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サンタになる日


 ランス伯爵家に降嫁して初めての冬。

 年末特有の気配に包まれた王都の屋敷の中は、皆やや気が急いて見えた。新年を迎えるまでに屋敷の掃除を念入りにしたり、飾り付けたりと、細々とした雑事に追われているようだ。

 年明けは家族でゆっくり過ごすために頑張っているらしく顔は明るい。けれど節々に疲労は滲んでいる。


(といっても、私に手伝えることもない……)


『奥様は日頃お忙しいのですから、ゆっくりしてらしてください』

 そう言われてしまい、しかし今年にやるべき個人の仕事はもうないのである。年明けの挨拶状は書き終えているし、家の管理と指示も済んでいる。兄と父にも「新年の舞踏会で会おう」と告げられていた。


 即ち、今年はもう家でゆっくりしなさい。ということである。


 クライブは年末年始関係なく兄に仕える立場だけど、今年は新婚ということで休みが取れるそうだ。

 しかし休みとはいえ、護衛対象が兄から私に変わるだけだと思う。今の私は妻でもあるとは言え、はたしてそれは休めているのだろうか。


(確か前の生では年末の疲労する時期に、クリスマスがあったんだよね)


 クリスマスに託けて自分ご褒美をしたり、周りにお歳暮代わりのプレゼントを配ったりしていた。

 お金は使ったけど、相手の嬉しそうな笑顔を見たらプライスレスだったように思う。

 ふと思い出したそれに、そうだ、と思いつく。


(今年はこの屋敷の人達には世話になったから、クリスマスプレゼントを贈ろう!)


 生憎とこの世界にクリスマスはないが、年末年始の歳暮みたいなものはある。だがそこまで大仰なものにしたいわけではない。

 考えたのはちょっとした細やかなサプライズ程度。それなら受け取る相手の負担にもならないだろう。

 思い立つと、さっそく侍女のノーラに声を掛けた。


「ノーラ。少し町まで出かけます」

「どちらにお出かけされるのでしょう?」

「西通りの製菓店に行きます」

「それでしたらアルフェンルート様が出向かれずとも、お呼び立ていたしましょう」

「いえ、外の空気を吸いたいのです」


 緩く首を横に振れば、こちらの意図を察してくれたみたい。すぐに外出着のコートや手袋を持ってきてくれる。


「それでは馬車の手配をして参ります」


 皇女時代からの侍女なので、何かしら勘づくものがあったのだろう。柔らかい笑顔で、深く聞かれることもない。

 よかった。屋敷に呼ばれたら、立ち合った侍女たちの耳に入ってしまう。サプライズに出来なくなるところだった。

 ほっと安堵の息を吐いて、ついでに贈り物に添えるカードも束で買っておこうと頷いた。



   *


 真っ暗な夜の闇に包まれた主寝室で、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 正確な時間はわからないものの、屋敷内はしんと静まり返っている。さすがに宿直以外は全員寝静まった頃だろう。隣からはクライブの規則正しい寝息が聞こえてくる。


(クライブ、よし)


 そっと細心の注意を払ってベッドから抜け出す。足音を殺しながら、そそくさと続き間になっている自分の部屋へと滑り込んだ。

 部屋に置いてある蓄光石に掛けてあった布を取れば、まだぼんやりと明るさが残っていて安心する。

 併設の衣装部屋から取り出しやすい場所に移しておいたコートを手に取ると、しっかりと羽織る。


(防寒、よし)


 お礼参りに行くのに、これで風邪を引いて周りに迷惑をかけたら馬鹿である。しっかりと足もブーツに履き替えた。

 次に事前に用意してあった肩掛け鞄をベッドの下から引き摺り出す。片手で軽く埃を払うと手早く肩に掛けた。

 中には使用人分のカードが入っているだけなので軽い。数日前に製菓店に相談して発注しておいた、焼き菓子交換券と私からの礼状が入っている。


(プレゼント、よし)


 顔を見て渡せばいいものではあるけれど。でも疲れて起きた朝に、枕元にそんなプレゼントが置いてあったらテンションは上がるだろう。

 ……夜中に上司が枕元まで来ていた、と考えると怖いかもしれないけれど。


(あれ? もしやこれはホラーでは)


 いや、ここまで来たら深くは考えるまい。

 勝手に笑顔を想像して嬉しくなっておこう。今ならサンタクロースの気持ちがわかるというもの。

 なぜサンタは骨折や火傷を負う危険をおかしてまで煙突から侵入するのかはわからないけど、きっと彼もテンションがハイになっていたに違いない。私も今なら壁をよじ登れそうな気になっている。

 もちろん、登らないけれど。常人だから扉からお邪魔させていただく。


(灯り、よし)


 部屋に置いてあるランタンに蓄光石を移して手に持った。


(準備万端! いざ出陣!)


