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16 新たに、ここから一歩


 アルが王都に帰還して一ヶ月後。

 あれからイースデイル領の周りは大きく変わった。


 まず不法入国者を奴隷として使役していたアーチボルト領は、今回の件で皇太子直轄領となった。

 国の食糧庫の一つなので、安易に誰かに任せることが出来なかったよう。

 それとも、もしかしたら。

 現皇太子の亡き母君は小国出身の王女で、後ろ盾がない。その弱い部分を補う為に、アーチボルト伯爵の不祥事を狙って陛下が領を没収したのでは……とは、父の言だ。

 ものすごく怖いから、真相を知る気はない。

 それにイースデイル辺境伯家としては、不正を働く人間より皇太子の方が比べるべくもなく安心できる。勿論、本人が直接出向ける訳ではないので、普段は皇太子が信用している人間が代理で治めることになる。


 それから、隣のハミルトン領に関して。

 この領は有事の際にイースデイル領と連携が取れないと困る。そのため父の歳の離れた姉、すなわち私の伯母夫妻とその息子達が、新たなハミルトン子爵家として治めることになった。

 イースデイル辺境伯家は不法入国者を防げなかった落ち度もあったが、『国は変わらずイースデイル辺境伯家を信用している』と示したことになる。

 期待を裏切らないよう、今度こそ応えていきたい。



 難しい事柄は、そんな形でひとまず片付いたといえる。

 そしてたった今、昼の休憩時間に父から執務室に呼び出された。療養していたセインも一緒に。


「お呼びですか、お父様」

「失礼します」

「おお、来たか」


 執務室に入るなり手招かれる。執務机の前まで行けば、父から二人とも同じ木箱と手紙を渡された。木箱は両手の上に乗るサイズだ。

 ただ、セインの箱からはチャリン、チャリン、と金属が擦れ合う音がした。私のは無音。


「アルフェンルート・ランス子爵夫人から、我が家経由で二人に贈り物が届いている。セインは叙爵祝い、レイチェルには世話になった礼だそうだ」

「アルから……!」


 ということは。

 まさかあの音、セインにはやっぱり現金にしちゃったの!?


「割れ物のようだから扱いに気をつけなさい。それと手紙も預かっている。使いの者は明後日の朝に帰る予定だと聞いているから、返事を書くなら明日の夕刻までに持ってくるといい」

「わかりました。セイン、行きましょう。失礼します、お父様」


 手紙と箱の中身が気になって、貰うなり早々に踵を返した。

 「お父様には中身を見せてくれないのか……」と父の悲しげな声が掛かったけど、中身が何かわからなすぎて安易に頷けない。アルが「センスがない」と心配していた姿が脳裏をよぎる。

 今ならば、その不安がわかる。友人の名誉は守らねば!


「私が一番最初に見たいのですわ。お父様は後でね」


 父はしょんぼりしていたけど、それ以上は止めることはなかった。

 執務室を出てセインと二人、人気のない場所を求めて歩いていく。回廊に吹き込む潮風も、随分と秋深くなってきたと感じられる。

 昼休みだからか、砦の人達は食堂に行っているようだった。ちょうど中庭が閑散としている。回廊から外れ、セインとガゼボに腰を落ち着けた。


「何が入っているのかしらね」

「……現金?」

「それは確かめるまで口にしちゃいけない言葉よっ」


 木箱を前にして、いろんな意味で胸がドキドキする。結んであるリボンの色が私は水色、セインは深い青である。焦る手を叱咤しながらリボンを解き、蓋を開けた。

 中から現れたのは、くすみのない真っ白な陶器。滑らかな手触りで、見るからに高級そうな。


「……豚だわ」

 

 なぜか、形が丸々と肥えた豚である。どうして?

 箱から取り出して、上から横から眺め眇めつ確認する。セインも同じように取り出しているが、やはりそちらも豚だ。

 豚型の陶器の置物を贈ってくれたの? なんで豚!?


「悪かった。まさかこう来るとは思わなかった」

「何が!?」


 唐突にセインに謝罪されて焦った。

 セインがアルに何か言ったの!?


