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エピローグ 休みの終わりに


 ランス領にクライブがやって来たと言っても、お互いに遊べるわけではなく。

 クライブは領内の視察に回り、私は義父母から書類仕事を教わったりして忙しく過ごしていた。


 ポップコーン店の方はそれなりに賑わっているので、ひとまずは一安心。

 店舗は令嬢や御夫人方から可愛いと言われている。それでいて男性陣からも入りやすいと好評らしい。

 内装を手がけてくれた義母も安堵の息を吐いていた。

 店を任せていたカミラからは、「常連になられた方も結構いらっしゃいます」とホクホク笑顔で教えられた。


 ただ義母はずっと忙しくされていて、一緒に出掛けられる機会が得られなかったのは残念。

 でも無視されていたわけではない。

 滞在中にふと気づくと、屋敷内に小さな陶器の猫型置物が増えていっていた。義父曰く、置物は私が猫を好きだと知っている義母が設置しているのだそう。

 いろんな場所に出没するので、密かに探すのを楽しみにしていた。今のところ7個発見している。義父がこっそり教えてくれたけど、毎日1個ずつ増えるので現時点で15個あるらしい。

 そんなにあるの!?

 今年中に探し切るのは難しいので、残りは来年以降になりそう。

 そんな感じに日々は過ぎていき、忙しいけれど充実した夏休みだった。



 そして、最終日。



 「せっかくだからゆっくりしておいで」と義両親から強制的にクライブ共々休みを取らされた。

 好意に甘えて休むことにして、意気揚々とクライブを誘った先は湖である。


「クライブ、釣りをしてみたいです」

「最終日なのに、そんなことでいいんですか?」


 クライブは意外だと言いたげに目を瞠った。だけど王都では釣りなんてできないから、貴重な体験である。


「つい『今夜の晩餐は楽しみにしてください』と大見栄を切ってしまいました。これで何も釣れなかったら格好悪いです。クライブ、助けてください」

「昔、アルトの兄君も同じことを言っていたことがありますよ」


 呆れた顔をしつつ、クライブは釣竿と網と桶を用意してくれた。

 その間に、動きやすいようドレスから乗馬服へと着替える。

 女性用として作ってもらっているのに、私が着ると相変わらず少年にしか見えない。私達を側から見たら、夫婦ではなく兄弟に見られそう。

 夫婦的な憩いの図にならなくて申し訳ない。

 内心ではバツが悪いけど、クライブは特に気にした様子がないのでほっとする。私がどんな姿をしていても、いつもと変わらない態度で接してくれる。

 理解のある夫で有難い。


「まずは頑張って餌を集めますね」


 水辺に降りるなり、落ちていた小枝を2本拾って宣言した。その辺の大きめの石をひっくり返して、さっそく見つけたミミズを箸にした小枝で摘み上げる。

 そんな私を見て、クライブが絶句した。


「すごく器用な事にも驚かされますが、アルトは苦手なものってないんですか? 確か、虫だけじゃなくてネズミも蛙もトカゲも平気ですよね」

「そうですね、子どもの頃から猫たちに贈られてきたので耐性はあります」


 捕まえたミミズを箱に放り込むと、クライブが困惑を露わに私を見下ろす。


「怖いものってあるんですか?」

「ありますよ。熊とか、狼とか、猪とか。出会ったら死ぬ生き物はちょっと」

「それは誰でも怖いです」


 どうやらこれだけではクライブは納得がいかないらしい。


「あと、お父様の説教も怖いです。声を荒げられることはないのですが、淡々と追い詰められていくので」

「それは怖いと思いますが、叱られることをしなければ良いんですよ?」

「返す言葉がありません」


 クライブに渋い顔で言われてしまい、全くおっしゃる通りですとしか言えない。


(私も好きで選択肢を間違えているわけではないのだけど……)


 失敗しないで生きるのって、とても難しい。


(今回の騒動もフレディからお父様に報告されて、帰ったら叱られたりするのだろうな)


