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幕間 これぞ正しき新婚旅行(前編)

※アルフェンルート視点


 

 我が国の端、隣国との玄関口となる大きな港を有するイースデイル領。

 晴れた空の色を映して青く輝く海に面したそこは、階段上に街が造られている。かつては隣国との戦禍に呑まれたが今はその痕跡もなく、小ぶりな建物がひしめき合って並ぶ。潮の匂いと打ち寄せる波の音、そして人々の活気に満ち溢れている。

 イースデイル辺境伯の屋敷兼砦に宿泊して数日目、侍女が起こしにくるより早くベッドから起きてカーテンを開けた。今日も良い天気だ。

 海に面した窓も開いて、潮の香りを胸いっぱいに吸い込む。


(やっと、休み……!)


 長かった。本っ当に長かった。

 ここに至るまでを考えると頭が痛くなってくる。何度、神経性胃炎に悩まされたか。


(なぜ楽しいはずの新婚旅行が、ここまで苦難の連続になったの)


 何度思い返しても、意味がわからない。

 百歩譲って、アーチボルト領の奴隷問題まではわかる。


『イースデイル領まで行くならば、ついでに仕事をしてくるがいい』


 そう言って父に押し付けられた仕事だったけど、これに関しては事前にあらかた調べられていた。私の役目は、ただ止めを刺しに行っただけ。

 問題はその後処理が終わったと思った途端にもたらされた、隣のハミルトン領の不法入国者の斡旋行為。

 はっきり言えば奴隷売買である。

 いいかげんにしてほしい。

 元々ハミルトン領は訪れる予定にしていたとはいえ、あくまでも大仕事を終えた後の休暇のつもりだった。以前から気になっていた、お土産用の剣を手に入れるだけが目的だったのに。

 なぜ余計な仕事を背負い込む羽目になるのか。


(私たちの新婚旅行をなんだと思っているの!?)


 しかもクライブと一緒に行く予定が、余計なちょっかいを掛けられて別れて動く羽目になるし。

 その割にハミルトン子爵の動きが鈍かったせいで、何事も無く屋敷には到着してしまうし。

 そこにセインとレイチェル・イースデイル辺境伯令嬢まで現れるし。


(イースデイル辺境伯はハミルトン子爵への抑止力としてレイを送ってくださったのだろうけど、どうしようかと思った)


 元々私は、ハミルトン子爵邸のある街まで行ったら、後のことは監査官と護衛騎士に任せて仮宿に引き篭もる予定だったのだ。

 それがレイが現れたことにより、急遽、敵陣のど真ん中に突っ込む羽目になってしまった。


(辺境伯令嬢をこちらに預けられた立場で、レイに何かあったら問題になるから仕方なかったとはいえ……)


 深く考える時間もなくて、完全に焦りに押された勢いだったと言っていい。

 あの時は兄を見習って、「私はなんでも予測しています」みたいな余裕をかました風を取り繕っていたけど、全部はったりである。実際には胃がキリキリしていた。

 状況的に周りを心配させるわけにはいかなかったから、足りない頭を振り絞ってなんとか対策を捻り出し、虚勢を張っていたに過ぎない。

 『至宝』などと言われても、前の生でちょっと仕事が出来る社会人をしていた記憶があるだけの凡人なのだ。無茶振りは勘弁してほしかった。切実に。

 しかも結局は、私の判断ミスで周りを何度も危険な目に合わせてしまった。


(思い出すだけで吐きそう……)


 今も考えると胃が痛くなってくる。無意識に腹部を手で押さえて宥めた。


(セインも私の状態を察して、レイのことを引き受けてくれていたけれど)


 まさかあそこで、ケネス・ハミルトン子爵令息にまで問題が出てくるとは思っていなかった。

 とんだ伏兵である。

 ハミルトン子爵邸で一緒に食事をした時は、彼はずっと無言だった。やけにじっと見られて不気味だとは感じていたけれど、まさか自分に懸想されていたなどと考えもしない。

 だいたい彼は恋をしている顔はしていなかったはずだ。ひたすら真顔だったように思う。

 今考えれば、あのとき彼は今後の予定を必死に組み立てていたのかもしれない。だけど、あれで私に想いに気づけと言う方が無理がある。


(私を好きになる物好きは、クライブくらいだと思っていたのに)


