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蛙の皇子様

※クライブ視点


 近頃、アルト様は僕の母とお茶会をしていることがある。

 結婚準備の関係でランス家との打ち合わせの関係があり、アルト様曰く「有難いことに至らぬ面を色々と教えていただいています」とのことだ。

 実の母親との折り合いが悪かった方なので、こちらの母との関わりで心を煩わせてしまうことがないかと心配していたが、幸い今のところ上手くいっているようだ。

 ……どころか、上手く行きすぎているようだ。



 今日も医務室からの帰り道、中庭をゆっくり抜けている時にふと思い立って聞いてみることにした。


「先日の母とのお茶会はいかがでしたか?」


 大丈夫だったか心配になって、隣を歩かれるアルト様に問いかけてみた。アルト様は不意に足を止めて僕を見上げると、なぜか妙に生暖かい眼差しを向けられた。


「問題はありません。大変良くしていただいています。先日もクライブと兄様の小さい頃の話を聞かせていただきました」


 微かに笑んで言われた言葉に、内心ギクリと引き攣る。


「何を聞いたのでしょう」


 嫌な予感しかしない。思わず貼り付けた笑顔が固まったかもしれない。

 対するアルト様は眉尻を下げて、ちょっと困ったみたいに眉尻を下げる。


「クライブと兄様も、幼い頃は普通の男の子だったのだと思いました。随分と……大きくなって落ち着いたのですね」


 詳しいことは語らないけれど、アルト様の控えめな微笑みに生暖かい温度が滲む。

 その微妙な表情だけで、濁された内容がわかってしまう。

 母は、アルト様の異母兄であるシークの乳母でもある。子どもの頃は年相応に二人でやんちゃをしたこともあり、母がその内の何を彼女に伝えてしまったのかと青褪めたくなった。

 こちらの空気が伝わったのか、アルト様の目がやや遠くを見つめる。


「セリーナ様とお話しさせていただく度に、なぜかクライブの弱みが増えていくのです」

「もう母と会うのはやめてもらいたくなってきました」

「そういうわけにもいかないのですが。私は聞いていて楽しいですし」


 苦い顔をしてしまった僕に気づいて、アルト様が苦笑する。


「ですが、私ばかりがクライブの弱みを握るのは不公平ではあるのでしょう。仕方ないので、とびっきりの私の弱みを教えてあげます」

「アルト様に弱みなんてあるのですか?」

「私を何だと思っているのですか。私は人並みに普通の人間です」


 不意に噴水の近くで足を止めると、深い青い瞳がすぐ傍の瀟洒なベンチを目線で示す。

 どうやら、ここで少し休んでいくようだ。

 すぐにポケットからハンカチを出してベンチに敷く。どうぞ、と手を軽く引いて促せば、なぜか困惑を見せた。こうしてエスコートされることは、未だにあまり得意ではないらしい。

 それでも律儀に「ありがとう」と口にしてくれるのが、愛おしく思える。こんな当たり前のことでくすぐったそうにされると、大事にしてあげたいと思わせる。

 ベンチに腰を下ろしたアルト様が、軽く手で隣に座るように示してくれる。

 しかし今は個人的な休憩時間を当てているとはいえ、護衛でもあるのだ。夕焼けの滲み出した中庭には噴水の水音と鳥の声、姿の見えない虫たちの囁きだけが響く場所で、二人きりとはいえ完全に私的な時間とするには躊躇いがあった。

