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肉とナイフと私


 どうやら私は、思っていた以上に甘やかされて育っていたらしい。


 ……ということに気づいたのは、兄の宮に招待されて晩餐を共にしている時だった。


(どうしたものかな)


 現在、兄の住まいである皇太子宮の食堂である。

 いわゆるお誕生日席には父が座り、その斜向かいに兄が座っている。長いテーブルを挟んで兄の向かいには私が座っており、いわゆる家族団欒の図である。

 とはいえ、仲良し家族感があるかといえば、そうでもない。

 父と兄は私にはわからない難しい仕事の話をしている。元々、この晩餐は父と兄が時間を節約するために設けた会合の場であったのだ。

 たまたま私にも話したいことがあり、父に時間をとって欲しいと頼んだら、この場に捩じ込まれたのだった。兄は快く受け入れてくれて、私の分の食事も用意してくれた。

 普段は一人きりで食事をしている私は、どんな顔でこの二人と食事をしたらいいのかと戦々恐々していたのだけど、先程から彼らは気にした様子もなく淡々と話し合いをしている。

 しかし親子というより、上司と部下……否、多少はそれより距離が近い分、容赦がない感じはする。

 これが父と息子の会話か……?と思って聞き流し、自分が話す番が来るまで食事と向き合っていたわけだけど。


(どうしよう。お肉が切れない)


 目下、私の悩みはそこである。

 二人が話している隙にさっさと食べてしまおうと思っているのに、出された肉のステーキが切れない。

 上等な肉なのだけど、いかんせん毒味がされているので焼いてから時間が経っている。すっかり冷え切っていて硬くなってしまっていた。

 それ自体はいつものことだからいいとして、問題はナイフが通らないことにある。

 勿論、力を入れて皿の上でナイフを派手にガチガチ鳴らしながらギーコギーコと切って良いならば、私にだって切れるだろう。

 しかし、今はいつものように一人きりではないのだ。

 兄もいれば父もおり、さすがに私たちが揃うとなるとそれぞれの護衛騎士も壁際に控えているし、給仕だっている。

 しかも真剣に国家を左右する話をしている中、無責任に派手な音を立ててギーコギーコと切る度胸はない。


(兄様達はどうされてるんだろう)


 時折カラトリーが皿に当たるカチャカチャした音は聞こえてくるものの、耳障りではなくひどく静かな部類だ。

 さりげなく彼らの手元を見たものの、肉を断つのに苦労している気配が全くなかった。すでに半分以上の肉は胃の中に収まっていると見受けられる。


(もしや、私のナイフだけ切れ味が悪い?)


 疑ってナイフを見たけれど、至って普通の磨き抜かれた銀食器である。父と兄も同じものに見える。

 となると。


(握力か腕力が足らないだけ!?)


 父と兄は苦もなく切り分けているけれど、あの一瞬に凄まじい力が込められているに違いない。優雅に見えるその裏では、実はすごいことをしているのだ。きっと。さながらそれは、水面下で必死に足を掻く白鳥のように!

 ちなみにいつもは、私に出される肉は一口大に切って提供されている。

 確か幼い頃は切られずに出ていた覚えがあるけれど、毎回私が四苦八苦しているのを見て給仕が哀れに思ったのだろう。テーブルマナーに問題はないと判断されてからは、いつしか一口大に切られて出されるようになっていた。

 どうやら甘やかされていたらしい。そんなことに、今頃気づくなんて。

 けれど兄の宮は厨房が別なので、料理人も違う。即ち私の食事事情など知るわけがなく、肉は塊のまま出てきた、というわけである。

 途方に暮れて顔を上げると、兄の背後の壁に陣取っているクライブと目が合った。

 一瞬、気遣わしげな目をされたから、父と兄を前にして緊張して食事が喉を通らないと勘違いされたかもしれない。

 ごめん。別にそういうわけじゃない。もっと根本的な問題なのだ。


(フォークで突き刺して丸齧りするわけにもいかないし)


 こういう場で出される以上は良い肉のはず。なのに、まだ一口として食べられていない。悔しい。とても悔しい。添えられた人参のグラッセしか食べてない。私がウサギなら大喜びだけだっただろうけど、残念ながら雑食の人間なのだ。お肉も食べたい。


「アルフェ」

「!」

「次は、おまえの話を聞こう」


 絶望に打ちひしがれていたところで、どうやらいつの間にか兄との話を終えていたらしい父から声が掛かった。

 一瞬、肉を食べていない私を見て僅かに眉を顰められたが、けしてダイエットをしているわけでも、好き嫌いをしているわけでもないのだ。私だって、食べられるなら食べたかった!

