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ファーストダンスはあなたと


「また肖像画を描かれるのだが、今回はアルフェも一緒にどうだろうか?」


 そう兄に言われたのは、誕生日を迎えて15歳になったばかりの時期だ。

 兄と一緒に肖像画を描いてもらえるなんて、しかも画家は名のある大人気な人物であると聞いて一も二もなく頷いた。今までに家族らしい肖像画を描かれる機会はなかったから、若干憂鬱そうな兄が気になったものの私は嬉しい。

 兄が憂鬱そうな理由は、幼い頃から何度も画家に「お代など要らないからぜひとも描かせていただきたい」と熱烈に頼み込まれてきたかららしい。

 どうやら兄の存在は、芸術家魂を熱く震わせるものがあるようだ。気持ちはわかる。


(兄様は子供の頃から飛び抜けて綺麗でいらしたから……もし雪の精霊だと言われても、間違いなく信じた)


 しかも幼い頃は絶世の美少女と言っても良いくらいだったし、一歩外に出れば即座に誘拐されかねない程の見た目であった。今はそれなりに鍛えていて頼りなさは見えなくなったから、人攫いの危険はなさそうだけども。

 そんなわけで、今回も画家に頼み込まれて渋々承諾したのだと言う。ただ今回は私も一緒にということで、クライブ曰くいつもより格段に兄の機嫌は良いと聞いた。


 指定された日にはお気に入りの柔らかい薄水色のレースが美しいドレスを着て、嬉々として兄の宮へと訪れた。待っていた兄はいつも通りの服装である。

 だけど絵になればまるで普段の光景を切り取ったかのようになるわけで、それはそれで素敵だと思う。

 兄妹で接することは特別なことではなく、日常なのだと言われたみたいで。


(それはちょっと嬉しいな)


 窓から紫陽花が美しく咲く姿が映り込む場所に一人掛けのソファーを設置された。私が座り、兄は傍らに立つ形で描いてもらえることになった。


「兄様、長時間立っていらっしゃるのは大変ではありませんか? 場所を代わりましょうか」


 写真と違って長時間動いてはいけないので、心配になって見上げたら苦笑して首を振られた。


「私は式典で慣れている。それに、アルフェを立たせたままにするわけがないだろう」


 こういう時、兄はちゃんと兄をしてくれるのだなぁと少しくすぐったく感じられる。

 いつもみたく私の頭を撫でかけた手が、整えられている髪を崩してはならないと気づいたのか、所在なさげに宙を彷徨う。そんな無防備な姿を見られるようになったことが、一番嬉しいかもしれない。


 朝から昼休憩を挟み、空の色に夕暮れの赤さが混じりだす時間まで拘束された。

 ちなみに画家は、昼休憩の時間も一心不乱に兄の姿をスケッチし続けていた。彼曰く、それが心の休息になるらしい。その割に鬼気迫る眼差しは怖かった。兄が辟易としていた理由がよくわかった気がする……。

 ちなみに私はただ椅子に座っていただけとはいえ、それでも疲れた。体に変な力が入ってしまい、おかげで立ち上がる時には節々がギシギシと軋む。じっと観察される視線に晒され続けて緊張したせいもあり、終わる頃には顔が虚無になっていたかもしれない。


「帰る時に通る場所に、いままでの肖像画がいくつか置いてある部屋がある。興味があるなら見ていくといい」


 そんな私の姿を見て、気分転換させるためにか兄が帰り際に素晴らしい提案をしてくれた。

 つまりそこには、幼い日の兄の姿があるのでは!?


(絶対可愛いに決まってる!)


 見たい。当時に生身を見たことはあるけれど、やはり改めて見てみたい。


「ありがとうございます。ぜひ立ち寄らせてください」

「子供の頃のクライブと並んでいる肖像画もある」

「クライブの子供時代……!」


 思わず食い気味になってしまった。


「一人だけ描かれる間に動けないのが億劫で、クライブにも鍛錬を兼ねて付き合わせたことがある」

「だからクライブと一緒の絵があるのですね」


 乳兄弟とはいえ、当時は侍従だったはずのクライブと並んで描かれている謎な理由が兄の我儘だったとは。

 そのおかげでクライブの子供時代が見られるかと思うと、楽しみで口元が綻んでしまう。

 きっと小さい頃はクライブだって可愛かったに違いない!

