ハラハラの球技大会
日課の体力維持の為に昼過ぎに医務室まで散策しにきたところ、クライブがやけに真剣な顔をして意を決したように切り出した。
「アルト様の知恵をお貸しいただけませんか」
クライブが頼ってくるなんて珍しい。ついに私も異世界知識で無双する時が!?
と思ってしまったのを押し殺して頷いた。
「私に出来ることならば」
鷹揚に返答したものの、難しい社会問題を投げかけられたらどうしよう。干ばつ地域の飢饉対策とか、隣国との安全協議に関してだとか、そういうのは期待しないでほしい。
難しい顔をしてしまったせいか、クライブが安堵を滲ませながら微かに笑う。
「実は騎士団内部に関するご相談なんですが」
思ったより規模は小さかったものの、私の手に負える案件かと言われると微妙な話に思える。
「軽い気持ちで考えていただければいい話です」
私の躊躇が伝わったのか、クライブが付け加えてくれる。完全な部外者の意見を聞いてみたい、というぐらいならば役に立てそう。
とりあえず医務室前の木陰に設置された椅子に腰を下ろした。クライブにも隣に座るように進めて、二人の間に持ってきた籐籠を置く。中身は焼き菓子だ。
クライブはまず話を先にするみたいだから後で食べよう。さっそく相談が始まる。
「今年も新規に騎士見習いが入団してきたんですが、実はいつも彼らが溶け込むまでに時間がかかるんです。恥ずかしい話、貴族と平民では壁があったりして連絡がうまく行き届かない時もあり、慣れるまで現場が混乱することも多いんです」
「それは困った問題ですね」
「毎年改善された頃にまた新規入団があるので、落ち着かない部署はずっと落ち着かないままでして。城と城下との間に挟まった部署なんかは特に」
説明されてみれば確かに、騎士団には派閥問題が起こりそうな要素が多い。
入団するのが貴族の場合、家を継げない次男以降が圧倒的に多い。
家を継げないとはいえ本人は貴族だ。だがその子供は基本的には平民となる。
だから彼らは実は微妙な立場なのだが、自身は貴族としての矜持があるのだろう。同じく入団してきた平民とすぐに肩を並べられるかといえば、なかなか難しそうではある。
また平民の場合、これまでに習わなかった礼儀作法で苦労すると聞く。平民の常識がここでは不敬になったりもするくらいだ。
そして基礎の面で上を行く貴族の中には、平民を馬鹿にしたり蔑んだりする者も残念ながらいる。
騎士を目指す人間全てが高潔なわけでない。
渋々騎士を選んだ者もいるはずだし、何かを下に置くことで自分を保とうとする人は少なからず存在する。
そう考えると、貴族と平民がごちゃ混ぜとなった騎士見習いの集団の扱いはかなり難しいと思われる。年齢が若い人も多いはずだから、気持ちが大人になりきれてない人もいるだろうし。
とはいえ、ぎくしゃくして壁があるままでは困るのだ。騎士団内部で連携がうまく取れないと言うのは、時に致命的となる。
「そういうわけでして、アルト様は彼らがすぐに打ち解けられるような策をお持ちではありませんか?」
クライブが眉尻を下げた困った顔をして問いかけてきた。
そう言われても、なんとか思いつくものといえば。
「食事会でしょうか」
かつての社会人経験から考えると、飲み会くらいしか考えつかない。
しかし口にしてはみたものの、これにも向き不向きがある。
まだ周囲に慣れない時に、人数の多い新入社員歓迎会をされても当人達は気を使うばかりだ。顔と名前が一致していない場合は冷や汗を滲ませることになる。相手に貴族も混じっているのなら、尚更。
タダ酒を喜べる陽キャならいいけど、諸刃の剣だ。
するとクライブが苦く笑う。
「それはしているのですが、一、二度くらいではなんとも。回数を重ねるには、特に平民の見習いには金銭的に厳しいものがあります」
「金銭的な問題が……」
なるほど。初回は騎士団の予算から出るとしても、2回目以降は自腹になるよね。
特に親しくもない相手と付き合いで飲む自腹の酒ほど辛いものはない。
却下だ。
「近衛騎士宿舎のように劇で歓待……とはいかないですよね」
「アレで仲良くなれると思う方がおかしいです」
あっ、クライブもそう思ってたんだ!?