 傍らに立ったまま、この場は軽く手で遠慮を示す。するとアルト様は「では、耳を貸してください」と手招きをした。

 それには促されるまま腰を屈める。アルト様も少しだけ座ったまま背を伸び上がらせた。

 そっと耳元に手が添えられて、内緒話の格好だ。

 耳に微かにかかる息を甘く感じてしまうのは、相手が彼女だからこそだろう。

 だが、次に鼓膜を震わせた話は、まったく甘くなかった。


「実は幼い頃に、この噴水を蛙だらけにした犯人は、私です」

「っ!?」


 とんでもない告白だった。

 ギョッと目を剥いてアルト様を見下ろせば、厳しい表情をした彼女と目が合う。


「それは、大問題になった話ではありませんか」


 思わず絶句した。

 思い返せば、8年程前になるだろうか。後宮へと繋がる美しく静謐な中庭の噴水に、ある日いきなり大量の蛙が発生した。景観を激しく損なう上に煩いということで、大問題になったことがあった。

 一体どこの誰が、城内の噴水に蛙を大量に放したのか。

 厳罰を食らって当然となる愚かな悪戯をした者がいるのかと、当時かなり騒がれた話だ。

 だがなぜか犯人は見つからないまま、うやむやになったような覚えがある。その後の数年間は蛙の駆除に苦労したと聞いた事件だ。

 ちなみに、今もその名残で夏になるとたまに中庭からは生き延びた蛙の野太い鳴き声が聞こえてきたりする。

 当時、珍しく陛下がシークと食事をしている時に頭を抱えて眉根を寄せて話していた程の事件でもあった。

 陛下から、「念の為にまさかとは思うが、おまえではあるまいな?」とシークが疑われていた記憶もある。

 確か当時は10歳くらい。悪いことをしたがる年齢だったし、実際に庭の木の枝を派手に折って、それを手に戦ってみたり、屋根に登って飛び降りてみたりとしていた頃だったので、陛下が疑いたくなる気持ちもわからなくはなかった。

 しかしこの件に関しては完全に無関係だった為、シークは渋い顔で否定していた。疑われて迷惑がってすらいたと思う。


(その犯人が、アルト様)


 まさかの異母妹の犯行である。

 まじまじと見入れば、アルト様がバツが悪そうな顔をする。


「一応言い訳させていただくと、悪気はありませんでした」

「確かに、まだ5歳くらいだったのではありませんか? アルト様がいたずら好きだったとは聞いたこともありません」


 むしろ、あの頃は虚弱でおとなしいと言われていたはずだ。

 首を傾げると、アルト様が深く頷く。


「あれは最初、メル爺が私におたまじゃくしが蛙になるところを見せてくれようとして、たくさん捕まえてきてくれたのです」


 アルト様が鎮痛な表情になり、ちらりと噴水を見た。


「ですが、狭い桶の中では可哀想だと思って」

「噴水に、放したのですか。おたまじゃくしを」

「良かれと思ってのことでした。早起きして、護衛の目を盗んで、とても頑張って桶を運んだのです」


 幼い子どもの中では、良いことをしたつもりだったのだろう。小さな手で、短い腕で、必死に部屋からおたまじゃくしの入った重い桶を運ぶ姿を思い描くと叱るに叱れない。

 広い場所が良いだろうと考えた優しさがわからなくはないので、どんな顔をしたらいいのか複雑な心境に陥る。


「おたまじゃくしが蛙になると、知らなかったのですか? スラットリー老はそこまで教えておられなかったのでしょうか」

「いえ、わかっていました。それは私が悪いのです。ただ……」


 対するアルト様が若干暗い目をした。


「私は、親指くらいの小さくて可愛い緑色の蛙でいっぱいになると思っていたのです」


 それはそれでどうかと思うが、幼い子の考えることだ。単純に、噴水周りでぴょこぴょこ飛ぶ姿を可愛いと想像したのかもしれない。

 しかし、残念ながら噴水に巣食ったのはアルト様が想像したような可愛らしいものではなかった。


「まさか、牛蛙だったなんて」


 暗い声で呟くアルト様は、その時を思い出しているのか顔に影が落ちる。僕も当時を思い出して複雑な顔になってしまう。

 噴水に現れたのは、大量の泥色の大きな蛙である。野太い声で鳴き、美しくもない。その時の庭師の嘆きと侍女達の悲鳴、蛙を追いかける衛兵達の疲弊した顔といったら。

 子ども心に、大変な惨状だと思ったものだ。

 ちなみにシークは毎晩鳴き声に苛まれ、「蛙というのは思ったより煩い生き物だったのだな」としばらく寝不足になっていた。翌年からは慣れて平気になったようだったが。僕もしばらくは慣れずに眠れない日を過ごした。

