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二人の騎士の在り方について

※前半:メル爺視点


 アルフェンルート様が一応は落ち着かれた後。

 王宮医師の任を辞し、人生の半分以上を過ごした王都を離れた。自領にて蟄居になるかと思いきや、命じられたのは若かりし頃に戦火を駆け抜けた辺境の地への赴任。

 罪人の島流しのような扱いだと、アルフェンルート様は顔を沈痛に歪ませていた。

 しかし、いざ来てみれば思ったより遥かに良い場所だった。ここに訪れると決まった時に複雑な心境にならなかったと言ったら嘘になるが、現在の街の姿を見て負の感情は押し流された。


 昔、戦場になったとは信じられぬほど街は整備されていた。


 元々、他国との貿易を主とした大きな港町である。今や活気は王都に勝るとも劣らない。

 光を反射して輝く海は青く美しく、所狭しと立ち並ぶ家屋の間を賑やかに人が行き交う。この町の人々は打ち寄せる波の音に負けないほど明るい声を上げて過ごしている。

 その光景を見た時には、思わず目頭が熱くなった。


(よくぞここまで復興したものだ)


 かつての自分達が守った場所だが、当時は「守った」と言い切れないほど街は崩されていた。

 血と土埃と灰と死臭が立ち込め、亡骸を弔うための炎だけが町の灯りだった。僅かに生き残っていた誰もが言葉少なく疲弊しきっており、とても人が暮らしていけるとは思えぬ様相に成り果てていた。

 勿論、当時この地を離れる寸前まで自分も尽力はした。それでも復興の灯は弱く、心許なく揺れているように見えた。

 その時はまだ立ち上がることが出来ず、呻く者も少なくなかった。しかし歯を食い縛りながらも這い進もうとしていた人の姿はずっと心に残っていた。

 彼らの尽力があって、これほどの活気を取り戻したのだ。

 今も場所によっては治安に問題はある。海を挟んだ国境際なので異国の民も多く訪れる上、海の男達が荒っぽいことも否めない。些末な諍いを起こして怪我をした者が、勤務地である砦に運ばれて来ることも珍しくない。

 だが、人々はそれほどの元気に溢れている、とも言える。


 おかげで毎日、説教と治療が耐えず、嫌でも充実した日々を送っていた。

 忙しくはあるが、いいように使われているわけではない。昔この街を守った軍医だったと知られており、周囲からは畏敬の念を持って接されている。

 自分の置かれた現状は『罪人の島流し』ではなかった。

 これは私の性格を踏まえ、満ち足りた余生を送るための場を提供されたのだと感じられた。

 この配置は陛下なりの恩情だったに違いない。

 自分などにこれほど齎したのならば、アルフェンルート様も今は大切にされていることだろう。時折届く手紙には、穏やかな日々が綴られている。

 そんなことを考えている内に、ようやく我が家へと辿り着いた。

 海を見渡せる高台の中程にある、貴族が住むにしては小振りな屋敷が現在の自分達が暮らす場所だ。

 夕闇に沈みいく中、吹き付ける海風の寒さは和らいできたとはいえ日が落ちるとまだ冷えた。顔を顰めながら我が家の扉をくぐる。

 すると待ち構えていたように、妻が笑顔で私を出迎えた。


「アルフェンルート殿下から、お待ちかねのお手紙ですよ」


 その言葉を聞いて、自分も頬が緩んだ。

 差し出された手紙をそそくさと受け取った。上着を脱ぐ時間も惜しく、早々に居間へ急ぐ。


「おかえり、スラットリー老」


 部屋に入れば、ぶっきらぼうな声が聞こえてきた。声の主はセインだ。

 相変わらず愛想はないがちゃんと顔を上げて挨拶を寄越すあたり、メリッサの厳しい教育的指導の賜物である。

 新年を迎えて成人したセインだが、春が来て正式に任命が下るまでは我が家で預かっている。

 今はソファに座り、アルフェンルート様から届いたであろう手紙を見ながら何やら手帳に書き込んでいる。何か頼まれたのだろうか。

 視線に気づいたのか、セインが嘆息を吐きながらこちらに顔を向けた。


「コメとミソ汁とカレーって食べ物を見かけたら教えてほしい、らしいです」

「どれも聞いたことはないな」


 港町なので他国から珍しいものが入ってくるが、どれも聞き慣れない。一緒に付いてきていた妻を振り返れば、妻も首を横に振った。

 それを見て、「やっぱり調査か」とセインがぼやく。

 たぶんアルフェンルート様のことだから、「もし見かけたら教えてくれたら嬉しい」程度の軽さだと思われる。けれどセインはこう見えてかなり真面目だ。命じられたわけではないのに、律儀に調べて回るのだろう。

