オマケ それは他愛もない寝物語
明日には王都に帰る夜のこと。
ベッドに入ったものの明日の移動を考えると気持ちが昂ってしまうのか、なかなか寝付けない。
仕方ないから目を閉じたまま、ランス領であったことを思い返していく。
そして最後に思い出した事柄が、どうにも気に掛かって仕方がなくなった。
今日、私が釣り上げた靴の片方のことである。
(あれはランス家が支給してる侍女の靴だった……見た感じまだ綺麗だったから、おろして間がなかったのではないかな。あと、流されてからまだ数日くらい?)
靴の支給は二年に一度。自腹での購入も可能だけど、大抵は皆大事に履いて保たせているはず。
それがなぜ湖から発見されたのかがわからない。
片方が流されたのなら、帰宅する際に片足が裸足だったことになる。
本当に放置して帰ったりするだろうか? 頑張ってなんとか取り戻す方法を考えるものではないだろうか。夏だから、頑張れば泳ぐこともできる気候なのだし。
「……事件だったりして」
「いきなりどうしたんですか」
気持ちを落ち着かせるためにボソリと呟いたら、隣から間髪入れずに突っ込みが入った。
すぐ隣で寝ていたクライブは、どうやらまだ眠っていなかったらしい。
ゆっくり首をクライブに向ければ、クライブはやや眉根を寄せてこちらを見ている。不穏な呟きを聞き留めて気が気ではないのだと思う。
ちょっとした妄想でしかなかったのだけど。
「眠れないので、少し考え事をしていました」
「それでどうして事件なんて言葉が出てくるんでしょう?」
体をクライブ側に向けると、クライブも同じように向き合ってくれる。
どうやら眠れない私に付き合ってくれるつもりみたい。単に私の言葉が気になって眠れなくなった可能性もある。
「今日釣り上げた片方の靴のことを考えていました」
「ああ……侍女の靴でしたから、回収して執事に渡したあれですね」
「なぜ湖から靴が出てきたのかを考えていて、やはり本体が湖の底に沈んでいたりするのでないかと思ったのです」
「どうしていきなりそんな不穏な話に」
クライブが眉を顰めて、どうしてそうなった、という顔をする。
「ただの想像です。色々な可能性を想定して考えるのが趣味なのです」
「趣味……」
「子どもの頃から自分の人生の在り方を常々考えて生きてきたので、その時の癖が抜けなくて」
常に脳内で生き残りシミュレーションをしてきたから、今もつい様々な可能性を考えてしまったりする。
クライブは渋い顔をした後、小さく息を吐き出した。大きくて節張った硬い手でそっと私の手を握りしめてくれる。
今はもう大丈夫だと、告げるみたいに。
だから私も小さく笑って安心させる為に頷く。
「それで、今回はなぜ頭の中でそんな惨状を思いついてしまったんですか」
気を取り直してクライブが話を続けた。
「本当にただの想像ですよ」ともう一度釘を刺してから、考えたことを口にする。
「あの靴はまだ新しく見えました。諦めるには惜しいと思ったはずです。夏ならば泳いで取りに行くことも考えられたと思います。それなのに、湖に置き去りにされた。そもそも、侍女の靴が流される状況になることが不明です」
「それはそうですが」
「ならば逆説的に、侍女は靴を取り戻せる状態になかった……靴を履いていた本人が、湖に沈んでいたからだとしたら」
「なぜ最悪の状況を想定されたのでしょう」
クライブが絶句する。でもこれも癖というか。
「最悪を最初に考える癖があるので」
素直に答えたらクライブは口を引き結んだ後、重ねたままだった私の手を握りしめた。
これはもう思考の癖なので、あまり悲観しないでほしい。単に打開策を練るためには、まずは最低な状態から考えるようにしているだけだから問題はないのだ。
今回の妄想だって、本当にそうだと思っているわけではない。そんなことになればもっと騒がれてるはずだから、ありえない話だとはわかっている。
ただ万が一そうだとしたらなぜなのか、どうすべきなのかの思考訓練みたいなものだ。
心配することではないのだと伝える代わりに、クライブの手を握り返しておく。
「それと最近推理小説なるものを読む機会があったので、思考が毒されています。それで、なぜ侍女が湖に沈むことになったのかと」
「影響を受けすぎです」
「当然ただの妄想に過ぎません。私は勝手に想像していますから、クライブは休んでいいのですよ」
眠れないから妄想して遊んでいただけだから。
クライブは渋い顔をしたままだけど、突拍子もない私の話の着地点が気になったのか「それで、アルトの中ではどうなったんですか?」と促す。
問われたのなら、話を進めよう。
「靴は沈んでから2、3日あったかどうかという感じでした。この数日で侍女が湖に落ちるとしたら、自殺か……他殺か」
「単なる想像の話ですよね?」
「はい、今のところは」
