10 かくして幕は下ろされる
あの後。
私の声に駆けつけた騎士達は、クライブとラッセルの指示の元で賊を取り押さえた。
騎士が来た時には既に、私たちを襲った4人の賊はボロ雑巾のようにされていたみたいだけど……。
本気を出した精鋭の近衛騎士を相手にしたら、そうなるに決まってる。
悪事に手を染めた結果の自業自得なので、賊に同情はない。
しかし、なぜいきなりクライブが現れたかと言えば。
仕事をやっと片付けて王都から全力で馬を駆けてランス領にやってきたクライブは、最初は屋敷に行ったらしい。
でも私が店舗にいると聞かされて、急いで店へと辿り着いた。すると今度は孤児院に向かったと言われ、追いかけていたところで私の声が聞こえたから、慌てて駆けつけたのだそうだ。
そして私に血を見せたらまずいと思って、咄嗟の判断で怪しい奴をとりあえず鞘付きの剣で殴り飛ばしたのだという。
賊は死んではいないけど、肋骨が数本折れていたようだ。……前にも似たことがあった気がする。
(とにかく、あのタイミングでクライブが駆けつけてくれてよかった)
今でも乙女ゲームのヒーロー補正があったりするのだろうか……。いや、クライブの頑張りだったとわかっているのだけど。
それはともかく、本当に助かった。
おかげでハンスも私も無事だったのだから。
孤児院と店舗の警備を強化してもらい、狙われたハンスは念の為にランス伯爵邸で一時保護することにした。
その時にハンスに私の正体を話したわけだけど、ハンスは特に驚きもしなかった。おかげで逆に私が驚かされた。
「私がランス子爵夫人だったことに驚かないのですか?」
「なんとなく……たぶんそうだろうな、と思ってました」
態度は以前より少し改まったものになっていたけれど、やっぱりな、という顔をされた。なぜ。
疑問に思ったのを察したのか、ハンスが躊躇いがちに口を開く。
「アルサン様、じゃなくて、ランス子爵夫人に対する店の従業員の態度が、目上の人に対する感じでしたので」
「なるほど、それで」
「それ以前にも、俺が問題を起こした時に主人に内密で簡単な罰を与えるだけで済ませるなんて、夫人付きの侍女にしてはありえないことだったから。おかしいとは思っていました」
「既にそこから……」
ということは、ほぼ最初からバレていたのでは!?
絶句したら、「気づいてたのは俺だけだと思います」とフォローをされた。
ぜひそうであってほしい。
ハンスは私の隣に立つクライブを見て、こんな人が奥さんだなんて大変そうだな……という目を向けていた。反論はできないけど、なかなか私に対して失礼である。
(やっぱりハンスはよく人を見てるんだろうな)
だからこそ勿体無いな、と心から思う。
私の目には騎士に向いていると映ったから、後で騎士団への紹介状を書いてもらえるように頼んでおくつもりだ。
でも私があげられるのは、機会だけ。
もっと素質のある子はいるだろうし、ハンスだけずるいと思われて妬まれる可能性もある。
それでも私にそうしたいと思わせたのは、ハンス自身の力に他ならない。
ついていけるかどうかは、これからのハンスの体力と根性と努力次第。この先の道を切り開けるよう、ぜひ頑張ってほしい。
屋敷に戻った後、騒ぎを聞きつけた義両親が飛んできた。
私の無事を上から下まで確認してから、義母は賊が捕えられている騎士団詰所へ飛んで行った。
「私の領で可愛い娘と大事な民にこのような無体を働くとは、お仕置きが必要ですね」
冷徹な表情で凄んでいた義母を、義父は愛しいものを見る目をして送り出した。
「息の根は止めない程度にするんだよ」
穏やかな表情なのに、不穏な助言を添えて。
クライブはいつも通りだという顔をしていたので、これがこの家での普通の夫婦の会話なのだと思う。
味方でよかった。
尚、義母の監視下の元での脅迫…否、取り調べで賊の襲撃の理由はすぐに判明した。
