07 予想以上に胃が痛い展開なんですが!?
ようやく難しい話が終わったと思ったら、更に胃が痛くなる話が始まってしまった。
(ハミルトン子爵にも問題があるの!?)
最初にアルが『聞かなくてもいい』選択肢を示してくれた理由を実感してしまう。なんだか私にはついていく自信がなくなってきた。
しかし足に力を入れて踏み留まる。
父が懸念していた事態になっているようだけど、代理として来た以上は逃げるわけには行かない。
拳を握ってアルを見つめれば、こちらの心情を慮ってか眉尻を下げられる。
「この話をすると、イースデイル辺境伯令嬢であるレイは責任を感じるかもしれないのだけど……けして、レイ自身に問題があるわけではないからね」
前置きをしてから、アルが私に問いかける。
「まず、かなり昔の話になる。ハミルトン領がイースデイル領から分かれた場所なのは、レイもよく知っているでしょう?」
「ええ。ずっと昔に戦争をしていた時に、戦えない領民を保護する為に、領の端に砦を設けたのが始まりです」
塀を作り、戦えない領民は塀の向こう側で後方支援として武器や薬を作っていた。
最初はその地もイースデイル辺境伯家の人間が管理をしていた。その後、戦争が終わり管理者が功績を称えられて叙爵された際、ハミルトン領として独立したのだ。
二つ前の戦争の時の話だから、現在は一番近い血で曽祖父が従兄弟同士というだけ。今はもうイースデイル辺境伯家の分家扱いではない。
が、全く無関係とも言い難い。
問題を起こしたのならば胃が痛い。もし我が領の不手際もあるとしたら、余計に。
アルは私の言葉に、うん、と頷く。
「今も立地的にイースデイル領が隣国と戦争になった場合、ハミルトン領は一番に後方支援をする立場になっている。だから有事に備えて、イースデイル領とハミルトン領の領民同士の行き来は、他よりもずっと緩くしてあるはずなんだ」
それはアルの言う通りだ。
今は隣国との関係も穏やかであるとはいえ、昔から隣国は落ち着きがないところがある。小競り合いならば、これまでに片手の指の数では済まなかったりする。
油断できない相手なので、いまだに戦地となるイースデイル領と後方支援担当のハミルトン領は、領民同士の行き来が他よりも緩い。元が同じ領で支え合ってきた事情もあり、領民同士の婚姻もよくあるから尚更だろう。
それに加えて、ほぼ領民と馴染みの行商しか使用しない関門だから、余計に。
「ただ今回は、それが仇になった」
アルが深々と息を吐き出した。
「ハミルトン子爵はそれを利用して、密かに不法入国者を手引きして領内に招き入れていた」
「なんですって……!」
一気に顔から血の気が引いた。
(そうなると、イースデイル領も関わってくる話じゃないの!)
各領間の行き来をする場合、出ていく時は比較的に簡単だけど、入る時が厳しい。しかしイースデイル領は他国の民の玄関として機能している為、出領も厳しい。
だが指摘された通り、唯一の例外がハミルトン領間の関門。
入領時はさすがに厳しくしてあるが、出領に関しては他よりも緩めだ。特に地元の町同士の者ならば顔馴染みが多い為、行き来は緩い。見慣れない行商は止められるはずだが、友人や親戚だと言われたら見逃しかねない。
平和が続く現在はイースデイル領側も、気の緩みがあったのだろう。
それになにより、警備が手薄な場所や時間帯は、ハミルトン領側には把握されているはずだ。本来はお互いに補い合うものだが、そこを狙ってハミルトン領側が不法入国者を招き入れていたならば。
都合の良い穴でしかない。
「ハミルトン子爵は手引きした不法入国者を、密かにアーチボルト領へと引き渡していた。危ない森の道を抜けるより、遥かに確実な方法だね」