クライブの目が遥か遠くを見ている。今年の劇はどうだったんだろう……聞かない方が良さそう。
となると、他には何があるかな。大人数で交流を深めたいなら、学校行事を思い出した方がいいかもしれない。
そういえば遠足って、仲を深めるためにやるんじゃなかった?
「野外学習はどうでしょう。たとえば近隣の森で薬草摘みをしてみたり」
いいことを思いつけた!
そう思ったけれど、クライブは申し訳なさそうな顔をする。
「人数が多いので、それをしたら薬師の領域を荒らすことになります。それと、遠征扱いとなりますがそこまでの予算は降りないかと」
ここでも予算の問題が!
野外学習も仕事の一環でさせるなら費用は騎士団負担だ。人数が人数なだけに、それだけ動かすとなると脳内で算盤を弾いただけでゾッとする。これも却下。
(お金がかからなくて、城内で出来て、短時間で仲良くなれること?)
無茶振りもいいところである。そんなものはないと言いたい。
でも今こそ異世界知識を生かすときでは? 思い出すんだ、学校行事を!
(みんな仲良くなって一致団結した記憶……いまいち覚えはないけど、それなりに盛り上がって、なんかいい感じになった……)
合唱大会とか? 騎士達が練習して歌うの?
城のあちこちで練習する騎士を見かけるのかと思うと、とても陽気な城になってしまう。やはり国の中枢である以上は相応の威厳は保ちたい。却下だ。
となれば、運動会!?
否、これだと種目が多すぎる。ならば、そう球技大会!
「ドッジボール大会をしましょう」
大人数で出来るバスケやバレーは道具や設備がいるけど、これならボールと地面さえあればいける!
それに小学生男子ならだいたい喜んでいた気がする。騎士と言えば男所帯だし、男性はいつまでも少年の心を忘れないとも聞く。騎士を目指すくらいなら運動は好きだろうから、これでいいのでは?
「ドッジボールって、何ですか?」
するとクライブが不思議そうに聞き返してきた。
えっ。知らないの? ドッジボール。
私は外で遊べる子どもではなかったからこの世界の球技には詳しくないけど、そういえば聞いたことはなかった……気がする。
「ドッジボールというのは……人に球を投げて、当てることで勝敗を競う球技です」
「人に球を投げつけて当てるんですか? 野蛮では?」
クライブが眉を顰めて私を見つめる。
やめてほしい。私が考えたルールじゃない。私だって冷静に口にすると、ドッジボールを最初に考えた人の良識を疑う。人に球をぶつけてやろうだなんて、よく考えなくても常軌を逸してると思う。
しかし、なぜかそれを受け入れる人達がいたから広まったのだ。皆どうかしてるとしか思えないと私も思う。クライブの言う通り、いくつかの地域では野蛮性を育てるとして禁止されていたはずだ。
が、今はこれしか思いつかない。
「反射神経と度胸を鍛えるための競技です。……たぶん」
「そういう目的があるんですね」
クライブがホッとしたように微笑む。
フォローはしてみたものの、ドッジボールを考えた人がそこまで考えていたかどうかはわからない。
ひとまず医務室からインクと紙を借りてきて、ドッジボールのルールを簡単に説明することにした。
「ドッジボールというのは、まず訓練広場に大きな長方形の枠を引いて、真ん中で区切ります。これがコートで、各陣地に敵と味方で別れます」
仮に15人で1チームとする。内野14人、外野1人の組み合わせだ。
二つに区切った枠内に内野を配置して、敵チームを挟んで枠外に外野を配置する。
そして一つの球を投げ合い、向かいの内野にいる敵に当てるゲームである。
球を取れず、体に当てられて球を落とした者は自陣の外野に出ていく。球を取れた者は、敵の内野を狙って投げる。外野に行った者も、敵の内野にいる者に球を当てれば再び自陣の内野に戻れるルールだ。
5分間の制限時間内で、内野に残った人数が多い方が勝利となる。
「尚、戦いではなくあくまで球技ですから、安全を考慮して首から上に当てた場合は無効とします」
「なるほど。これは人波の中でも瞬時に狙う相手を定めて、的確に投擲する訓練も兼ねているわけですね」
説明を聞いていたクライブが真面目な顔で納得している。
……。ドッジボールとは、果たしてそんな戦闘訓練を兼ねたものだっただろうか?