事の顛末はクライブが詳しい話を聞いてきてくれた。ランス領に帰ってきたばかりで疲れているのに、本当に申し訳ない。
夜も更けてから、屋敷の自室で待機していた私の元へと帰ってきた。
見慣れない煌びやかな白い姫系家具に囲まれた部屋に落ち着かない様子を見せたものの、温かいお茶を出したらほっと息を吐く。
私がクライブの隣に腰を下ろしたら、なぜか少し狼狽えたけど。すぐに気を取り直して話を聞かせてくれた。
「今回の元凶はフレディから聞いていると思いますが、アルト達を襲った賊は、先日の大捕物の際に不利益を被った商人の手先でした。といっても、いざとなれば切り捨てる為にか、かなり下っ端ではあるんですが」
案の定、賊は聞いていた通りの相手だったようだ。
でもクライブが渋い顔をしていたので、黒幕の商人はトカゲの尻尾切りをするつもりなのだと考えているのだと思う。
フレディが関連のありそうな商人が宿泊していないかを手分けして調べてくれていたので、残党はすぐに捕まえたらしい。けれど大元には逃げられる可能性が高そうなのは悔しい。
「アルトに警告と牽制をするつもりで、店の従業員を攫ってポップコーンの調理法を聞き出す予定だったようです」
「そんなものの為に……」
「従業員を傷つけて、アルトを脅すことも計算に入れていたのでしょう。特に身寄りのない孤児院の子どもなら、大事にはされないと踏んだのでしょうね」
「子どもたちを軽んじるにも程があります」
「もちろん、そちらに関しては母が今頃……その、反省を促しているかと」
どんな反省の仕方なのかは聞かないでおこう。わざわざクライブもマイルドな言い回しにしてくれたのだから、それを信じたい。
「最初は屋台の子ども達を狙っていたそうですが、屋台車が目立っていたのでそちらは見送ったそうです。その後でアルトとハンスが店の裏から出てきたので、都合が良いと思われて狙われたのだと聞いています」
見た目はハンスはひょろ長いし、私は棒切れのよう。狙うなら、確かに私たちは都合が良い。
ラッセルもいたけど柔和な面差しの上、着痩せするタイプらしく屈強には見えない。ランス家の騎士服だったこともあり、賊は一対三ならどうとでもなると考えたのだと思う。
結果は、ボロ雑巾にされたわけだけど。
「私が誰かわかって狙ったわけではないのですね」
「彼らもそこまで愚かではなかったみたいです。アルトが誰かを知って、真っ青になっていましたから」
「そうでしょうね」
私の行動を自粛させる為に脅しで私の周りに手を出す事と、降嫁しても王の娘である私自身に直に手を出すことでは、大きく意味が違ってくる。
前者は私の権限内でしか対処できないけど、後者は最悪、王権を傷つける疑いありとして根絶されてもおかしくない。
今頃震え上がっていると思う。
実際に父がそこまで踏み込むとは考えにくいけど、こうなったからには使えるカードとして取っておきそうではある。
「それにしても調理法を聞き出す為に攫おうとするなんて……真っ当な手段で調べれば、簡単に手に入ることなのに」
呆れて深い溜め息が溢れた。
「アルトは王立図書館にポップコーンの調理法を寄贈されていましたよね。注意書きもつけて」
クライブが言った通り、ポップコーンの調理法を隠すつもりはなかった。
材料も安価で手軽に手に入って、作り方も簡単だから、いつか広がるだろうことはわかりきっていた。
だから最初から手を打っておいた。
作られるであろうことを逆手に取って、今までなかった画期的な料理の調理法を国に寄贈するにあたり、使用条件を付けたのだ。
「そうです。ポップコーンの製造販売業者は売上の3割を出店地域の孤児院に寄付しなければならない、と書いて公開してあります」
利益の3割ではなく、売上の3割だから、たとえ赤字であっても寄付はしなければならない仕組み。
尚、孤児院が直に製造販売する場合、売上はすべて孤児院の経営に使ってくれてかまわない。
