酔っ払いは手に負えない
珍しいお酒を手に入れるのが最近の趣味だ。
もしかしたら、お酒に弱い私でも美味しくたくさん飲める酒に出会えるかも!
という期待を抱いてのことだけど、未だ惨敗中である。
残念なことに、カップに半分も飲めば真っ赤になってしまう。
酔ったところで多少饒舌になるくらいで、迷惑行為はしていないと思う。だが翌日は二日酔いに悩まされるので、過保護な夫のクライブはそれが心配らしく、私の飲酒にあまり良い顔をしない。
それでもめげずに試しているわけだけど、結局飲めないので、それらはクライブに譲ることになる。
そしてクライブには人の心があるので、けっして私の前で飲んだりはしない。
職場である城に持っていって、同僚にあげたり、たまに兄と飲み交わしたりしているようだ。
そんなわけで。
仕事の報告で兄の元に上がった際、案内についてくれたニコラスが「そういえば、先日のお酒ですけど」と話しかけてきた。
「すごく美味しかったです。あれ、十年に一本って言われるレベルじゃないです? 本当に頂いちゃってよかったんですか?」
「残念ながら、私には強過ぎたので」
「ああ、納得です。でも口当たりがすごくまろやかでしたよね。あれだと弱いアルフェ様でもかなり飲めちゃったんじゃないです?」
「おかげで翌日大変でした」
久しぶりに、「飲める! 飲めるぞ!」と飲み過ぎた。
高級なお酒は悪酔いしないことが多いけど、飲んだ量が不味かった。さすがに1杯飲み干したのは駄目だった。
翌日の割れそうな頭痛を思い出して遠い目になる。
クライブからは「だから飲み過ぎだと言ったではありませんか」と小声で叱られた。
頭痛に配慮して、小声なところが甘いと思う。
そんなことを思い出していた私を見て、ニコラスが苦笑する。
「かなり強かったですもんね。クライブも久しぶりに酔ってたくらいですから。おかげで大変でした」
「クライブは酔うとどうなるのですか?」
ニコラスが後半うんざり気味な表情をしたので、気になって突っ込んでみた。
クライブは私の前では酔ったと言えるほど酔う姿を見せたことがない。元々強い方だとは聞いていたけれど、どうなるのか興味がある。
密かに嬉々とする私に反して、ニコラスは苦笑いをする。
「近頃のクライブは、酔うと惚気るんですよ。すごく。鬱陶しいくらい」
「惚気……?」
「それを聞かされてるのは主にシークヴァルド殿下ですけど。俺らも護衛に当たってるんで、飛び火するんですよね」
待ってほしい。
つまり、それは私のことを言っているということでは?
顔から血の気が引いていく。
夫婦間の些細なイチャイチャを人様に、しかも兄に暴露しているとしたら、どんな顔をして私は兄に会えばいいの。
「おかげで俺はアルフェ様が毎朝クライブを起こす時に、蚊の鳴き真似をしていることを知りました」
「忘れてください」
クライブ! やめてっ。なにをバラしているの!? そんなことを聞かされた方はどうしたらいいかわからなくなるでしょう!?
「素朴な疑問ですが、なんで蚊の鳴き真似なんてしてるんです?」
「起きない人でも、蚊の羽音を聞かせたら即座に目を覚ますのです。人間も動物ですから、身の危険を感じれば察知して反応するのを応用した結果です」
「それで蚊の真似を……。クライブはアルフェ様が謎なことをしてるのが面白くて目を覚ますらしいですよ。仲良しですね」
残念なものを見る目で見られる羽目になった! クライブが惚気たことで私が被害を被ってるッ!
ニコラスの私を見る生温い眼差しが辛い。
クライブ、今度からは優しく起こしてあげないです。水に濡らした冷たい手で首を触る刑に処す。
「アルフェ様、時々知っててもどうしようもないことまで知ってて大変そうですねぇ」
「だから私の知識は役立つものばかりではないと言ったではありませんか」
前の生の雑学なんて、ほぼ人生に必要のないものばかりだったりする。
だが今回は私の所業を忘れさせるべく、ニコラスの記憶を上書きさせるほど強烈な知識を披露してみせよう。
「ちなみに役に立たない知識の一つに、動物のキリンの舌が紫色、というのもあります」
「えっ」
「舌の長さは50センチです」
「ええ……」
ニコラスのご先祖様が残した動物図鑑を大事に思っているらしい彼は、教えた知識に愕然と目を見張った。
図鑑にはそこまで細かくは記載されていなかった情報である。見た目はあんなに可愛いのにね、実は紫なんだなあ。
世の中には、知らない方が幸せなこともあるのだ。
しかし今はそんなことより、酔ったクライブである。
このままにはしておけない。とはいえ、酒癖は注意したところで治るようなものでもない。私自身、「酔った時に話し過ぎてしまった」と後悔するのはいつも翌日だ。
とりあえずクライブがどんな状態になるのか、どうにか出来るものなのか確認しておく必要がある。
妻として! これ以上、私が風評被害を被る前に!