 私の宮まで護衛を兼ねて送ってくれることになっていたクライブを笑顔で見れば、クライブはちょっとだけ微妙な表情になっていた。


「僕の姿は見ていただいて楽しいものではありませんよ?」

「小さいというだけで面白いです」

「面白がられましても……」


 さあ行こう。すぐに行こう。逸る気持ちを抑えきれずにクライブを笑顔で促し、兄に挨拶をしてからその部屋へと向かう。

 クライブの足取りがいつもより若干重い気がしたけれど、歩いていれば当然のことながら目的地に辿り着く。


「こちらの部屋となっています」

「わぁ……兄様が、いっぱい」


 クライブに案内された部屋は、少しだけ通路を逸れたものの帰り道の途中にあった。

 言われるままに部屋に入れば、いくつかの肖像画が飾られている。壁にかけられた大きなものから掌サイズの小さなものまで。画家の執念すら感じられる。

 部屋の中はザ・兄の歴史といった感じだ。アルバムが部屋になったようなものだと思う。

 全部で8枚あるので、幼い頃の兄の姿から思春期を迎えたあたりまでの姿に感嘆の息を漏らす。

 当時の兄も知っているけれど、鑑賞する余裕なんてなかったので改めてこうして見ると感慨深い。やはり幼なくとも兄は精霊の如く透き通る凛とした美しさがある。画家が魂を奪われた気持ちがよくわかる。過ぎ去って行く成長過程をなんとかして繋ぎ止めたいという意思には感謝しかない。

 でも私を図書館で見守ってくれていたという10歳くらいの頃の兄の姿を見れば、兄もこんなにも小さかったのだと気づかされる。


(兄様もこんなに小さかったのに、私を守ろうとしてくれてたんだ)


 あまりに尊くて、ちょっとだけ涙ぐみそうになった。

 そんな姿絵を通り過ぎると、棚の上にB5サイズくらいで少年二人が並んで立っている姿絵がある。


「これが……!」


 一人は11歳くらいの兄。となると、隣に並んでいる癖のない焦茶の短髪に緑の瞳の同じ年くらいの少年がクライブだろう。

 緊張しているのか唇を引き結び、真面目な顔をして立っていた。今より目が大きくて、頬も子供らしくまだ少し柔らかい膨らみが残っている。背は既に兄より高くなっているけど、まだ成長途中らしく肩幅も頼りなさが滲む。

 それでも凛と伸ばされた背には、精一杯の意地が見えた。

 そういう感情が読み取れるほどには、やはり画家の腕が良いのだろう。

 絵の中の幼い許嫁を見て、現在のクライブを見る。再び絵に視線を戻してもう一度確認してから、なぜか不安そうな眼差しになっていたクライブを見上げた。


「子供の頃のクライブは可愛いですね!」


 自然と笑顔が溢れた。

 素直な感想を告げたら、クライブが眉尻を下げて情けない顔をする。


「かわいい、ですか」

「クライブにもこんな頃があったのかと、感慨深いです。とても大きくなりましたね。さぞかし努力したのでしょう」

「それは……ありがとう、ございます」


 自分のまだ幼い頃の姿を見られて気恥ずかしいのか、焦茶の髪が僅かにかかる耳が少し赤くなっている。

 この頃は身長の方に栄養がいっていたのか、まだ頼りなさの感じられる姿は微笑ましい。


(それがこんなに立派になって……。つい、親戚のおば様みたいな感想になってしまうけれど)