最初から奴隷として受け入れるつもりなら、アーチボルト領側の入領管理はないも同然。
でも、そこで疑問が湧く。
「アーチボルト領に連れて行かれた人達は、逃げたりしなかったのかしら?」
「偽造通行証を作るからと言われて、隣国の身分証は取り上げられていたんだ。逃げ帰るならそれが必要になるけど、簡単には取り返せない」
アルが渋い顔をして、「それと」と続ける。
「アーチボルト伯爵は、身分証を返して欲しければ、隣国から奴隷にできる人間をうまく呼びよせるよう手紙を書かせていた。新たに来た人間と引き換えに解放してやる、と言ってね」
えげつない手段だ。思わず私も渋面に変わる。
「それで、本当に解放されたの?」
「一応、身分証は返していたみたいだよ。だけど我が国の滞在許可証がないから、アーチボルト領からは出られない。結局は、領内で怯えながら働くしかなかった」
「こっそり森を抜けて、イースデイル領からまた隣国に密出国をしたりは……?」
「ハミルトン領から入った人には道がわからないし、森から来た人も、うろ覚えの道を命を賭けて通るのは厳しいと思うよ」
アルはそこまで説明してくれた後、鎮痛な表情を見せた。
「それに不法入国してくるぐらいだから、向こうにも居場所がなかった人達のはずだ。例えば……前の戦いで捕虜として向こうに連れて行かれた我が国の人の子ども、とかね。嘘か本当か、証明は難しいけれど」
アルの青い瞳が暗く沈むのを見て、私の胸にも重いものが落ちる。
だとしたら。虐げられていた人は、本当は我が国の民だった人かもしれないのだ。いや、他国民なら虐げて良いわけではないけど。
頑張って戦った人が報われないのは、イースデイルで生きてきた私としては認め難い。
「帰ったら早急に関門の体制も見直しますッ」
「うん。それに関しては、入国管理も含めて改めて担当官とイースデイル辺境伯とで話し合ってもらうことになるね」
私の焦りに反し、アルは「私の管轄外だから、それ以上は何も言えないのだけど」と申し訳なさそうにする。
申し訳が立たないのは、こちらの方よ。
こんなこと、先代までのハミルトン子爵ならば考えられなかったのに。
現ハミルトン子爵は、これまでイースデイルとの間に培ってきた信頼を踏み躙ったのだ。
(昔からあまり良い人には見えなかったけど、信じられないッ!)
怒りと失望で頭がクラクラする。
頭を抱えたい気持ちでアルを窺う。アルは最初に告げた通り、私自身とイースデイル領とは切り離しているみたい。私に怒っている様子はない。
「それで最初に話が戻るのだけど。いいかな?」
小首を傾げて問われるので、慌てて頷いた。
「イースデイル領から密入国してきた人達は、いつも新月の夜を利用して入っていたみたいなんだ。これまでの手引きの間隔で逆算すると、実は今、ハミルトン子爵の元に不法入国者がいる状態……かもしれない」
「今!?」
「!」
絶句したのは私だけではなかった。
それまで口を挟まずに聞いていたセインも、息を呑む気配が伝わってくる。
だって。えっ。今!?
今、この屋敷に不法入国者を隠してるってこと!?
「順を追って説明するとね。まず、アーチボルト領の問題に関しては、陛下直属の監査官達に後を任せたんだ」
「そこからは陛下の領分だからか」
「そう。箝口令は敷いていたけど、この時点でイースデイル辺境伯には既にこの件の連絡が入っていたみたいだね。腕の良い密偵をお持ちのようだ」
にこり、と微笑まれて背筋に嫌な汗が流れた。嫌味!? 本心!?
なんと答えたらいいかわからない。
「おそれいります」
咄嗟に頭を下げてしまったけど、これで合ってる!?
アルは「情報は大事だよね」と感心した声音である。本心だったの!?
