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ランス領名物の菓子


 先日、歌劇場に招かれた。クライブのエスコートで出向き、個室で優雅に観劇した。そこまではいい。

 その際に気づいてしまったことがある。


(この国、ポップコーンが売ってない!)


 いや、前の生でも観劇中の飲食はご遠慮くださいと言われていた。しかし映画館では、一定数の観客がポップコーンとドリンクを手に楽しんでいた。

 個人的には映画鑑賞は集中したい派だったので滅多に買わなかったものの、コラボしていたりするとつい手が出たものだ。

 結局映画を観ることに夢中になり、食べきれずに持ち帰っていたけれど。映画を思い返しながら口にするポップコーンの若干しけた味も懐かしい。

 そして一度懐かしいと思ってしまうと、手にしたくなるのが人間というもの。

 ポップコーンの作り方自体は簡単だ。学生時代に友人宅でお泊まり会をした際に面白がって作ったことがある。

 ポップコーンと油と塩、フライパンと蓋があれば出来る。もしくは、バターやキャラメルソース。


(ただ問題は、この国ではトウモロコシは家畜の餌)


 なにせトウモロコシは足が早い。収穫して時間が経過するごとに甘みが抜けていくのだ。収穫してから3、4日が限度。冷凍庫のないこの世界では、運搬に日数がかかるものは市場に出回らない。乾燥させて家畜用飼料としての運用が主となる。

 私が欲しいのは生ではないから、手には入ると思う。

 ただ、仮にも皇女が家畜の餌を食べたがるのはどうなのだろう……世間の目を考えると悩ましい。

 と思ったのは一瞬で、心は簡単に欲望に屈した。


(美味しいは正義)


 取り寄せ品リストに『トウモロコシ』と記載してメリッサに手渡す。一覧を確認したメリッサは僅かに首を傾げたけれど、たまにクライブと一緒に見に行く馬のおやつ用だと判断したらしい。何も聞かずにリストを持って下がっていった。

 ごめん。食べるのは馬じゃなくて、私なんだ。




 後日、乾燥トウモロコシは無事に手に入った。

 いそいそと侍女のお仕着せに着替えると、いくつかの袋に入ったトウモロコシを手に厨房に向かう。

 尚、袋によってトウモロコシの種類が違う。弾けないトウモロコシもあるらしいので、念の為にいくつか取り寄せてみたのだ。用意周到さを褒めて欲しい。

 途中、進行方向が厩舎ではないことに気づいたラッセルが怪訝な顔をしたけれど、特に突っ込まれることもなかった。主の気持ちを第一に考えてくれる、よく出来た護衛騎士で素晴らしい。

 そんなあなたには、無事にポップコーンが完成したら試食させてあげよう。



 後宮内の厨房に辿り着き、顔を覗かせる。

 ちょうど今は昼食時間を過ぎたあたりなので、料理人達が遅めの昼食タイムだった。私の姿を見るなり、慌てて料理長とお抱え菓子職人のロビンが目を白黒させながら目の前にやってくる。

 従業員の福利厚生には気を遣っているつもりでいたけれど、楽しみ過ぎて来るのが早過ぎたみたい。


「休憩中に邪魔をして悪いことをしました」

「問題ございません。アルフェンルート殿下直々にこちらにおいでになられるとは、いかがいたしましたか」


 侍女服を着てきても、既に私が誰だかわかってしまっていることが無念。単に汚してもいい服を着てきただけだから変装のつもりはなかったけれど、料理長の渋い声に後ろで食べていた料理人達まで直立不動してしまう。

