11 尾行
ハミルトン子爵令息である、ケネス・ハミルトンの後を追って道を行く。
(動きやすい旅用の服を着てきてよかったわ)
スカートはふくらはぎ丈で、編み上げブーツを履いてきたので動きやすい。ちょっと上品な街娘といった感じなので街に溶け込めている。また街の中も今は人が多いため、なんとか気づかれずに尾行ができそう。
ケネスはよほど急いでいるのか、周りを気にする様子はなかった。人波を器用に縫って先へ先へと進む。その様はまるで縫い針のよう。
ふくよかな両親と違い、ケネスは細い方だ。だが思い返せばハミルトン子爵夫人も昔はかなり細かった。ケネスはその血を引いたのかもしれない。身長が高いから余計に細長く見える。
ケネスは淡い茶髪にヘーゼルの瞳をしており、母親譲りの要望で派手さはないが整っている方だ。確か今は20歳。子爵家嫡男ということもあり、令嬢人気はあったと姉から聞いている。
しかし以前に話した時の雰囲気を思い出せば、神経質な印象だった。話していて人を楽しませるタイプではなく、とっつきにくい人だと思った記憶がある。
ただ悪い人かといえば、そうでもない。奴隷の斡旋に手を染めるほどのふてぶてしさや、悪辣さはなかったように思う。
(力不足で父親を止められなかった、というところかしら)
先代が厳しかった反動か、現ハミルトン子爵は当主になってからかなり派手にやっていたようだ。ケネスは当主である父親に逆らえなかったと考えれば、彼も被害者と言える。
だが何も知らなかったとは思えない。恩恵も受けていただろうから、無罪放免とはいかないはずだ。当人もそれぐらいは理解していると思う。
その上で、こんな怪しい行動を取る理由は何?
「どこに向かっているのだと思う?」
追いかけながら、先を行くセインに小声で話しかけてみた。緊張のあまり心臓が駆け足していて、話して気持ちを落ち着かせたかった。
セインは視線をケネスに向けたまま、眉を顰めて答える。
「普通に考えれば、ハミルトン子爵みたいに『なんとかやり過ごせる』なんて楽観的には思っていないだろうな」
ならば、どうすると?
「考えられるのは、逃げる算段をつけにいくってところか」
「昨日の子爵に逃げそうな感じは全然なかったけど……まさか両親を置いて、自分だけ逃げるつもり?」
「話を聞いてくれる親じゃなければ、切り捨てることも考えるんじゃないか?」
淡々とした返事に絶句してしまう。
肉親に対して、セインはかなり殺伐とした考え方をするみたい。
(セインも親との関係があまりよくなかったのかしら……)
そういえば、セインはエインズワース公爵の私生児だった。父であるエインズワース公爵は既に亡くなっていて、一度は平民となった以上、家との関わりももうないはず。
(だけどもしかして、それまでは親に対して嫌な思いをしてきたりしたの?)
私生児に対して世間の当たりは強い。当の本人にはどうすることも出来ないというのに。更には、親にまで不当に扱われることも多いと耳にする。
そうだとしたら、それはなんて辛いことなんだろう。
家族に恵まれている私にはきっと想像も及ばない。これまでのセインを思うと、息苦しいほど胸が詰まる。私に出来ることがあるならば、今からでも何かをしてあげたい気持ちが湧いてくる。
だけど今は、そこに気持ちを持っていかれるわけにはいかなかった。
(いけない。今はハミルトン卿のことを考えないと)
気を取り直して、まずはケネスの動向を考える。
昨夜のハミルトン子爵を思い出せば、あながちセインの言うこともないとは言い切れない。息子に諭されて悔い改める殊勝さは感じられなかった。そもそも家族のことを思うなら、最初から奴隷の斡旋などに手を染めないでしょう。
そんな親に愛想を尽かした、というならば。
「逃げるとしたら、別の領に行くわよね」
「もしくは不法入国者を手引きした奴らの手を借りて、隣国か」
「隣国!」
隣国まで逃げ切られてしまえば、公には出来ない事情がある分、あちらで暴露されても困るからそのまま見逃す方向になりそう。
もしも今、アルが心配していた通りに、ハミルトン子爵家に不法入国者が監禁されているとしたら。
その人達を連れきた輩が、まだこの街に潜伏している可能性はある。
(その人たちと接触するかも!?)
