終幕 新婚旅行AFTER
※アルフェンルート視点
新婚旅行から王都に帰ってきてから、約一月半が経っていた。
季節はすっかり秋深くなってきた。木々の葉は赤や黄色に衣替えして、晴れた空は夏よりもずっと高く感じる。我が家であるランス伯爵家のタウンハウスも、色鮮やかな枯れ葉が屋敷を彩っている。
そんな中、イースデイル辺境伯家から手紙が届いた。セインとレイからである。
受け取ってすぐ、部屋に戻って手紙を開く。
最初は気になっていたレイから。あの二人の恋路がどうなったのか、ドキドキしながら目を走らせる。
まず初めに、豚の貯金箱のお礼。癒されると書かれているから、思ったより気に入ってくれているよう。やはり貯金箱といえば陶器の豚だよね。
それから。
(『セインに告白したわ! 返事はちゃんと考えてからすると言われたけど、確かな手応えがあったと思うの。』)
セイン相手に頑張ったのだと、強い筆圧と踊って見える文字から感じ取れる。
ここまで細かく書かれるとは思っていなかったので動揺させられる。あのセインが女の子の告白を真剣に考えるのかと思うと、実に感慨深い。感動すら覚える。
あれでいてセインは女性に気遣う方だ。レイにもちゃんと真剣に向き合うことだろう。
(お互いに良い結果になればいいけれど)
祈りながら、続けてセインからの手紙を開く。
セインの手紙に甘酸っぱさは期待していない。自分のことを話すタイプではないから、近況は一言くらいしかないはず。
思った通り、授爵祝いの礼が簡潔に書かれていた。それと『怪我は回復して元気になった』とも書いてある。それは一安心。
となれば、これから本格的にいろんな地域を回ることになるのだろう。
だが最後に、
『今後の手紙も今まで通り、スラットリー老に預けておいてくれれば後で回収する』
そう記載されていた。
(うん? メル爺に?)
この先、セインの居場所を掴むのは大変だと思っていた。だから私は、セインは兄直属だから今後は兄様に手紙を託せば届くと考えていたのだけど。
(だけどメル爺に渡せと言うのなら、つまりこの先もイースデイル領に戻るつもりでいる、と)
なるほど。それはそれは。
思わず、ふふっと口から笑みが溢れていく。これはなかなか素敵な展開になりそうな予感がする。
だけどレイをぬか喜びさせてはいけないから、この事は私の胸にしまっておこう。
(こういうことは、セイン本人の口から聞く方が嬉しいだろうし)
思わず鼻歌を歌いだしたい気分になったところで、部屋の扉をノックされる音が響いた。
「奥様。お約束なさっていらっしゃいました、マッカロー伯爵令嬢がお見えになられました」
「わかりました。すぐに行きます」
呼びにきた侍女のエリーゼに返事をして、手紙を保管箱の中に大切に納める。
部屋から出れば、エリーゼがすぐにストールを手渡してくれた。寒くなってきたから気遣ってくれたみたい。相変わらずよく気の回る仕事ぶり。
そういえば約束通り男装して一日皇子ごっこをした時も、エリーゼは今と変わらない冷静で完璧な仕えっぷりだった。
まったく喜んでいるそぶりがなくて、本当にあれでいいのかと困惑したものだ。
しかし後日、彼女の旦那様から「妻が大変喜んでおりました。ええ、本当にとても。あの日ははしゃいで眠らなかったぐらいです」と教えられた。
そうだったんだ……。
きっとエリーゼは推しの前では無理なファンサを求めない、鉄壁の理性を持ったオタクの鑑みたいな人なんだろうな。
尊敬する。私だったら無理。
エリーゼの理性に敬意を示して、あの日のことは特に触れてはいない。また機会があれば男装してみたいと思う。