 確かに見た目だけなら、私は整っている方ではある。だからといって、あそこまで暴走されるなんて思うわけがないでしょう。

 それにケネス・ハミルトン子爵令息のことは、本当に全く覚えていなかった。

 新年の舞踏会は緊張している状態で挨拶に追われており、一参加者を覚えていられる余裕などなかった。私を不躾に眺めていた人間は数知れず、その内の一人だけを気に留めるなんて不可能である。

 何度も言うけど、私は男装と、いざという時のはったりと、地味な書類仕事が得意なだけの凡人なのだから!

 心の中で叫んでから、自分を落ち着かせるために深呼吸をする。


(それでもこうして、なんとか片付いたわけだから)


 レイチェル・イースデイル辺境伯令嬢と共にイースデイルの地を踏んだ時には、肩の荷が降りた心地だった。

 レイはたいした怪我はしていないから大丈夫だと言ってくれたけれど。ただ、セインには肋骨にヒビが入るほどの無理をさせてしまった。

 本当に申し訳ない。今は安静にしてもらっている。


(セインには本当に悪いけど、レイを庇ってもらえてよかった)


 彼女に大事があれば、今頃こんなに呑気にはしていられなかっただろう。


(レイはちょっと危なっかしいけど、すごくいい人だよね)


 レイチェル・イースデイル辺境伯令嬢。

 ゆるく波打つオレンジ寄りの長い金髪に、海を映し取ったかのような瞳の勝ち気そうな少女。私の一歳上、セインとは同じ年である。

 セインが「裏表がない」と称した通り、愛されて健全に育ったことがよくわかる、真っ直ぐな人だった。

 無鉄砲な面もあって、何度かハラハラさせられたりもした。だけど私やセインが人を信用していない面を見せれば、心底心配そうな顔を見せた。こんな私たちのあり様に引くことなく、心配するなんて根はとても優しい人なのだと思う。

 それでいて、どんな状況に置かれてくじけることなく、私を守り通そうとする心の強さには驚かされた。生まれ育った環境のせいか、とても責任感が強いのだと感じられた。


(セインが信用する気持ちもよくわかる)


 彼女のうっかり本心を溢してしまう素直さを見ていたら、警戒心も薄らぐというもの。

 他人に対して壁を立てがちなセインが、レイに対しては素で接していた。レイもセインに対してよそよそしさはなく、とてもいいコンビに思えた。

 ずっとセインのことは、生意気だと思われて友達が一人も出来ていなかったらどうしようと心配していたけど、レイと並ぶ姿を見て心から安心できた。

 私やメリッサに対しても壁がある時の方が多かったセインが、ずいぶん成長したものだと感慨深くすらある。


(肋骨にヒビが入るほど身を呈して庇うぐらい、とても大事な友人なんだろうな)


 ……はたして友人、なだけだろうか。

 友と呼ぶにはお互いに遠慮がなくて、しかし恋人と言えるほどの甘さは感じなかったけれど。

 とにかく、気の置けない相手であるのは確かだ。そういう人がセインに出来たことが嬉しい。

 今は静養させているセインに、私を助けるために無茶をしたレイの話を聞かせたら絶句していたけれど。


(「なんで俺の周りには問題児ばっかり集まるんだ」と呻いていたけど、私も好きで問題を起こしてるわけじゃないのに)


 特に今回に関しては、完全に巻き込まれた側だ。

 どう考えても、ハミルトン子爵一家と奴隷商だけが悪いと思う。

 しかし今回、私の元を離れた護衛騎士のフレディ、ニコラス、ラッセルには、クライブが「三人もいて、誰もアルトに付いていないなんて何を考えているのですか!」と、とても怒っていた。

 「彼らは私の命令で仕方なく」とフォローしたら、「当然、おとなしく守られていなかったアルトにも問題はあります。あれほど約束したのに、僕の寿命を縮める気ですか」と懇々と私まで説教をされた。

