違う、そうじゃない
※シークヴァルド視点
たまには気分転換に剣の手合わせでも願おうか。
そんなことを考えて、訓練広場に向かうクライブに付き合って共に赴いた。夕方になる少し前であるこの時間ならば、アルフェも訓練広場横の医務室まで散策に来るという。様子見がてら丁度いい。
訓練広場に近づくと、どうやらアルフェはもう来ていたようだ。遠目に護衛騎士であるラッセルと木の下で話している姿が見えた。
一言二言話すと、なぜかラッセルはアルフェから離れて急ぎ足でどこかへ行ってしまった。
訓練中の騎士達の目も届く場所ではあるが、常ならば他の護衛騎士に託してから離れるはずだ。怪訝に思って僅かに首を捻ると、隣にいたクライブも渋い顔をしている。
(なんと不用心な)
苦々しく呆れる私たちの気も知らず、一人になったアルフェは不意に手を上へと伸ばした。そのまま木の下で、ぴょんぴょんとウサギのように勢いよく飛び跳ねる。
ちなみにドレス姿だ。跳ねるたびにドレスの裾が翻る。皇女らしからぬ暴挙である。
何をしたいのかとよくよく見れば、手の届かない場所に帽子が引っかかっていた。
今日は風がかなり強いから、どうやら飛んでいって木に引っかかってしまったらしい。
アルフェがちょっと飛んだくらいでは到底無理な位置だが、いけると思ったのだろうか。少々自分を過信しすぎてはいまいか。
案の定、すぐに無駄だとわかったのか飛ぶのは諦めたようだ。
そのことに安堵する間もなく、今度はアルフェはドレスのスカートをたくし上げるではないか。
まさか、と動揺のあまり目を瞠って言葉を失った。
ドレスの裾から伸びた白い足は、木を蹴り上げて揺らそうとしているのでは。待て、とにかく待て!
自分が皇女である以前に、年頃の娘であることすら忘れているのではないだろうな!? だいたい足の方を痛めかねない!
「何をなさってるんですかッ!」
「!」
動揺しすぎて焦る余り声を忘れていた私より先に我に返ったのは、クライブの方が早かった。
咄嗟に声を荒げたからか、アルフェがビクリと震えてこちらを見た。クライブと私の姿を見て、一瞬バツが悪そうな顔をする。
だがすぐに何事もなかったような澄まし顔になると、瞬時に足を下ろした。優雅に指先でスカートを払う。
「ごきげんよう、兄様」
それで誤魔化せると思っているのか?
一体なぜそんなに雄々しく育ってしまっているのか……皇子として育てられたにしても、今のはない。
「アルフェ」
「兄様の仰りたいことはわかります。脚立が届くまでおとなしく待つべきでした」
目を細めてこちらが苦言を呈するより先に、先手必勝とばかりにアルフェが反省点を述べた。アーモンド型の深い青い瞳は理解していると言いたげに思慮深そうな様相だ。
しかし、違う。言いたいことは脚立の有無ではない。
というか、その言い方だと脚立が届いたら自分で乗って帽子を取るつもりかのように聞こえる。
嫌な予感しかしない。念の為に、不信感を拭いたくて口を開く。
「こういう時は、もっと周りの人を使うことを考えなさい」
やはり周りに頼らないように育ってしまった弊害だろうか。皇女でなくとも、かよわい少女の身ならばもっと周囲に甘えてもいいだろうに。
思わず痛むこめかみを押さえながら教えてやれば、アルフェが難しそうな表情になった。
「人を使う……」
呟いて、私の隣で同じく苦い顔をしていたクライブをなぜか見る。
そして意を決したように頷いた。
「ではクライブ、ちょっとこちらに来てください」
「はい?」
急に手招かれて、クライブは周囲に危険がないか一瞬視線を走らせてから、アルフェの前に立つ。
アルフェは少々顔をこわばらせながら、両手をクライブに向かって伸ばした。
「私を抱え上げてください。そうすれば届くと思いますから」
「え? あ、はい」
クライブから見たら、それは抱き上げてくれと甘えられているように映ったのかもしれない。
なんせ恋は盲目というくらいだ。
クライブは間抜けに呆けた後、言われるままに屈んでからアルフェを腕に抱き上げた。クライブの力ならば、アルフェくらい難なく抱き上げられる。
いやだから、ここでおまえが抱き上げてどうする!
アルフェはクライブの肩に手をつくと、伸び上がって枝に引っかかっていた帽子を回収した。
そして私を振り返り、やりました、と言わんばかりに頷いてみせる。誇らしげにすら見えた。
だが違う。そうじゃない。
(人を使えというのは、物理的に人間を脚立にしろというわけではなかったのだが)
と言いたかったが、目の前で抱き上げたままの状態の二人が「今度からは周りに頼んでください」「この程度のことで邪魔したら迷惑でしょう」「あなたを手助けすることが周りの人間の本来の仕事です」と小言という名の睦言を始めたので、出る幕がなくなってしまった
いいから、まずは下ろしたらどうだ。
なんだか二人を見ているだけで当てられて胸焼けしそうになる。
なぜ私は気分転換にきたはずなのに、妹と乳兄弟の相思相愛ぶりを見せつけられねばならないのだろう。
そこでようやく、脚立を持ったラッセルが急いで戻ってきた。
クライブに抱え上げられたままのアルフェの手に帽子があるのを見て、納得顔になって再び脚立を手に戻っていってしまう。
どうやらこういったことは日常的にあるのだと思い知らされた気分で、思わず深いため息が溢れた。
とりあえず予定を変更して、私は今からアルフェに説教をする羽目になりそうだ。
2023-04-17 Privattrより再録