 思い出すと遠い目になりかけてしまう。


「そうですね、大量の牛蛙になりました」

「毎日、可愛い小さな蛙になるのを楽しみに見に来ていたのに、結果が牛蛙です。あの時は怖くて泣きました」


 アルト様は深く嘆息を吐き出す。


「メル爺は、せっかくなら大きくて迫力のある蛙の方が嬉しいだろうと考えて牛蛙を選んだようです」

「良かれと思われたのですね」

「私が噴水に放すとは思わなかったみたいです」

「部屋で蛙になっても大惨事になったのでは……」

「よく考えればそうです。メル爺はなんてことをしてくれたのでしょう」

「噴水に放した方に言われましても」


 犯人がアルト様だとわかれば激しく叱責されることを心配したのか、スラットリー老もこの件は口を噤んだのだろうか。

 叱るべきだろうが今更であるし、なんと言うのが正解なのかわからなくなってきた。アルト様は問題となった噴水を見て、やや眉根を寄せている。反省は、しているのだとは思うが。


「あれ以来、蛙はあまり得意ではありません」


 そして事件の犯人にも、どうやらトラウマを残していたようだ。

 そこまで言い切ると、アルト様が窺うようにこちらを見上げた。


「秘密ですよ。特にお父様にだけは。知られたら、すごく叱られてしまいそうです」

「それはそうでしょう」


 呆れていえば、不意に小指に細い指が絡んできた。

 ドキリと胸の鼓動が跳ねるこちらに気づいた様子もなく、アルト様が小指同士を絡ませる。


「絶対に内緒です。私ばかりクライブの弱みを握るのはフェアではないと思ったから教えたのですから。約束ですよ」


 上目遣いに見上げられて、念まで押された。

 小指を絡ませ合うのは何かの呪いなのかもしれないが、可愛くて困るのでやめてほしい。……いや、やはりやめないでほしい。

 ギュッと絡んで解けていった指を追いかけそうになり、慌てて理性を総動員する。

 話して満足されたのか、アルト様がゆっくりした動作で立ち上がる。すぐにハンカチを拾い上げて畳み、「洗って返します」とポケットに仕舞おうとした。


「いえ、これぐらい問題ありません」


 慌ててその手から取り返せば、小首を傾げて不思議そうだ。こういう気遣いを当たり前にする方だから、やはり蛙事件に悪気はなかったのだろう。

 そこにあったのは善意と無邪気な子どもらしい好奇心だけだと思えば、あまり責めるのも可哀想だ。


「今年もまた蛙は鳴いてしまうのでしょうか」

「鳴くとは思いますが、少ないといいですね」

「大合唱されると、私にも罪悪感はあります」


 憂鬱そうにぼやかれる。

 これ以上はこの件に触れるのは気の毒になってきたので、聞かなかったことにすることにした。

 そうでなくとも、彼女の弱みを教えてもらったものの内緒だと約束してしまったので、弱みとは言えないかもしれない。

 それに。


(犯人探しが急にうやむやになったのは、陛下は既に犯人に気づかれたからなのでは)


 毎日おたまじゃくしを観察していたというからには、彼女の護衛騎士はわかっていただろう。庭師も気づいていて、微笑ましく見逃していたに違いない。

 結果として大事になったとはいえ、虚弱と言われている子も人並みに心は健やかに成長しているのだとわかって、陛下は何も言わずに見逃してあげたのではないだろうか。

 告げないと約束した手前、陛下に尋ねることはしないが、この憶測は外れていない気がした。




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