 籠の鳥だったアルフェンルート様が外の世界に興味を持つ度、ずっとそうしてきていた。それは今も染みついているらしい。

 この分だと詳細な調査書を作りそうである。

 調査書を受け取ったアルフェンルート様が「ここまでしてもらうつもりじゃなかった」と焦る姿まで予想できてしまう。

 よくアルフェンルート様は、セインが有能すぎて自分には勿体ないと言っていた。しかしセインは相手がアルフェンルート様だからこそ、ここまで動いているのだと思える。

 いつだってアルフェンルート様は、メリッサとセインには出来る限り目線を合わせて接していた。

 いつもメリッサが仕入れてきた情報を元に、アルフェンルート様が気に掛けた物をセインが調達してくる。それを仲良く三等分にして分け合うことを当然とされていたことが良い例だ。

 そんな彼女故に、メリッサもセインも心を砕いた。

 今だって、ぼやく割にセインの瞳に面倒さは見えない。

 その姿に微笑ましさを抱きながらソファに腰を下ろす。自分宛の手紙に視線を向けた。

 今回届いた手紙は二通。

 一通はアルフェンルート様から。

 もう一通の封蝋を確認して眉根を寄せた。シークヴァルド殿下直々の私的な手紙とは、複雑なものがある。

 アルフェンルート様の手紙を先に開きたい気持ちを押さえ、シークヴァルド殿下からの手紙を開いた。

 一通り目を通した後、眉間に深く縦皺が寄る。


(……これはまた難しいことを仰られる)


 先日、成人を来年に控えたアルフェンルート様とクライブ・ランス卿との婚約が正式発表された。

 来年の春を予定している挙式への招待は、内々に丁重にお断りしている。

 花嫁姿は勿論見たいに決まっているが、私が参列すればケチがつく。内密にひっそりと会ったとしても、私が王都に足を踏み入れること自体がよろしくない。

 アルフェンルート様の華やかな門出に、僅かな陰りも落とすわけにはいかないのだ。

 王家も私の返事に納得していた。むしろ私が断ったことに安堵していたはず。


 しかし、だ。


 今回の手紙の趣旨は、新婚旅行先をこの街にしたい、とのお伺いであった。

 思わず頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

 あくまでも表向きは外交と街の視察の為。アルフェンルート様は海を挟んだ隣国との親交を深めるための使者として立つ、とのことだ。

 今は隣国も代替わりして国交上の大きな問題はないとはいえ、『至宝』であるアルフェンルート様を表に出すのは憚れるのではないだろうか。王都から遠く離れた辺境の地であるこの街への来訪も、反対する者の方が圧倒的に多いだろう。私もこちらに寄越すべきではない、と心から思う。

 当然それはシークヴァルド殿下も王も理解している。わかっていて尚、それを打診してくるのは。


『けしてアルフェンルートは口に出して言わないが、幸せになる姿を誰よりも貴殿に見ていただきたいと思っていることだろう』


 その一文に、断固お断りすべきだと思う意思が揺らいだ。


(わかっているとも。会いたいなどと、それは私達の我儘であると)