 この頃のクライブには会ったこともないので、新鮮な気持ちで眺め眇めつつしてしまう。

 そんな私の姿に居心地の悪さを覚えたのか、クライブが私を覗き込んでくる。


「アルト様の幼い頃の肖像画は見られますか?」


 自分だけが幼い姿を見られたのが恥ずかしかったのだろうか。そんなことを言われてしまった。

 だけど。


「私の肖像画はありません」


 期待に添えず申し訳ないけれど、眉尻を下げて断りを入れる。

 するとその返答が意外だったのか、クライブが驚きに目を瞠った。


「ないのですか? 一枚も?」

「ないですね。一枚も。私の立場を考えれば、部外者に長時間、観察させる真似を許すわけがありません」


 部屋に二人きりとはいえ顰めた声で答えれば、クライブがハッと気づいた顔をした。

 人体をよく理解している画家に、男ではなく女だと見抜かれでもしたら私は処刑コースだったわけで、周りがそんな危険を冒すわけがない。

 幸い私には病弱という設定があり、無理をさせるなんてもってのほかだと思わせていたし、外部の人間とは極力会わせないようになっていた。実際、体を毒に慣らす工程で寝込む日が多かったのは事実であるので、虚弱体質を疑われたこともない。

 それにあの頃は両親も私に関心がなく、当時は兄も表立って私に構うことは許されなかった。

 おかげで、肖像画を描かれるという経験を免れてきた。そのため、幼い頃の私の姿絵というものは存在しない。

 そう言えば、クライブが顔を強張らせる。


「申し訳ありません」

「いえ、謝っていただくことではありませんし……ああ、そういえば姿絵が全くないわけでもないかと」

「あるんですか?」

「肖像画というほどではありませんが、よくメル爺が手慰みに私の姿を描いてくれていたような記憶が」


 言いながら思い出した。

 そういえば、メル爺は絵が上手かったな、と。幼い頃はよく強請って猫や小鳥、リスなどの小動物を描いてもらった記憶がある。

 その中で、メル爺が私も描いてくれていたと思う。


「もちろん本格的なものではなく、さらさらとスケッチされたものでしたけれど」


 ちなみにメル爺は仕事柄、遠征先で部隊の人間を覚えておく為に人の特徴を掴んだ絵を描くのが上手かったそうだ。

 というのも戦争だったから亡くなる人も多く、正確に誰がどのように亡くなったのかを記録する時の補助として身についた技術なのだとか。

 理由を聞いてしまうと悲しい気持ちになるものの、私に絵を描いてくれていたメル爺は穏やかな眼差しをしていた。私が喜ぶと得意げな顔をしていたので、絵を描くこと自体は気に入っていたのだと思う。


「それは、今もお手元にあるのですか?」

「私は持っていませんが、もしかしたらメリッサが保管しているかもしれません」


 動物を描いてもらった紙はいくつか保管していたけど、走り書きが多かったから成長する過程で処分してしまったのだと思う。

 でもその内のいくつか、私の姿絵に色付けしたものを、メリッサが嬉しそうに貰っていた記憶がある。


(普通に考えたら、もう捨てられていてもおかしくはないけれど……でもメリッサだから)


 当時のメリッサの喜びようを思い出すと、今も持っている気がしなくもない。

 私の姿絵の何がそんなに嬉しいのかわからなかったけれど、笑顔のメリッサを見るのは好きだったので、それらを回収されることを特に気にしたこともなかった。今考えると首を捻りたくなるものの、アイドルの写真を大事にする行為に似ているだろうか。

 

「それは見られますか?」

「見たいのですか?」

「幼い頃のアルト様のお姿は見たことがないので、見せていただけるとあらばぜひ見たいです」


 クライブが真剣な顔で頷く。あまりにも真剣すぎてちょっと引いた。

 幼い頃の私は、どう見てもただの小さな王子様って感じだと思うのだけど……見てどうするのだろうか。楽しいかどうかといえば、それほど面白くはないはずなのだが。


「メリッサに聞いてみますが、期待はしないでください」


 しかしクライブがあまりにも期待してくるので、渋々頷いた。



   *


 かくして現在、私は自分の幼い頃の姿絵が大切に保管された冊子を手に持って虚無顔をしている。


(まさか、まだメリッサが持っていたとは……)