 心の中では、そもそも悪いのはハミルトン子爵一家だと思うのだけど……と思ったけど、もちろん言えるわけがなかった。おとなしく4人並んでクライブからのお叱りを受けた。

 なぜ新婚旅行まで来て、夫に説教を食らう羽目になっているのか。

 釈然としないので、ハミルトン一家と奴隷商にはこの先しっかり法の下に裁かれて、反省と後悔をしていただきたいと思う。


(彼らのことは、お父様に丸投げするとして)


 父にはそれぐらい後始末してもらってもいいでしょう。私の気苦労を思い知ってほしい。

 そうして無事に、イースデイル領に辿り着いたわけである。


(ずっと会いたかったメル爺に会えたのは、本当に嬉しかったな)


 思わず、脇目も振らずに抱きついて再会を喜んでしまった。メル爺はそんな私を変わらずたくましい腕で受け止めてくれた。


「見違えるほどお美しいご夫人になられましたな、アルフェンルート様」


 皺だらけのいかめしい顔を緩め、愛し気に目を細めて笑いかけられたら泣きそうになったのは内緒だ。


「メル爺も、変わらずかっこいいです」

「老いても姫様の騎士ですからな。腑抜けた姿など見せられませんでしょう」


 そう言って笑うメル爺は、以前に比べて健康的に日に焼けていた。元気に暮らしていたとよくわかる。

 来訪二日目には、メル爺の屋敷に招かれて久しぶりに夫人ともお茶をした。

 夫人とは、メル爺とクライブが手合わせをしている間に色々お話をさせていただいた。夫との付き合い方とか。夫婦間の作法とか。女同士ならではの話を。

 ふと、もし私の祖母が生きていたら、こんな時間を過ごせたのかもしれない。そんな夢を見させてもらった。

 優しくてほんのり切なくなるような、あたたかい時間だった。

 尚、その後で疲労困憊したクライブが現れて、


「なんとかスラットリー老に勝ちました……っ。ちゃんと認めていただきましたから」


 と、私に言ってきた。

 男同士でどんな会話があったのかはわからない。ただクライブを「ランス卿」と呼んでいたはずのメル爺が、その後は「クライブ」と名前で呼んでいたのが印象に残っている。

 きっと私にはわからない、剣を交わすことで通じる何かがあったのでしょう。

 そして帰り際、並んで私たちを見送る老夫婦の姿は、仲睦まじさが伝わってくるようだった。

 やっぱり二人は私の理想の夫婦である。

 この先も、出来れば少しでも永く幸せな時間を紡いでいってほしいと願うばかり。



 尚、遊んでばかりいたわけではもちろんない。

 イースデイル領の監査は私は最終的な立会いだけとはいえ、そちらにも顔を出した。

 レイには「友人だからといって、手を抜く真似はしないから安心してほしい」と言えば、引き攣った顔で「お手柔らかにお願いしたいわ」と言われてしまったけど。きっちり監査も終えた。

 更に昨夜はイースデイル辺境伯家に入婿となった隣国の侯爵一家も来ていて、挨拶を交わして交流もした。

 私がやるべきことは、全部こなしたのである。やりきったのだ。よく頑張った。

 そして今日は、念願の丸一日お休み!

 

「クライブ。朝です、起きてください」


 ベッドまで戻り、シーツに包まっているクライブに声を掛ける。

 相変わらず朝に弱いので、ピクリともしない。しかしそんなことは今更である。


「疲れているなら休んでいてもかまいません。一緒に回れないのはとても残念ですが、観光はメル爺に付き合ってもらっ……!」

「だめです」


 不意にシーツから生えてきた手が私を引き寄せた。寝起きの掠れた低い声で言いながら、クライブが逃すまいと言わんばかりに、ぎゅっと私を腕の中に抱き竦める。

 こう言えば、こう来ると思った!

 眠気に抗っているのか、肩にぐりぐりと額が擦り付けられる。まるで大型犬に懐かれている気分。


(こういう時はちょっと可愛い)


 ……と思ってしまうあたり、私もどうかしている。

 寝癖のついた焦茶の髪を手櫛で整えてあげながら、「それなら起きましょう」と笑いかける。

 口ではああ言ってみたけれど、一緒に観光するのをとても楽しみにしていたのだから!

 顔を上げて伸び上がってきたクライブが、了承する代わりに口の端にキスをした。


 こうして見ると私たちも、仲睦まじい夫婦をやれてるんじゃないのかな。



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