「アルからレイの好きなものを聞かれたから、豚だって答えておいたんだ」


 セインが苦虫を噛み潰した顔をしている。

 ちょっと待って。私がいつ豚を大好きだなんて……あー! 食べていたわ! ハミルトン領で美味しくいただきました。

 でもだからって、よりによって豚が好きだって教えちゃう? もっと他になかったの? ……それ以外だと剣になっちゃうわね。


「アルのことだから、本物の豚を寄越すと思ったんだが」

「それはそれでどうなの」


 悩ましげな顔でセインが言うけど、生きた豚を贈られても動揺したわよ!?

 そう考えると、置物の方が良かったのかも。しかし、やたら高級に見える豚の置物……どこに飾ればいいのかしら。アルは素敵だと思って贈ってくれたのよね?

 以前、アルからの贈り物に皇太子殿下が微妙な反応をする、とは聞いていたけど。その気持ちが少しわかってしまった。

 豚は好きよ。食べるのは、大好きなんだけど。

 まじまじと豚の陶器をみつめる。小さな目。ツンと突き出た鼻。ちょっと笑って見える口。丸々としてつるんとしたフォルム。


(……よく見ると可愛い気もしてきたわ)


 特にこの滑らかな手触りと丸み。インパクトがあって動揺したけれど、これは癒される。

 ちなみにセインの方からは、動かす度にチャリンチャリンと聞こえる。

 こちらはどう聞いても、中に硬貨が入っている気がしてならない。

 セインが首を捻りながら豚をひっくり返せば、腹部にコルク栓があった。よく見れば、背中に細長い穴もある。

 まさか、これは。

 コルク栓を外して中を確認したセインが、納得した顔で教えてくれた。


「金貨だ」


 あああ、やっぱり!?

 セインは栓をした豚の陶器を一旦テーブルに置いた。アルからの手紙にざっと目を通す。


「貯金箱だそうだ。色々悩んだけど、俺は現金が一番喜びそうだから、これに入れて贈るって書いてある」

「そ、そう……」


 アルは悩みすぎたのか、一周回って現金に戻ってきたみたい。だけど現金をそのまま贈るのは憚られた結果、入れ物を作って中に収めた……と。

 だけど、なぜセインまで豚型なの?

 私も急いでアルからの手紙を開いてみる。きっとここに答えがあるはずよ。



『 親愛なるレイチェル


 先日は大変世話になりました。ささやかですが御礼を送りました。もう受け取っていただけましたか?

 セインから、レイは豚が大好きだと聞きました。

 本物の豚にしようかと思いましたが、食べたら無くなってしまうでしょう?

 レイの助言通り、記念に残るものを考えました。

 旅行の帰路で陶器が有名な領を通ったので、レイの好きな豚を模した貯金箱を作っていただいたのです。

 よければ使ってください。


 それと、セインへの御祝いの件です。

 大変悩みましたが、セインの性格を考えたら「現金が一番喜ぶ」という結論になってしまいました。

 せっかく助言してくれたのに、こちらに関しては気持ちに添えず申し訳なく思います。

 セインの叙爵祝いも、貯金箱に入れて送ります。


 追伸。

 貯金箱はセインとお揃いだよ。 』



 追伸の文字だけ、踊っているように見える。

 たぶんアルの中では、『気を利かせて良いことをした!』と思っていそう。完全な善意で。

 確かに色々と気を回してくれたのはわかる。空回ってる感はあるけどね!?

 恐る恐るセインを窺う。

 好きだった相手から、現金入りの豚の貯金箱を贈られるなんて……


「以外に厚くて丈夫そうだな」


 だが、セインは満足しているように見えた。

 少なくとも不満そうではない。指先で弾いたりして強度を確認している。

 気にするところはそこだけなの!?

