惚れた弱み
※結婚後のクライブ視点
季節は随分と冬めいてきた。雪が降るほどではないが、身に染みる寒さを感じる。マントの前をかき寄せ、帰宅する道のりを急ぎ足で進む。
(今日は早く帰れたな)
いつもなら日没後に夜勤担当に引き継ぎするが、今日は担当者の都合で早めに帰宅することができた。
まだ時間が早いので、妻のアルトと晩餐前にお茶くらいは飲めそうである。
とはいえアルトも忙しい身だ。先日から書斎に篭って書類仕事と顔を突き合わせているようだった。陛下から振られる仕事は嫌いではないらしいが、それでも精神的な疲労は溜まるらしい。
夕焼けが滲み出した空を見て、少し考える。
早く帰宅できるならば、息抜き用に街で何か菓子を買っていくと喜ばれるかもしれない。時間的に人気の高級菓子店は既に完売してそうなので、マルシェに立ち寄った。
閉店間際の露店を覗きこめば、日に焼けた顔の店主が笑顔を作る。
「お! にいさん、もう終わりだからおまけしとくよ。可愛い恋人へ手土産にどうだい? まだあったかいよ」
生憎と渡す相手は恋人ではなく妻だが、そう促されて悪い気はしない。
なにせ、アルトは「おまけ」が大好きだ。
「おまけしてもらえました」と告げたら、嬉しそうな顔をするに違いない。
元皇女で衣食住に関しては恵まれて育っているはずだが、彼女はおまけと言われると弱いのだ。
真面目な顔で「庶民の心が騒ぐのです」と言っていたが、いつ庶民の心を手に入れたというのか。結婚前にした家出中の食生活は、そんなに貧困を極めていたのだろうか。
想像すると気の毒になってきて、店主に煽てられるままに品を買って支払いを済ませた。店の残りの品をすべて袋に詰めてくれたので、店主はやけににこやかだった。
茶色の紙袋いっぱいにふわふわした食感の一口焼き菓子が詰められた袋を手に、再び帰宅を急ぐ。
買いすぎた気もするが、余ればアルトは使用人に分けることだろう。
そういえば以前アルトが、
「この一口焼き菓子の型を丸じゃなくて動物型にするだけで、きっと売上は倍増します」
「そんな簡単なことでしょうか?」
「たとえば猫とか、タイ…魚型とか。可愛いだけで手に取りたくなるのが女性というものです」
「魚型の良さはわかりませんが、アルトもそう思うのですか?」
「ただの丸型とネコ型が並んでいたら、ネコを買いませんか? 少し高くてもいいです」
「味は一緒なのに? 僕は量が欲しい気がしますが」
「男性はそうなるのですね。いつか試してみましょうか。老後に露店を開いてみるのも楽しいかもしれません」
と言っていた。
時々、妻が何を目指してるのかわからなくなるが、当人は楽しそうなので見守りたいと思う。
それに近頃では楽しい老後を考えられるくらい落ち着いているということだから、彼女の人生を知る僕にとってもとても喜ばしいことだ。
そんなことを考えているうちに、自宅に帰り着いていた。衛兵が門を開ければ、すぐに執事が玄関で出迎える。
「お帰りなさいませ、旦那様。お早いお帰りですね。奥様はまだ書斎におられますが、お呼びして参りましょう」
「いや、僕が呼びに行くからかまわない」
いつもよりずっと早い帰宅だったからか、アルトの出迎えは難しかったようだ。
執事に持ってきた菓子を預けて、お茶の用意をしてもらうように頼んでから自室に上がった。
部屋に入ってすぐ長いマントを脱いで、定位置にある壁のハンガーに掛ける。
使用人に頼めば済むことだが、アルトがあまり人の手を借りたがらない人なので、自然と自分のことは自分でするようになっていた。元々、近衛騎士宿舎生活が長かったことがあり、僕自身もこの程度なら自分でやる方が慣れている。
騎士の制服も脱いで隣に並べて掛けておく。襟元を緩めて、アルトが編んでくれたゆったりとした厚手のカーディガンに手を通した。
貴族にしては、ラフすぎる格好をしている自覚はある。
最初は僕もこれでいいのかと思ったが、アルトが「自宅は寛ぐ場所です」と力説するので今に至る。