 メリッサに私の幼い頃の姿絵を持っているか期待もせずに尋ねたところ、「もちろんございます」と大きく頷かれて倒れそうになった。

 なんとか持ち堪えて、見せてもらえるか頼んだところで渡されたのがB5サイズの冊子である。そう、まさかの冊子。

 中には私の絵姿が大切そうにスクラップブックのように貼り付けられて保管されていた。綺麗に淡くパステルで色づけされたものから、ペンで走り書きされたようなものまで。あますところなく。

 メル爺はメリッサのことも可愛がっていたから、メリッサが気に入っていた絵には彩色までしてくれていたと言う。

 私の知らないところで、そんなことが……。

 尚、貸してくれる時にメリッサから、


『私の宝物ですから、必ずお返しください』


 と念を押された。

 ……何度も言うが、保管されているのは私の姿絵なのだ。複雑な気持ちを抱きつつ、有難く借り受けて頁を開けば、そこには想像していたより柔らかい世界が広がっていた。

 うたた寝している幼い顔。真剣に絵本を読む姿。焼き菓子に嬉しそうにしている横顔。暇そうに外を眺めているだけのものもあれば、メリッサとダンスの練習をしている姿のものは淡い彩色がされていた。

 メリッサはそのダンスの絵が一番好きなのだそうだ。私もその絵はとても好きだと思う。

 珍しくセインと私が並んでいる姿もあって、こうして紙に描かれるとよく似ていてもセインの方が目が鋭く見えていたのだな、と気づかされたりもした。

 ただやはりメリッサの嗜好に偏っているので、私単体が圧倒的に多い。メル爺が描くのも私が多かったせいもあると思う。


(これをクライブに見せることになるなんて)


 想定外なほど日常が滲み出ていて恥ずかしいものがある。

 とはいえ、約束は約束。私もクライブの少年時代を見てしまったわけだから、見せないのはフェアではないでしょう。


「というわけで、メリッサから私の姿絵を借りてきました」

「思っていたよりずっとすごいものでした」

「実は私も驚いています」


 今夜はダンスの練習をする為に、クライブが仕事帰りに後宮の広間に訪れていた。

 休憩時に広間の端に置かれている長ソファー脇のテーブルにお茶の用意をしてもらってから、覚悟を決めて手渡したそれは、思った以上に立派な冊子だ。クライブが受け取って慄いている。

 私も借りた時は絶句した。

 表紙は立派な分厚い紙に布張りまでされている。綴じ紐の年季の入ったやや色褪せたブルーのリボンは歴史を感じさせる。それもほつれたりはしていないので、大事にされてきたことが伺えた。


「それでは、失礼します」

「私のものではありませんが、どうぞ」


 一言断ってから頁を捲るクライブの隣で、気恥ずかしいのを堪えて澄ました顔で紅茶を口に運ぶ。

 それでもさりげなく横目に伺うと、クライブは丁寧に一頁ずつ眺めていく。ちょっと口元を綻ばせたのは何を見たのか気になるところ……。


「アルト様は小さい頃からあまりお変わりがないのですね」

「失礼では?」


 不意にあまりにも予想もしていなかった感想を言われた。思わず息を呑み、間髪入れずに切り返した。

 こんなにも立派な皇女に変わったというのに!? その目は節穴なの!?

 まじまじと信じられないものを見る目でクライブを見つめれば、慌てて「絵から受ける印象が変わらないのです」と弁解される。


「印象が……?」

「絵から感じ取れる雰囲気が、素のアルト様なのだなとわかります。そういうところは、おかわりになられていないのかと。僕は、こちらのスラットリー老の描かれた絵が好きです」


 柔らかい声音で語られる感想が、すとんと胸に落ちてくる。

 目尻に柔らかい感情を乗せて優しい目で絵をなぞる姿は、好きだと言葉で言われるよりもわかりやすく感情を伝えてくる。

 なんだか胸の奥がもぞ痒くなって、浮ついた気持ちに釣られて体まで宙に浮いてしまいそう。慌てて爪先で床をきゅっと踏み締める。

 

