2 魔のメッセージカード
クライブを送り出して、ランス領の資料でも再確認をしようかと考えていた時だった。
「奥様! 大奥様がお見えになられました!」
「ええ!?」
玄関がやけに騒がしいと思っていたら、執事が慌てた様子で報告に来た。
急いで玄関ホールまで降りる。そこにはランス領から騎士達を引き連れてきた乗馬服姿の女性の姿があった。
「お義母様!?」
高身長のすらりとした凛々しい立ち姿。栗色の癖のない長い髪は後ろの高い位置で結われており、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が私を認めて目元を緩める。
こういう時の面差しを見ると、クライブは母親似なのだと思う。
「わざわざ来てくださったのですか」
「待ちきれなくて迎えに来てしまいました。クライブはまだ暫くかかりそうなのでしょう? あの子を待っていたら夏が終わります」
「お義母様……」
「騎士達の訓練と入れ替えも兼ねていますから、アルフェさんが気になさることはありません」
驚きを隠せない私を見て、義母は珍しいことではないと言わんばかりである。
でも普通は、伯爵夫人自らが騎士達を率いてくることはないんじゃないかな……。ランス伯爵家ならありえることなのかな。
たぶん私が送った手紙を受け取ってすぐに、クライブを待っていられないと飛び出してきたのではないだろうか。
訓練も兼ねて、とのことだから騎士達は急な事態が起こった場合を想定していきなり駆り出されたのだと思われる。
見渡した限りでは、みんな無事に着いてほっとした顔をしていた。
(お義母様、そんなに出来上がったお店をはやく見せたかったんだ……?)
そう考えると、とても可愛い人だと思う。騎士達は焦っただろうけれども。
でも毎年、夏になるとランス領にいる騎士達と王都の騎士達を一部入れ替えをすると聞いていた。今回の移動もある程度は予定通りではあるのだろう。
私と話した後で、義母は執事とこちらの騎士隊長達と会話をする。淡々と確認しながら指示を出す姿は、伯爵夫人の貫禄を感じさせた。
否、一般の伯爵夫人はここまでしないと思う。
私も将来同じことをしてほしいと言われたら、蒼白になって無理だと答える。
い、言われない……と思いたい。
密かに祈っていたら、再び義母が私の前にやってきた。
「騎士と馬は入れ替えで、最速で準備をしてもらいます。アルフェさんはいつ頃なら出られるでしょう?」
「……私、ですか」
「急がなくて良いのですよ。護衛対象に合わせて動くのも訓練のうちですから。アルフェさんは今回、護衛対象の貴人役です」
私もいつの間にか訓練に組み込まれているっ。
「貴人の役割とは、何をすれば良いのですか?」
「普通に過ごしていただくことです。そうですね……皇女然としていてくだされば、騎士達の士気が上がります」
それって、ほぼいつも通りということなのでは。
でも私に出来ることなど、それぐらいだった。義母は私が気を遣わないようにわざわざ『役』と言ってくれているのだと思う。
「わかりました。頑張ります。それと準備はすでに終えていますから、着替えたらいつでも出られます。ラッセルも、いいですね」
護衛に付いていたラッセルを振り返れば、焦りも見せずに穏やかな表情で頷かれた。
ラッセルは近衛騎士に身を置いているけど、私の専属である。城内の近衛騎士宿舎に自室はあるけど、この屋敷にも部屋を与えていた。こちらにいることの方が多いから、旅の荷物は纏っているはず。
あとは私が、訓練する騎士達の足を引っ張らないようにしなければ。
意を決して頷けば、義母がよくできましたという代わりに綺麗に微笑んでくれた。
凛々しくてかっこいい。それでいてけして男性には見えない上品さと柔らかさも備えている。顔立ちは穏やかで優しげなのに、揺るがない芯が通って見える。
さすが第一王妃付きの乳母だった方。
「大奥様。クライブ様には書き置きを残して差し上げるべきかと」
私たちの元に、執事が盆に乗せたメッセージカードとペンを持ってきた。
白髪混じりのグレーの髪はいつも綺麗にセットされ、穏やかな笑顔を絶やさない気のつくおじさん執事だ。
ちなみに王都のランス邸で仕える執事は、ランス領本邸の執事の弟になる。彼は義母より8歳上で、義母が幼い頃から一緒に育ったのだそうだ。
執事達は義母の兄みたいな存在だから、安心して頼っていいと教えてもらっている。
「そうね……そうしましょう。あの子も忙しいのだから、最初から意地を張らずに任せると言ってくれればよかったのに。まったく頑固なのだから」
義母は盆をそのまま受け取り、立ったままでペンを手にしてさらさらと文字を書き入れた。器用だ。
「アルフェさんも書き置きしていかれるかしら?」
「はい」
書いた後で私にも盆を差し出してくれる。私の分のカードも用意されているので、有り難く受け取った。
様子を見るに、準備が出来次第すぐに出立しそうな雰囲気だから、クライブに挨拶していく時間はないのだと思う。
早く移動準備をすることも訓練に含まれているなら仕方ない。
その時ふと、盆の上に乗っている義母のカードが目に入った。短い文だから読めてしまう。
『 クライブへ
娘は預かった。ランス領で待つ。
母より 』
……。
なぜだろう。言っていることは何一つ間違っていないのに、何かを大きく誤っている気がする!