「ニコラス、ちょっとクライブを酔わせてみてくれませんか? 酔ったクライブを見てみたいので」
「すごく嫌です」
「クライブを酔わせるまで、我が家で秘蔵のお酒を好きなだけ飲んでいいです」
「喜んでやりましょう」
ニコラスは心底嫌そうな顔をした後、私の提案に真面目な顔で大きく頷いた。なんて現金。
「今度の非番の日に押しかけますね」
ニコラスはそう約束して、実際にやりとげてくれたのだ。
*
非番の日に適当な理由をつけて、ニコラスは実家であるコーンウェル領名産のチーズを手土産にランス伯爵家を訪れた。
ついでにバターの仕入れでお願いしたかったこともあり、最初は私も同席した。やりたい事業で必要があったので、ちょうど良かった。
晩餐後に予定通りお酒を出してからは、「男性同士で積もる話もあるでしょうから」と退席してニコラスに任せた。
尚、クライブは「ほぼ毎日会うニコラスと話す事なんてないんですが」と困惑気味に言っていたが、聞かなかったことにした。
あるでしょう、色々。職場では言えない愚痴とか。
でも兄様の悪口は許さないです。
二時間ほど放置したところで、すっかり夜も更けていた。外も屋敷も静けさに包まれて、ホウホウと鳴く梟の声だけが時折耳に届く。
「で、ご要望のクライブです」
執事に呼ばれて応接間を訪れたら、ニコラスが「どうぞ」と酔ったクライブを手で示した。
クライブは見事にテーブルの上に突っ伏して潰れている。
ここまでしろとは頼んでない。
「酔い潰してほしいとまではお願いしてなかったはずですが」
「自宅のせいか、なかなか落ちなくて。でもクライブは起こせば自分で歩けますよ」
ニコラスは飄々と答える。
長い付き合いのニコラスがいうなら、そうなのだろうけど。本当に大丈夫だろうか。対するニコラスもザルだというが、少し顔が赤くなっている。
これはニコラスは泊まっていってもらった方が安心だ。執事に客間を頼んで、ニコラスを案内してもらう。
もう夜も遅いので部屋の片付けは明日でいいと伝えてあるから、残されたのは酔い潰れたクライブと私。
もちろん、呼べば誰かは駆けつけてくれるけれど。
とりあえず潰れているクライブの傍らに座り込んで、肩を揺らしてみた。
「クライブ。クライブ、起きてください」
「ん……」
うっすらとクライブが目を開けて、濡れた緑の瞳がぼんやりと私の姿を捉える。
目元は完全に赤くて、見るからに酔っている。ここまで見た目に現れてるのは初めて見た。大丈夫かな。
「こんなところで眠ったら風邪をひきます。起きられますか? 水を持ってきましょうか」
酔った姿を確認したいとは言ったけど、ここまで弱らせたかったわけじゃない。
罪悪感が首をもたげて、優しい声が口から溢れた。
するとぼんやり私を見つめていたクライブが、ゆっくりと気だるげにだが自分で体を起こす。
思ったより大丈夫そう?
私の手を引いて、クライブの口元が微かに笑む。
「優しいんですね。僕と結婚してくれませんか?」
いや、やっぱり酔ってた!
目元を緩め、しかし緩やかな空気とは反対に私の手を掴む手は逃すまいと言いたげに強い。
クライブは酔うと女を口説くようになるの!?
相手は私だけど、誰彼構わずなら最悪なのだけど!
「もう結婚しています」
口を一文字にして言えば、クライブはこくんと小首を傾げた。
「既婚者なんですか?」
「あなたの妻です」
なぜ私は自分の夫に対して、こんな馬鹿みたいな自己紹介をしなければならないのか。
憮然として言えば、不意にクライブは蕩けるほど幸せそうに笑った。
こちらが驚くくらい、キラキラの笑顔で。
「知ってます」
…………。なるほど、酔ってる!!
ニコラスが面倒臭がった理由を垣間見た気がした。これは面倒くさい酔っ払い方だ!
「クライブ、酔ってますね」
「酔っていません」
「酔っ払いは皆そう言うのです。いますぐ部屋に帰って休みましょう」
「今夜は一緒に寝てくれますか?」
「酔っ払いとはご遠慮したいです」
「隣で寝てくれたら、これ以上ないほど幸せなんですが。駄目ですか? どうしても?」
じっと酔いに濡れた眼差しで見つめられて心が揺らぐ。
相手は酔っ払いなのだ。
しかしまさか、私相手だと惚気を通り越して口説き始めるなんて!
これからはクライブには飲み過ぎないように言い聞かせよう。我が身で体感して、酒癖の悪さを理解した。
これは世間に解き放ったら駄目なやつだ。迷惑がかかる。
だから私が、なんとかしないと。
「今度からは酔った時に私の惚気話をしないと約束してくれるなら、考えましょう」
「僕は惚気じゃなくて事実を話してるだけです」
しかし酔っているくせにクライブは平然と言い返してくる。
本当にこれは酔ってるんだよね?
「夫婦間のやり取りは二人だけの秘密にしたいのです」
なぜ私は酔っ払い相手に、こんな恥ずかしいことを口にしなければならないのか。
遠い目になりつつ言い聞かせたら、「二人だけの秘密」とクライブが復唱する。それで納得したのか、クライブは頷いた。
「確かに、人に聞かせるのは勿体無かったですね」
そういう意味じゃないのだけど!
いえ、もうそれでいいです。クライブが満足そうなので、納得してくれたのならそれでいい。
疲労を覚えつつ頷き返せば、クライブがゆっくり立ち上がった。緩慢だが、意外にも足腰や動作はしっかりしている。
私の手を引いて立たせる手にも迷いはなく、体幹も揺らがない。酔っ払いとは思えないぐらい。
……酔ってる? 本当に?
胡乱な眼差しで見つめる私を見て、クライブは艶っぽく微笑んだ。
やはりとても酔っているとは思えない、したたかさを滲ませて。
「ではアルト。おやすみのキスをしてくれますか?」
これは……実は酔ってないかもしれない。
周りを牽制するために、酔ったフリして惚気ていた確信犯かもしれない。
怖いから気づかなかったことにしておこうと、胸に誓った夜だった。