そう思っている間に応接間に辿り着いた。
扉を開けば、そこには久しぶりに会う顔が私を見てすぐに綻んだ。私も自然と笑顔になる。
「久しぶり、メリッサ。来てくれて嬉しい」
「お久しぶりでございます。アルフェンルート様」
メリッサはソファーから立ち上がり、綺麗な礼をした。私がずっと見てきた、お手本にしている所作。
今は私がランス子爵夫人で、メリッサがマッカロー伯爵令嬢という立場。将来的には、二人とも伯爵夫人となる予定である。
だけど以前と変わらない態度で接する。
生まれた時から主従関係だったから、砕けた友人としての振る舞いをするにはお互いに違和感があった。その為、お互いの納得の元で今まで通りということになったのだ。
それでも気持ちは、姉妹のように大事な友人である。
「何か良いことがございましたか?」
長年すぐ傍らにいただけあって、メリッサは私の上機嫌を察したよう。メリッサ自身も嬉しそうに大きな目を細める。
「セインとイースデイル辺境伯令嬢から手紙を受け取ったところだったんだ」
「イースデイル辺境伯と申しますと、アルフェンルート様が新婚旅行に赴かれた場所ですね」
「そう。そこで辺境伯令嬢が友人になってくれて。彼女はセインにとっても気の置けない友人だよ」
「セイン様とも、ですか」
「すごいでしょう?」
向かい合ってソファーに腰を下ろしながら話を続ける。
エリーゼと入れ替わる形でノーラがお茶を出してくれる。久しぶりに会うのでノーラも嬉しそう。しかし気を遣って、お茶の用意をするとすぐに部屋から下がっていった。
一通り話を終えたら、呼んであげよう。
「イースデイル辺境伯令嬢はどのような方だったのですか?」
セインも気を許していることに興味をそそられたのか、メリッサが問いかけてくる。
「真っ直ぐで、裏表がなくて、とても素直で可愛い人だよ。だけど苦境に立たされても全く怯まないぐらい強い人だった」
私から見たレイチェル・イースデイルは、そんな人。
すぐに人の裏側を読もうとする私とセインを見ても、引くこともなくただ心配そうに見つめていた。優しい人なんだと思う。無鉄砲な面もあって、ハラハラさせられたりもしたけれど。
私達から見ると眩しいくらい、心の在り方が綺麗な人。そして。
「かっこよかったよ。とても」
思い出すと自然と笑みが溢れる。
ケネス・ハミルトン子爵令息に襲われかけた時も、迷うことなく体を張って私を守ろうとしてくれた。無謀だと思う反面、諦めずに抗おうとする姿に勇気をもらった。
私でも何かできるんじゃないか。そう思わせる力があった。
(といっても、いきなり私の力が強くなれるわけがなくて)
なんとかしないと、と手を伸ばしても何が出来るわけでもなかった。
なんせ自他共に最弱を謳う私である。
(間一髪、クライブが助けに来てくれて本当によかった……)
いま思い出しても肝が冷える。
あの後でクライブにも無茶をするなと叱られたけど、まったく仰る通りです。私が馬鹿でした。
これをメリッサに語ったら雷が落ちるのは確実なので、黙っておこう。久しぶりに会ったのに説教は辛い。
それに説教なら、王都に帰ってきてから父と兄にもされている。それだけ心配させてしまったということだから、さすがに甘んじて受けたし、しっかり反省もした。そろそろ勘弁してもらいたい。
そう思ったところで。
「つまりアルフェンルート様は、苦境に立たされるような状況に置かれた……ということですね?」
メリッサに貼りついた笑顔を向けられて、思わず息をヒュッと飲む羽目になった。
こわい。
さすが生まれた時から傍にいただけはある。どんな隙もけして見逃されない。
こういう時の選択肢はひとつ!