思わず義母を見た。柔和な笑顔を浮かべて私を見ている。まったく感情が読めない。
(これが普通の親子間のやりとりなの?)
私も父や兄とカードを交わすけど、内容は形式に則った時候の挨拶くらい。参考にならない。
もしかしたら我が家が堅苦しいだけで、一般的な家庭では簡潔に必要なことだけを告げるのが普通なのかも。
ならば私もその形式に倣わねばなるまい。
ペンを取ったけど、カードだから誰にでも見える仕様だ。下手なことは書けないと思うと緊張する。
(『ランス伯爵家に行きます。』……だと、他人行儀に見えるかも。私もランス家の人間なのだし)
よくしてくれている義母の手前、それは失礼に値するではないだろうか。
ここは私もランス家の一員ですと示すのが正しいのでは?
(なら、『実家に帰ります。』……? これだと私が里帰りするみたい。言い回しも気軽すぎる気がする。私の実家じゃなくて、クライブの生家に帰らせてもらうわけだから)
義母と執事にじっと見守られているせいで焦りが湧いてきた。家族間の普通の文の書き方がわからなくて不安だから、余計に。
早く正しく書かねば。自分を急かして、思いついたままにペンを走らせた。
『 クライブへ
実家に帰らせていただきます。
アルフェンルートより 』
よし! 完璧な文面! これぞ非の打ち所がない言い回し!
クライブの生家を立てつつ、私も家族の一員であるとわかる文章になったはず。
達成感を味わいながら執事に盆を渡せば、カードに視線を落とした執事が息を呑んだ。
「大変失礼ですが、大奥様はいつものことですから驚きませんが、奥様もやはり旦那様が不在がちで寂しい思いをなさっていたのですね。まだ新婚でいらっしゃいますからね……気づかず申し訳ありません」
「はい?」
「そういうことでしたら、クライブ坊ちゃんにはよくお伝えしておきます」
「お願いします……?」
執事がクライブを坊ちゃん呼びしてしまうほど、何か至らぬことをしたかのごとき言い方である。
それより、なぜクライブが不在がちで私が寂しがっていることになるのか。確かに少しは寂しいけど、仕事だとわかっている。割り切っていることなのに。
どうして同情の眼差しで見られるのだろう。
というか、結婚して既に1年経ったから新婚とは呼べないのでは。いやこれは今はどうでもいいけれど。
(焦って書いたから、もしかして何かおかしかった……?)
さっきは完璧だと思った文章だが、急に不安が押し寄せてくる。一礼して去っていく執事を見送りながら、改めて文面を思い返す。
実家に帰らせていただくって、つまりクライブの実家に帰らせてもらうから、という意味で間違ってない……
……。うん?
(あああああ! わかった! 違うっ。違わないけど、深い意味はなくて!)
これはまずい!
文章をそのまま受け取ってくれたら何の問題もないけど、深読みされたら大変なことになる。
よく考えたら、あれは夫に愛想を尽かして怒り狂った妻が書き残す最終通告と同文!