大きく心臓が跳ね上がった。無意識に握り込んだ掌に嫌な汗が滲む。セインの表情もいつもより強張って見える。
(私たち二人だけで、どうにかなる話?)
だけど逃げる可能性がある今、ケネスを見失うわけにはいかない。ケネスはどんどん街の端へと進んでいってしまう。
人気が徐々に減ってきた。道も狭くなって影が多くなった分、薄暗くなる。進むごとに人の生活音は聞こえてこなくなって、昼間なのにやけに静かに感じられた。
否。昼間だからこそ、静かなのかも。
たぶんこの辺りは、花街といったところなんじゃないかしら。
「レイはここで待ってろ」
ケネスが細い道を曲がったところで、セインが足を止めた。場所が場所だけに気を遣ってくれたみたい。
だけど首を横に振る。
「こういうところは知ってるから大丈夫よ。人手はあった方がいいでしょ? 行きましょう」
「花街だぞ」
「ハミルトン卿が単に好きな女性に会いにきただけならそれでいい話よ。逆にそうじゃないなら見過ごせない」
セインが意外そうに目を瞠った。
「花街に偏見はないのか?」
「花街も必要とされるから存在してるんでしょう。イースデイルでは、彼女達の存在は忌避されるものじゃないわ。立派な職業よ」
港町の花街は他の都市に比べて大きいと聞く。そのせいか、私が生まれ育った街では男性の相手をする仕事の女性は多かった。
彼女達がいてくれるからこそ、荒くれものが多い海の男たちも満たされて問題を起こさない部分もある。だから領民は彼女達も街の大事な仲間として認めていた。他の土地では生きづらい境遇の女性も、イースデイル領では胸を張って生きている。
それを見ているから、私は貴族令嬢の割にその在り方を理解している方だと思う。
職業に貴賎はないのだ。
ただ奴隷斡旋業、あなた達は別よ。それは職業ではなく犯罪だから!
「ほら、はやく追いかけないと!」
ちょっと驚いて見えるセインを促して、足音を殺しながら再びケネスを追いかける。
ケネスが曲がった路地を窺えば、ケネスはある一軒の店の扉の前で待たされているところだった。狭い路地に面したそこは、花を売る店の一つだと思われる。
出てくるのがケネスの想い人ならば、それはそれでいい。いっそその方が助かる。
しかしそんな願いは、扉から顔を出した強面の男の姿を見て砕けた。
いえっ。ただの店の用心棒かもしれないわ!
「領主サマの坊ちゃんが何の用だ」
「君達と、取引がしたい」
だけどなけなしの希望は、ケネスの申し出によってまたも砕かれた。
これはきっと黒だ。真っ黒だ。
セインの手は腰に下げられた剣の柄に掛かっている。それを見て自分もスカートの下、太腿に付けている短剣を確認した。
剣の装備は乙女の嗜みというものよ。私はそう習ったわ。
息を潜めて見守る私たちの前で、強面の男が不快を表してケネスを睨めつける。
「下手をこいた隣の領主のとばっちりを受けそうな奴が、どんな取引が出来るってんだ。こっちまで飛び火しそうだってのによ」
「父上が溜め込んだ宝飾品すべてと引き替えよう。平民なら数人は一生遊んで暮らせるぐらいはある。金庫は俺が開ける。だから君達には、俺達を無事に隣国まで逃してほしい」
対するケネスは意外にも怯むことなかった。強面の男を凛と見つめ返して、はっきりと要望を口にした。
(俺達って? ハミルトン子爵、ではないわよね。ハミルトン子爵夫人かしら)
自分と同じく逆らえなかった母親か。それとも、他に恋仲の相手がいるのかもしれない。
とっつきにくそうだったケネスにそんな相手がいたことに驚かされる。だけどケネスも20歳だから、そういう相手がいてもなんらおかしくはなかった。
「坊ちゃんと、誰を逃して欲しいって?」
報酬に心が動いたのか、強面の男が興味を示してしまった。
緊張感に押し潰されそう。喉元まで迫り上がっているのではないかと思えるほど、心臓がバクバクとうるさい。
「俺と、逃げ切るまでの人質としてアルフェンルート姫だ」
なぜか強い意志を瞳に湛えながら、ケネスは言い切った。
(……。え?)
えっ!? ちょっと何を言い出してくれてるの!?