 そう思うと遠い目になりかける。私が悪いから仕方ないのだけども。

 否、そもそも悪いのは悪巧みをした人達だった。私も悪いところはあったけど、結果としてはそんなに……

 そこまで考えて、ふとハンスのことを思い出した。

 せっかくだから、あの質問をクライブにも聞いてみよう。


「そういえば全く話は変わりますが。クライブから見て、騎士になるのに一番重要なものって何ですか?」

「騎士に一番重要なものですか?」


 急に話を変えてしまったのでクライブが不思議そうな顔をした。だけどすぐに真剣な表情で考え込んでくれる。

 騎士になるには体力と根性と努力が必要だとは聞いたけど、クライブはまた違う答えを出すかもしれない。


「そうですね……。やはり、何かを守りたいという気持ちでしょうか」


 しばし考えた後で、クライブがそう口にした。

 だから驚いて、思わず聞き返す。


「体力と根性と努力ではなくて?」

「それももちろん必要ですが、一番重要なものと言われたら、やはり気持ちのあり方ではないかと個人的には思います」


 クライブは迷いもなく言い切った。

 その真っ直ぐで揺るがない緑の瞳を見上げて、嬉しくなって破顔する。


「私、やっぱりクライブのことが大好きです」


 私も、その想いが一番大事だと思えたから。

 それでもいいのだと言われた気分になって、そう考えてくれる人が自分の旦那様だったことが嬉しくて堪らない。惚れ直してしまった。

 そのため、思わず口から素直な気持ちが溢れ落ちていた。


「え……それは、ありがとうございます。僕もアルトが好きです」


 いきなり告白されたクライブは面食らった表情をしたものの、すぐに照れたのか、はにかんだ笑顔を見せた。

 照れが私にまで連鎖するので、反射的に告白返しをするのはやめてほしい。顔が熱くなるのがわかる。

 パタパタと手で顔を仰いで冷ましていると、クライブが再び口を開く。


「アルトがそんなことを聞きたがったのは、例の孤児院の少年ですか?」

「そうです。クライブが言う通りなら、ハンスは騎士になる気質は備えている事になりますね」


 ハンスには、あれから騎士団の紹介状を渡しておいた。

 尚、書いてくれたのはクライブである。

 ハンスの事情を話して、騎士になりたがっていることを相談したら書いてくれた。私を守ろうとしてくれた恩もあるから、という理由が一番だろうけど。


「今はまだ力が全然足りていませんが、あの年齢で、あの状況でも恐れずに立ち向かった度胸は評価します」


 話を続けながら、クライブは私の集めたミミズを釣り針に通してから釣竿を渡してくれた。

 ありがとう。さすがに直にミミズを触るのはちょっと嫌だったので嬉しい。

 力いっぱい竿を振ると糸が遠くへ飛んで落ちた。大きい魚が釣れますように、と念を送る。

 隣でクライブも釣り針に餌を引っ掛けてから竿を振った。遠くで、ぽちゃんっ、と水音が響く。


「力量が足りてないとわかっていて突っ込むのは蛮勇なんですけどね。でもアルトを守ろうとしてくれてのことですから。その気持ちを忘れずに頑張ってもらいたいですね」

「ええ。後はハンスの頑張り次第です」


 クライブが冷静な評価をしつつも、感謝を示して紹介状を作成してくれたことはわかっていた。

 だから副隊長のスコット卿には話を通してある。

 紹介状を渡したからと言って、ハンスを特別扱いするわけではない。他の団員と同じ扱いで、とお願いしてある。

 贔屓しても、ハンスの為にも周りの為にもならないので。もしそれで付いていけないのならば、それはそれでどうするべきかは本人が向き合わなければいけないことなのだ。

 そこから先の道は、ハンス自身が努力して掴み取っていくべきものだから。

 

(それでも頑張ってくれたらいいな)


 願ったところで、竿がついと引かれる感覚があった。

 餌に食いつく魚が現れたに違いない。


「クライブ! 来ました!」

「焦らなくていいですから、慌てずにゆっくり竿を引いてみてください」


 言われるままに重く感じる竿を引っ張る。

 クライブが自分の竿を置き、私の手に手を重ねて引っ張るのを手伝ってくれる。しっかりとした体に背中から包み込まれているので、ほぼクライブが釣り上げているような感じだけど。

 ようこそ、今夜の晩餐!


「これは…………。靴、ですね」


 確認して呟いたクライブが気遣わしげな眼差しを私に向けてくる。

 ようやく引き上げた釣り針の先に引っかかっていたのは、見知らぬ誰かの片足の靴だった。


「どうして……」

「こういうこともありますよ。次こそ頑張りましょう」

「靴の持ち主はどこに行ったのでしょう。湖の底ですか?」

「怖いことを言わないでください。きっとただ靴が流されただけですからね?」


 クライブが宥めてくれたけど、なぜ靴が流されるような状況になるのかな! 片足だけ裸足で帰ったの!?

 考えると怖くなってきたので、この後は無心で釣りに没頭した。


 尚、クライブが家族の晩餐分を釣り上げる間に私が釣ったのは、靴、藻、ザリガニ、最後に指先サイズの小魚が1匹だった。


「どうしてこんなことに……!?」

「そういう日もありますよ。でもほら、アルトが集めてくれた餌でこれだけ釣れましたから。アルトの手柄でもありますよ」


 クライブが必死に桶の中の魚を見せながら慰めてくれたけど、小魚以外は全てクライブが釣り上げたものだ。

 とても悔しい。

 ちなみに私が釣った小魚は、晩餐の時にクライブの皿の上でオマケみたく添えられていた。

 食べようとしてくれた気持ちは嬉しい。でも、それを見た時は情けなさに拳を固く握りしめた。


(次に来た時こそは、絶対に大きな魚を釣ってみせる!)