執事の態度が今更ながら腑に落ちた。
なぜさっきはあれでいいと思ってしまったのか。見られている緊張と、普通に見えるように書かねばという焦りで、脳が聞いたことのある文面を捻り出してしまったに違いない。
私の馬鹿!
書き直すべく執事を追いかけようとしたら、侍女のエリーゼが「奥様!」と駆け寄ってきた。
「奥様もお召し替えください。準備はできておりますから、こちらに」
「そうでした。いま行きます」
しかし、エリーゼに引き止められて衣装部屋へと連行されてしまう。訓練である以上、私がモタモタしているわけにもいかないから素直に従う。
とりあえず、先に着替えてしまおう。メッセージカードの書き直しはそれからで。
などと考えていた私が愚かだった。
できるだけ急いで着替えたつもりだけど、それでもやはり装いには時間がかかる。階下に降りたら義母が待ってましたとばかりに、「では参りましょう」と私を促した。
玄関の外では、既に準備を終えた馬車と護衛の騎士達が整然と並んで待っている。
(カードを書き直したいなんて、言える雰囲気じゃない……)
ビシッと1ミリも動かずに待機する騎士達に、「クライブにメッセージを書くから待っててね」などと甘えたことを言う勇気は出なかった。
促されるまま、引き攣りそうな顔をなんとか取り繕って馬車に乗り込む。
馬車の中で、と思ったけど高級で頑丈な馬車とはいえ揺れるから書くのは難しそう。
それに義母やエリーゼと同乗する中で、クライブに弁明の手紙を書くのを見られたら恥ずかしい。
(これは今夜泊まる宿でこっそり書いて、こっそり出そう)
そう心に決めて、宿泊先に着くなり急いで手紙を書いた。
『クライブへ
先に渡したメッセージカードの文面ですが、他意はありません。そのままの意味です。
誤解を招いたならば、こめんなさい。クライブに不平も不満もありません。』
そこまで書いて、ものすごく悩んでから『 好きです。 』と書き足した。
少々、羞恥で字が歪んだのは見逃してほしい。
『先にランス領へ向かいます。楽しみです。
クライブはお仕事、無理せず頑張ってください。
ランス領に向かう際は道中、気をつけて。
アルフェンルートより』
何度も読み返して、今度こそ誤解がないことを確認してから封をした。
すぐさま手紙を手に立ち上がる。するとそれまで離れた位置に控えていたエリーゼが手を差し出してきた。
「さっそくお手紙だなんて、旦那様は喜ばれるでしょうね。早馬に託します」
出る時にカードを残したのに、クライブと離れて寂しがって手紙を書いたと思われている。違う。でも違うとは言えなかった。
必死に平然を装いつつ首を横に振る。
「それには及びません。宿の方に頼んで、普通に配達していただきますから」
早馬を出したら何事かと思われてしまう。クライブへの弁明の手紙の為だけに、ここまで着いてきてくれた騎士が引き返すのも気の毒だ。
それに、たった一日離れただけで夫に手紙を送る熱愛妻だと思われたら! 恥ずかしくてのたうち回る!
「旅先から手紙を出されるのも、旅の楽しみのおひとつですものね」
エリーゼがにこにこ笑顔で好意的に解釈してくれた。
単に誰にもバレたくないだけなのだけど、そう思われているなら都合がいい。
そそくさと階下に降りて、宿のカウンターで無事に手紙を託した。
これで一安心。ほっと胸を撫で下ろす。
そもそもクライブはちゃんと文面通りに受け止めてくれる可能性も高かった。つい今朝まで、それはもう仲睦まじく過ごしていたばかりなのだから。いきなり私が愛想を尽かすなどと思うわけがない。はず。
だからこれは、念の為。
この手紙を読めばクライブは何も心配することなく、仕事に打ち込めることでしょう。
尚、ここで私は大きな間違いを犯していた。
民間でも2日もあれば手紙は届くと思い込んでいた。
平民間の手紙の配達はとても時間がかかるということを、全くわかっていなかったのである。
最終的にこの手紙はクライブの宝箱に保管されてしまうことになるわけだけど、それは後の話。
この時の私は、カードを読んだクライブが凍りついているとも思わず、呑気に安堵していたのだった。




