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幕間 裏側では

※クライブ視点


『イースデイル領まで行くのならば、ぜひハミルトン領にも立ち寄りたいです。どうしても買いたい物があるのです』


 旅行に出る前に、珍しくそんなおねだりをした妻アルフェンルート。


『その為に頑張って稼ぎましたから』


 せっせと陛下の手伝いをして貯めていたらしい貯金箱を抱えて、満足そうに笑っていた。

 以前マルシェで熱心に見比べて購入されていたブタ型の陶器の置物が貯金箱だったとは、それまで気づかなかった。

 それはともかく。ここで僕に強請らないあたりアルトらしいが、頼りにされていなくて切なくもなる。


『欲しいものがあるなら、もちろん家から出しますよ』


 そう言ってみたけれど、『これだけは駄目です』となぜか譲らなかった。

 出立前に陛下に命じられたアーチボルト領の問題が片付いたら、休息を兼ねて寄るのを誰よりも楽しみにしていたアルト。

 結局、何が欲しいのかは『秘密です』と教えてくれなかったけれど。楽しみにしている姿を見て、僕まで浮かれた気分になった。

 それが、もう随分と前のことに感じられてしまう。


(なぜ、こんな状況になってしまっているのか)


 頭を抱えたい気持ちになって、無意識に重い息を吐き出した。




 現在地は、アーチボルト領とハミルトン領の間の関門近くのハミルトン側の町。

 発端は、アーチボルト伯爵主導の問題にひと段落がついたところで、ハミルトン子爵にも不正行為の疑いがあると判明した事だった。

 それまでアルトは丸二日間、寝る間も惜しんでアーチボルト領の執務室に篭って書類監査をしていた。そこから解放されかけた途端、受けた報告に絶句していた。

 ようやく重荷を下ろせて羽が伸ばせると思ったところに、新たな問題の勃発である。当然の反応だろう。

 綻びかけていたアルトの顔が、一瞬にして無表情に変わった時の落差は忘れられない。

 アルトの無表情は、けして感情が欠落しているわけではない。

 むしろ、胸に湧き上がる感情を無理に抑え込むと無表情になるらしい。内心では負の感情が渦巻いていたのではないだろうか。

 これが彼女の異母兄であるシークヴァルド殿下だったならば、


「どいつもこいつもいいかげんにしろ。愚か者どもが」


 と、冷たく吐き捨てていただろうと思われる。

 アルトの深い青い瞳は、ただガラス玉の如き硬質さがあった。

 それでも「どの道、ハミルトン領には行くつもりでしたから」と遠い目をしながら立ち上がったあたり、責任感の強い人なのだ。



 ひとまず、ハミルトン子爵にも話を聞かなければならなくなった。

 旅の一行に加えて上級監査官は二名だけを引き連れて、アーチボルト領を立ったのが昼を随分と過ぎたあたりである。

 関門を抜けて、しばらく深い森に面した道を走っていた時のことだ。


「敵襲だ!」


 後方からの叫び声に、急に馬車が止まった。


「!」


 同乗していたアルトを庇って抱え込んですぐ、窓から後ろを窺う。

 乱れた騎馬隊の隊列を見る限りでは、後方の荷馬車が賊に襲われかけたようだった。


「クライブ……!」

「アルトは馬車から絶対に出ないでください! エリーゼ、アルトを頼みます」


 状況を見て息を呑んだアルトと侍女のエリーゼを残して、即座に馬車を飛び出した。飛び出し様に、護衛である近衛騎士のラッセルとニコラスにもアルトを頼む。

 そうして後方に辿り着いた時には、野盗は蜘蛛の子のように散り散りに逃げていくところだった。


「追え! 一人でも多く生捕りにしろ!」


 命じるのとほぼ同時に、騎士達の一部が追いかけていく。しかし、野盗の方が地の利に長けているだろう。深い森の中に逃げ込まれるのを苦々しい気分で見送る。慣れない森で深追いするのは危険で厳しいところだが、今は任せるしかない。

 まずは、残った者で馬車周りを固めた。

 しかし調べてみると、被害自体はたいしたことはなかった。荷馬車の後輪は壊れていたが、人員と荷物にさしたる損害はない。

 そもそも今回の旅では、自分達が乗る馬車の他に侍女や護衛も乗る荷馬車もあり、ランス伯爵家の騎馬隊も編成されていた。王家から近衛騎士と監査官も貸し出されていた為、かなりの大所帯である。

 しかも馬車にはランス伯爵家の紋章が入っており、立ち寄る予定の領には事前に通達されている。元皇女が訪れるということで、街を上げてのお祭り騒ぎになっていることが多かった。

 そんな明らかに目立つ一行を、いくら金目の物を積んでいそうだからといって襲うだろうか。


(どう考えても、得られるものに対して危険の方が大きすぎるのに?)


