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兄と私の最近の距離

 

 それは私の何気ない一言が発端だったのだと思う。


「兄様も昔はおしのびで出掛けられていたなんて、想像が出来ません」


 なんの会話からそんな話になったのかは忘れた。兄に誘われてお茶を一緒に飲んでいた時だった。会話の流れで、以前から密かに思っていたことを述べたのだ。

 すると兄は薄い灰青色の瞳で私を見て、僅かに首を傾げた。


「今でもたまに城下には出掛けるが」

「え?」

「思えばアルフェと二人だけで出掛けたことはなかったな。今度出かける時に一緒に来るか?」

「え!?」

「兄妹水入らずで、たまにはいいだろう」

「……そういう機会が、もしありましたら……?」


 そんな会話をした。

 だけどこの時は社交辞令というか、その場限りの冗談だと思っていた。

 まさか本当に兄と一緒に出掛けることになるなんて思いもしなかった。それも、変装までして。


「兄様、これでよろしかったですか……?」


 そんなわけで、なぜか久しぶりの男装である。

 いきなり昼前に兄に呼び出され、城の内部を守る衛兵のものである濃紺の制服を渡されたのだ。着替えてくるように言われて兄の寝室に押し込まれ、意味もわからずとりあえず着替えて出てきたわけだけれども。

 出てきたら、兄も同じく濃紺の制服に着替えていた。兄だけでなく、本日の兄の護衛役であるクライブ、ニコラス、オスカーに加えて、私の護衛騎士であるラッセルまでもが濃紺の制服に着替えている。

 しかもラッセル以外は全員、狼狽えた様子はない。いかにも慣れた感じだ。恐る恐る出てきた私を見て、ニコラスが満足そうに頷く。


「見習い衛兵って感じで、ちょうど良いですね」


 言われた通り、制服のサイズは身長には合っていたけど私では肩幅が足りない。髪は以前のように後ろで一つに纏めると未だに少年に見えるので、言われた通り新人の見習い衛兵といった風になる。ちょっと制服に着られている感があるけれど。

 尚、兄はと言えば、長い白銀の髪は後ろできっちりと三つ編みに纏めており、細い銀フレームの眼鏡までかけていた。制服はよく似合っている。普段の少し気だるげに見える姿とは違い、今日は理知的なインテリお兄様という感じだ。

 おかげで新しい世界の扉が開いてしまいそうだった。見慣れない姿に身惚れそうになってしまったのは、兄の美貌が悪いと思う。軽率に妹の目を惑わすのはやめてほしい。

 それにしても、そういう姿をすると少しだけ父の姿が被った。お互いに母親似だけど、兄はあの父の息子でもあったのだなぁ……なんて、当たり前すぎる間抜けな感想も抱いてしまった。


「では行くか」


 兄は私を上から下まで流し見て、満足したのか一度頷く。そして躊躇いも見せずに促してきた。


「どちらへ?」

「以前に言っただろう。城下だ」

「本気だったのですか!?」

「さすがに二人きりというわけにはいかなかったが」


 残念そうに言われたけど、それはそうでしょうとも。いくら変装していても、この国の貴重な皇子と皇女を二人だけで野に放つわけがない。そんなことをすれば護衛騎士達の首が飛ぶ。物理的に!

 それでも護衛は精鋭の近衛騎士とはいえ、4人だけなのだと思われた。正気なの!?

 絶句して護衛騎士達を見る。

 クライブは苦い表情で、ニコラスは仕方ないなぁと言いたげな苦笑いで、生真面目なオスカーは厳しい顔をしていて、ラッセルは途方に暮れていた。

 ラッセルはともかく、他は止める気はないの!?


「無断で強行突破されるよりは、素直に従った方が被害が少ないのです」


 焦る私の前で、クライブが嘆息混じりに説明してくれた。 

 兄を見れば、「アルフェ一人ぐらい、この人数でも守り切れる自信はある」と淡々という。

 いや、私は自分の身の心配をしているわけではなく。むしろ兄の身が大丈夫なのかって話で!


「昼間の城下なら、中央部は平和なものですよ。アルフェ様ならよくご存知では?」


 唖然として固まる私にニコラスが話しかけてくる。

 確かに、一時期家出をしていた私は城下で生活していたから、街の雰囲気はわかっている。昼ならば人目もあるし、警備隊も巡回してくれているから路地裏や街の外れにでも行かない限り危険は少ない。

 痛いところを突かれて眉尻を下げる。そんな私の手を取って、兄は「そういえば、そうだったな」と同意する。


「せっかくだから、アルフェが見てきた街を私に説明してくれ」


 そう言われてしまったら。

 家出をした黒歴史を持つ私には、頷くことしかできなかったのだ。



   ***


 城から馬で城下街の入り口まで来て、馬を預けて街に入る。尚、私はクライブに同乗させてもらった。それでいいのかと思ったけど、見習いならありえる話らしい。

 そんなわけあるだろうか。騙されてる気がする。

 街はちょうど昼の時間だからか、人波で溢れていた。衛兵も休憩時間には街に降りて昼食を取ることがあるようで、濃紺の制服を身に纏っている一団に奇異の目は向けられない。意外にも街に溶け込んでいる。