(ちゃんと法令として通してあったりもするのだけど)
だからポップコーン店を経営したい時は国に届け出しなければならないし、年に一度は監査も入る。
孤児院以外は、届け出なかった場合は罰金。
寄付をしていないことが発覚した場合は、支払うまで財産の差し押さえ。
調理法がわかったところで、ポップコーン販売は基本的に儲けが出ない慈善事業なのだ。
ちなみに従業員と孤児院にも、最初の契約の時にこの法令は伝えてある。
正規の手順で誠実な対応で調理法を聞かれていれば、誰にでも教えるつもりだった。でも売上の3割を持っていかれるとわかっていて、手を出す商人がいるとは考えにくい。
(私の予定では、孤児院が独占販売できるお菓子になるはずだったのだけど)
もし全国の孤児院で広がったとしても、孤児院に用意できるのは金額的に塩味のポップコーンくらいだと思う。
それ故に貴族向けの高級な調味料を使う私の店の優位性は揺らがないことも、計算の内。
孤児院は経営が助かる。
ランス領も元祖として有名になる。
もし別の領主が私と同じように販売しても、それはそれで該当地域の孤児院が潤うなら良い。
そう考えて、権力を使いました。
「これを今回の賊が知ったら、さぞかし落胆するでしょうね」
これだけの危険を犯しておきながら、何の利益も齎さないのだと知れば絶望しそう。
そもそも最初からちゃんと真面目に調べていれば済んだことではある。同情心は欠片も湧かない。
すると、クライブがちょっと考え込んだ後で口を開いた。
「今回の件に関してですが、彼らを少し泳がせても良いですか?」
「その必要があるならばかまいませんが……ですが最終的にはきちんと処罰はしてほしいです」
一歩間違えれば、子ども達や従業員が大変な目に遭っていたのだから。
「それは勿論お約束します」
クライブは力強く頷いた。
兄に相談してみますね、と不思議と清々しい笑顔を向けられた。
だからこれは、後から兄に聞いた話なのだけど。
「件の黒幕だった商人達には、法令のことを伝えずに調理法だけ流しておいた。奴等は調子に乗ってポップコーン事業に派手に乗り出したようだから、後が楽しみだな」
その結果。
後に彼らが私の商売に打撃を与えるべく、大々的に販売してくれたことで、ポップコーンがどんなお菓子なのかが広範囲に知られる事となった。
だけど後から監査が入って、がっつり売上の3割を持っていかれたと聞いて、清々しい気持ちになってしまった。
ぜひとも深く後悔してほしい。これに懲りて、これからは堅実で誠実な商売をお願いしたい。
それ以後は商人はポップコーン販売から撤退したものの、代わりに各地の孤児院で販売されるようになったとか。
結果としては万万歳。
兄は淡々とした態度だったけど、私に手を出されたことに内心では相当お怒りだった、とはクライブ談。
これは後の話なので、この時はクライブにお任せしてこの件は終わったのだ。
「クライブは疲れていたのに、余計な事に巻き込んでごめんなさい。反省しています」
「アルトが無事だったのなら、今はもうそれだけでいいです」
よほど疲れていたのか、クライブは説教もなく深く息を吐き出した。私の手に触れかけて、でもなぜか躊躇って手を引っ込める。
そして困ったように眉尻を下げて私を見た。
なんだろう? 久しぶりだから遠慮しているのかな。クライブが?
あのクライブが!?
「おかげさまで、この通りとても元気です。クライブは疲れているのでしょう。入浴してもう休んでください」
よほど疲れているに違いない。王都から一両日、馬を飛ばした挙句、こんなことに付き合わされたのだから当然だった。
今更ながらに気づいて慌てて立ち上がった。クライブを促すべく手を取れば、ひどく驚いた顔をされる。
クライブらしからぬ態度にこちらまで困惑する。一体どうしたというの。
「クライブ、先程から様子がおかしくありませんか? 熱でもあるのですか?」
過労かもしれない!