 眉根を寄せながら、現状を報告すべく馬車に戻る。馬車の中では、アルトも難しい顔をしていた。

 僕と同じ疑問を抱いたのか、腑に落ちない、と顔に書いてある。


「狙われたのは、アーチボルト伯に逆恨みされた私、でしょうか」

「さすがに拘束された後で、陛下直属の監査官を出し抜いてそんな命令を出せる隙はなかったと思います」

「そうですよね。ならば……ハミルトン子爵の妨害でしょうか。無茶をしてでもこちらを足止めしたい理由がある、と」


 僕も考えついていたそれを、アルトも思い至っていたようだ。難しい表情で考え込むアルトを見て、嫌な予感がした。

 だが僕が口を開くより先に、アルトのアーモンド型の瞳が僕を捕らえた。


「クライブ、まずは優先順位を確認しましょう。ここで一番優先すべきは、立場的に私の身の安全ですね?」


 アルトは、王家に稀に生まれ落ちる『至宝』と謳われる知識の塊だ。

 僕の大切な妻という以前に、国として失うわけにはいかない存在である。

 嫌な予感を覚えつつも、ここは「その通りです」と頷くしかない。それを受けて、アルトは「わかりました」と頷き返した。

 更に嫌な予感がする。


「調査と荷馬車の復旧にはしばらくかかるでしょう? もし今の襲撃が偵察隊だったならば、ここに留まるのは危険だと判断します」


 それもアルトの言う通りだ。

 いくら守りを固めていても道沿いに広がるのは深い森。次の町まではまだ距離があるとなると、油断はできない。このまま立ち往生していてはすぐ夜になる。少なくとも、我々を襲った野盗を捕まえて聴取を取るまでは進み難い。


「ここに守る対象である私がいないだけでも、負担がなくなるはずです。私は私を守れるだけの護衛を連れて、先にここから離脱して別行動を取ります」

「危険です!」

「この場に私が留まる方が足手まといです」


 アルトは揺るがないまっすぐな瞳で僕を見つめた。


「変装して、早馬で先にハミルトン子爵がいる街まで向かいます。いっそ彼の懐に入ってしまえば、何も出来ないはずですから」


 脳内で現状を照らし合わせて最適解を導き出してしまうあたり、やはり魍魎が蔓延る王宮で育った人なのだと実感してしまう。

 だがその場合、僕はアルトに付いていけない。

 僕まで動けば目立ってしまうし、さすがに本当の襲撃理由が判明しない限りは、総指揮である自分が抜けることは出来ない。

 素直に頷きたくなくて顔を強ばらせる。

 そんな僕を見て、アルトが安心させるように微笑んだ。


「幸い、男物の服は持ってきています」

「なんでそんなものがあるんですか」

「イースデイル領に行ったら、こっそりクライブと二人きりで抜け出して遊びに行くために……」


 目を泳がせて、そんな可愛いことを考えていたと言われたら。

 叱れるわけがない。


「それに、ハミルトン子爵が私たちを足止めしなければならないほどの不正行為が行われているなら、見過ごすことは出来ません」

「僕の見ていないところで、危険な真似をするつもりですか」


 見据えて凄めば、「まさか」と呆れた顔をされた。


「私ほど生き汚い人間はいません。私は楽しく生きて、クライブもちゃんと看取ってから天寿を全うするという、壮大な夢があるのです」

「僕が先に死ぬのは確定なんですか」

「年齢的に順番通りなら、です。クライブが私を見送りたいならかまいませんが……きっと、さみしいですよ?」


 眉尻を下げて笑う顔は、やけに大人びて少しさみしげに見える。まるで、永遠の別れを経験したことがあるかのように。

 時々こういう顔をされるから、捕まえていないと心配になるのだ。

 ぎゅと拳になってしまった僕の手に、そっと掌が重ねられる。即座にその手を握り返してしまった。


「ラッセルとフレディ、それと上級監査官二名も連れて行きます。これだけ腕の立つ者がいれば心配はないでしょう」

「ニコラスも連れて行ってください。コーンウェル公爵家の人間ですし、あらゆる意味で役に立つ人です」


 結局、アルトの身の安全を考えればこれが最善手と言えた。

 それに加えてアーチボルト領で問題が発覚した時点で、イースデイル領にいる彼女の育て親である老医師には連絡をしてある。

 その時にアルトの侍従であったセインとハミルトン領で落ちあう約束もしてあった。悔しいが、彼も頼れる。

 妻一人、この手で守れない不甲斐なさはあるが。

 無意識に奥歯を噛み締める僕を見て、わかっている、と告げる代わりに指の間に指が絡んだ。


「クライブは、私の代わりとなるエリーゼと、側についていなくてはならないノーラを守ってあげてください。自分の立場は弁えているつもりですが、誰かを犠牲にして平気でいられるほど私も強くはありません」


