでもするつもりだろうか。
有難いことに、紆余曲折あったもののアルフェンルート殿下が城に戻られるまで、その猫の置物は飾られ続けていたのだ。
***
それからは自分も本来の任務に戻り、すっかり忘れてしまっていたわけだが。
(あの置物が、なぜ陛下の執務室に!?)
少なくとも、アルフェンルート殿下の護衛を命じられるまでは見たことはない。元々執務室には必要最低限の物しか置かれない方だ。このような飾り物など、見た覚えなどない。
もしかして、よく似た猫の置物だろうか。首を飾る赤いリボンすら同じに見えるが。
否、やはりどう見ても、これは。あの時の。
(そういえば、置物の話は陛下にも報告していた……)
日に日に細やかになっていく自分の報告書を見て、珍しく陛下が微妙に胡乱な表情になられたことは覚えている。「アルフェが野良猫に逃げられた回数まで報告は必要ない」と苦々しい顔で言われたこともある。
だからこそ、まさか猫の置物をそこまで気にかけるとは思わなかったのだ。
これがここにある、ということは。
わざわざアルフェンルート殿下の為に、あの置物を買い、毎日殿下が気兼ねなく眺められるように配慮なさった。ということで。
この陛下が!?
「報告ご苦労、フレディ。下がっていい」
現在の任務で上げた報告書を確認した陛下は、いつもと変わらない無表情だ。
だが自分の視線がチラリと置物に向いたのを見て、ゆっくりと椅子の背もたれに背を預ける。淡い空色の瞳からは感情は読めないが、珍しく水を向けられた。
「何か言いたいことが?」
「いえ、……あちらの猫の置物ですが、陛下におかれましては大変珍しいと思った次第です」
好奇心に負けて素直に白状した。
「アルフェンルート殿下に贈られるのではなかったのですか?」
今は城内で生活されているアルフェンルート殿下と陛下の距離は微妙だ。
今は週に一度、ラッセルが非番の日に自分が護衛に当たるからわかるが、陛下と殿下は仲がいいといえば良いが、どちらかといえば上司と部下の関係に見えなくもない。父娘というには、少しギクシャクして見える。
もし。この置物を渡して、ちゃんと見守っていたのだと伝えられたら。
もう少し二人の距離は縮まるのではないだろうか。
差し出がましいかもしれないが進言すれば、陛下が呆れたように嘆息を吐き出す。
「今は本物がアルフェの側にいるからな。それに私が出張り過ぎていたと知ったら、アルフェも面白くはないだろう。そうだな……私が死んだ時に、遺品として渡すくらいがちょうどいい」
そう言って、本当に珍しく微かに笑った陛下は。
このときばかりは、不器用な父親の顔をしているように見えたのだ。
2021/6/24-6/26 Privatterより再録