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9 油断は大敵


 フレディから聞いた話を義両親に伝えて、諸々の手配を終えた翌日。

 今日も清々しい青空が広がっている。


(お店の混雑具合は昨日と同じくらいかな)


 今日はおとなしく店舗の二階で事務仕事。窓から入口を確認して、ほっと安堵の息を吐いた。

 混雑対応の為と称して、騎士の何人かは警備員に扮してくれているので安心。

 フレディは私が店舗にいる間に、ランス領の騎士達と協力して周辺を調べてくれると言っていた。

 ラッセルは私の正体がバレないようにランス騎士団の制服姿だけど、いつも通りそばに控えてくれている。


 昼を過ぎたあたりで、孤児院の子ども達が屋台車を引いてきた。ハンスには、前日に伝えていた通りに店舗内の雑務の手伝いをお願いした。

 ただ、改めて指示した私を見て不審な目をしていたけど。


「なんでアルサン様は今日も男の格好……なんですか?」


 店舗内だから、ハンスは口調を改めたらしい。

 そして言われた通り、本日も私は店の男子制服姿だったりする。


「これは、ランス子爵夫人の趣味です」

「夫人の趣味……」


 言い訳が思いつかなかったので、堂々と本音で答えた。

 ハンスは微妙に眉根を寄せて、納得するためにか復唱している。

 この格好で激励すると従業員が喜んでやる気を出してくれるから、という福利厚生の意味もあったりするけど。


 でも、この姿の私を受け入れてくれることで救われた気持ちになるから、というのが本音かもしれない。


 普通なら、事情のある元皇女が男装なんてしたら、周りは忌避するか腫れ物に触れるような態度になる。

 でも、ここではエリーゼが筆頭となって好意的に受け入れてくれる。


(そのことに、救われてる)


 皇子だった自分が好きだったわけではないけれど、必死に取り繕って生きていた14年間をなかったことに出来るほど、私の中では軽くない。

 忘れて、捨ててしまえと言われたら、足元が底無し沼に嵌まったみたいに動けなくなってしまうと思う。

 だから、あの頃の自分も抱えて生きていくことしかできない。

 そのせいか今も時折、もう男に見られなくなるかもしれない自分が怖くなる時がある。確かめたい衝動に駆られてしまうことがある。

 そんな弱い私をここでは純粋に、こんな姿の私でも好きだと、好ましいと言ってくれる。

 それがまるで、過去の自分ごと認めてもらえた気持ちになって安心するから。

 度々、こんな暴挙に出てしまうのだ。


(周りに甘えてしまっている自覚はあるのだけど)


 でもあと少しだけ。

 もう少し心が落ち着くまで、見守ってもらえるととても助かる。


 ハンスはじっと私を見て、「そうなんだ……まあ、よく似合ってます」と頷いた。

 思ったよりハンスは順応性が高かったみたい。

 

「それはいいとして。実は、アルサン様に相談したいことがあるんですけど」

「なんでしょう?」

「リーナ達と話してたんですけど。店舗で売ってる味がどんな感じか聞かれたら、知らないのでちゃんと答えられないのが困るなって話になったんです」

「それもそうでした」


 ハンスに言われて、今更思い至った。

 ブラックペッパー、チーズ、キャラメルとは答えられても、具体的な味は?と訊かれたら子ども達は知らない。試食は塩味しかさせていなかったから。


「わかりました。帰りに試食を持たせましょう」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、教えてくれてありがとう」


 頭を下げるハンスに笑いかけたら、お礼を言われるとは思わなかったのか目を瞠った。ついで照れた顔をして、「気づいたのはリーナなので」と付け足された。

 そうは言っても、上司に進言するのは勇気がいることだったと思うので、その頑張りはハンスが誇っていいと思うよ。


 昼過ぎからおやつ時間が一番忙しくて、あっという間に時間は過ぎた。

 途中で屋台組が帰ってきたけど、試食は店に出す分でいっぱいいっぱいだったので、後で届けると伝えておいた。

 ハンスはまだ手伝いを申し出てくれたので甘えてしまった。最初の出会いがアレだったから心配する部分もあったのだけど、ハンスは意外によく気がついて動いてくれる。


(店舗の雑務係も向いてると思うのだけど)