「ごめんなさい」
「あれほど無茶をなさらないよう、周りの者をよく頼るようお伝えしておりましたのに。お聞き届けてはいただけなかった、と」
「メリッサの言う通りです。反省しています」
「これで何度目でいらっしゃるかおわかりですか。だいたい、ニコラス様は何をなさっていたのですか。お目付役代わりにご一緒したのでしょう?」
メリッサが目を坐らせてニコラスの名前を出す。
まずい。
ニコラスとメリッサはもうすぐ婚約するのだ。メリッサがいま王都に来ているのも、婚姻式関係でやることが色々あるからである。
そんな二人の間に亀裂を入れる要因には、死んでもなりたくない。
「ニコラスはよく助けてくれたよ。判断ミスをした私が馬鹿だっただけで」
「そういった場合まで考慮して補うのが、周りの役目です。私に言えることではございませんが」
メリッサが可憐な顔を苦々しく歪める。
これはいけない。せっかく楽しく土産話をする為に呼んだのに、嫌なことを思い出させてしまうのは本意ではない。なんとかして気を逸らさなければ。
「本当にニコラスはよくしてくれていたからね。責めたりしたらいけないよ。そういえばニコラスといえば、彼からのお土産は受け取った? イースデイル領でとても悩んでいたんだよ」
かなり無理矢理な話題転換だけど、見逃してほしい。
メリッサは僅かに眉を顰めたものの、諦めてひとつ嘆息を吐き出した。そして躊躇いがちに榛色の瞳が手元に落とされる。
「こちらの指輪をいただきました」
そう答えたメリッサの細い指に、二輪の花が絡み合った細工の指輪が輝く。
イースデイル領で購入した、繊細な細工が得意な隣国の名産品である。小さな花の中には緑がかった黄色に近い石と、ライトブルーの石が嵌め込まれている。
(自分達の目の色を組み合わせるあたり、ニコラスも外さないよね)
ちなみに、忙しい合間を縫って宝石商を呼んだのは私である。ニコラスから「アルフェ様。宝石商を呼んでいただいてもいいですか?」と頼まれたからだ。
かなり拘っていただけあって、メリッサによく似合う可憐な指輪だ。思わずにこにこしてしまう。
メリッサは照れているのか、頬がほんのり赤く色づく。その様が恋する乙女でとても可愛い。
指輪を見る限り、とても大事にされているんじゃないかな。さり気に独占欲も垣間見える。
私が思っている以上に、メリッサとニコラスは恋を謳歌しているのではないだろうか。
「アルフェンルート様も、その指にされているのは新婚旅行のお土産でいらっしゃいますか?」
「そう。クライブから、贈られて」
かくいう私の指にも、レース状の細工が施された金の台座に、海を閉じ込めたような宝石の指輪がある。
私がハミルトン領で購入した剣の御礼らしい。私の知らない内にしっかり用意しているあたり、クライブも外さない。
光の加減で深い青にも、淡い水色にも見えるカットの石がお気に入りだ。
『随分と海をお気に召していらしたようですから。海は持ち帰れませんから、代わりにこれを』
そう言われて、指に嵌められた。
思い出すと照れてしまう。さっきメリッサが赤くなった気持ちがよくわかる。なんだか恥ずかしい。
よし、話題を変えよう。
「私からのお土産はティーカップだよ。よければニコラスと使ってほしい」
急いで話を逸らして、用意していた箱を差し出す。
セインとレイに贈った豚の貯金箱を頼んだ領で購入したものである。丸みを帯びた可愛らしい形と真っ白で滑らかな手触りの陶器は、新生活で活躍してくれそう。
尚、選んだのは一緒にいたクライブである。
私は豚の貯金箱を推したのに。クライブに「貯金箱も悪くはありませんが、出来ればこの先ふたりで使えるものにしましょう」と押し切られてしまった。
だけど中を確認して嬉しそうな顔をしたメリッサを見たら、これで正解な気がしてきた。
(私のセンスで贈ると、微妙な顔をされることが多いから……)
ふと、私が渡したハミルトン領のお土産の剣を思い返す。
ランス家では、とても喜んでくださった。しかし、実家では最初は微妙な顔をされた。
用途を説明すれば、兄は「研究用として使わせてもらおう」と満足そうだったけど。父には呆れた表情をされたのだ。喜んでくれると思ったのに。
しかしながら後日、近衛騎士のフレディがこっそり耳打ちしてくれた。
『贈られた剣は、陛下の寝室に大切に飾られていますよ』
耐久性に特化しているだけの、飾り気の全くない無骨な剣を? あの父が!?