 城で別れた時、今生の別れであると私もアルフェンルート様も理解していた。その覚悟もあった。別れの挨拶も出来ており、悔いもない。

 それでも胸の内では、一目でも会いたいと願う気持ちは捨て切れなかった。




 「生きたい」と訴えるかのように泣く赤子を抱き上げた時の重さを忘れたことはない。

 膝の上に乗せ、本を読み聞かせた時の心地よいぬくもりを覚えている。

 「さみしい」と口にしない代わりに、眠そうな目を瞬かせて服の裾を掴んで引き留められた。あの時のくすぐったさと切なさは今も胸に残っている。

 小さな頭に花を飾ってあげた時の愛らしい笑顔も。

 夜会の音楽が聞こえてくると小さな手を取って、腰を屈めて二人だけで秘密のダンスを踊ったことも。

 絵本によくある幸せな結末を見て、『けっこんって、なに?』との問いかけに、何と答えたものかと困惑した時のことも。

 貴族間の婚姻は大概が家同士の契約である。しかし絵本の中の結婚はそんな殺伐としたものではない。幼いアルフェンルート様にわかりやすく、愛と夢が溢れる物語だと伝えねばならない。

 少し考えて、『家族になることです』と言ってみた。

 だがアルフェンルート様の血の繋がった家族の姿を思い浮かべて焦った。苦し紛れに、改めて傷つけないように夢のある答えを捻り出すことに苦労した。


『結婚とは……好きな人と、ずっと一緒であると、約束することです』


 それを聞いた時のアルフェンルート様の言葉は、今でもはっきり思い出せる。


『じゃあ、メルじいとけっこんする!』


 あどけなく笑って、『ずっといっしょ』と強請られた時のことは一生の思い出だ。

 淋しかっただけだとわかっていても、胸が張り裂けんばかりに嬉しかった。孫娘が如き小さな皇女の愛らしいプロポーズに心を撃ち抜かれない人間がいようか。

 このとき、こんなにも愛くるしい少女に『アルフェンルート様は皇子だから男とは結婚できません』なんて嘘は付けなかった。

 かといって、『それはとても光栄なことですな』と茶化して、冗談で終わらせる真似も出来なかった。

 感極まって動顛していたせいもあるが、この時の私は妙に生真面目にアルフェンルート様のプロポーズに向き合ってしまった。


『生憎と私は愛する妻がおりまして、アルフェンルート様とは結婚できません』

『!』

『その代わり、アルフェンルート様の騎士でありましょう。この爺がアルフェンルート様を守る盾であり、振るう剣となりましょうぞ』


 一瞬泣きそうになった顔が、私の誓いを聞いてきょとんとした。青い瞳を不思議そうに瞬かせる。きっと、よくわかっていなかったに違いない。

 それでもよかった。これは、自分自身に立てる誓いだ。

 跪いて手に取った小さな指先に、祈るように額を軽く押し当てた。

 己が息子と孫息子は強かに生き伸びられるようにせねばと厳しくした分、恐れられてばかりいた自分だ。そんな私を屈託なく慕ってくれる姿が可愛くて仕方がなかった。いつしか自分が生かすと決めたからという責任感からだけでなく、本当の孫娘のように愛しくて堪らなくなっていた。

 小さな手を伸ばして。ぎゅっと全身で抱き着いて。アーモンド形の深い青い瞳は、いつも恐れることなくこちらを見つめた。


『ずっといっしょ?』

『望まれる限りお供しましょう。アルフェンルート様の騎士ですからな』

『わたしのきし』


 大きく頷けば、とても嬉しそうに笑ってくれた。

 せめて私だけでも姫様の騎士でありましょう。そんな想いを懸けて立てた誓い。

 しかしながら、ずっと一緒、という願いは叶えてあげられなかった。最後まで騎士を全うすることは出来なかった。

 それでも別れ際、『おじいさま』と呼んでくれた声がずっと耳に残っている。

 結婚の約束はしてあげられず、誓った騎士であり続けることも出来ず、しかし彼女の家族ではいられたのだ。

 アルフェンルート様が、私を『おじいさま』と慕ってくれているのならば。


(アルフェンルート様を守る役目を託し、幸せになる姿を祝福するのは、この爺の役目でしょうぞ)




 しかしながら、心情はどうあれ立場的にはとても厳しい。

 シークヴァルド殿下からの私的な手紙という形式を取っているので、まだあくまでもこれは非公式な内々の打診。私の意志で断ることが許されている話ではある。

 同時に、叶うかは別として会いたいと願うことを許されている、ということでもある。


「シークヴァルド殿下から、アルフェンルート様の新婚旅行先としてこちらに伺いたいとの打診だ。名目上は、隣国との外交が主で街の視察も兼ねているとある」


 本来ならば私的な手紙とはいえ、内容は人に教えていい類のものではない。だがここには妻とセインだけだ。むしろこの二人は知っておくべきことだろう。

 そんな言い訳をして二人を窺った。


「アルは喜ぶでしょうね。しばらく興奮して夜更かししかねない」


 セインは驚きもせず、あっさりとそう言った。反対どころか、決定事項として捉えている。

 事の重大さがわかっているのか?


