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焼き栗と兄様

 

 いつもより朝早く目が覚めると、散歩に出ることがある。移り行く季節を感じるのが楽しいし、中庭には綺麗な花や面白い実もある。

 今の時期は夏も終わりを告げ、秋の清々しい空気が肌に心地いいので散歩日和と言える。

 となると今日辺りは、そろそろ……


(栗拾いだ!)


 動きやすさを重視して男装すると、編み上げブーツに足を入れる。つばの広い帽子も被ってから、寝室のテラスから庭に繋がる階段を降りて目的地に向かった。

 まだ早いからか、城門開門前特有の静けさが広がっている。しかしそんな時間だからこそ、働いている人達もいる。

 予想通り、よく日に焼けた庭師の男性が栗の木の整備をしているところに出会した。


「おはよう」


 声を掛ければ、昔に比べて皺の増した顔が微かに緩む。


「おはようございます」


 事前に承知していたかのように籠とトングを渡される。さすが十年以上も私の行動を見てきただけある。なんて用意がいいの。

 思わず頬が緩んでしまう。


「ありがとう」

「危ないので素手で触られませんよう、お気をつけください」

「はい」


 相手も目を細めて笑うが、庭師という立場的に私と交わす言葉は少ない。そこからは互いに黙々と、落ちている栗のイガを靴底で押さえてトングで栗を拾う。庭師は主に残ったイガを片付けていく。

 ひたすら無言で、地味な作業だ。とても皇女と庭師の行動とは思えない。

 まず私が栗拾いをすること自体がおかしいのだけど、誰も庭師の不敬を咎めないし、これまでも私は何も言われなかった。

 そもそも今もこうしてたまに男装しても、誰も何も言わない。

 余裕ができて周りを見ることが出来るようになった今だからこそ、大切に見守られていたのだと身に染みてわかる。



 幼い頃の私はあまり話さない子どもだった。

 思い返してみると、言葉が難しかったからだ。

 たぶん記憶にある異国の言語……即ち、日本語が邪魔をしていたのだと今ならわかる。

 生まれた時からこの国の言葉で話しかけられていたから、言われている内容はわかる。けれど、返事をする際に一部、日本語混じりになってしまっていたのだと思う。

 例えば日本人が外国人に道を訊かれた時、問われた内容はわかっても返答で「Go straight and turn 右に…right at……the 突き当たり?」みたいに、無意識にごちゃ混ぜになるのに似てる。

 ましてや子どもだから余計に私の話すことは通じなくて、困らせた顔をさせてしまうから話すのが苦手だった。自然と話すのは少なくなった。

 それに当時はメリッサがお喋りだったので、うんうん、と聞く方が多かった。あとは猫が遊び相手だったから、話す必要がなかったせいもある。

 メル爺が寝る前の読み聞かせを担当していたのも、辿々しい私の言葉を慮った部分もあるのだろう。私の特異性に気づかなかったのも仕方がない話だ。むしろ成長が遅いと心配させていたに違いない。さすがに今はもう問題ないけれど。


 そんな子供時代だったので、遊びも一人で黙々と出来ることが好きだった。


 本を読んで、塗り絵をして、これは後に稀少本に塗り絵をして取り上げられたけど。唯一出られる中庭へ散歩に出れば、蟻を眺め、トカゲに慄き、道に落ちている花や実を拾う。

 栗拾いも、楽しみだった遊びのひとつ。

 幼い頃に庭師がしているのを見かけて、面白そうだから真似をしてみたのが発端。しかもどんぐりと違い、栗は拾えば後で焼き栗にしてもらえる。

 おかげで庭師の手伝いをして駄賃を貰えたように感じて誇らしかった。嬉しくて、よく周りに自慢しがてら配ったりもした。


(実際は、遊ばせてもらっていただけなのだけど)


 思い出すとちょっと恥ずかしい。焼き栗を1、2個だけ渡された人達は困ったことだろう。

 メリッサはともかく、護衛騎士や周りの侍女、扉を守る衛兵にも配り歩いていた。みんな笑顔で受け取ってくれていたけど、迷惑でも皇子に贈られて断れる人はいないよね……。


(そういえば、一人だけ渡せなかった人がいた)