 ごめん。本当に食事の邪魔したいわけではなかった。


「作っていただきたいものがあります」


 しかしここで出直すと言ったら余計に恐縮されそう。早々に意識を切り替えると、袋を軽く掲げて用件を切り出した。

 私の掲げた簡素な布袋を見て、ロビンが顔を引き締める。若干強張っているのは、いつも無茶振りしてしまうから警戒されているのかもしれない。

 更にはいつもは調理法を記載した紙を渡すだけなのに、今回は私自ら出向いたので緊張させてしまったみたい。

 単にポップコーンが出来る様が見たかっただけなのだけど。

 何度目かわからない謝罪を脳内で呟きながら、持ってきた袋をロビンに手渡す。


「失礼します」


 断ってから中身を確認したロビンと料理長が、「え?」と言わんばかりの顔をして私を見た。どれを開けてもトウモロコシだからか、目を丸くして首を捻る。

 なぜ家畜用飼料を? って顔をしている。わかるよ。それ、本来は鶏の餌だものね……。

 しかし、元の味は不味くともポップコーンにしたいだけなので。

 大事なのは食感! 味は調味料を楽しむだけ!


「袋ごとに種類別に分けてあります。オリーブ油を引いたフライパンで、塩をまぶしたトウモロコシをしばらく炒めて、弾け出したらしばらく蓋をしてください」

「こちらを炒めるのですか?」


 ロビンの顔には「鶏に調理したものを与えたいのかな?」と書かれている。

 違います。我々、人類用です。


「炒めれば何が起こるかわかるはずです。……たぶん」


 自信を持って頷いてみたけど、弾けてくれるか不安になって不穏な一言を付け足してしまった。

 ロビンも料理長も、後ろで立ったままの料理人たちも微妙な表情に変わる。なぜわざわざ炒めるのだと言いたげだ。でも誰も皇女権力に逆らう気はないらしい。

 眉尻を下げたロビンが「では、まずこちらの袋から」と言いながらフライパンに向かう。

 その後ろを私も着いていく。ぎょっとされたけど、入るなとは言えないようで困った顔をされる。

 私も持ち込んだ以上は無事に弾けるか、この目で確認したい。


「火を使って危ないので少しお下がりください」


 しかし料理長は甘くなかった。フライパンを覗き込みたかったのに、前に立ちはだかれてしまう。これ以上は仕方ないか。


「それでは、調理していきますね」


 ロビンがホッとした表情になり、私が伝えた手順通りにフライパンに油を引いた。よく温まったところでトウモロコシと塩を投入して、ヘラで軽く炒める。

 それからそう立たないうちに、ポン!と軽快な音が響いた。


「うわっ!」


 白っぽく綿みたいになって弾けたコーンに、ロビンが焦った声を上げる。

 これは成功したのでは!?


「ロビン、蓋をしてください!」


 ポンポンと続けて弾け出したので慌てて口を出す。言われるままに急いでロビンが蓋をした。その後も立て続けにフライパンの中で弾ける音が響く。

 これは間違いなく成功している! 一発目で当たりを引くなんてラッキー!

 弾けなかったら、奇怪な目で見られながら全部の袋を試す羽目になるところだった。

 かくして蓋を開けたらフライパンいっぱいに出来上がったポップコーンを見て、私は満足げに唇を吊り上げた。


「完璧です」


 とりあえず見た目は。


「これで完成なのですか?」


 元の原型を留めていない物体に、料理長は厳しい顔だ。


「はい。あとは試食です。食べてみましょう」

「殿下は我々の毒味が済むまでお待ちください」


 笑顔で促して自分でも手を伸ばしたのに、さりげなく料理長とラッセルにまで遮られた。

 原料はトウモロコシと塩と油だけなのだから大丈夫なのに。

 思わず眉尻を下げてしまったけれど、元は家畜用飼料を皇女に食べさせるのは抵抗がある気持ちはわかる。何が起こっても彼らを処罰しないと、一筆書いて来るべきだったかもしれない。

 食べてみたくて待ち構えている私の前で、ロビンと料理長だけでなく、遠巻きにしていた料理人たちまで近くに来て試食を始めた。

 皆、研究熱心だ。


「なんだこの謎の食感!」

「かた…くない! カリッとふわっと!」

「トウモロコシの味自体はさほど強調しておらず、とにかく噛んだ感触が珍しい」

「おいしい……気がする」


 絶賛されるほどではないけれど、口に運ぶ彼らの手はまったく止まらない。

 それは私のおやつなのだけど……まだトウモロコシは残っているからいいけれど、私にも食べさせてもらえないかな。

 遠い目をして待っていたら、ラッセルが咳払いして彼らの注意を向けてくれた。ハッとした顔をして、小皿に数粒取り分けて渡された。

 嬉々として、まだ温かいポップコーンを口に含む。


(そうそう、コレ!)


