12 たくましくあれ
※暴力注意
ギョッとして息を呑む。咄嗟にセインを見たら、セインも何を聞いたのか理解できないみたいで絶句していた。
(どうしてここでアルの名前が出てきたの?)
本来、アルは旦那様であるランス子爵と共に足止めを食らっていることになっている。彼らがハミルトン子爵邸に辿り着いてからだと想定しても、アルだけを狙うなんて考えるだろうか。護衛も多数引き連れているのだから、無理だとわかりそうなものだけど。ましてやランス子爵は近衛騎士である。敵うとは思えないのに。
そこまで考えて、じわりと嫌な汗が滲んだ。まさか、が脳裏を過ぎる。
「今、屋敷にはアルフェンルート皇女が僅かな護衛だけで単身いらしている。拐かすのは難しくない」
嫌な予想は、ケネスの発言で現実のものとなった。
(男装姿のアルの正体を見破ってたの!?)
一気に背筋が凍る心地がした。
だけど、なぜわかったのか。
アルが第二皇子として過ごしていたのは成人前までのはず。皇族は成人するまで表舞台には一切出てこない為、男装姿は公に披露していない。ましてや滅多に外に出られなかったのなら、王都から遠く離れた子爵令息がお目にかかる機会なんてなかった。
アルの姿を正式に見ることが出来たのは、新年を祝う王主催の今年の舞踏会。それと婚姻式だけ。
婚姻式は貴族当主とその夫人だけの招待だったから、息子であるケネスは参加していない。消去法で、せいぜい舞踏会で見かけた程度だと思う。それだってアルは上位貴族に囲まれていただろうから、話す機会はなかったのではないだろうか。
そもそも、舞踏会には当然ながら女性として正装で参加なさっている。私は参加していないから実際に見たわけではないけど、さすがに男装姿のアルとは繋がらないと思うのに。
実はケネスは目がすごくいいとか。人を見るのが好きなタイプだったりしたのかしら。
どちらにしろ、バレていることは確定した。視界の端でセインはひどく厳しい顔をしている。
どうしよう。どうしたらいい?
(今すぐ屋敷に戻って、アルを避難させるべき? だけどここまで来たなら、あともう少し探っておいた方がいい?)
敵の人数は。いつ決行する気なのか。もしくはいっそここで、彼らを片付けられるなら。
逸る気持ちに飲まれて、焦りと迷いが集中力を乱した。
判断を躊躇った足が、ジャリッと地面の砂利を鳴らしてしまった。
「!」
「誰かいるのか!?」
音に気づいて誰何する声に背が跳ねた。咄嗟にスカートをたくし上げて太腿のベルトに差してあった短剣を引き抜く。
だが、予想外にケネスが驚くほどの速さで距離を詰めてきた。構える一瞬の間に、ケネスも剣を手に目の前まで躍り出てくる。
(しまった……!)