 でも本人は騎士になりたがっていたわけで、店舗も向いてるよと伝えたら傷つくかもしれない。

 内心で悩みつつ、店が落ち着いた頃を見計らって厨房に降りた。

 孤児院に持っていくポップコーンを袋に詰めてもらい、籠に入れる。30人の口に入れるために、籠は3個になってしまった。

 4時になって客足も途切れがちになったところで、ハンスに声をかける。


「ハンス、もう上がっていいですよ。それと、こちらが店の味の試食品です。二つ籠を持ってください」


 用意した籠を渡すと、ハンスは受け取って首を傾げた。


「残り一つは後で取りに来たらいいですか?」

「いえ、私が持ちます」

「アルサン様が? なんで?」

「私も孤児院に行きますから。子ども達の反応が見たいので」


 えええ、という顔をされたけど、時刻はまだ4時。外は夕焼け色に染まり始めたとはいえ明るい。人通りもある。

 この明るさで襲われるとは考えにくい。孤児院は中心部から外れるとはいえ、ここから徒歩20分程。

 そして孤児院にも、騎士を数名配置してある。

 子ども達を怖がらせないように、建物修理の大工を装ってくれているはず。装うというか、本物の大工の指示で孤児院を修繕してくれてると思う。

 義父がにこやかに「働かせておきます」と言っていたから。

 甘えて良かったのだろうか……。


「暗くなる前に行きましょう」

「本当にアルサン様も一緒に行くんですか?」

「歩いて20分くらいでしょう。帰りは馬車を頼んでありますから大丈夫です」


 いいのか、とハンスが私の背後に立つラッセルを伺う。

 同じように伺えば、ラッセルがやや渋い顔をしていた。

 でもただの店員が騎士達をたくさん引き連れて歩いていたら、何事かと思われてしまう。


「むしろこの3人だけの方が、目立たなくて良いのではないでしょうか?」


 まさか私がランス子爵夫人とは誰も考えないと思う。子どもを送っていくだけなら、騎士一人もいれば過剰だとすら思われそうなくらいだ。

 そんなわけで、ハンスとラッセル、私で店を出た。

 しばらく歩いた後、居心地悪そうに隣を歩くハンスを見上げる。


「店舗で働いてみて、どうでしたか?」

「思ったより色々とやることがあって、息をつく暇がなかった……です」

「楽しかったですか?」


 問い掛ければ、ハンスは真面目な顔で考え込んでしまう。

 ハンス的には今ひとつ、と言った感じだったのかな。嫌だとまでは言わないけど、即答しない辺りきっと何かが足りないのだろう。


「ハンスは、どうして騎士になりたいのですか?」


 一歩、踏み込んでみた。

 反発されるだろうか。言いたくないなら、それはそれで仕方がないけれど。聞いても、こちらも要望に添えるとは言えない。

 それでも何か出来ることがあれば助けてあげたいと思うのは、未来に挫けて自棄になる気持ちがかつての自分と重なったから。

 ハンスは私を見て、ちょっと迷いを見せた後、「別に隠すことじゃないし」と口を開いた。


「亡くなった父さんが警邏隊だったんです。大きくて、すごくかっこよかった」

「お父様が、警邏隊?」

「火事で中にいた人を助けるために死んじゃったけど。でも、今でもずっと憧れてる。俺も父さんみたいに、誰かを助けられる人になりたかった」


 過去形で口にしていても、ハンスの悔しそうな表情は今も諦めきれないのだと語る。

 そういう事情があるならば、確かに諦められないだろう。ハンスにとってそれは心の支えになっていたことだと思うから。

 それなら。

 口を開きかけた、その時。


「っお下がりください!」


 曲がり角にかかったところで、踏み出す寸前に後ろからラッセルに腕を引かれた。籠が手から落ちて地面に転がる。

 ギョッとする間もなく、私の前にラッセルが躍り出ていた。

 同時に、ガキンッと刃が擦れ合う音が狭い道に響く。


「!?」

「ハンス! その方を連れて孤児院へ! 騎士達がいますから!」

「は、……っ了解しました!」


 気づけば人気のない道に出ていたらしい。とはいえ、孤児院までは残り5分程度。

 斬りかかってくる3人もの賊を捌きつつ、ラッセルが予備の短剣をハンスに押し付けた。ハンスは非常事態と察したのか、既に籠を放り出していた。

 尚、賊の姿は如何にもという感じではなく、普通にその辺を歩いていそうな平民の町の人的な感じだった。

 これで賊だと気づけと言う方が無理。ラッセルは殺気でも感じたのだろうか。すごい。

 なんて感心している暇もなかった。


「走るぞ!」

「!」


 ハンスに鬼気迫り来る顔で促されて、慌てて後を付いて走り出す。


(まさかこんな明るい内に襲われるとは思わないでしょう!? しかもよりによって、この私を!)