 感動するほど美味しいわけではないけど、妙にやめられない味。シンプルな塩味が懐かしく、噛み切れるような歯に挟まるような微妙な食感を味わう。

 ああ、映画が見たくなる。


「次は塩ではなく、ハチミツをかけて作っていただきましょう」

「これにハチミツを!?」

「バターと塩もおすすめです」


 伝えるそばから、別の料理人が袋から取り出したトウモロコシを火にかけていく。

 どうやら皆、ポップコーンにハマってくれたようでなにより。

 ちなみに持ってきた内の2袋はうまく膨らまなかった。ちゃんと弾けたトウモロコシの産地だけを記憶する。

 ランス領で取れるトウモロコシもあるようなので、これを名産菓子にしても良いかもしれない。

 これまで色々試してきたけれど、これで決着がつきそう!

 大量に出来上がったポップコーンを味別にコップに入れてもらい、スキップしたい気分で厨房を後にしたのであった。




 早速、訓練広場に持っていけば、謎の形状の物体を見てクライブは首を傾げた。


「そちらは新しい菓子ですか?」

「はい。ぜひ皆さんで食べてみてください。忌憚ない意見をお願いします」


 そう言ってクライブに籠ごと渡せば、すぐに周りに声をかけてくれる。鍛錬の手を止めて、いつも試食係をしてくれる騎士たちが嬉々としてわらわらと近寄ってきた。

 こういう時は、なんだか男子高校生の集団みたいに見える。

 「新作だ」「新しい菓子?」「なんだこれ見たことない」「うわっ変な食感!」「美味しい…のか?」「じわじわくる」「甘い方が好き」「俺、しょっぱいの」「なぜだ…なぜかやめられない」などなど。

 彼らの表情と呟きを拾い上げて、悪くはないかと頷く。

 ちなみに私は試食で食べ過ぎたので、見ているだけ。

 クライブも幾つか口にして、「面白い食感ですね」と感心している。何度か手が伸びるので、受けは良い模様。

 それにホッと安堵して、クライブに近くに来るよう手招く。

 不思議そうに屈んでくれた相手に向かって背伸びをすると、耳元に内緒の話を囁いた。


「これをランス領の名物菓子にと考えていますが、どうでしょう?」


 安価で大量に出来るし、調味料も簡単に手に入る。ハチミツなどは高級品向けにして、塩は一般庶民でも食べられる。

 悪くない案じゃないかな。


「アルト様がよく新しい菓子を発案されていたのは、まさかその為だったのですか?」


 クライブが驚きに目を瞠って私を見下ろした。

 そのためだけではなかったけれど、一応はそうなる、のだろうか。

 思い返せば、近頃の一番の目的はそうだった気がする。

 それはなぜか、と言えば。


「少しでもあなたを支えられるお嫁さんになりたいので」


 そう言えば、クライブは目を丸くした後、心底嬉しそうに破顔した。

 そんな顔を見られただけで、なんだかもうやり切った気持ちになれてしまう。嬉しくなって、私まで顔が綻んだ。

 こうやって、あなたと歩く未来を話せることが嬉しい。




「それはそれとして、塩味の方は兄君もお気に召されそうですから、後で差し上げてはいかがでしょう」


 食べ終えた後、兄の嗜好をよく知るクライブが笑顔で太鼓判を押してくれた。


「兄様に? 差し上げても大丈夫でしょうか?」

「喜ばれると思いますよ」


 悩ましい顔をした私を見て、クライブが大きく頷いてくれた。そうかな。それなら兄様にも差し上げてみようかな。


(ただ、コレの元は家畜用飼料なんだけど……)


 皇子である兄に食べさせてしまって、本当にいいのだろうか。

 とは、口に出さないでおいた。


 世の中には、きっと知らない方が良いこともあるのだ。



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