 籠に集めた栗を見下ろし、ふと思い出す。

 幼い頃はよく猫が私の後を着いてきて、図書室にも入り込んでいた。図書室の扉を守る衛兵に「猫はちゃんと連れて帰ってくださいね」と約束させられていても、相手は猫。

 基本的には側にいるけど、虫を見つけたら本能で追いかけてどこかに行ってしまうことがたまにあった。それを幼い私に捕まえられるわけがない。

 半泣きになって一人で扉から出れば、衛兵は「後で捕まえておきます」と言ってくれた。実際、猫は後から何食わぬ顔をして帰ってきていた。

 翌日、お礼に焼き栗を持っていけば、捕まえたのは衛兵ではなく「親切な方が連れ出してくださったのですよ」と教えてくれた。

 せっかくお礼に持ってきた焼き栗を自慢できなくて、ひどく残念に思ったものだ。

 何度かそういうことがあったけど、結局その親切な人が誰かは聞きそびれたままだ。名前を聞いたところで、当時の私には誰かわからなかっただろうけど。


(誰だったんだろう?)


 図書室に入れるほどの高官に、猫の扱いに長けた人がたまたまいたのだろうか。今なら聞けばわかるかも。


(ロシアンII世も世話になるかもしれないし)


 幸い、図書室の扉の衛兵は昔から変わっていない人がいる。いつも堅い雰囲気のおじさんだ。私が猫を連れているのを見ると困って渋い顔をしつつも、扉を開けてくれた。

 思い至ったところで、栗でいっぱいになった籠を両手で抱え上げた。トングだけ庭師に返す。


「栗は厨房に運んでおきましょうか?」


 毎回だけど、親切に訊いてくれる庭師に首を横に振る。

 厨房に持ち込んで、こんなに拾えたと自慢するまでが栗拾いなのだ。前の生を思い出した今となっては恥ずかしいけど、今更やめられない。

 そうでなくても、これも今年が最後。来年には、私は嫁いでいないのだから。


「ありがとう。自分で持っていきます。今年も豊作で嬉しく思います」


 私が毎年楽しみにしていると知っていて、ちゃんと庭師が世話をしていてくれたから。

 感謝の気持ちも込めて笑いかける。

 それが伝わったのか、庭師も嬉しさを滲ませて頷いてくれた。

 今年は庭師の彼にも、多めに贈ろうと思う。焼き栗を作ってくれるのは料理人だけど……そうそう、料理人にこそ、しっかり分けてあげなければ。



   *



 厨房で焼き栗を頼み、午後からはちゃんとドレスに着替えて図書室に向かう。

 今日も見慣れた顔の衛兵が扉を守っていることに安堵した。私の姿を見てすぐに扉を開けてくれたけど、入る前に衛兵の前で立ち止まる。

 当たり前だけど驚いた顔をされた。いきなりごめん。


「質問があるのですが、良いですか?」

「私に答えられることでしたら、なんなりと」


 堅い印象だけど、衛兵はいつも私と目線を合わせるためにしゃがんでくれていた。癖が抜けないのか、今も少し屈んで耳を傾けてくれる。


「昔の話になるのですが、私の猫を捕まえてくれたのはどなたか覚えていますか?」


 問いかければ、衛兵は一瞬固まった。目を泳がせ、護衛のラッセルを見て、困惑した表情を見せる。

 この様子だと、やっぱり覚えてるわけがないか。昔の話だから無理もないよね。私自身も忘れていたぐらいだから。


「覚えていないのならかまわないのです。無理を言いました」

「いえ……」


 衛兵は躊躇いがちに言葉を濁し、周囲に視線を走らせた。誰もいないことを確認して再びラッセルを見てから、意を決した顔で私を見る。


「殿下。お耳を拝借してもよろしいですか?」


 やけに真剣な顔で言われて、今度はこちらが驚いてしまう。

 えっ。相手はそんなにすごい人なの? 実は宰相だったとか? それとも猫好きなのは内緒にしてるだけの人とか……私が対応に困る相手だったり?