「それはとても楽しみですわ。私、アルフェンルート殿下とは決着をつけねばならないことがたくさんありますもの」


 妻は頬を染め、笑顔で恐ろしいことを言い出している。

 絶句して妻を見入れば、ふふっと悪戯っぽく笑みが零される。


「殿下とは恋のライバルですから。あなた好みの焼き菓子を作れるか競ったり、よりあなたの目に留まるか装いがどちらか張り合ったり、どちらがあなたの好みを知り尽くしているか、街を見て回って買い物勝負もせねばなりません」


 それは単にアルフェンルート様と菓子を作り、着飾らせ、街を一緒に歩いて買い物を楽しみたいだけではないのか……?

 そう言いかけた私を遮るように、妻が鋭い声で「殿方は女の戦いに口を出すものではありません」と跳ね退けられる。

 口にしている言葉は物騒だが、微笑む妻の姿は優しく見えた。

 実の娘と孫娘には恵まれなかった妻は、アルフェンルート様が皇女と知るや「私も思う存分女の子を可愛がりたかった」と恨めし気に言っていたことを思い出す。思えば妻はアルフェンルート様の祖母、オフィーリアンヌ様と極親しい友人でもあった。

 祖母とも母とも交流を持てなかったアルフェンルート様だ。妻の様子を見るに、ここに来ることが出来れば、それに近い一時を与えて差し上げられるのでは、と心が揺れた。

 けれどもここは冷静に考えたい。

 なぜこの二人はこんなにもあっさりと受け入れているのか。葛藤や問題点が多々あるだろう。


「シークヴァルド殿下からの打診ってことは、願えば向こうでなんとかしてみせるってことでしょう」


 顔を顰めて葛藤する私を見て、セインは冷めた目で言い切った。


「今までのアルへの所業を考えれば、いいとこどりをした彼らはそれぐらいやって当然だ」


 私達は罪を背負っているとはいえ、あちらにも非はある。特にアルフェンルート様は、ご自分で望まれたわけではないのに大人の思惑に雁字搦めに縛られて生きてきたのだ。

 身内の目線で見れば、報われてしかるべきだと思ってしまう。

 家族に見放されて、自分で言うのもなんだが爺っ子だったアルフェンルート様。

 直に祝福を述べることが出来たならば、心から喜ばれる姿は想像に難くない。花が咲くように笑ってくれるだろう。

 それは、けして辿り着けないと思っていた未来だ。手に入れることが出来ないと諦めていた夢だ。

 それが今は、手に届く所にある。

 そこまで考えて、覚悟を決めた。腹から深く息を吐き出す。

 シークヴァルド殿下の名で届いた手紙とはいえ、陛下もこの件に噛んでいる。アルフェンルート様の立場が悪くならないよう、根回しする苦労を覚悟した上での打診であろう。

 ならばわざわざこうして問うてきているぐらいなのだから、老い先短い爺の最後の願いを非公式に綴るぐらいは、許されるだろう。

 それに。

 いきなり現れた男にくれてやるには心の底から口惜しい反面、この先彼女を守る男をこの目で改めて確かめて、安心したい気持ちもある。


 万が一にも大事にしていなかったら、徹底的にしばき倒してやる所存だ。





   ***



 メル爺から手紙の返事が届いた。


 あまり表立ってやりとりするのは憚られるため、月に一度程の手紙はメル爺の息子であるスラットリー伯爵経由で届く。

 大抵メル爺が珍しいお土産を添えてくれるので、スラットリー伯爵が「ご注文の品が届きましたよ」とカムフラージュして渡してくれるのだ。

 とはいえ、父と兄は当然その手紙が誰からのものかは知っているけれど。


「空いておりますので奥へどうぞ」


 渡された手紙が気になってそわそわしているのを見透かされていたみたい。微笑ましげな表情でスラットリー伯爵が医務室の奥のベッドを示してくれる。

 お言葉に甘えて奥へ引っこみ、カーテンを閉めてからいそいそと開封した。


(セインの手紙が分厚い?)