息を詰めて衝撃に備えるより早く、間にセインの背中が割り込んだ。
ギンッ! と刃が擦れ合う鈍い音が響く。
セインが私を背に庇い、いつの間にか抜いていた剣でケネスの剣を受けていた。
「逃げろ!」
剣が競り合う。セインが振り向きもせずに指示を出した。
思ったよりずっとケネスは腕が立つようだった。腰に下げていた剣は飾りではなかったらしく、セインと拮抗する。上背がある分、ケネスの方が力は勝るようにも見えた。先代のハミルトン子爵は戦争を経験していたから、孫であるケネスに剣術を教え込んでいたのかもしれない。
一瞬躊躇ってしまったけど、この場は逃げてアルに報告するのが先決だと理解する。
「わかっ、」
「逃すか!」
しかし了承して地面を蹴るより先に、強面の男が迫ってきていた。
まずい、と思った時にはもう遅い。衝撃を緩和するために後ろに飛び退くべきだったのに、向けられた殺気に怯んで短剣を構えるだけで精一杯。
直後に、擦れ合う金属音と共にギシリッと構えた両腕に負荷がかかる。
「いっ……つぅ!」
振りかぶられた剣を受けた衝撃で、一気に腕に痺れが走り抜けた。
立て直す間に直近に迫る射殺さんばかりの眼差しに背筋が震える。イースデイル領のごろつきとは比べ物にならない。
小競り合い程度では出会わない、これが本当の殺気。
本能的な恐怖を覚えて背筋に寒気が走り抜けた。気丈に睨み返したつもりだけど、足は震えてしまう。
怯んでいちゃ、ダメなのに。
「レイ!」
その時、セインの鋭い声が耳に飛び込んできた。同時に、男の肩めがけて小型ナイフが飛んでくる。
男は咄嗟にそれを払い除けたが体勢を崩す。その隙に気を持ち直して、短剣を男の足に突き立てようと試みた。
だが、相手の方が上手だった。刃は靴を掠めただけで寸でのところでかわされる。
その足が蹴りとなって腹に叩き込まれた。
「──ッ!」
腹部に受けた激しい衝撃に、目の前がチカチカ明滅した。
痛いというより、熱い。
息をしようにも苦しくて、声も出せない。
「この小娘、舐めた真似をっ」
「待て! その娘はイースデイル辺境伯の娘だ! 殺すな!」
そこでようやくケネスが私に気づいて声を張り上げた。
強面の男は忌々しげに頭上でチッと舌打ちをする。更にケネスの声に、建物の中にいた仲間も出てくる気配がした。
そんな状況なのに、蹴られた拍子に地面に倒れ込んだ体は痛みと吐き気で動かない。目の前が真っ暗な闇に飲まれていく。
「セイン、っ逃げ、て……」
辺境伯令嬢である私だけならば、奴らも殺すことは出来ないはずだから。
呻くように告げた言葉は、届いただろうか。
「レイッ!」
切羽詰まった声と駆け寄ってくる足音が聞こえる中、私の意識は闇の中へと溶け落ちていった。
***
「……イ。レイ。レイチェル、起きろ」
気持ちが悪い。呼ばれる声に急速に意識が浮上して、まずは下腹部に鈍痛を覚える。
「ん……っ」
「目が覚めたか」
痛みを堪えて眉根を寄せると、すぐ傍から聞き慣れた声が掛けられた。
そのことに、どうしようもなく安堵してしまう。
「セイン……?」
ここはどこ。床は冷たくて硬く、体は地べたに寝かされていたかのようにギシギシと軋む。どうやら足と手は後ろで縛られているようで、蓑虫になった気分。
目を瞬かせてゆっくり顔を上げれば、部屋の中と思われる場所はかなり暗い。やけに埃っぽいし、物が積み上がっているから物置かもしれない。蝋燭は一本もなく、雨戸も閉じられた窓の僅かな隙間から差し込むのは月明かり?