 兄を含め、全員が堂々としているせいかもしれない。後ろめたい感じが一切ない。ラッセルも腹を括ったらしい。

 おかげで一人だけ冷や冷やしている私が馬鹿みたい。


「アルフェのおすすめの店はないのか?」


 人の気も知らず、隣を歩く兄に呑気に問いかけられた。


「おすすめ、ですか?」


 悩みつつ周りを見渡す。少し歩いて噴水のある広場まで行けば、小さな露店がいくつか店を出している。


「広場の露店はよく利用していました」

「ならばそちらに行ってみよう」


 兄は頷いて歩き出す。私も並んで歩く。なぜなら、手を繋がれているから。

 見習い衛兵の手を引くのって、有りなんだろうか……。いや、なしだと思う。しかし、事前にクライブが「アルト様はちゃんと捕まえていないと、すぐに消えそうになります」などと余計な忠告をされたせいで、捕まっているのだ。

 兄も兄で真に受けて、私の手を繋いだまま離さない。


(そんなに子どもではないのに)


 だけど不思議と兄と手を繋いでいるのは不快ではない。

 大きくて、硬い掌は剣も扱う人の手だ。本来なら守られていればいいだけの人なのに、自らも身を守る術を身につけなければならなかったのは、きっと私のせい。

 胸に落ちるのは罪悪感。それでもきっと兄は、自分の為にしたことだとあっさり言ってのけるのだろう。

 今もはぐれないように、こんな私でも守るべき妹なのだ思ってくれていることが、繋がれた手のあたたかさから伝わってくる。

 それがちょっとくすぐったくて、離し難い。


「あ」

「どうした?」


 ふと鼻先をかすめた甘い香りに反応したら、耳聡い兄が問いかけてくる。


「あちらの店から良い香りがすると思ったのです」


 足を止めて角の店を見つめる。

 甘い香りは軒下で売られている焼き菓子だ。丸くて一口サイズのそれは、ふわふわした食感だと思われる。前世のベビーカステラに似ている。

 実は家出中、香りを嗅ぐ度に気を惹かれたけど、節約しなければと泣く泣く諦めていたものだ。

 今ならば買えるけど……いや、買えない。いきなり呼び出されたから、現金を持ってきていなかった。


「そうか」


 兄もそちらに目を向けると、なぜか店に近づいていく。止める間もなく注文して、迷う様子もなく支払いを済ませた。

 ちなみに女性店員は兄の顔を見て頬を赤らめていた。気持ちはわかる。分厚い伊達眼鏡をかけていても兄の美貌は損なわれない。どころか眼鏡フェチにはたまらないだろう。

 それはともかく。


(兄様が、自分の手で普通に買い物をしている……!)


 皇子様なのに! しかも支払う様子すら躊躇いは見せなかった。手慣れている!

 菓子の入った茶色の紙袋を受け取ると、「ほら」と私に渡してくる。咄嗟に受け取った袋はまだあたたかい。


「えっ?」

「食べたいんだろう」

「なぜわかりました」

「あんな顔をされればな」


 兄は呆れを滲ませる。袋からひとつ取り出すと、間抜けな顔をしていたであろう私の口に押し付ける。

 反射的に口に含めば、焼きたてのあたたかさと思ったより仄かな甘さが口に広がった。素朴な味で美味しい。

 これが相手がクライブなら照れてしまっていただろうけど、不思議と兄相手だと照れることもなかった。兄の態度が、雛鳥に食べさせる親鳥みたいに感じたせいかもしれない。

 しかし2個目をねじ込まれそうになったところで、後ろから「お待ちください」と制止の声がかかった。

 声の主はクライブだ。


「行儀が悪いです」


 それまで静かに着いてきていたのに、振り返って見たクライブは渋い顔をしていた。

 まさか、これは……!