 素直に好意を受け止めていることに驚かされる。セインの反応を見て、緊張していた肩から力が抜けた。思わずちょっと笑ってしまう。


(そうよね。セインは、そういう人だわ)


 ありのままを受け入れてくれる。

 その姿に嫉妬するより、ほっと安堵が訪れた。セインが満足しているなら、いいのよ。私とお揃いだし。

 お揃い……良い響きだわ。心がふわふわと浮き立つ。

 恋をすると、些細なことで幸福を噛み締めてしまうわ。


(だけど、こんな時間もあと少しなのよね)


 きっともうすぐ、セインもイースデイル領を立つ。


 セインがイースデイル領にいたのは、成人を迎えるまではスラットリー老が後見人だったからだ。成人後はアルが新婚旅行に訪れるまで、近隣の調査の為に滞在していただけ。

 今は肋骨にヒビが入っていて療養しているけど、若いから全治一ヶ月だとスラットリー老に診断されていた。あれからもうひと月経つから、そろそろセインの怪我も治ってきたと思われる。

 そうなると、いつイースデイル領を出て行ってもおかしくはない。


(そしてここに帰ってくるとは、限らない)


 思い至ったそれに、ぎゅっと心臓が押し潰されたみたいに苦しくなる。

 アルにはセインが帰ってきたくなるくらい魅力的な人間になりたいと言ったけど、そもそも私は最初の一歩すら踏み出せていなかった。

 まだ言えてないこと。伝えたいこと。胸の中で想いが燻る。

 出会って七ヶ月。

 もう七ヶ月という思いと、たったの七ヶ月と感じる自分がいる。思い返せば色々あった。


(セインがいたから、婚約解消してからも変に悲しむことはなかったわ)


 婚約解消されてすぐに、たまたま運悪く偶然その場に居合わせただけなのに。私の八つ当たりに、文句も言わずに付き合ってくれた。私の気が済むまで。


(あの時、本当に救われたのよ)


 おかげで変にいじけたりしなくて済んだ。悲しむより怒りに変えて、すっきり吐き出して清々できたから。

 セインがいてくれたから、挫けずに立っていられた。


「そういえば、初めてセインに会ったのもここだったわね」

「……そうだったな」


 セインが僅かに渋い顔をする。

 嫌な思い出だったのかしら。

 良くはないわよね。八つ当たりで、いきなり辺境伯令嬢の対戦相手をさせられたのだから。今更だけど申し訳なくなってくる。


「あの時はごめんなさい。本当に感謝しているわ。ありがとう」


 改めて礼を告げれば、セインが眉根を寄せる。「感謝?」と聞き返す声は怪訝だ。


「おかげですごくすっきりして、ふっきれたもの。あの場にセインがいてくれてよかった」

「元婚約者のことは、もういいのか?」

「とっくに! 綺麗さっぱり終わってるわ。欠片も未練なんてないわよ。元々、好きだったわけでもないし」


 気遣う眼差しに驚いて目を瞠った。まさか空元気だと思われていたのかしら。

 慌てて本心から答える。するとセインは少し頬を緩めた。


「それならよかった」


 吐息混じりに答える声には、安堵が滲んでいた。

 意外に気にしてたのかしら。そういえば、アルがセインはこう見えてよく気が回ると言っていた。すなわち、人の心の機微を気にかけているということである。

 すごくわかりにくいけど、実は優しい。そうと悟らせない気遣いができる人。


(やっぱり好きだな)


 じんわりと滲み出した想いが胸に溢れていく。


「それと、ハミルトン領でもありがとう。アルには知らないフリをしてほしいって言われていたけど……肋骨のヒビ、私が意識をなくしていた時に庇ってくれたせいなんでしょう?」


 実はセインの肋骨にヒビが入った理由は、最初は私には隠されていた。

 だけどあの後セインが見るからに顔色が悪かったせいもあり、半ば無理やりにアルから聞き出したのだ。アル曰く、私が怖い思いをするところだったと知るのは精神的によくないと思ったから、との理由で本当は黙っているつもりだったらしい。