 いつもは簡潔に箇条書きで一枚に纏めるのに珍しい。何か面白い話があったのかも。

 心躍らせながら中を確認すれば、それは手紙ではなかった。


(これは……どう見ても、調査報告書!)


 数枚にわたる「コメ」「ミソ汁」「カレー」に近いと思われる物に関する調査が書き連ねてある。

 どうしてこうなった!?

 いや、嬉しいよ。ありがたいけど、違う。そうじゃない。

 私が知りたいのは、セインが元気に楽しくやっているかどうかであって! 米と味噌汁とカレーは、どこかでそれらしき物を見かけたら教えてくれたら嬉しいというだけの話!

 欲張って、ラーメンと醤油まで書かなくて本当に良かった……。

 手紙の文字を目で追いながら、セインの有能ぶりに感嘆の息が零れた。相変わらず痒い所に手が届く仕事ぶり。セインの無駄遣いをしている感がすごい。申し訳ない。

 そんなセインだけど、手紙をもらえるのは今回が最後かもしれない。

 そろそろセインは正式に兄の元で働き出すと聞いている。各地を飛び回る予定なので、滅多に城には帰ってこられない。セイン宛の手紙もメル爺の元に出していたけれど、今度から渡し辛くなりそう。


(ちょっとさみしいな)


 と思っていたら、『出先でそれらしき物を見かけたら、また報告する』と最後に記されていた。思わず口元が綻ぶ。

 しかし、最後まで読んでも肝心なセインの近況はなかった。

 元気なのは調査報告書から伝わってきた。でも何かが激しく違う気がする。

 

(セインに手紙の書き方を教えてあげてほしいって、メル爺に頼んでおけばよかった……)


 時すでに遅し。

 呆れの滲んでしまった息を吐き、気持ちを切り替えて今度はメル爺からの手紙を開いた。

 メル爺からの手紙はいつも読みやすい。話しかけるように書いてくれている。街の様子、周りの人達のこと、仕事の話、港町ならではの珍しい品の紹介。

 癖のある字だけど、メル爺らしい字で好き。こちらの様子を窺う言葉はとても優しい。厳めしい顔が微かに緩む様を思い浮かべれば、胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 メル爺こそ健康で長生きして。お酒の飲み過ぎ注意です。脳内で返事をしていけば、あっという間に最後の行になってしまう。名残惜しい。


『許嫁殿に、アルフェンルート様をくれぐれもよろしく頼むとお伝えくだされ。』


 最後に綴られた文字は、やけに大きくて力強かった。


(どうしたの、メル爺。最後だけ筆圧が強すぎて紙が破れかけてるのだけど!)

 

 それはともかく、私から「私を頼む」ってクライブに伝えるの? 「私を大事になさい」って言うようなものでは?

 それは猛烈に恥ずかしい。いったい何様なの。

 ……皇女様だった。でも皇女も嫁げば同格だから。大事にされるのは嬉しいけど、対等な人として接してほしいだけで、おんぶに抱っこをされたいわけではない。

 うーん、と内心で唸っていたら「アルト様」と聞き慣れた声に呼ばれた。

 カーテンの隙間から顔を覗かせると、クライブが訓練広場へと繋がる扉で待機していた。どうやらお迎えの時間が来ていたらしい。


「そろそろお送りしましょう」


 クライブの申し出に慌てて頷き、手紙を纏める。貰った土産の箱と一緒に大事に抱え上げた。

 それを見てクライブが「お持ちします」と手を差し出してくる。それに緩く首を横に振って断った。


「自分で持てます」


 土産の箱は贈答用菓子の箱ぐらいの大きさと重さ。これぐらいは持てて当たり前。

 それに自分の物を人に持たせるのはあまり好きじゃない。私にだって立派な両腕は生えているわけだし。立場的な問題はあるけど、これぐらいは許容される範囲内。

 一旦は引いたクライブだったけど、後宮の庭園に入ってすぐ「アルト様」と私の足を止めた。

 なんだろう。また荷物を持つとでも言うの?