「そのようです」
微妙な気持ちになりつつも話を合わせておく。多分違うと思うけれど。
眉尻を下げた私に気づかず、ルール説明をした紙を確認しながらクライブは思慮深そうな表情になっている。
そんなに考え込む競技かな? 主に小学生が楽しむ競技だったのだけど。
「この競技は個々の性格もかなり出そうですね。今後、正式に騎士を配置をする際の参考にできるかと思います」
「そうなのですか?」
クライブはしきりに感心して見えるけど、ドッジボールで何を判断できるというのか。
ドッジボール経験者だけど、さっぱりわからないよ。
「たとえば恐れ知らずで好戦的な人物なら、真っ先に球を取りに行くでしょう。主力部隊に向いています。取れる相手と逃げるべき相手を見極められる者なら、注意深く周りを見られるので先発隊向きですね。部隊の調整役として、隊長職候補になれる可能性もありそうです」
疑問が顔に出ていたのか、クライブが噛み砕いて教えてくれた。
ほ、ほほう……でもたぶんドッジボールを考えた人はそんなこと考えてなかったと思う……
「他にも弱い者を庇えるならば、周囲を気遣えるので災害対策班がいいかもしれません」
「それならば、弱そうな人ばかり狙う人は?」
「弱点を狙うのは悪いことではありません。近衛騎士向きかもしれないです。ただ度が過ぎるようなら要注意人物として観察対象になります」
へえ、と感心した声が漏れたけど、内心では慄きが隠せない。
(ドッジボールがいつの間にか適正検査になってる……!)
近くにいすぎて忘れがちだけど、クライブは精鋭が集う近衛騎士の一人なのだと実感する。
そんなわけで、ちょっと好奇心が湧いた。
「私だったら誰かを盾にしてでもひたすら逃げると思いますが、そういう人は退団させられたりするのですか?」
当たると痛そうで怖いとか、人に当てるのは嫌だという人間は騎士失格になったりするのだろうか。
首を傾げたら、クライブが苦笑して首を緩く横に振った。
「何を犠牲にしてでも逃げ延びる気概があるなら、伝達役に向いてますよ」
意外にも救済措置はあった。
「ただこれで騎士に向いてないと思ったなら、辞して別の道を探すのが本人の為ですね」
クライブは真摯な眼差しで口にした。
確かに時に命を賭ける職なのだから、生半可な覚悟しかないならば辞めた方が良いだろう。
というか、ドッジボールでそんなことまで診断されてしまうの? まさかこういう時代に考えられた競技だったのだろうか……今となってはわからない。
ただ、個人的には違う気がする。最初に考えた人はそこまで深く考えてなかったんじゃないかな!?