「それで、私達は予定通り先にハミルトン領に行くつもりだった。だけど行く前に、ハミルトン子爵も不正を働いていたと判明したんだ。ただアーチボルト伯爵の口述だけで、証拠は処分されていてね」
アルが「普通はお互い弱みを握る為に、残しておきそうなものだけど」と真顔で怖いことを言う。
「とにかく、アーチボルト伯爵が格下のハミルトン子爵に罪を擦りつけている可能性もある。ハミルトン子爵にも話を聞かないといけなくなったわけだよ」
不意にアルが遠い目をする。
なんでこんなことに……と言いたげな姿には、哀愁が滲み出している。
「それに、もし不法入国者を匿っているなら保護しないと。今回の件が隣国に知られたら、不法入国者相手とはいえ国際問題になりかねないからね。とんでもないことをしでかしてくれたよ」
深々と吐くアルの息は重い。
楽しく新婚旅行に来たはずなのに、こんなことに巻き込まれれば当然だわ。同情心が湧いてくる。
しかしながら、アルの不幸はまだ終わらなかった。
「だけどハミルトン子爵領に入ってすぐ、馬車が野盗に襲われたんだ」
その言葉にセインが眉を顰める。
「皇女と婚姻したとわかりきっているランス伯爵家の馬車の一行を? 普通に考えて、ただの野盗如きが狙うのはありえないだろ」
「ありえないね。幸い被害も大したことはなかった。野盗はひやかすだけで、すぐに逃げたと報告を受けている。ただ襲われた以上は警戒して、周辺を見て回ったりして時間を取らないといけなくなる」
「当然の対応だな」
セインの淡々とした突っ込みにアルも同意する。
「そこで、考えられたのが二点」
アルが指を2本立てて見せた。
「一つ。アーチボルト伯爵が逆恨みをして、私を狙った。……ただ、アーチボルト伯にそんな指示を出す余裕はなかったと思う」
「陛下の精鋭相手に隙を突くのは、まず無理だな」
「二つ。アーチボルト伯が捕えられたことを知って焦ったハミルトン子爵が、不法入国者を処分する時間を稼ぐ為に、私たちの足止めをした」
「ありえるとしたら、そっちか」
「アーチボルト伯と繋がっていたなら、彼が捕えられたくらいの情報は手に入っただろうからね」
苦い表情になったセインに対し、アルは同意を示して頷く。
「ここで、優先事項の確認。今回の旅で最優先されるのは、私の身柄の安全。これだけは事情があって譲れない」
「それはそうだな」
確かに元皇女の安全は重要だ。降嫁したとはいえ、王の娘。次代の王妹である。
アル自身からはちょっと諦観が感じられるけれど。
「野盗の襲撃がただの偵察で、後から本隊に襲われるとしたらまずい。だから侍女を私の影として残して、私だけ先に護衛をつけて離脱することになった。見ての通り、変装してね」
アルは感情を覆い隠してしまい、その顔に表情はない。
守られる側というのも、誰かを犠牲にしなければならない事に対して、色々と思うところがあるのかもしれない。
「ついてきてくれたのは、まず私直属の護衛である近衛騎士のラッセル。今は部屋の外で扉を守ってくれている人」
「近衛騎士!?」
近衛騎士は基本的に、王族と国の主要な官僚を守る人達だ。騎士の中の騎士であり、地位も腕も必要とされるエリート集団である。
そんな人をあっさりと紹介されて絶句した。さすがは元皇女殿下。
しかし。それだけでは終わらなかった。
「それと、陛下からのお目付役の近衛騎士フレディ。兄様から有難くも借り受けている、同じく近衛騎士のニコラス」
手で示された背後に立つのは、人の良さそうな茶髪に優しい茶色の瞳の、失礼ながらどこにでもいそうな中肉中背の青年。それと、くるくると毛先が遊ぶ金髪に糸目の笑って見える青年を紹介される。
「申し訳ありません、任務ですので……」
「俺は、アルフェ様の保護者代わりみたいなものだよ」
茶髪のフレディと呼ばれた人は申し訳なさそうだ。反して、糸目の人は軽い調子である。
(この人達が、近衛騎士……)
フレディの方がやや高いが、二人とも平均的な身長である。ランス伯爵家のものであろう濃紺の騎士服を身に纏っているせいか、憧れの騎士を前にした現実味があまりない。
紹介し終えると、アルは少し疲れた顔をしてとんでもないことを言った。
「この人員で、馬で走ってきたんだ」
「馬で!?」
「敵が来ても、振り切れると聞いて。一番早くて、確実にたどり着く方法を選んだら……」
アルはちょっとどころではなく遠い目をしている。
自分で馬を操ってきたわけじゃないだろうけど、この繊細そうな姿から考えると過酷な行程だっただろう。
虚ろな目で「二度とごめんです」と呻いているから、相当だわ。
「それから。兄様からお借りしているもう一人の近衛騎士のオスカーは、私の影をしてくれている侍女に付いてもらってる。夫も目立つので、あちらの護衛を任せてきた」
「旦那様を!?」
ようやく、ランス子爵の所在が判明した。
だけど、まさか別れて行動してるなんて!