意外すぎる。
あれでも実はそれなりに喜んでくれていた、のかもしれない。
尽きない旅行の土産話やメリッサの婚約関連の話などをすれば、時間はすぐに過ぎ去っていく。
あっという間に日が落ちる時間になってしまった。日暮れを知らせる鐘の音を聞いて、慌ててメリッサを馬車まで見送りに出る。
「次に会えるのは、新年の舞踏会かな」
「はい。しばらく慌ただしくなりそうです。またお会いできる日を楽しみにしております」
名残惜しさを覚えながら、別れの挨拶を交わす。
メリッサは大事そうに私が渡した土産の箱を抱いて、王都のマッカロー伯爵邸へと帰っていった。
次に会う時には、婚約者としてニコラスがメリッサの隣に並んでいるのだろう。
馬車が見えなくなるまで見送れば、日はすっかり落ち切ってしまった。一気に冷たくなった秋風が体温を奪っていく。ノーラに促されて、明かりの灯った屋敷の中へと戻る。
(来年には、メリッサも結婚か……)
そしてセインも、大事にしたいと思える人を見つけたみたい。
二人とも「共に生きたい」と思える人をその手で選んだ。そうしてこれからは、自分達の道を歩き出す。
誰よりも大切だった二人の輝かしい門出。
なによりも望んだ、大好きな人たちの明るい未来。
きっとこの世の誰にも負けないぐらい、私は二人の幸せを喜んでいる。
……だけど、ほんの少しだけ。
(ちょっとだけ、さびしいな)
誰よりも先に結婚した私が言っていい言葉ではないけれど。
それでも、自分達だけしか信じられなくて、身を寄せ合うように生きてきて。メリッサとセインがいたから、挫けずにいられた。
三人だけで過ごした時間は、今思えばかけがえのない思い出だ。あの頃はずっと一緒にいたいと願っていたし、半分は諦めの気持ちで最期まで一緒だとも思っていた。
(だけど私も、メリッサも、セインも。生きて、別々の道を歩いていく)
自分で選んだ未来を、大切にしたい誰かと手を取り合って進んでいける。
そのことが、なによりも嬉しい。
だからほんの僅かでも寂しがるのは、きっと贅沢だ。
そんなことをぼんやりと考えていたら、思ったより時間が経っていたらしい。クライブが帰ってきたことを伝えられた。
すぐに、今ではすっかり習慣となった玄関までの出迎えに赴く。
「おかえりなさい。クライブ」
「ただいま帰りました。今日はメリッサ嬢がいらしていたんでしょう? 楽しかったですか」
「ええ、とても」
私の顔を見てすぐ、クライブが頬を緩めた。私を見つめる緑の瞳には愛しさが滲む。
顔を見たらほっとして、不意に甘えが湧いた。
「クライブ。両手を上げてもらっていいですか」
「はい……?」
いきなりの頼みに怪訝な顔をされたものの、クライブは躊躇いもなく両手を上げる。とても無防備な姿だ。
両腕を伸ばして、クライブの背に手を回した。額を胸に擦りつけて、ぎゅっと力いっぱい抱きついてみる。
湧いてしまった淋しさを、埋めるように。
「どうしました?」
「……私、メリッサの花嫁姿を見たら泣いてしまうかもしれません」
「嬉しくて?」
「どちらかと言えば、可愛い娘を嫁に出す父親の心境です」
「それを想像するのは難しいです」
最初は驚いたクライブだが、ぐりぐりと額を寄せると背中に腕を回された。甘やかすみたいに優しく抱きしめられる。
「さみしくなってしまいましたか」
誰よりもメリッサ達の幸せを祈る気持ちは本当なのだ。さみしくなんてないのだと、当日は晴れやかに笑って祝福する顔だけを見せたい。
だから、今だけ。
「アルトの傍には、ずっと僕がいますよ」
耳元に囁かれた約束の言葉が、隙間風の吹いた胸を温かいもので満たしてくれる。
弱った時はこうして寄り添うと、全身で伝えてくれる。
こんな風に支え合える相手を、メリッサとセインも見つけたというならば。
やっぱり淋しさより、嬉しさの方が圧倒的に勝る。
ぎゅっともう一度強くクライブを抱きしめれば、負けじと抱きしめ返される。苦しいぐらいだけど、今はそれが嬉しい。
(あなたが私を選んでくれて、よかった)
あなたの隣を歩けることが、幸せだと思える。
だから、顔を上げて。
あなたの隣に居られる幸福を、キスで伝えたいと思う。
新婚旅行編 *完*
ブクマ、評価、いいね、ありがとうございました。元気をたくさんいただいておりました。
ここで一旦、完結設定とさせていただきます。
また何か思いついたら、この後に追加したいと思います。読んでくださって、本当にありがとうございました!