否、きっとこの明るさは花街特有の灯り。
即ち、既に日が暮れているということ。
「体の痛みはどうだ?」
「最悪よ……でも、動けるわ。ちょっと鈍く痛むだけ」
囁くような声に合わせて、自分も声を潜める。思わず本音が漏れてしまったけど、慌てて心配させてはいけないと取り繕った。
「わかった。辛くなったら言ってくれ。それから、目覚めてすぐで悪いが、俺の靴からナイフを抜いてほしい」
「靴から?」
「さっそく役に立ちそうだ。ありがとな」
思い出した。どうやら私が贈った小型ナイフは取り上げられずに済んだらしい。
私と同じくセインも縛られているのか、ずりずりと寄ってくる気配がした。
「あの男に投げたのだと思ってたけど」
「それはベルトに仕込んでいたやつ」
「他にも隠し持っていたの?」
手の辺りにセインの靴と思われる感触が当たる。昼間にセインがナイフを隠した場所を指先で探れば、すぐに硬い感触に触れる。
引っ張り出すと、再びずりずりと体をずらしてセインの手に渡した。幸い、私達を閉じ込めている扉が開く気配はない。
セインも後ろ手に縛られた状態なのに、器用に自分の手の紐から切り始めた。
その間に覚醒してきた頭の中を整理する。
(確か私は、強面の男に倒されて気を失って)
思い出すと怖かった気持ちが滲み出す。
だけど、未だにじくじく痛む腹を思うとそれを上回る怒りが湧いてくる。
あの男、かよわい乙女を容赦なく蹴りつけるなんて屑の中の屑じゃないの! そもそも相手は奴隷商人という人でなしだったわ。
そんな相手なのに怯んでしまい、いざとなったら思うよりずっと動けなかった自分が情けなくて悔しい。ごろつき相手に慣れていると思っていた自分の浅はかさを恥じる。
しかし、今は反省は後回しだ。
なぜか「逃げて」と伝えたはずのセインまで捕まっているのは、きっと私が足手纏いになったせいだから。
「セイン、ごめ……」
「悪かった。俺の判断ミスだ。こんな目に遭わせてすまなかった」
「え?」
私が「ごめんなさい」と謝るより先に、セインに苦渋に満ちた声で謝られてしまった。手と足の紐を切り終えたらしいセインが、こちらを覗き込む。
その顔を見て絶句した。
「その顔、どうしたの!」
間近で見たセインの片頬は腫れていて、口の端は切れたのか血の痕があった。
あきらかに手ひどく殴られた顔だった。
「俺にレイを担いで逃げ切るだけの力はないからな。一緒に捕まるためには、やられたフリをした方が都合がよかった」
「だからって……ごめんなさい。謝るのは私の方よ。見つかるヘマをしたのは私だし、足手まといにもなった。セインだけなら、きっともっとうまくいっていたのに」
自分の不甲斐なさが、こんな傷を負わせてしまった。奥歯を強く噛み締める。
セインは言わないけどいつもより動きが緩慢だから、見えない場所も殴られているんじゃないかと思える。私を庇ったのかもしれない。
意識がなくなる前、駆け寄ってきてくれたのは確かにセインだった。
「それでも、あの場に連れて行ったのは俺だ。安全な場所に置いてから行くべきだった」
私を縛る紐を切りながら告げる声は苦々しかった。私より、セインの方が大変な状態なのに。
そこまで責任を感じられると、申し訳なさで泣きたくなってくる。
「あの状況で待ってろって言われても、たぶん私はこっそり追いかけたわ」
「それはわかってる。だから連れて行ったけど、守れなかったのは俺の責任だ」
「それは仕方ないわよ。私だって、ケネス・ハミルトンがあんなに強いなんて思わなかったんだから」
てっきり父親に逆らえないから、何も出来ない弱い人間だと思い込んで油断していた。ケネスという足手纏いがいるならなんとか出来るかも、なんて甘い考えだった私に問題がある。
「本当は、セインだけなら逃げられたんでしょう?」
自由になった手足を確認してから、改めて問い掛ける。
彼らが私をイースデイル辺境伯令嬢とわかって手を出せば、さすがにお父様が黙っていない。徹底的に報復しただろう。ケネスもそれは理解していたはずだから、止めてくれるだろうと予想した。
だから彼らは私には何も出来ないと判断して、捕まってもなんとかやり過ごせると考えていた。セインまで捕まる必要はなかったのに。