(たまたま今の時代には合ってたってことかな)
クライブは私が説明に使った紙を受け取ると、朗らかに笑んだ。
「ありがとうございます、アルト様。上官に進言してみます」
「役に立てたなら良かったです」
提案した立場ではあるけど、微妙な気持ちを抱きつつ頷いた。
まさかドッジボールがこの後で大仰な行事になるとは、この時の私は考えてもいなかったのだ。
***
晴れ渡った青空。燦々と輝く朝日の下。
見た感じ、かなりの騎士達が駆り出されて集まってきていた。見習い騎士は多分全員、それと各部隊からも結構な人数が召集されているようだ。
それを城内の訓練広場に張られた天幕の中、設置された観覧用の豪奢な椅子から見る羽目になっている。
なぜこんなことになっているのだろう。
(少し顔を出すだけのつもりでいたのに)
事前にクライブからは、見習いの研修としてドッジボール大会をすることになったと聞いていた。
その時に「念の為にルール確認をお願いできませんか?」と言われたので、「わかりました」とは答えたけれど。
でもまさか、こんな煌びやかな観覧席が用意されているとは思わなかった。非公式の行事とはいえ近衛騎士団の副団長が仕切っているので、かなり大事になっている気がする。
こんな大仰な大会とは思わず、今日は男装姿で来てしまったというのに!
ルール説明をするなら動きやすい方がいいと思って、簡易とはいえ貴賓席が作られてるとは思わなかったから。
おかげで男装している私を見る、見習い騎士達の驚愕の視線が痛い。
いろんな噂がある私だけど、これは違うんだ。今はもう、普段はちゃんと女の姿をしているんだ。気の毒そうな目で見ないでほしい。
「アルフェがそこまで楽しみにしていたとはな。むしろこういう競技は苦手かと思ったが」
そんな私の姿を見て、兄が驚きを滲ませた。
そう、隣に兄まで来ている。つまりそれほどの規模で開催されている。
兄の格好は普段より少し豪奢だ。人に見られることを想定した服装である。それならそうと言ってほしかった。私の場違い感がすごい。
「私はルール確認の為だけに呼ばれたのだと思っていました。場合によっては手本を示すことになると思ったので、この格好で来たのです」
鎮痛な顔で答えれば、兄は得心がいったと頷いた。慰めるようにやんわり頭を撫でてくれる。
たぶん見習い騎士達は、可憐な皇女が優雅に観覧に来ることを期待していたと思う。私だってこうなると知っていたら、もう少し考えて着飾ったのに。
「僕の言葉が足りなかったばかりに申し訳ありません」
「いえ、私がもっとよく考えるべきでした」
兄の後ろに控えていたクライブが謝ってくれる。でもちゃんと考えれば想定できた話なのだ。
よくよく思い返せば、私の男装姿を見た護衛騎士のラッセルが「そのお姿で行かれるのですか?」と驚いていた。あの時点で気づくべきだった。
密かに嘆息を吐き出す。しかし、もう来てしまったものは仕方がない。
「兄様も観覧なさるとは思っていませんでした」
「どちらでも良かったのだが、クライブから話を聞いたら興味深かったからな」
「兄様も参加なさりたかったのですか?」
本当に興味深げな眼差しで地面に引かれたコートを見ているので、小首を傾げて問う。すると苦笑された。
「私の立場ではそうもいくまい」
ということは、参加してみたかったのか。兄様、子どもの頃はやんちゃなところもあったみたいだから。
1回くらいなら参加してもいいと思うのだけど。誰かしら近衛騎士は付くだろうし、本当にまずい場合には庇うだろう。
でも兄は、そんな遊びにまで付き合わせるのは悪いと思ってしまうのかな。クライブなら付き合ってくれそうなのに。
「皆、兄様相手ならば手加減してくださると思いますが」
「それではつまらないだろう?」
それはそう。手を抜かれても楽しくはないよね。でも。
「見ているだけなのも退屈ではありませんか?」
見ていて羨ましくならないのかな。
皇子という立場は、恵まれているようでいて自由の効かない身でもある。
「折角の機会だ。ここで新規の顔を覚えておくのも良いだろう」
「……まさか、兄様は城内の人間を全て覚えておられるのですか?」
「すべての顔と名が一致するほどではないが、顔くらいはな」
兄がさらりと当然のことのように言うから息を呑んだ。城内にどれだけ人がいると思ってるの!?