 それと、私が理由を知ればセインに申し訳なく思うだろうから言うな、とセインから口止めもされていたようだ。だから今まで私も触れなかったわけだけど。

 でもやっぱり、自分の口でお礼を言いたかった。アル、ごめんね。後で手紙で謝っておこう。


「……アルか。黙ってろって言っておいたのに」


 セインはやはり知られたくなかったのか、渋面を作った。


「どうして? 御礼ぐらい言わせてほしいわ。守ってくれて、本当にありがとう」

「礼を言われることなんて出来てない。本当なら怪我ひとつしないようにするべきだった。それが出来てないのに守っただなんて、かっこわるくて言えるか」


 セインはセインなりの葛藤があったらしい。結果として私は無事だったのだから、守ったことになると思うのに。

 だけど、かっこわるい、と吐き捨てたセインの耳が赤く染まって見えた。唇を引き結んで、悔しそうですらある。

 セインにもそんな羞恥心があるのね。

 失礼ながら珍しい姿が見られて、ちょっと胸がざわめいてしまう。恋心はやっかいだわ。


「私は嬉しかったわ。守ってくれたことも、その後を信じて託してくれたことも」

「人手がなかったから、無理をさせただけだろ」

「それが私には嬉しかったの。……まあ、ちゃんとアルを守りきれなかったわけだけど」

「それはアルの無茶な命令なんかに従って、アルから離れた護衛が悪い」


 セインはアルに対しても遠慮なく正論を口にする。そういうところも、人によってはきついと思われそうだけど、私は好き。


「それ以外にも、セインに伝えたいことがあるの。セインはもうすぐ、ここを出て行ってしまうんでしょ?」

「もういい、わかった。これ以上は勘弁してくれ」


 こういう言葉を言われ慣れていないのか、セインは居心地悪そうな顔をした。さっさと話を終わらせようとする。

 だけど、逃してあげることはできない。


「まだダメ。だって一番大事なことを言ってないもの」


 息を吸って、吐いて、吸って。

 怪訝な顔で私を見るセインを見つめ、覚悟を決めて想いを告げる。


「私ね、セインが好き」


 少しでもこの言葉が、あなたを繋ぎ止める碇になってほしいから。


「友達としてだけじゃなくて。恋愛的な意味で、セインが好き」


 数秒間、時間がやけにゆっくり進んでいるみたいだった。

 私を見つめていたセインの青い瞳がじわじわと見開かれて、呆けたように薄い唇が開く。


「……、俺を?」


 動揺しているのか、セインの声が掠れる。

 信じられないものを見る目でまじまじと見つめられる。さすがにそんな反応をされたら、こっちの心臓が緊張で破裂しそう。


「そうよ。あっ、でも返事は今すぐじゃなくていいから! またここに帰ってきてからで良いから!」


 断りの文句を言われるより早く口が開いていた。

 片手でセインの口を制し、今すぐ断ってくれるなと訴える。迷いも見せずに振られたりしたら、さすがの私も挫けるわ。


「って、ここに帰ってきてくれるって決まったわけじゃなかったわね!? 絶対に帰ってきてほしいと思っていたから、つい!」


 焦るあまり、口からぽろぽろと考えていたことが飛び出していってしまう。

 落ち着いてちょうだい、私の口!

 だけど一度出た言葉は口の中には戻ってくれない。

 顔が熱い。耳や首まで熱く燃えている気がする。体中の血が沸騰しているみたい。やたら恥ずかしくなってきて、頭の中が真っ白になってしまう。

 そんな私の前で、呆然としていたセインの頬に赤みが差していく。じわじわと、まるで私の熱が伝染したみたいに。

 その反応に驚いて目を瞠る。

 セインもすぐに気づいたのか、片手で口元を覆って隠した。ものすごく珍しいことに、狼狽えているみたい。

 お互いに目が合ったまま、話すタイミングが掴めない。

 数秒にも永遠にも思える沈黙の後、先に口を開いたのはセインだった。


「……今までそんなこと考えたことがなかったから、今すぐに返事はできない。でも、これから、ちゃんと考えてみる」


 セインの口からもたらされた返事は、一時保留だった。


「またここに、帰ってくるまでに」


 だけど付け加えられた言葉に、思わず笑顔になる。


「わかったわ。待ってる!」


 保留ではあるけれど、帰ってきてほしいと願った私を見るセインは満更ではなさそう。

 むしろ、ちょっと照れた顔で微かに笑ったように見えた。

 それだけで、心臓が大きくドキリと跳ねる。


(これって、期待しても良いんじゃない!?)


 セインが旅立つことは止められない。

 だけどここに帰ってきてくれたら、まずは笑顔で「おかえり」と歓迎しよう。

 私が、あなたの帰る場所になりたいから。




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