 頼みます、と告げる声は僕の気持ちを固める為の優しさだ。


「大丈夫、無茶はしません。私は私の、クライブはクライブの役割を果たしましょう。元凶を突き止めて、追いかけてきてください。私はおとなしく待つよう……善処します」

「最後の一言が心配になるんですよ」


 なぜ最後の最後で、そう付け足してしまうんだ。


「私個人としては、もちろん無事でいたいと思っています。努力はします。出来る限り」


 畳み掛けられるほど不安になってくる。

 しかし結局、この場ではアルトの言う通りに分かれて動くことになったのだった。




 ──それが先日の夕刻のことで、現在に至る。

 既に窓の外では朝日が登り始めている。

 あの後すぐに荷馬車に応急処置を施すと、アーチボルト伯爵の残党の仕業も考えて、一番近くの関門そばの町まで引き返した。

 その町の中では高級と言える宿屋。狭くはない客室の一室で、息が詰まる空気の中に剣を研ぐ音だけが響いている。


 先程から、殺伐とした雰囲気を加速させている要因だ。


 だが、誰もそれを止めない。僕自身もだ。

 なぜなら室内にいる誰もが、剣を研ぎたいほどの殺気を背負っているからである。

 旅を共にしてきた皆、アーチボルト領での大仕事を終えてからの休暇気分を楽しみにしていたのだ。それになによりも、守るべき女主人がここに居ない現状を考えると、心配と不安から空気がギスギスとしている。


 その間も、剣が研がれる不穏な音は止まらない。


 ちなみに短剣を丁寧に研いでいるのは、今はランス子爵夫人となったアルトの侍女。

 名を、エリーゼという。

 エリーゼは、僕の母の従姉弟の子ども。すなわち再従姉弟で、僕よりひとつ年上である。

 ランス伯爵家が抱える騎士である父を持つため、幼い頃から剣術を学んできた女性だ。僕や皇太子となったシークヴァルド殿下がランス領に避暑に行く度に、交流もあった。人柄も腕も確かなので、アルトの護衛も兼ねて採用した。

 なによりエリーゼは、癖のない長い金髪にブルーグレーの瞳をしており、背格好がアルトによく似ている。

 アルトのドレスを着ている今は、更に。

 万一の際のアルトの身代わりとなる影として、当人の承諾の上で侍女という形で雇い入れた人材だ。

 余談だが、エリーゼは昔から綺麗で繊細そうなものが好きだ。

 「結婚するなら強い男が良い」と言って、実際に騎士と結婚している。だがむさ苦しい男に囲まれて育ったせいか、美少年を見るのが大好きなのだそうだ。

 つまり、アルトの男装姿をこの上なく好んでいる。

 それを知った時のアルトの反応は、といえば。


『昔から、一部の年上女性からよく可愛がられていて、随分と助けられたものです。ただ彼女たちには残念な話ですが私の姿は期間限定のものですから、特に問題はありません』


 と、寛容であっさりとしたものだった。害にはならないので好きに愛でてくれて構わない、というスタンスらしい。

 よく近衛騎士にも付いている熱心な愛好者集団的なものが、アルトにも存在したのだろう。慣れた感じだった。

 夫としては、それに対してどんな顔をしたらいいかわからないが。

 しかしそのおかげで、エリーゼは嬉々として侍女兼、影兼、護衛をも努めてくれている。

 そんなエリーゼだから、現状に対してこの場の誰よりも殺気立って見える。ジリジリする時間を持て余して、剣を研ぐことで気持ちを落ち着かせるほどに。

 視界の端に映る刃は既に鏡並みに輝いている。自分の再従姉弟ではあるが、少々引く。


「奥様は、ご無事にハミルトン子爵のいる街まで辿り着かれるでしょうか……」


 場の空気に耐えられなくなったのは、この中で一番普通と言えるもう一人の侍女ノーラだった。

 誰もが胸の中で問いつつも口に出せなかった言葉を声にして、細く嘆息を漏らす。

 ノーラは、アルトの護衛である近衛騎士ラッセルの妹である。アルトお抱えの料理人の婚約者でもある。皇女の頃から仕えている、穏やかな気質の女性だ。

 きっと僕とエリーゼ、更にシークヴァルド殿下から借り受けている近衛騎士オスカーと共に、この殺気に満ちた部屋にいることが落ち着かなかったのだろう。


「ラッセルもフレディもニコラスも付いています。経験豊富な監査官達も一緒ですし、街も賑わっているはずの今、ハミルトン子爵にも下手な手出しはできないはずです」


 答えながら、それは自分に言い聞かせるための言葉に思えた。

 だから大丈夫。きっと大丈夫。彼らが付いていて、何かあるはずがない。

 そう自分に言い聞かせても胃が痛い。

 なぜだろう。なぜか嫌な予感しかしない。

 なにせ、アルトは自分は守られるべき存在だとわかっているくせに自己肯定感が低い。すぐに無理に頑張ろうとしてしまう。約束らしきものはしてくれたが、不安しかない。

 これまでの言動を考えると、愛していても予想できない斜め上の行動をする人なのだ。


(なんとかして早急に、片をつけて追いかけなければ)


 その時だった。

 部屋の扉が勢いよくノックされた。


「賊の一味を捕らえました!」


 待ちに待った一報を受け、全員が立ち上がった。

 これでようやく動ける。何がなんでも最速で吐かせてやる。

 そう意気込む自分の傍らに、輝くナイフを握りしめて目を坐らせているエリーゼがいた。

 ……さすがにここからは、僕がなすべき仕事である。

 鬼気迫る顔で輝くナイフを振り回したら賊もすぐに口を割りそうに思えたが、再従姉弟にはとりあえずナイフは仕舞ってもらった。



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