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3 新規で事業を始めます


 道中で1泊したものの、極力休憩を省いたのでランス領に着いたのは翌日の夜だった。

 出迎えてくれた義父との挨拶を終え、馬車旅で疲れた体はすぐにベッドに沈没してしまった。


 私用に用意されていた乙女チックな部屋で目を覚ましたら、ランス領での活動開始である。

 しかし翌朝早々に、朝食の席で義母が残念そうに肩を落とした。


「アルフェさん、ごめんなさい。片付けなければならない書類が溜まってしまっていたの。私は店舗の案内をできないから、代わりの者にお願いしますね」


 私を迎えにきてくれた分、領内の仕事が溜まったのだと思う。申し訳ない。


「ありがとうございます、お義母様。どうぞ私のことはお気にならさないでください。お仕事の方が大事です」

「とても残念だけど……」


 本当に心から残念そうだ。悔しそうですらある。あんなにも作った店舗を見せたがっていたのだから、当然と言える。


「お義母様にお力添えいただいたお店、とても楽しみです。お時間ができたら、またお話を聞いていただけますか?」

「もちろんです」


 義母が目尻を下げて嬉しそうに微笑んでくれる。優しい。

 子どものやりたいことに向き合ってくれるお母さんって感じだ。心から有り難いと感じる。


(前の生のお母さんを思い出しちゃう)


 義母を見る義父の眼差しもとても優しい。ちなみに義両親は恋愛結婚だそうだ。

 引く手数多のランス伯爵家の一人娘だった義母を、義父が努力して近衛騎士に登り詰めてから求婚したと聞いている。


(あたたかくて、いい家だよね)


 当たり前に家族を思いやれて、支え合えて。そんな中に自分が組み込んでもらえていることが、なんだかこそばゆくて嬉しい。

 こうして支えてもらった分はランス領に貢献したいと思う。

 

「お義母様、案内はどなたがしてくださるのですか?」

「それはエリーゼの姉のカミラにお願いします。私に付いてくれていた子だから、案内は安心して」


 そう言って義母が振り返ると、壁際に控えていた20代半ばくらいの女性が一礼した。

 ぱっちりとした瞳は淡い青色で、ダークブラウンの髪は綺麗にまとめ上げられている。ふっくらした頬をしていて、優しくて可愛らしい印象を受ける。

 妹のエリーゼは背が高い方だけど、カミラは小柄だから言われなければ姉妹には見えない。


「よろしくお願いします。それと、出来れば私がランス家の人間であることは伏せて動きたいのです」


 我ながら無理なお願いを口にした。

 その言葉を受けて、義母は凪いだ湖面のごとき静かな眼差しで私を見つめる。


「それは、どうして?」


 まるで試験だと感じた。

 けして責める声音ではないのに、無意識に背筋が伸びる。


「私がランス子爵夫人だと思われていると、きっと周りには取り繕った姿しか見せていただけないと考えました。私はありのままの状態を、この目で確認したいと思うのです」


 それは相手を騙す行為とも言える。

 それでも、同じ目線に立たなければ見えないものもあると思うから。


「そう……わかりました。それでは、アルフェさんの望まれる通りになさるといいでしょう」

「ありがとうございます」


 じっと見据えられた後、小さい息を吐き出して義母は頷いた。

 よかった……!