 意気込んでランタンを掲げた時だった。

 音を立てないように半開きにしていた続き間の扉のところに、黒い人影が立って見えたのは。


「ぎゃ……!?」


 思わず悲鳴を上げかけて、慌てて声を顰めた。


「ク、クライブ……?」

「こんな夜中に、お出かけですか」


 掲げたランタンの先、薄ぼんやりとした灯りに照らされて佇んでいたのはクライブである。

 朝は揺すっても全然起きてくれないのに! ひどい時は私までベッドに引き摺り込んで、二度寝しようとするほど寝汚いのに!


「クライブ、驚かせないでください」

「夜中に怪しい行動をしているアルトにこそ驚かされています」


 クライブは心底不審げに眉根を寄せて、深刻そうな気配すら漂わせながらこちらを見ていた。

 つかつかと歩み寄ってきて、怖い顔をして私を見下ろす。


「こんな真冬に夜逃げですか。そんなにも僕に至らない点がありましたか」

「えっ!?」


 両腕を掴まれて、屈んだクライブに真剣な眼差しで見つめられて息を呑んだ。

 思わず目を白黒させてしまう。

 クライブに不満なんてないけれど。強いて言えば、朝はもう少し頑張って起きてもらえたら嬉しいけど、体質はどうしようもないだろうし。

 困惑を露わにポカンと見上げれば、クライブが少しだけ緊迫した雰囲気を和らげた。


「僕から逃げたいわけでは、ないんですね?」

「まったくそんなつもりはありませんが…….もしそうしたいなら、クライブが不在の昼間に決行するでしょう」


 いきなりこの夫は何を言い出すのだろう。確かに私の行動は不審者だったけど。

 確かめるように言われた突拍子もない言葉には呆れが滲んでしまった。

 するとクライブは深々と息を吐き出して、私の肩口に頭を落とした。


「近頃帰るのが遅かったので、愛想を尽かされたのかと思いました」

「私はそこまで狭量ではありません。お仕事だから仕方のないことでしょう」

「ですよね。アルトにしてはおかしいな、と思いました」


 言いながら、甘えるみたいに一度ぎゅっと強く抱きしめられた。思いの外の強さに、ぐえっとなりそうなのを堪えて、ランタンを持っていない方の手で背中を軽く叩いてあげる。

 しばらくして満足したのか、ゆっくりと離れていく。しかし怪訝そうな顔をしたまま、クライブを首を傾げた。


「それでは、なぜアルトはそんな格好をしているのでしょう?」

 