「ランス子爵は何も言わなかったの!?」
「言われたけど、私の身の安全を考えて譲歩した、というか……私は私でやるべき仕事があるので、あなたはあなたの役割を全うしましょう、と説得? を、してきて。あちらはあちらで、襲撃犯を捕まえてもらわないとならないから」
説得の言葉の後にちょっと目が泳いでいたけど。
本当に大丈夫なの!?
「やるべき仕事とは?」
セインの表情がひたすら苦いものを噛み締めたかのよう。面倒事を連れてきたな、という顔をしている。
「実は来る道中でハミルトン子爵の手先が不法入国者を処分するか、森に捨てるかしそうなところを確保できたら、と思っていたのだけど」
「そんなにうまく行くわけないだろ」
「うん。やっぱり無理だったから、町の宿に潜伏して、ハミルトン子爵が不法入国者を処分か隠すかする為に、連れ出すところを確保する気でいたのだけど」
そこまで言って、眉尻を下げて私を見た。
「セインが来てくれるとは思っていたけど、考えていたより早くて。しかも、まさか辺境伯令嬢であるレイまで来てくれるなんて思ってなかったから……事前に打ち合わせてこっそりハミルトン子爵を見張るつもりが、ここに乗り込んでいくイースデイル辺境伯の馬車に驚いて、慌てて追いかけてきちゃったんだよ」
「えっ!?」
「来訪に焦ったハミルトン子爵が刺激されて、不法入国者を殺してしまったら困るから。さすがにこれだけ大人数で押しかけたら、そんなことをしている余裕はなくなるだろうけど」
待って。
つまり、今アルがここにいるのは、私たちのせいってこと!?
というか、私のせいだった!?
「実はハミルトン子爵邸には連れてきていないけれど、他に二名、腕の立つ上級監査官が共に町に来ているんだ。今は屋敷周りを密かに調査してくれててね」
「申し訳ありません!!」
本日、何度目かわからない謝罪で勢いよく頭を下げる。
すぐに「説明する時間もなかったのだから、仕方ないよ」と優しい声でフォローされてしまった。
守るつもりで来て、足手まといになっていたなんて。不甲斐ない……ッ。
しかも結果として、危険な状況に遭わせているなんて。
そんな私の心情を汲み取ったのか、「大丈夫」とアルが微笑む。
「もし野盗をけしかけたのがハミルトン子爵の仕業だったとしても。いっそ相手の懐に入ってしまえば、彼は私に手を出すことは出来なくなるから。これはこれでいいんだよ。もしここで私に何かあれば、責任問題で場合によっては自分の首が飛ぶからね」
アルは「念の為に、デリックの名は借りているけれど」と苦笑いを見せる。
「幸いにも、王都ではハミルトン子爵と私はちゃんと顔を合わせたことがないのが幸いしたね」
「引きこもりだもんな」
「否定はしないよ」
セインの失礼な言葉にアルは苦笑した。
けれどすぐに表情を切り替えて、真剣な眼差しになる。凛と伸びた背に釣られて、こちらの背も伸びた。
「私たちが今からするのは、調査をしてる監査官の指示を待つこと。懐に入った以上、今の人員で対応するには危なすぎるからね。数日あればクライブ達が追いついてくるから、それまでハミルトン子爵と屋敷内の動向を見張ること。現時点では、以上のことを要請します」
そう言ったアルの顔は、紛れもなく役割を背負って立つ人のものだった。