「ただし、護衛は予定通り配置します」

「変装するので最低限でいいと思うのですが」


 眉尻を下げた私に、今度は義父が「大丈夫ですよ」と穏やかな口調で諭した。


「周りからは不審に思われない形で配置します。これも騎士達の訓練になりますから、ぜひ無茶をしてみてください」

「あなた」


 甘やかす義父を義母がひと睨みした。

 父親というのは、つい娘に甘くなってしまうものなのだろうか。くすぐったい。

 だが実の父を脳裏に浮かべて、いややはり人による、と真顔で思い直した。




 部屋に戻るなり、さっそく準備に取り掛かった。

 まず、ランス家の侍女のお仕着せの取り寄せをカミラに依頼した。すぐに用意してくれたのを受け取り、次は険しい顔をしているエリーゼに向き合う。


「エリーゼには、私の代わりにランス子爵夫人役をお願いします」

「私が奥様になるのですか!?」


 エリーゼが目を丸くして絶句した。

 しかし私がランス家の人間じゃないように見せるには、代役が必須となる。


「私は夫人付きの侍女に扮しますから。カミラがエリーゼの代わりで、私はその下に付く形にします」


 その方が動きやすいので。


「まあ、それは責任重大ですね」

「姉さん!」

「あらあら、姉さんではなく気軽にカミラと呼んでくださいな、奥様」

「姉さんっ!」


 カミラは妹を茶化して、おっとりと微笑んでいる。反してエリーゼは呑気に了承している場合ではないと言いたげ。

 でもごめんね、決定事項です。


 元々エリーゼは、いざという時の私の代わりの役目を担っている。

 本来はこんな用途でお願いすることではないけれど、今回ばかりは都合がよかった。

 ランス領に私の顔は知れ渡っていないし、絵姿は出回っているだろうけど写真ほどの精巧さはない。大抵は美化されているし。

 エリーゼが着飾って名乗れば、偽物だと指摘する人はいないと思う。

 せいぜい絵姿より実物の方が大人びていて、とてもスタイルが良いと思われるくらいで。

 ……別に泣いてない。


「アルフェンルート奥様は何とお呼びしましょう?」

「アルと呼んでくだされば大丈夫です」

「アルさんですね」


 おっとり見えるカミラだが、着々と必要事項を決めていく。義母に付いていただけあって、肝は座っているみたい。

 まだ渋い顔をしているエリーゼにも念を押しておく。


「エリーゼも、アルと呼んでください」

「アル……サン」


 すぐには割り切れないのか、敬称付きの片言が返ってきた。

 エリーゼまで「さん」付けしたら、周囲には「アルサン」という名前だと思われそう。逆にバレなくて良いかも。採用で。


「では、それでお願いします。カミラ。着替え次第、案内してもらえますか?」

「はい。それでは私はエリーゼを仕立て上げてまいります」


 義母から私が着替えを手伝われるのが苦手だと聞いているのか、カミラは気負わせることなく理由を付けて部屋から下がった。

 まだ渋り気味なエリーゼを容赦なく引きずって。

 ……ランス家の親戚はみんな強かったりするんだろうか。


 さっそく紺のロングワンピースに前当て付きの白いエプロンに着替える。背の半ばまで伸びた金髪は左右に分けて三つ編みにした。靴は動きやすいように愛用の編み上げブーツ。

 変装用の化粧も施した。

 目の印象を抑えるために瞼はやや腫れぼったくした。色素の薄い頬の血色を上げて、口元には黒子を描き加えておく。

 家出の時にしていた化粧と肌色以外はほぼ同じ。

 ホワイトブリムを付ければ、クラシカルなメイドさんの出来上がりだ。


(コスプレには見えない……よね?)


 やや垢抜けない感じになってしまったのは、目の印象を殺したからだろうか。それとも血色を良くしすぎたからか。

 でもこの方が警戒されにくいかも。

 普段の私は、笑わないと神経質で近寄りがたく見えるそうなのだ。育った環境故にあえてそうしてきた自覚はあるけど、すぐに治せるものでもなかった。

 それを誤魔化せるなら、このままで行こう。


「奥様。エリーゼの準備が整いました」


 扉をノックされて、カミラが声を掛けてくれる。

 さっそく扉を開けば、そこには凛として美しい子爵夫人然としたエリーゼが佇んでいた。

 腹を括ったのか、エリーゼは優雅に微笑む。


「奥様の評判に傷をつけるわけにはいきません。演じるからには完璧に装って見せます」

「ありがとう、エリーゼ。むしろ本物の私の後の評判が不安になるほど完璧です」

「お世辞がすぎます、奥様」


 エリーゼが照れた顔をした。でも本心だ。実は内心では慄いている。

 淡いブルーグレーのドレスは品がありつつ、さりげなくあしらわれたレースが可愛らしさもプラスしている。これは普段、私が着ている余所行き用ドレスである。

 でも決定的な違いがあった。

 私との大きな差は、滲み出る人妻の色気的な何かだと気づかされてしまった。

 エリーゼは22歳だから私より5歳年上だけど、あと5年で追いつけるだろうか。将来の目標にさせていただきたこうと胸に刻む。


「それではご案内致します。馬車を手配してございますので、こちらへ」


 カミラに促され、エリーゼを立てながら斜め後ろから着いていく。普段と目線が変わるから新鮮。

 護衛にはランス家の騎士服に着替えたラッセル。それと今回、王都から一緒に来た騎士団の副隊長のスコット卿である。

 スコット卿は義父より少し若いくらいだ。他にも2名の若い騎士が随行している。

 正式に子爵夫人として動くとなると、どうしても大仰になってしまう。やはり動きにくそう。侍女の立場を取らせてもらえるように頼んでおいてよかった。



 町の中を走り、そこまで時間をかけることなく目的地に辿り着いた。

 華やかな通りの中の端の方に、その店舗は構えられていた。今は馬車を使ったけど、ランス伯爵邸から歩いてでもいけそうな距離。

 店舗は義母の趣味で白基調の可愛らしくメルヘンな店を予想していたけれど、全然違った。


「こちらが奥様がご依頼された店舗となります」


 案内するカミラに、エリーゼが鷹揚に頷く。


「アルサン。先に店舗を確認していただけますか?」


 顔には出してないけれど待ちきれない私を察しているのか、エリーゼが澄まし顔で命じてくれた。

 ありがとう、エリーゼ。遠慮なく見せてもらいます。


「承りました」


 頷いて、しかし勿論先に副隊長のスコット卿が扉を開けてくれて中を確認する。

 その間に、待機するふりをして年季が入っているように見える店舗を見上げた。


(レトロ可愛い!)


 外観は茶色の煉瓦造りの2階建。

 持ち帰り専用のため、店そのものはそこまで大きくはない。1階が店舗と厨房で、2階が従業員の休憩室と応接間、それと事務室の予定だ。

 元々あった建物を買い取ったとは聞いていた。けれど大幅に変えることはなかったようだ。それでいて看板や扉、窓の飾りなどは細部まで繊細な黒のアイアン製品に取り替えられて、新しい店舗なのだとわかる。

 可愛らしくもシックであり、高級感を出しつつ乙女心もくすぐられる。かつ男性でも入るのに躊躇しない雰囲気。

 私好みでびっくりした。


(お義母様が私の趣味に沿わせてくださったんだ)


 義母のセンスにお任せするとお願いしていたのに。なんだか胸が詰まって、ちょっと泣きそうになってしまった。

 大事にされてるんだってことが伝わってくる。

 嬉しい。


(……ランス伯爵邸の私の部屋は乙女チック満載にされていたけど)


 あの屋敷は義母達の家だから、それに関しては好きにしてくださいと思っていたけれど。

 こういうところは外さないなんて。義母がはやく私に見せたがっていた理由がよくわかる気がした。

 好きなものが詰め込まれているとわかると、更にテンションが上がる。胸が沸き立って、頬が緩んでしまいそう。


(ここが、私の出資した店になるんだ)


 すなわち、ポップコーン屋である。




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