「この辺りは、僕も知っている頃のアルト様ですね。素のアルト様はこんな風だったと知れて、新鮮な気持ちです」


 クライブが指で指し示したのは11歳くらいの私だろうか。

 たぶんクライブが成人を迎えて、自分の宮の外に行く兄にも付いて歩くようになった頃なのかも知れない。

 ちなみに私はいまいちその頃のクライブを覚えてはいない。兄の乳兄弟だと知ってはいたものの、兄の周りの人はだいたい私に敵愾心を抱いていた。関わりたくなかったので特に避けていた。私がクライブをよく知っていたのは、あくまでも前の生でのゲームの知識が主なのだ。言えないけれど。


「この頃からアルト様を知っていたら、また違っていたのでしょうか」


 ふと、前の方の頁に戻ってクライブが呟く。それは少し後悔を滲ませているように聞こえた。

 だから、あえて言ってみる。


「私は、この頃に会っていなくてよかったと思っています」


 意外だったのか、クライブが目を瞠って私を見た。


「よく考えてみてください。この頃に出会っていたら、クライブはきっと私に会う度に親切心で強くしようとして、きっと私がボロ雑巾になるまで扱いたに違いありません」

「さすがにそんなことはしないと思いますが」

「どうでしょう? セインにしたことを考えれば、やりかねないかと」

「……ボロ雑巾にまでは、しませんよ」


 ちょっとだけ目が泳いだので、自分の性質を思い出してくれたのだろうか。


「きっと私はクライブを苦手にして、逃げ回ったと思うのです」

「なんとなく、それは想像できてしまいます」


 クライブが苦笑して頷く。私の性格はよく把握してくれているようでなにより。


「それに生憎と私はあまり勉強の出来る子供ではなかったので、この当時に兄様の傍にいたら劣等感の塊になってしまったと思うのです」

「アルト様……」


 クライブはお世辞にも「そんなことはありませんよ」と言わなかった。なぜならば、私は苦手科目に関してはとことん駄目なことを知っているからだ。

 以前、出された課題がわからなくてクライブに教えを乞うたことがある。最初は丁寧に教えてくれようとしたクライブだったけど、初歩の段階で私が全く理解できないと気づくなり、笑顔でペンを置いた。


『アルト様の苦手な分野は、僕が補えばいいことです。夫婦になるのですから』


 そんな言葉で、潔く匙を投げられたほどなのだ。

 そ、そこまで酷かったというの? と思ったけれど、たぶん酷かったのだろう。残念ながら。

 

「だから出会う時期は、これが最良であったと思います」


 柔らかく微笑みかけて、手を伸ばしてゆっくりと冊子を閉じた。

 昔に思いを寄せることはしても、過去に手を伸ばすことは誰にもできない。

 幼い頃から出会っていれば、と思ってしまう気持ちはわかる。特に兄は、もっと前に手を差し伸べていればよかったのではないかと、たまに考えているようではある。

 だけど今までの時間を積み重ねたから、今があるのだ。逆に考えればそれらがなければ、今はきっとなかった。

 だから、これでいいのだと思う。


(……でも。もし「それでも」と思うなら)


「これから、一緒にいられれば良いのですから」


 まだまだ共に歩き出したばかりで。この先の方が、きっとずっと長いのだから。

 過去に囚われるより、未来を見据えて歩いていきたい。これからは、一緒に。

 そんな気持ちを込めて、立ち上がって手を差し出す。

 一緒に歩いて行く為に乗り越えなければならないことは、きっとこの先にも色々あるだろうから。


(たとえば、新年で踊らなければならないファーストダンスだとか)


 私が口にしなかった部分を汲み取ったのか、クライブも微かに笑って私の手を取った。


「もちろんです」


 不意に手を引かれて引き寄せられ、腰を抱え上げられてくるりと勢いよく回された。

 思わず「ぎゃっ!」と悲鳴をあげる羽目になったあたり、ちょっとだけ先が思いやられたのは秘密だ。



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