 疑問に思われている。それはそうだろう。

 実はクライブにもサプライズプレゼントがあったから黙っていたかったのだけど、起きてしまったのなら仕方ない。同じ雇い主として、使用人の福利厚生に協力してもらおう。


「今からこっそり使用人たちに贈り物を置きに行きます」


 私の言葉にクライブが更に眉を顰めた。


「こんな夜中にですか? 皆、寝ているでしょう」

「だから枕元にこっそり置いてくるのです」

「明日の朝では駄目なのですか?」


 クライブの言うことは尤もだ。まともな精神をしているのならば、明日の朝に渡せばいいと考える。

 しかし冷静になっては駄目なのだ。サンタクロースとはこういうものなのだから。


「朝起きた時に枕元に贈り物があったら、驚くでしょう?」

「驚かせたいんですか?」


 心配そうな目で見られてしまった。待ってほしい。私の精神はこれでも正常である。


「たとえばですけど。クライブが気が重いなと思える朝に、目が覚めたら私からの不意打ちの贈り物が置いてありました。その日は頑張ろう、とはなりませんか?」

「……それは、とてもなりますね」

「そういうことです」


 自分を例にあげるのは気恥ずかしいけど、クライブは深く納得してくれたみたい。

 頷き返せば、クライブが私の鞄に目線を落とした。


「それで、アルトが直にそちらを配りに行くのですか」

「そうです。いってきます。クライブはゆっくり休んでいてください」

「いえ、もちろん僕も行きます」


 疲れてるだろうから休ませてあげたかったのに、クライブは手早く上着を取ってきた。羽織りながら、「行きましょう」と促してくる。


「屋敷の中だから、クライブがいなくても大丈夫ですよ?」


 眉尻を下げて見上げると、クライブは小さく笑った。


「アルトひとりにさせるわけにはいきません。それに、なんだか楽しそうですから」


 そう言って私の手を取る。その顔は思ったよりも活き活きして見えたので、そういうことなら、と二人で部屋を出た。



   *


 配り終えたのは一刻ほど後だった。

 起こさないよう忍足で細心の注意を払いながら行ったので、思ったよりも時間がかかってしまった。


 侍女などの女性の部屋は私が、執事や料理人、騎士や下男たちの部屋はクライブが担当した。通いの人は残念だけど、明日の朝以降のお渡しとなる。

 ちなみに騎士達は別棟だ。

 ランス領で育成された騎士は、王都にあるこのランス邸で暮らしている。彼らはいざという時の為の皇太子の私設騎士団的な立場だ。

 しかし何もあげないのは可哀想だと思ったので、彼らにも用意してあった。普段は持ち回りでこの屋敷を警備してくれていることだし。

 ただ彼らの場合は気づかれそうだったから、宿直の者には事前に話してあって、扉にかけておくつもりでいた。

 しかしクライブがいたので、そちらの配布はお任せしてみた。


「今回、僕が来ても起きなかった者は再教育です」


 配り終えた後でクライブが良い笑顔で言っていたのは、聞かなかったことにした。


(抜き打ち訓練のつもりじゃなかったのだけど……)


 明日以降、彼らが疲労困憊にならないといいなと祈るばかりだ。


「ところで、贈り物の中身は何だったのですか?」


 無事に配り終えて私たちの寝室まで戻ってきてから、ベッドに腰を下ろしたクライブが尋ねてきた。

 暗かったから、中身までは見ていなかったみたい。


「西通りにある製菓店のクッキー1枚との引換券です。3日以内に取りに伺うように書いておきました」


 食べ応えのある大きなクッキーは、甘いプレーンかしょっぱいチーズクッキーかを選べるようにしてある。

 店が在庫管理に困らないよう、もし無い場合は受取日を改めるようにともお願いしておいた。

 ちなみに、『受け取りに行くのは勤務に含まれる』とも記載してあるので大丈夫だろう。

 ようするに、クッキーを食べてひと一休みしてきていいよ券である。

 これで皆の気持ちが上がってくれれば嬉しい。福利厚生は大事だ。


(さて。残るは一人)


 コートを脱いで畳む間に、事前にポケットに忍ばせておいたカードを取り出した。それを手に、ベッドで待っていたクライブに歩み寄る。


「夜遅くに世話をかけました。手伝ってくれてありがとう」

「いいえ、僕の屋敷でもあるのですから」

「それと、クライブにはこちらを」


 告げて、手に持っていたカードを差し出す。

 不思議そうにしながら受け取ったクライブは、書かれた文面を見て目を丸くした。


「本当は明日の朝、枕元に置いておくつもりでしたが……知られてしまったので」

「『願い事をききます券』、ですか」

「私にできることに限られますが。たとえば、どうしても今日は仕事に行きたくない、という日があるかもしれません。そんな時は私が持てる全力で守ってあげます」


 それぐらいの甲斐性はあるつもりだ。

 例えを出してみたら、クライブはまじまじと私を見た後、小さく吹き出した。

 ひどい。こちらは本気なのに。


「それはとても頼もしいですね」

「そうでしょう」


 頷くとクライブが私の手を取ってやんわりと引いた。

 引き寄せられるままに、クライブの腕の中に閉じ込められる。


「では、さっそくお願い事をしてもいいですか?」


 クライブが目を細めて愛しげに私を見つめる。


(もう使ってしまうの?)


 勿体無い気もするけれど、クライブが使いたいならそれでもいいかと頷いた。

 今夜は遅くなったから、明日の朝寝坊を隠蔽してくれという頼みなら任せてほしい。

 でもそんな私の予想に反して、クライブは悪戯っぽく微笑んだ。


「アルトから、キスしてもらいたいです」


 言われた言葉が理解できずに数秒固まった。

 キス……。私から、キス……?


(それだけ!?)


 唖然とした後、今度は私が小さく吹き出した。


「それは却下します」

「願い事はきいてもらえないのですか?」

「ええ。それは、私もしたいことですから」


 だから願い事は、また改めて。

 笑いかけるとクライブも嬉しそうに目を細める。



 そんな可愛い旦那様に、サンタな私はキスをした。




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