そういえば兄も乙女ゲームの攻略対象になるくらいだから、完璧超人だった。
そんな会話をしている間に準備は整ったようだ。開始する前に近衛騎士団副団長が私を呼びに来た。
「アルフェンルート殿下。最終的なルール確認をお願いできますでしょうか」
三十代半ばくらいの副団長は、グレーの短髪が爽やかな筋肉質な男性だ。物腰は柔らかく、目尻を下げて笑う顔は良いパパさんと言った印象になる。
「わかりました」
頷いて立ち上がると、ラッセルとクライブも着いてきてくれるらしい。兄には他にも護衛にニコラスとオスカーが付いているから問題はない。
地面に二つ引いたコートには、既に第一試合を控えた選手が分かれて配置されていた。見習い騎士は配属された各部隊の既存の騎士達とチームを組んでいるという。これなら仲間意識が高まりそう。
コートまで歩いて行くと、隣のコートのチームや、試合待ちで観戦体制の騎士達の目線が一気に集まる。
こういう場は苦手なのだけど……。
これは仕事だと言い聞かせて口を開いた。
「まず最初に、危ないので絶対に肩から上は狙わないでください。頭に当てても無効となります」
ボールを手に、改めてルールを説明しながら軽く投げてみせた。ちなみに私のボールを受けてくれたのは副団長である。軽くとはいえ、参考用に当ててごめん。
だいたいのルールを言い終えて周りを見渡せば、大半は理解できているみたいで安心する。
「怪我をしないよう気をつけて競技を行ってください。私からは以上です」
無事に説明を終えて、密かに安堵の息を吐いた。
「ありがとうございます。アルフェンルート殿下」
副団長が丁寧にお礼を言って、エスコートする為に手を差し出してくれた。
これで私の役目はおしまい。後はのんびり観戦……そう考えながら手を取ろうとした時だ。
「お待ちください! アルフェンルート殿下!」
試合を控えたコートの中から、一人の騎士が踏み出して声を掛けてきた。
ギョッとしてそちらを見るより早く、副団長が私を背に庇った。さすが副団長。ちなみにラッセルもクライブも、気づけば今の一瞬で私を守る配置についてる。
過剰ではない? 皇女たる私に許しもなく声を掛けるのは無礼だけど、説明でわからない点があったのかもしれない。
ひょっこりと副団長の逞しい体の横から顔を出す。
そこで私に声を掛けた相手を見て、ふと既視感に襲われた。
声をかけてきた相手は、貴族らしい雰囲気の金髪で青い瞳の整った顔立ちに甘ったるさが滲む青年だ。
なぜだろう。なんだか以前にも似たことがあったような……?
「なんでしょう?」
思い出せずに、とりあえず応じてみる。
なんとなく嫌な予感が胸をよぎったけれど、今の私ほど安全圏で守られている者はいない。
「そのようなお姿をされていらっしゃるなら、きっとさぞかし楽しみにされておられたのでしょう! アルフェンルート殿下もご参戦いただいてはいかがですか?」
にこやかに、親切心を押し売りするみたいな言い回しだった。
だけど悪意というのは、不思議と滲み出るものだ。
「シミオン・ハモンド! 不敬である!」
咎める声を発したのは副団長だった。
横目に見上げると先程の柔和さが嘘のように厳しい顔つきである。
相手は一瞬怯んだものの、すぐに表情を取り繕って私に慇懃無礼な視線を向けた。
「私はただ、殿下のお気持ちを汲んで差し上げたかっただけなのです。ですが勿論、殿下ご本人にご参戦をとは申しません。代理を立てられて、殿下の代わりに戦わせてはいかがでしょう?」
その眼差しが、私の隣に立つ強張った顔をしたラッセルへと向けられた。
ギラギラと輝いて、射抜くほどの強さで。
(あっ! 思い出した! この男、ラッセルの元クズ上司!)