着替えを済ませてから、ふと思い出して書斎に寄る前に衣裳部屋へ立ち寄った。
いくつか社交の予定があるので舞踏会用の衣服を確認する。アルトのドレスに合わせて、いくつか仕立てた方が良いかもしれない。
アルトが、
「クライブは近衛騎士の正装が一番かっこいいです」
と目を輝かせて言うのでついそれで済ましがちだが、それだけではいかないこともある。
普通の礼服を着ると残念そうにされない程度には、なんとかしたいと思っている。
もしかしてアルトは僕が騎士をやめたら失望されるかもしれないと、少しだけ心配になるくらいには騎士服が好きだ。
だからこの直後も、彼女はついあんな事をしてしまったのだろう。
アルトを呼びに書斎に行ったら既に姿はなく、居間に向かった。すると一人で居間に降りてきた僕を見て、執事が驚いた顔をする。
「奥様でしたら旦那様をお迎えに寝室へ向かわれましたが、お会いしませんでしたか?」
「行き違ったみたいだ。迎えに行ってくる」
衣裳部屋に立ち寄ったことで、運悪く行き違ったらしい。急いで再び自室に戻ると、部屋の扉が開いていた。
たぶんアルトが僕を探すために部屋に入ったのだろう。
扉に手をかけて、中を覗き込む。
「アル……ト」
呼びかけたところまでは良かった。今度こそアルトは部屋の中にいた。
しかし、僕がハンガーに掛けておいたはずのマントを羽織って、くるりと一回転しているところだった。
それはもう、軽やかに楽しげに。
(……これは、見てはいけないタイミングで声をかけてしまったかもしれない)
くるりと回ったアルトと目が合って、ふわりと翻った長いマントの裾が床に落ちるまで、言葉もなく見つめ合ってしまった。
サイズの大きな僕のマントを肩に羽織ったまま、アルトの頬がじわじわと熱を帯びていく。
「クライブ、いつから、そこに……?」
瀕死の蚊の鳴くような声で問われた。
「ええと、今、ですね」
「……見ましたか?」
「それはアルトには少し重すぎるんじゃないでしょうか」
なんと言っていいかわからず、とりあえず気遣う声をかけてみる。
アルトは両手で赤くなった顔を覆った。
「これは違……いえ、なにも違わないのですが、けしてクライブの地位を羨んでいるわけではなく、ただの好奇心と言いますか」
「着てみたかったんですね」
「…………その通りです」
その場で恥ずかしさのあまり、ぐしゃりと座り込んでしまう。
これは小さな子どもが父親のマントに憧れて、羽織ってみてはしゃぐのと似たものだろうか。
(いや、少し違うか)
アルトはかっこいい服装が好きだと言う。だからと言って僕に見惚れるばかりではなく、かっこいい、だから自分も着てみたい、という気持ちになるらしい。
それはアルトの生い立ち故なのだろう。
時々、自分がまだかっこいい姿になるかを確認したくなるそうだ。安心するらしい。
それなら本人が納得するまで、好きにしたらいいと思う。
「でもそのマントだと、アルトには大きすぎますね。実家に僕が子どもの時に使っていた外套が残っていたはずですから、今度帰った時にそれを譲りましょう。形はよく似ていますから、それで妥協してください」
しゃがみ込んでしまったアルトの肩からマントを外して、ハンガーに掛ける。
ついでにまだ屈み込んだままの奥さんを掬い上げて、腕の中に抱き上げた。
強制的に顔と顔を突き合わせる羽目になったアルトは、まだ目元を羞恥で赤く染めたまま僕をじっと見据える。
その顔は少しバツが悪そうだ。
「クライブは、私に呆れないのですか?」
「かっこいい服がお好きなだけでしょう?」
「……好きです。が、かっこよさを求める妻は可愛くないでしょう」
「かっこいい服を着て喜んでるアルトはすごく可愛いです」
真面目に言えば、アルトが眉尻を下げて「恋は盲目……」と呟いた。
その通りです。
凛とした澄まし顔をしていると、出会った頃を思い出して今は微笑ましくもある。
あなたが僕の前で幸せでいてくれるなら、どんな姿でも愛しいと思うんです。
これがきっと、惚れた弱みっていうんだろう。