 知ったらまずいだろうか。でも好奇心が上に来た。

 一歩近づけば、衛兵が私にだけ聞こえるようにこっそりと耳打ちする。

 告げられた人の名は。


「ランス伯爵と、シークヴァルド殿下です」

「はくしゃく……」


 言われた瞬間、一瞬、頭が真っ白になった。

 ランス伯爵と言えば、クライブのお父さんだ。未来の私の義父でもある。なぜ、そんな人が。

 そしてシークヴァルド殿下と言えば、間違いなく私の兄で……


(兄様!?)


 こくり、と急速に乾いた喉を嚥下した。

 驚いてまじまじと衛兵を見つめれば、すぐに一歩引いた彼は私の動揺を肯定するかの如く深く頷く。

 つまり第一皇子と、当時の護衛騎士。

 いやでも、あの頃の私は兄と交流らしい交流はなかったのに。

 待って。そういえば、兄は図書室に通っていた私をたまに見ていたと言っていた。間抜けに寝こけている私の涎まで拭ってくれていたという恐ろしい黒歴史まである。

 まさか……それに加えて、猫まで世話になっていたの!?

 瞬きすら忘れて呆然と立ち竦む私を見て、懐かしむ眼差しで衛兵は続けた。その表情はひどく微笑ましく見える。


「よく白い猫を抱えて出ていらっしゃいました」


 長毛の白猫は幼い頃、よく側にいた猫に間違いない。


(そういえば、先日も)


 ロシアンII世が図書室まで着いてきて、探検に出てしまったのを捕まえてくれたのは兄だ。

 外したループタイで床に丸い輪を作り、暫く待ってそこに入ってきたところを捕まえていた。とても手慣れたものだった。

 てっきり兄のところで育った猫だから扱い慣れているのだと思っていたけれど。もし、もっと前から猫達が世話になっていたのならば。

 あの驚くほど手慣れた様子も、納得できてしまう。


(でも兄様はそんなこと、一度も言わなかった)


 昔は話す間柄ではなかった。それでも、わざわざ私の猫を捕まえてくれていたというの?

 それなら、もっとはやく言ってくれれば……あえて言うほどではないと思ったのだろうか。

 それは、なぜ?


(兄様にとって、それはやって当たり前のことだったから?)


 私の尻拭いをするのが。下の子の面倒を見ることは、兄として当然だと思っていたから……だったりして。

 じわじわと胸の奥から込み上げてくる感情を、何と呼べば良いだろう。

 じわりと温かくて、嬉しくて。でもなんだかちょっと泣きそうにもなる。鼻の奥が少しツンとするのは、嬉しくて滲みそうになる涙を堪えているせいだ。


(なんなの、もう……っ)


 兄はあんなに難しい立場だったのに。私を目障りに思ってもおかしくなかったのに。

 私の知らないところで、兄はずっと『私の兄』でいてくれていたのだ。


「教えてくれてありがとう」


 そしてこの人も。わざわざ私の立場が悪くならないよう、私だけに聞こえるように教えてくれた。

 目の前の人みたいに、こうやってさりげなく守ってきてくれた人がいたのだ。

 いつだって。今だって。


「後で今年の焼き栗を届けますね。今年は豊作なのです」


 泣きたい顔を笑顔に変えて、幼い頃からの礼を伝える。これだけじゃ足りないと思うけど、衛兵はにっこり笑ってくれた。


 そして残りの焼き栗は全部、兄の元に持って行こう。

 また「一体これは何なのだ」という顔をされると思うけど。せっかくだから、昔の話もしたい。きっと兄はちゃんと私の話に耳を傾けてくれるだろう。私が話したいと思えば、いつだって向き合ってくれていた。

 だから今日は。


「兄様が、私の兄様で嬉しかった」


 って。

 普通の兄妹らしく、栗を一緒食べながら告げてみたいと思う。



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