 とはいえ、ここでそんな弁解をしている場合ではない。

 父に空色の瞳を向けられたので、背筋を伸ばしてナイフとフォークを置く。

 兄と父は四分の一を残す量となっており、私が話している内に食べ切ってしまうだろう。残念だけど私の食事はこれでタイムオーバーとなり、自室に帰ったらお茶でも飲んで空腹を紛らわすことになりそう。悲しすぎる。

 そんな嘆息を噛み殺しつつ、ここに来た本題を切り出した。


「バール伯爵領で気になる点がありました」

「バールか……小麦生産に重点を置いている領だな」

「はい。あの領の周り一帯の食糧庫とも言える場所です」

「さして問題がある領ではなかったはずだが」


 父が淡々とした口調で問いかけてくる。

 そう、バール伯爵領は安定した領地と言える。税もきちんと納めているし、悪い噂も聞かない。

 だけどなんとしても問題を炙り出さんとして、この二週間はずっと図書室に篭って調べまくっていた。

 理由はひとつ。


 バール伯爵家の次男が、メリッサに言い寄っているからである。


(いくら私でも、よほどの事がなければメリッサの婚活に首は突っ込まないのだけど)


 しかしメリッサが迷惑をしているならば、話は別だ。

 メリッサもうまく躱しているようだけど、メリッサの立場では断り難い案件もある。

 特に今回のバール伯爵領は、メリッサの家であるマッカロー伯爵家の隣領。食糧はそこから主に仕入れている為、あからさまにお断りしにくい相手と言える。

 下手に断って関係が拗れ、食糧流通に圧力をかけられて領民を困らせるわけにはいないと、メリッサは暗い表情をしていた。

 バール伯爵家としては、一人娘であるメリッサに婿入れした自分の血族がマッカロー伯爵になることは両手をあげて歓迎したい事だろう。そんな無理を通さないとは言えない。


(しかも、バール伯爵家の次男は32歳なんだよね)


 メリッサとは17歳差である。

 もちろん歳の差があっても、お互いに惹かれ合うならば問題はない。

 だがバール伯爵家の次男は顔が良くて、人あたりも言い分、いままでかなり激しく女遊びをしてきたと聞いている。その分、女性の扱いは心得ているだろうし、強かでもあるだろう。次男だからスペアとしての教育は受けてきただろうし、伯爵家の当主としては問題なさそうではある。

 が、今まで散々遊び歩いておきながら、そろそろ落ち着く相手として、世間を知らなそうな無垢な15歳の娘を選ぶ心根に対して、メリッサは猛烈な嫌悪感があるそうだ。

 

(気持ちはわかる。メリッサから見たら、自分の父親の歳に近いわけだし)


 いくら条件的に良くても、人間的に無理ならば仕方ない。

 私はメリッサには幸せになってもらいたいので、そのための障害となるものはどんな手を使っても排除する所存。

 先日も一人、メリッサを困らせていた難のあった人間の家の問題を炙り出して、領地に送り返したばかりである。

 勿論、メリッサが「ごめんなさい」とお断りするだけで済めばいいけれど、そううまくいくばかりではない。かといって私が口を出すと、貴族の勢力図に王家が過干渉してくると思われるので難しい。