「嫉妬ですか?」

「!」


 思わず突っ込めば、クライブが目を瞠って息を飲む。どうやら図星だったらしい。

 確かにクライブは兄の乳兄弟としてずっと兄の一番近くにいたのに、いきなり現れた私が可愛がられていたら面白くないよね。

 でも。今だけは。


「兄様を取られてクライブが面白くない気持ちもわかりますが、今だけは、私の兄様です。譲れません」


 なんとなく兄を独り占めしたい気分だった。だって、こんな経験はじめてだから。思ったよりずっと胸がギュッと詰まって、正直に言えば、すごく嬉しい。

 まるで今まで出来なかった経験を取り戻そうとしているみたいで、今だけはクライブ相手でも兄を譲りたくない。

 そんな我儘が顔を出してしまう。

 すると、なぜか兄もクライブも微妙な顔をした。


「クライブはそういうつもりでは……いや、いい。なんでもない」


 兄は何か言いかけたけど、結局途中でうやむやにされた。ちょっと乱暴に私の頭を撫でる。

 そんな兄の耳が少しだけ赤くなって見えたから、今更ながらに自分が言った子どもじみたセリフに気づく。ちょっと恥ずかしい。同時に焦りも湧いた。


「あの、けして兄様とクライブの仲に割り込みたいわけではありません!」

「だからそういう意味では……まあいい。わかった」

「アルト様ご本人が全然わかってないですよね!?」


 クライブが愕然と何か言っていたけど、兄がわかったというならわかったことにしておこう。

 袋を大事に抱え直すと、再び兄と歩き出す。兄は歩きながら周りをさりげなく見渡しているので、ちゃんと視察もしているのだと思われる。

 あっという間に広場に辿り着くと、そこには予想通り露店がいくつか出ていた。

 焼きたての香ばしいパンの香り。肉汁滴る串焼きの焼ける音。新鮮な果物の色鮮やかさ。呼び込みの威勢のいい声と、噴水周りや階段に腰掛けて会話する人たちの笑う声。

 

「あれが美味しそうですね」

「ならばそれにするか」


 周りを見渡してニコラスが目をつけた露店に、兄も同意を示す。ニコラスとオスカーが買いに走り、私と兄は並んで階段に直に座って待つ。

 平民に混じって、兄がこんなところに腰を下ろしているなんて不思議な気分だ。それでも風景に溶け込んでいて、違和感もない。

 いつもこうやって、街を見に来ていたのだとわかる。


「お待たせしました」

「ありがとう」


 ニコラスから渡されたのは、平べったいパンに焼いた魚にソースとピクルスを挟んだものだった。魚から油が滲んでいて、見るからに美味しそう。

 ニコラスとラッセル、クライブとオスカーで少しだけ離れたところに座る。兄妹が水入らずで過ごせるよう気を利かせたのだろうか。同じ物を齧る姿を見てから、私と兄も口に運ぶ。

 青空の下、開放的な場所で出来立ての料理を口にするなんて、なんて贅沢。


「アルフェもよくこういう物を食べていたのか?」


 兄は半分くらい食べたところで問いかけてきた。


「こういった物はあの時の私には高すぎたので、給料日に奮発して食べるものでした」


 答えれば、兄は少し考え込む様子を見せる。


「普段は?」

「パンをひとつとか。トマトを丸齧りとか。家に帰れば、屑野菜のスープくらいはありました」

「それはアルフェが特に節約をしていたからか?」

「いいえ。皆……とまでは言いませんが、他の人も似た感じかもう一品あるかないかでした」


 思い返して答えると、兄は「なるほど」と真摯な表情で頷く。

 全部食べ切ってしまってから、「これが高価か」と呟いた。


「またまだやるべきことは多いな」


 静かに息を吐き出して、兄が街を見つめる。自分の目指すべきことをその胸に刻むように。


(やっぱり兄様は、いい王様になると思う)


 頻繁に城下に降りることは推奨できないけど、暮らしを支える人たちと同じ目線で見ようとする姿勢には感服する。

 もちろん全く同じ目線には立てないとしても、想像して、寄り添おうと考えてくれる。

 そんな兄を尊敬するし、そんな兄がいることを誇りに思える。


「もう食べられないか?」


 気づけば、ぼんやりと兄を見つめてしまっていたみたい。問われて我に返ると、私以外は全員食べ終わっていた。

 はやすぎでは!?

 私はまだ三分の一しか食べられていない。ボリュームがあるのだ。更に、来る途中にいくつか焼き菓子を食べてしまったのでお腹が膨れている。

 どうしよう。紙に包み直してポケットに入るかな!?

 焦っていたら、不意に兄に魚サンドを取り上げられた。え?と思う間もなく、兄は残りを口の中に納めていく。

 あっという間だったけど、けして下品な食べ方ではなかった。普通に咀嚼して、飲み込んで、気づけば手には包み紙だけが残されていた。

 魔法みたいだった。兄は綺麗な顔をしているからたまに精霊に見えるけど、食べ盛りの健全な男子なのだと思い出す。パンはまるで飲み物と化していた。


「兄様、お腹は大丈夫ですか!?」

「もう2個は余裕で入りそうだな」


 意外に大食いなのだろうか。虚勢を張っているわけでもなさそうだ。涼しい顔をして立ち上がると、私に手を差し出してくる。


「あまり長く不在にするわけにもいかないからそろそろ帰らなければならないが、今回は楽しめたな」


 兄に許された時間は本当に一時らしい。それすら、きっとこの人は自分の娯楽のためだけに使っているわけではない。

 そんな人を王に頂ける民は、きっと今日より良い明日を迎えられる気がする。


「私というお荷物がいて、お世話をおかけしました」


 そんな貴重な時間に、兄妹として過ごさせていただいて有り難く思う。

 すると兄は驚いたのかレンズの奥の目を少し目を瞠り、すぐに微かに笑んだ。


「アルフェがいたから楽しめた。たまにはただの兄になるのも悪くはない」


 そんな風に言ってくれるから。

 私の前では、兄もただの兄というだけの存在になれるなら。それは嬉しいことだと思う。

 こうして兄が妹である私を大切に想ってくれるように。

 私も兄が、大好きなのだ。




※2023-01-02 privetterより再録

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