 そんな風に、色々あった夏休み。

 ランス領最後の夜は、不屈の誓いを胸に掲げて過ぎていったのであった。






【後日談】ランス領の土産

※王視点



 ランス領に行っていた娘アルフェンルートが、ランス領土産を渡したいと尋ねてきた。

 忙しい合間を縫って執務室に通した。向かいのソファーに座ったアルフェンルートが、まず先に数枚の書類を渡してくる。


「こちら、今回の反省文です」

「反省文?」


 眉を顰めて問えば、先手必勝とばかりにアルフェンルートが口を開く。


「お父様は大変お忙しいことと思いますので、お時間を取らせるべきではないと判断して用意しました」


 どうやら今回のランス領での騒動の説教回避の為に、事前に反省文とやらを書いてきたようだ。

 我が娘ながら狡賢いというか。

 むしろ、なかなか馬鹿というべきか。

 しかし反省しているであろうことは理解できる。既に嫁いだ娘であるわけだし、成人もしているのだ。今回の反省を今後に活かせるならば、見逃してやるかと嘆息を吐き出した。

 その態度に説教を回避したとわかったのか、アルフェンルートが表情を緩めた。

 そして今度はハンカチに包まれた物をそっと差し出してくる。


「それとこちら、つまらないものですがランス領のお土産です」


 出かける度に何かしら問題に巻き込まれる娘なので、無事に帰還したならそれだけで十分ではあるのだが。好意で渡されるものを断る謂れもない。

 素直に受け取ったそれは、小さな物なのにずしりと重い。

 何なのかと訝しく思いながら包みを開く。


「……ただの石に見えるのだが」


 開いたハンカチの中には、何の変哲もない石ころが3個包まれていた。

 意味がわからない。

 眉を顰めて真意を伺えば、アルフェンルートは真面目な顔で「ただの石ですから」と頷く。

 つまらないものだと前置きはされたが、本当につまらないものを渡されるとは思わなかった。顔には出さないが内心では絶句するほどの衝撃だった。

 嫌がらせだろうか。それにしては地味すぎるし、こちらはなんの打撃にもならない……いや、驚かされはした。


「ランス領の湖畔で拾ったのです。特に綺麗な石を厳選してお持ちしました」


 見つめれば、アルフェンルートも目を逸らすことなく堂々と答えるではないか。

 言われてもう一度、視線を石に落とす。


(言われてみれば、ただの石にしては綺麗な方ではあるが……)


 確かによく見れば、マーブル模様の入った翡翠色、燻んだ淡い青のターコイズ、ムーンストーンを思わせる乳白色……と言えないこともない。

 だが、やはりただの石である。


「なぜ、これを?」


 土産にするなら他にもあっただろうに。

 しかし、新婚旅行の際も土産に無骨な剣を持ってきた子である。そこにもちゃんと理由はあった。

 ならば、今回もアルフェンルートなりに理由があるのだろう。多分。

 わざわざ馬鹿にしているのかと思われそうな石を選んだ理由を問えば、アルフェンルートは真摯な眼差しで私を見つめた。


「お父様はなかなか自由に外には出られないようですので、少しでも自然を感じていただきたくてお持ちしました」

「なるほどな」

「蛙も盛んに鳴いていたのですが、生き物を運ぶのは抵抗がありまして」

「蛙はもういらないな。間に合っている」


 昔、誰かさんがおたまじゃくしを中庭の噴水に放したせいでな。

 しかしやはり一応、コレはアルフェンルートなりの気遣いではあったらしい。非常にわかりにくいことこの上ない。


「自然を堪能されましたら、捨てていただいて結構です。ただの石ですから」


 しかし渡された石にさほど価値を見出しているわけではなかったようだ。あっさりしたものである。

 所詮は湖畔に落ちていた石だからな……。


「それでは、お時間を取っていただいてありがとうございました」


 渡したら用は済んだとでも言うように、アルフェンルートは立ち上がった。

 土産話をしないのはこちらの多忙を理解しているからか。フレディから報告を受けているから必要ないと考えているのか。あるいは両方か。

 本心では名残惜しい気もあるが、実際に時間をそれほど取れないのも確かだ。

 ああ、と頷いて、一礼して立ち去る娘を見送った。


 この為だけに来たのかと何も知らない者は呆れそうだ。だが、無事に王都に帰ってきたことを知らせるためであったのだろう。

 ちゃんと顔を見せに来たあたりは、アルフェンルートなりの親子の歩み寄りだ。


(しかし、土産が石ころとはな)


 呆れるのを通り越して、微かに笑ってしまう。

 立ち上がり、机の上にある決済用の印鑑が置かれていた皿を引き寄せた。印鑑の隣に石を並べて、邪魔だな、と苦く思う。

 しかし捨てる気にはならないのだから不思議なものだ。

 これからは押印時に邪魔される度に、風変わりな娘のことを思い出すのだろう。

 さて、と石が包まれていたハンカチを畳み掛けてふと気づく。


「刺繍か」


 よくよく見ればハンカチの端に、緑の蛙の刺繍が施されていた。

 多分、これも土産のつもりだったのだろう。生体は持ち帰れなかったから、きっとその代わりに。

 しかし、蛙か。

 刺繍を指でなぞり、思わず笑ってしまった。




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