 結果として、こうして密かに排除する方向に向かってしまう。

 恨むなら、メリッサに嫌われる性質の自分自身こそを恨んでもらいたい。

 でもおかげで国は綺麗になるし、メリッサは喜ぶ。これぞ一石二鳥。それに兄も父も何も言わずに淡々と処理してくれたので、きっと黙認されているのだと思う。

 そんなわけで、今日もこうして話を聞いてくれる時間を取ってくれたのだろう。


「バール伯爵家に関して、結論から言えば、人口が10年前に比べて一割減となっているのです」

「一割か……」

「小麦の収穫流通量に対する税額は変動がありませんが、人頭に対する税収は徐々に減っていました」


 父が僅かに眉を顰める。

 一割減はありえない数字ではないけれど、さすがに10年でそれだけ減るのはどうなのだろう。

 バール伯爵領は食糧庫を兼ねるだけあって気候は比較的安定している地域であり、流通を兼ねる街もあって活気がある為、人口も決して少ないはないのに。


「過去10年の気候状況を確認しましたが、大きな災害や疫病はありません。また参考までに近隣の領の人口推移ですが、一定していて変動はありませんでした。王都への移民も確認しましたが、バール領からが特に多くなったわけでもありません。死亡率が上がって、出生率が下がっているのです」


 元々この世界は、人々の移動には長けていない。商人達はいつも命懸けであるし、普通は生まれた領で生涯を暮らす。一生、生まれた村から出ないことも珍しくない。

 更に農家は働き手としてある程度は無理して出産もするから、そこまで人口が減るのは考えにくいのだ。


「ですが、小麦の生産量は10年前と変わらないのです。一割も人口が減っているにも関わらず」


 そして便利な農業機械がないこの時代、すべて人間の手が必要となる。かなり広大な農地である以上、一割も働き手が減れば農民は悲鳴を上げるだろう。しかし、問題が起こっているという話は聞かない。

 それに一割も減れば、バール伯爵家として国に何らかの補助を申し入れてきてもおかしくはない。だけど、そんな履歴もなかった。

 

「アルフェから見て、怪しいと?」

「私にそこまでは言えません。ただ、状況のご報告です」

「なるほどな」


 後の判断は父と兄に任せる。私にできることは、ただ調べた事実を告げることだけ。

 持ってきていた調査書類と統計した用紙を纏めたものをテーブルに出した。父に目線で促された父の護衛騎士である近衛騎士団長が近づいてきたので手渡す。

 彼は受け取った後で父を振り返り、その時になぜか父の目がチラリと私の前に置かれた皿に向けられた。

 もちろん、食べている余裕なんてなかったから先ほどと変わらないサイズの肉が悲しく乗っている。

 騎士団長は改めてこちらを振り返り、目を細めて微かに微笑んだ。


「失礼します」


 そう一言断ってから、なぜか私のステーキ肉が乗った皿が回収された。そして、それは父の前に置かれる。


(私のお肉が……!)


 食べないと思われて、父が食べることにしたのだろうか。父はナイフとフォークを手に、優雅に肉を切り出した。

 確かに食べられなかった私が悪いのだけど、目の前で自分の分だったステーキが食べられるのは切ない。

 無意識に父の前に置かれてしまった皿を、失望を滲ませて見ていたのかもしれない。

 父が溜息を吐き出して再び顔を上げた。傍に立ったままだった騎士団長を見上げると、心得たように彼は頷いた。なぜか皿を取り上げて私に近づいてくる。


「失礼します」


 先程と同じ一言を添えて、皿が私の前に戻ってきた。

 ちなみにステーキは綺麗に一口大に切られている。まじまじと見て、思わず顔を上げて父に見入ってしまった。


(あのお父様が!?)


 よりによって、父が!? 食べられるように切ってくれたというの!?

 まんまるく目を瞠ってしまったせいか、父が煩わしげに目を細める。

 慌てて「ありがとうございます」と口にすれば、鷹揚に頷かれた。

 なんというか、……この人も、人の親だったんだなって。

 いや、確かに私の父ではあるのだけど。

 どんな顔をしていいかわからずに前を向いたら、兄が微かに笑って頷いてくれた。兄の後ろにいるクライブの目も微笑ましげに見えて、少しだけくすぐったくなった。




 尚、この後でバール伯爵家は人口を偽造して人頭税を誤魔化していた事が発覚して、大問題になった。

 バール伯爵家の次男とメリッサの婚姻は無事に流れたので、メリッサが安堵している姿を見て心から微笑んだ。

 やっぱり生涯を共にするなら、心から望んだ人がいい。

 ……この後で、まさかニコラスになるとは思っていなかったけれど。



 そういえばあの後、クライブから笑顔でやたら切れ味のいいナイフを贈られた。

 許嫁へのプレゼントとしてはどうなのだろう……

 と思わなくもなかったけれど、便利なので愛用している。



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