シミオン・ハモンドと名前を聞いても記憶になかったけど、この無礼さには覚えがあった。
副団長が気遣わしげな眼差しを私に向ける。ちょっと待ってほしい、と告げる代わりに軽く手で制した。
(ということは、狙いは私ではなくてラッセルか)
ラッセルが私の元に来るきっかけとなった、近衛騎士昇格を控えていたラッセルを妬んで苛めていた元上官である。
色々考慮した結果、あの時クライブには再教育を頼んだはずだけど。その後どうなったのかは興味がなかったから聞いていなかったので、チラリとクライブを伺う。
そこには無表情でシミオン・ハモンドを見つめるクライブがいた。
こ、怖い。
普段にこやかな顔を貼り付けてる人間が、完全な無表情。
怖すぎる。
でもこれは再教育が上手くいってなかったことを確認しなかった自分を責めているんだとも思う。
慌てて手を伸ばしてクライブの手を取る。視線が私に向けられて、申し訳なさそうに目を細められた。
(仕方ないよ、クライブ。馬鹿は死んでも治らないというくらいだから)
それにハモンドといえば、侯爵家。幾つものインク製法を編み出している領である。いろんな色を出しているので、私もよく仕入れているところだ。
そこの息子なら、そこそこ有力貴族である。あの時は限りなく穏便に済ませてもらったから、ハモンド侯爵家もあの件を軽く捉えた可能性は高い。伝手を使って再び城に舞い戻っていてもおかしくはなかった。再教育で心を入れ替えてまともになっていたのなら、それはそれでよかったわけだし。
大変残念ながら、改善はあまりされていなかったみたいだけれども。
当時の私はそれどころではなかったとはいえ、丸投げしてその後を確認していなかったのも悪かった。
(でも私の大切なものを傷つける気なら、今度は見過ごせない)
今はラッセルの方が地位が上だから、シミオン・ハモンドに出来ることは限られるだろう。それこそ、せいぜいドッジボールでこてんぱんにしてやると考える程度の嫌がらせしか出来ないと思う。
でも、ほんの些細な悪意すらも残したくはない。
完膚なきまでに、今後絶対にこちらの領域に踏み入らないようにしなければ。
「そうですね……」
考え込むそぶりを見せて、握ったままだったクライブの手を軽く引いた。察して耳を寄せたクライブに、軽く背伸びして囁きかける。
「クライブ。以前、私に誓ったことは覚えていますね?」
たった一言。
でもそれだけでクライブには私の意図は伝わったみたい。怖いくらい晴れやかに微笑まれた。
「勿論です」
「では」
クライブの了承を取れたので、高々と片手を掲げた。天幕に向かって。
「兄様!」
秘技! 虎の威を借る狐!