「あの状況で置いていけるわけがないだろ。友人を置いて逃げるほど、俺は薄情じゃない」
「友人……!」
「友人だろ。預かりもののお嬢様とでも言ったほうが良かったか?」
憮然とされて、慌てて「友人がいいわ」と食いついた。
友人。
セインが、ちゃんと友人だと思ってくれていたなんて。
友人認定に僅かに落胆する恋心もある。でもそれよりセインの中に自分の居場所が作られていることが嬉しかった。こんな時なのに胸がくすぐったい。
喜んでる場合じゃないのはわかってるけど。
少なくとも、危険を顧みずに私の傍に残ってくれるくらいには、セインの中に私の重さがあるのだ。
本当なら私を置いてでも、アルに危険を知らせに行かなければならないのに……
って、そうだった。
「そうよ、アルは!? あれからどれだけ経ったの」
浸っている場合ではなかった。
セインは足を忍ばせて窓に近寄ると、僅かな隙間から外を覗く。この辺りは花街でも裏手になるのか、人のざわめきは聞こえてこない。
「時間としては数時間。ついさっき、娼館にいた奴らがまとめて出て行ったところだ。ここに残ってる監視役は一人だけ。残りの奴らはハミルトン子爵邸に押し入るつもりでいるんだと思う」
「大変じゃないのっ」
「あっちは近衛が三人もいるから、アルを守るだけなら問題ない」
「万が一ってことがあるでしょ!?」
「だから、奴らが逃走用に街の入り口に待機させるつもりの荷馬車の足を潰しにいく。襲撃に人数を割いていたみたいだから、そっちはせいぜい二人だ」
どうやらセインは私が倒れている間に耳をそばだてて情報収集をしていたようだ。外から見た感じでは狭そうだった上に、壁も薄い店だったのだろう。
セインは窓から離れると、手足の動きを確認して改めて小型ナイフを握る。握りを確認する様は慣れた様子だ。眼差しは冷静で、鋭い。
見張りを倒して脱出する気だとすぐにわかった。
油断していない状態なら一人、二人倒すくらい、私とセインで今度こそなんとかなる。だけど懸念すべき事項はまだある。
「でもここ、娼館でしょ? ここの人達に邪魔されたりしない?」
「こういうところは金を払った奴の言うことを聞くだけだ。どっちの味方ってわけじゃない。奴らも出て行った今、危ない目に遭いそうなことにあえて首を突っ込んできたりはしない」
セインは淡々と告げる。まるで、娼婦のことをよく理解しているかのように。
それどころではないのに、やけに胸がモヤモヤさせられる。
「彼女達のことをよくわかってるのね」
「母親が娼婦だったからな。子供の頃は花街育ちなんだ。娼婦達の強かさはよく見てきたから知ってる」
我慢できずに突っ込んだら、意外な答えがさらりと返ってきた。
花街育ちって、セインのお母様は娼婦だったの!?
「ええっ」
「エインズワース公爵の私生児は娼婦の子だって、有名な話だったろ」
セインは怪訝な顔をした。
言われてみれば、そんな噂を聞いたことがあったような……しかしすぐにセインは「とりあえず、今はそんなことはどうでもいいな」と扉に向き直ってしまう。
確かに、事は一刻を争う状態だった。
それにセインがどんな生い立ちだろうと大した事じゃない。大事なのは今、私の為にここに残ってくれた優しさがある人なのだということ。
それさえ知っていれば、十分。
(今やるべき事は、まずは監視を倒して脱出すること)
周りを見渡して、自分も武器になりそうな箒を手に取る。ここが物置でよかった。短剣は取り上げられてしまったようだから、ひとまずこれでいくしかない。木剣みたいなものだと思えば、やりようはある。
箒を構えた私を見て、セインがなんとも言えない微妙な顔をした。
「おとなしく待ってろ、って言うつもりだったんだが」
「今度こそ遅れは取らないわ」
そうだ、今度こそ。あんな無様な真似を晒したりなんかしない。
覚悟を決めて、扉の向こうを睨む。
「……たくましすぎるだろ」
「ありがとう。それが取り柄よ」
胸を張って言い切る。
そんな私を見てセインは困りきって眉尻を下げる。
だけどほんのちょっとだけ、安心したように微かに笑って見えた。