クライブの額に伸ばしかけた手は、触れる前に強く握り締めて止められた。
いつも温かい指先が今は冷たくて、クライブが緊張していることが伺える。
私相手に、なぜ!?
まじまじと緑の瞳を見つめたら、クライブが迷いを見せつつ口を開いた。
「アルト。僕に不満があるなら、言ってください。全て改善できると約束は出来ませんが、善処します」
真剣な眼差しを向けられて、思いもよらないセリフを告げられる。
思わず、呆けた顔になった。
「特に不満はありません」
「些細なことでもいいんです。ちゃんと教えてください。たとえば部屋の内装とか、本当はこの部屋みたいなのに憧れていたんですか?」
「これはお義母様の趣味です」
とんだ誤解だ。慌てて首を横に振る。王都の屋敷まで乙女チックにされたら堪らない。
しかしクライブは翳った瞳のままだ。
「本当に?」
「私はもっと落ち着いた色合いの部屋の方が好みです」
正直に言えば、姫系家具はたまに泊まる程度なら嬉しいけど、ずっとだと身の置き所に困る。
やや渋めの表情で本音を漏らしたせいか、クライブが少し肩から力を抜く。でも指先はまだ冷たく、私を伺う瞳は不安げなまま。
「他には、ないんですか? 実家に帰らせてもらうと言いたくなるくらい、僕に愛想をつかしたのでは……」
「えっ!?」
「置き手紙に書いてあったでしょう。実家に帰らせていただくと。怒って出て行ったのではないのですか?」
あ……あああああ! 思い出した!
書いた! 深読みすると危ない、例の一文を!
「アレは言葉通りの意味です! クライブの実家に先に帰ってますね、というだけの意味でした。他意は全くありません!」
「他意は、ない」
言い切った私を見上げて、クライブが呆然とした表情で復唱する。
「はい、そのままの意味です! 深読みしないでください。といいますか、その後に送った手紙を読んでいないのですか?」
私が書いたあの恥ずかしい恋文を!
「アルトからの手紙なんて届いていませんが」
しかしクライブは怪訝な顔をするばかり。読まれてない事に安堵するような、落胆したいような。
「出立した日の夜に、宿屋から手紙を出したのです」
「うちの早馬でですか?」
「いえ、一般の配達屋さんにお願いしました。カードは言葉通りの意味で受け取ってほしいと書いて送ったのですが」
答えると、クライブががくりと肩を落とした。
「平民の使う配達手段を使うと、僕たちより数倍時間がかかるんですよ」
「そうなのですか!?」
ということは、私の手紙は今頃王都の屋敷に着いていたりするのかも。
まさかの行き違い!
クライブの不審な態度も、これでやっと理解ができた。つまり私のあのメッセージカードを深読みして、今の今まで誤解していたと!
申し訳なさすぎる。今度は私が顔を引き攣らせる番だった。
「クライブに不満はありませんし、ちゃんと愛、あい……あ、……すきです」
愛してる、と告げようとして口が強張った。頬が熱くなってくるのがわかる。
いや、なんというか、「愛してる」はまだ恥ずかしい。
それにクライブの両親を見ていたら、敵をボコボコにしに行く配偶者を笑顔で受け入れて見送れるくらいにならなければ、使ってはいけない気がした。
私はその領域に達せていない。まだこの言葉は早い。
これくらいが、今の私の精一杯だと思う。
必死に紡いだ言葉を、それでもクライブは心底嬉しそうに笑って受け入れてくれた。
「本当に誤解でよかったです。よく困った事に巻き込まれる奥さんですが……それでも僕も、誰よりもアルトを愛しています」
さらりと重たい想いを返された。
そして今度こそクライブは迷うことなく、私をギュッと両腕で抱きしめた。
……あまりの強さに、「ぐぇ」となりかけたのを必死に堪えたのを褒めて欲しい。
これは、愛してるからだと言えるんじゃないかな。