 クライブを窺うと、なぜか唐突に私の前に長身が屈み込んだ。


「失礼します」

「うわ!?」


 一言断りを入れてくれたけど、腕に抱え上げられるとは思っていなくて変な声が出てしまった。

 体に受ける浮遊感。一気に高くなった視界に焦った心臓がバクバクと高鳴っている。前はこういうことがよくあったけど、久しぶりだとやっぱり驚くから!


「いきなり何をするのですか!」

「足、無理をしていらっしゃるでしょう」


 緑の瞳にジト目で見られてギクリと体が竦む。

 別に足に大怪我をしているわけではない。ただ今日は女物のヒールのある細い靴に慣れておこうと思って、ハイヒールを履いてみただけ。


(思った以上に痛かったよね……)


 先が細い上、7cm程のヒールのせいで爪先がずっと押し潰される鈍い痛みを訴えていた。ジンジン、ズキズキ、と地味に痛い。

 男装しているときは細い足を誤魔化すために踝丈か脹脛丈のブーツを履いていたので、この手の靴は慣れていないのだ。

 前の生では5cmヒールを愛用していたから余裕なはずが、体が違うので耐性がなかった。医務室で休んだから平気だと思っていたけど、一度休んだせいで余計に痛みを感じるようになっていた。

 でも痛い素振りを見せた覚えもないのに。


「なぜわかったのですか」

「いつもより歩幅が狭かったですし、歩く速度も落ちています。それと体も少し硬くなっているように見受けられましたから」


 そんな些細な差でわかるの!? 何それすごい。いや、すごいを通り越して、ちょっと慄く。

 

「お部屋までお連れします」


 子どものように片腕に抱え上げられた状態に動揺している内にクライブは歩き出している。

 待ってほしい。歩けないほどじゃないのだけど!


「自分で歩けます! もう子供ではないのですから」


 いや、年齢的には残念ながらまだ未成年。だけど私だって日々成長しているのだ。前より重くなっているはずだし、この程度で泣きつくほど弱いと思われたくはない。子ども扱いは全然嬉しくない。

 口を引き結び、見下ろす形になったクライブを見据える。

 クライブはそれに動じることなく、私を見上げて小さく苦笑いをした。


「子ども扱いしているわけではないですよ」

「この程度で歩けなくなるほど弱くはありません」

「アルト様を弱いと軽んじているわけでもありません。これは単に、僕がアルト様を甘やかしたいだけですね」


 あっさりと言い切られて、それ以上は返す言葉を失った。

 お、おおお……おおおお、っ動揺しすぎてまともな言葉にならない!

 一気に熱が上がった気がする。全身を巡る血が沸騰でもしているみたい。心臓がバックンバックンと鳴り響いている気がする。

 そんな言葉を恥ずかしげもなく言う人がいるなんて。しかも素っぽく、さらっと言われた! やっぱり騎士こわい!

 皇子歴が長かったから、こういう物言いをされてこんな風に扱われると、どうしていいのかわからない。ドン引いて絶句する自分と、胸に溢れてくる嬉しさとのたうち回りたいほどの羞恥で耳まで熱くなる自分が同時に存在している。


(やっぱりメル爺の伝言、伝えなくて正解かも)


 これ以上、何をどう頼めと言うの。十分です。十分すぎます。むしろ溢れすぎて収拾がつかないから!


「……っ」


 何か言いたいのに、口だけが酸欠状態の金魚のようにパクパクと動くだけ。結局何も声にならない。

 だって一体なにを言えと!


「そんなに恥ずかしがられると、僕まで恥ずかしくなってきます」


 暫く私の動揺を見ていたクライブは、少しバツが悪そうに目を逸らした。私の照れがうつったのか、焦げ茶の髪から覗く耳が赤く染まっている。

 それがちょっと可愛くて、愛しいな、と思ってしまった私は。

 おんぶに抱っこは御免だという自分の信条を今だけちょっと見ないフリして甘えてしまった程に、恋をしているんだな、と思うのです。




2020/05/02更新

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