「不穏な言葉を言わないでください」
呆れつつも、じゃあもう僕は休みますと言わない辺り付き合いが良い。
「自殺するつもりの人が新しい靴をもらうでしょうか? 他殺と考えた方が自然です」
「自然なのか……」
「物語としては自然です。それで他殺だとしたら、なぜ屋敷の跡取りとその妻が来ている時にそんなことが起こったのかと考えました。しかも侍女が消えて数日経つのに騒がれていないのは、誰かが隠蔽しているからとしか思えない……だとしたら、それが可能な犯人は誰なのか」
「なぜか嫌な予感がしてきました」
クライブが引き攣った顔で私を見る。勘がいい。そういう人は最初に被害者になるものなのだ。
「物語だと、昔その侍女と付き合っていた若様が妻に知られる前に、彼女を口封じ……」
「僕はやってません」
クライブが顔を引き攣らせたまま即座に否定した。
大丈夫、わかっているから。
「落ち着いて、クライブ。ただの想像です。でも犯人は皆そう言います」
「疑ってるじゃないですか」
「様式美というものです。ですが若様だけを疑うのは可哀想です。例えば妻が夫の昔の女性を知ってしまい、嫉妬のあまり激昂した結果、という可能性もあります。でも私も犯人ではありません」
「そんなことはわかってます。それにまず前提として『昔の女性』という存在はいません」
クライブが必死さを滲ませつつ力説する。『この人はなんでこんなことを考えてるだろう』と顔に大きく書かれている。
だから先に休んでいいと言ったのに。
「そうですか。ならばこの想像はここで終わりです。また一から考え直さないと」
「もう考えなくて良いですから。僕の心臓に悪いです」
「そうですか? また違う犯人を考えるつもりでいたのですが」
「まず侍女が沈んでる想定から離れてください」
「私も平和が一番好きな系統なのですが、それでは楽観的すぎるかと」
「楽観的で良いんです。どうかそちらを考えてください。いえ、もう考えずに休みましょう。ほら、目を閉じて」
クライブはとうとう私に考えさせるまいとするためか、掌で目を覆ってきた。あたたかくて気持ちいい。
クライブがなんだか可哀想になってきたので、言われるままに話を切り上げることにした。元々本気で考えていたわけではなく、勿論クライブを疑ったりもしていない。そして私も犯人ではない。
推理小説に嵌っていたので、真似してみたかっただけである。
だけど私が考えたらベタな展開にしかならなくて、精度が低くて残念な結果だ。もっと犯人にひねりが欲しい。あっと驚く意外性が足りない。
自分の想像に駄目出しをして、次回にご期待くださいと締めくくる。
そしてクライブと他愛もない話をしていたらリラックスできたのか、眠くなってきた。
まだ目を掌で覆われているからか、温かくて柔らかい闇に包まれているかのよう。これは気持ちよく眠れそう。
「ですが、靴が湖にあった謎は謎のままになりますね……おやすみなさい」
すう、息を吐き出してるうちに意識は眠りに沈み込んでいった。
だからその言葉で今度はクライブが眠れなくなってしまったことに気づけずにいたのである。
*
翌朝、目を覚ましたら既にクライブの姿は隣になかった。
朝は苦手なのに珍しいな、と思っていたら朝食の前に部屋に戻ってきた。しかもなぜか少し疲れた顔をしている。
走り込みでもしてきたのだろうか。でもクライブがその程度でこんな風になるかな?
首を傾げて「おかえりなさい」と言うと、クライブは真面目な顔で切り出した。
「昨日の靴の話ですが」
「昨日の靴がどうかしたのですか?」
えっ、もしかして本当に殺人事件があったりした!?
「無事に持ち主の侍女の元に戻ったそうです」
真顔で言われて、慄きが安堵に変わっていく。
「それは良かったです」
「つまり、持ち主はちゃんと生きていました」
「それはそうでしょうね……?」
えっ。まさか本気で昨日の妄想を心配してたの!?
まじまじとクライブを見つめれば、自分でも馬鹿なことを言ったと思ったのかバツの悪そうな表情をされる。
「侍女は恋人と夕涼みに出かけて、足を湖に浸けて涼んでいる間に置いていた靴が流されてしまったそうです。暗くなってしまい見つけられなかったので、恋人に背負われて帰ってきたと聞きました」
それでも律儀に調査結果を教えてくれた。
わざわざ私の戯言を気に留めて調べに行ってくれたみたい。なんて優しい旦那様なのだろう。
「私の大好きな平和な話に落ち着いてよかったです。調べてくれてありがとう、クライブ」
「今度からは不安になる前に教えてくださいね」
別に不安になった内容を話したわけではなかったのだけど……。
でもとても大事にされてるのがわかってくすぐったい。素直に応対してくれるクライブが頼もしくて可愛くて、そんな行動のひとつまで好きだと思える。
愛しさが抑えきれなくて、頷きながら笑ってしまった。