椅子に座っていた兄に向かって手を大きく振る。
クライブは必ず兄を守ると誓ってくれているから、安心して任せようと思う。
「………『にいさま』?」
私の呼びかけを聞いて、シミオン・ハモンドが絶句する。
「はい。私の代理は、兄様にお願いしたいと思います。兄様も興味をお持ちのようでしたから、きっと喜んでいただけます」
笑顔で手を振る私を見て、兄が立ち上がるのが見えた。
上着を脱いで椅子の背に掛ける。首元を緩めてドレスシャツの袖を腕捲りしながら、迷うことなく颯爽とした足取りで私の元へとやってきた。ポケットから取り出した髪紐で長く癖のない銀髪を器用に後ろに一つに括る。
これは本気だ。
私の前まで来ると、ぐしゃりと頭をやや乱暴に撫でられた。
「私を利用するとは強かになったな」
撫でざまに囁かれた。
「クライブには似た者兄妹と言われます」
嘯けば、その切り返しに兄は満更でもなさそうに薄灰青色の瞳を細めた。
だって、やりたかったんでしょう兄様も。折角の機会だから参戦されるといいと思う。
そして、ぜひ私の敵に辛酸を舐めさせていただきたい。
「私の代理として兄様を。そして当然、護衛としてランス卿も入りますが宜しいですか?」
「では、敵陣の足りない人数分は私とオスカーで補いましょう」
兄の護衛として着いてきたニコラスが、オスカーと共に請け負ってくれる。兄も気心が知れているらしい二人が入ってくれるなら、楽しく遊べるでしょう。
それとニコラスのことだから、シミオン・ハモンドの愚行は知っているだろう。私を見て糸目の瞳を面白そうに三日月型にする。
敵陣の内側から、ぜひとも圧をかけてあげてほしい。
皇女の提案に駄目とは言えないシミオン・ハモンドの顔色は蒼白だ。ハモンド侯爵家は兄派の家だったから、兄の機嫌を損ねる真似をしたと知れたら怒られるだろう。
しかし自分で言い出した手前、やっぱりやめます、とは言えまい。
副団長は兄の参戦に渋い顔をしたが、珍しく乗り気に見える兄を見て諦めたようだ。苦笑して「1回だけですからね」と釘を刺している。
話がわかる人で助かる。
「これは競技です。皆さん、兄様相手だからといって手を抜く真似はなさらず、真摯に戦ってくださると信じています」
兄相手だからと手を抜けば侮っていると見なす。でも本気を出して狙えば、後でどうなるかわからない、という恐怖をも抱かせる。
兄のことだから、当てられても競技の内のことと見なしてお咎めなしにしてくれるだろうけれど。公正な人だから。
だが、敵の皆さんは疑心暗鬼に駆られて肝を冷やすがいいのだ。同部隊の人達はシミオン・ハモンドを御しきれなかったということで、可哀想だけど連帯責任である。
新入りの見習騎士達には気の毒だけど……でもここで良い動きを見せたら、抜擢される可能性もある。適性検査も兼ねてるみたいだから、頑張って。
そして、シミオン・ハモンド。
仏の顔も三度までと言うけど、私は人間なので二度目は許さないです。あなたは5分間、疑心暗鬼に駆られて泣きそうになるといい。
ちなみにコートに向かう前にクライブは「鼻を潰しておけば良いですか?」と密かに訊いてきた。
怖い。それは反則だから、普通に戦ってくれるだけでいいから。そう言い含めると残念そうな顔をされた。
「シミオン・ハモンドは気に入りませんが、兄様が楽しんでくださるのが一番です」
そう言えば、クライブは嬉しそうに笑った。
納得してくれてよかった……。
思っていたよりはるかに楽しそうに競技する兄達を観戦しながら、ふとそれまで黙って控えていたラッセルを見上げた。
「ラッセル。関わらせたくなかったのでこんな形になりましたが、合法的に彼を倒せる機会を奪ってしまいました」
もしかしたら、ラッセルこそあの男をぼこぼこにしたかったかもしれない。
申し訳なくなって眉尻を下げれば、ラッセルは驚いたのか目を瞠った。落ち込む私を宥めるみたいに、すぐにいつものように柔らかく微笑む。
「私は庇ってくださった殿下のお気持ちだけで充分です」
柔らかい微笑みとあたたかい眼差しは、本心からに見えた。
良かった。それならいいのだけど。
ちなみに結果として。シミオン・ハモンドはあれ以来すっかりおとなしくなったそうだ。
ハモンド侯爵家から、今度こそしっかり叱られたんだと思う。シミオンは三男で、長男と次男はまともな人らしいから。
あれからハモンド侯爵家から定期的に私の元に新作カラーインクが届くようになったので、ラッセルにはお裾分けしている。