 賊は馬鹿なのかな!?


「用があるのはガキだけだ! 一人でいい、捕まえろ!」


 しかし背後から聞こえた声で、そういうことか、と理解する。


(この人達は『ランス子爵夫人』を狙ったわけじゃなくて、孤児院の子どもを狙ってるんだ!)


 だとしたら。


「ハンス! 先に行って、孤児院から応援を呼んできてください!」


 ここで私が足手纏いになって、ハンスを連れ去られるわけにはいかない。先に逃さないと。

 私はランス子爵夫人だと明かせば、相手は手も足も出せないはず。


「バカ言うな! アンタが一番守られてなきゃいけない人だろ!」


 言うなり、ハンスは私の腕を掴んで更に走る速度を上げた。

 必死な顔で周囲を警戒して、しっかりと短剣を構えながら。

 青褪めた顔で、それでも鋭い瞳には確かな決意を湛えて。

 それは、私にはよく見たことのある瞳だった。

 守られなければならない立場の私が、ずっと近くで見てきた色。


(守ろうとする人の目だ)


 こんな時だけど、じわりと胸が熱くなった。

 ハンスは騎士になるにはハンデがあって、周りと比べて不利かもしれないけど、それでも。


 孤児院まであと少しというところで、道に幌を被った荷車が一台停まっていた。中にいる人と目が合って、その昏さに背筋がゾクリとする。

 悪い予感というのは当たるものなのだ。

 そして周りをよく見ているハンスも、危機を察していたらしい。


「先に孤児院に走り込め!」


 背を押されて、反対にハンスは短剣を構えて荷台から飛び降りた賊と思われる相手に向かっていく。

 しかしながらいくら相手も一人とはいえ、大人の男だし体格がいい。剣だってハンスの持つ短剣よりも長い。

 どうしたって、勝ち目なんてない。


「誰か! 来てくださいッ!」


 ならば、と声を振り絞って叫んだ。自分でも驚くほど大きな声が道に響いた。

 これだけの声量なら、孤児院にいる騎士達に届くことを祈って。

 だが、それよりはやく賊の手に振り翳された短剣が光を反射して輝いた。


「ハンス、……っ!?」


 悲鳴を上げかけた。しかし、その寸前。

 ハンスの前に割り込んだ黒い影に、賊が吹き飛ばされるのが視界に入った。

 横から腹を剣で勢いよく薙ぎ払われて、地面に転がっていく。でも血は出ていないから、どうやら切られたわけではなく鞘付きで力一杯殴られたらしい。

 賊は無様に転がったまま、呻き声を上げて立ち上がることができない。


(……どうして、ここに)


 目に映るのは、風に揺れる焦茶のくせのない髪。

 私が羨ましがったロングマント。

 それを翻して、私の元に一目散で駆けつけてくれる。


「遅くなりました! 怪我はありませんか!?」


 目の前に駆け寄って、緑の瞳で全身くまなく確認した後、両腕で強く抱きしめられた。


「どうしていつも目を離した隙に……っ無事でよかった」


 汗の匂い。埃っぽくて、よれた服装。重なった胸から伝わる余裕なく脈打つ心音。

 どれだけ焦ってここまで来てくれたのか、言われなくてもわかる。


「ごめんなさい、クライブ。私の判断ミスでした」


 これは甘く考えていた私が本当に悪い。

 まだ明るくてちょっとの距離だし、だとか、ラッセルがいるから大丈夫だとか、油断した私が完全に悪かった。

 それでも、今更になって恐怖と安堵が湧いてきて胸が詰まった。


「助けてくれて、ありがとう」


 背に回した震える手で、ぎゅっとクライブに抱きついた。



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