06 説明されたら頭が痛い
「それでは、説明を始めましょう。ここからは説明が頭に入りやすいように言葉を崩すので、レイもどうぞ楽にして」
アルが口調を変えて微笑むと、更に少年っぽくなる。違和感がなさすぎて、第二皇子として生きてきたというのが実感できてしまう。
(これで既にご結婚されている夫人だなんて。頭が混乱しそう)
アルはジャケットの胸ポケットから一枚の紙を取り出した。綺麗に畳まれていたそれを開き、私達の間にあるテーブルに乗せる。
気を取り直して、セインと一緒に覗き込んで見た。
どうやらかなり簡略化した手描きの地図だ。
王都からイースデイル領までの道と、道中にある領の名前が記載されている。その下には各地の名産品らしき物が走り書きされていて、一部には赤いインクで丸が付けてある。
まさか、と思うけどコレは……。
「これは私が覚書きとして描いた、今回の旅行予定の簡略地図」
アルが気まずそうに説明してくれた。
随分くたびれた様相となった地図だけ見ると、旅行をすっごく楽しみにしていたことが伝わってくる。
それはそうよね。新婚旅行だったんですものね……。
つい、我がイースデイル領の地名の下も見てしまう。
そこには「カニ」「ウニ」「マグロ」「タコ焼き」と書かれているのが気になる。きっと今は関係ないことでしょうね。
……でも、タコ焼きって何。タコって、海の悪魔でしょ? 焼きたいほど嫌いなの?
まさかと思うけど、あの悪魔を食べるつもりではないわよね!?
「また食べるものばっかりだな」
「そこは気にしなくていいから」
恐ろしくて指摘しなかったのに、セインが容赦なく突っ込みを入れた。アルが一瞬目を泳がせる。
えっ。本当に海の悪魔を焼いて食べるつもりなの……!?
聞きたかったが、アルはすぐに真剣な表情に戻ってしまった。
「現在地がここ、ハミルトン領。その隣が、先日私が通ってきたアーチボルト伯爵が管理していた、アーチボルト領」
細い指先がアーチボルト領を示す。
海に面した辺境の地である我がイースデイル領から見て、深い森を挟んだ位置にアーチボルト領はある。
アーチボルト領は食糧庫として農地が豊富で広い。反対に今いるハミルトン領は、元はイースデイル領から分かれた地なのでかなり小さい。イースデイル領の十分の一にも満たない広さである。
尚、アーチボルト領からイースデイル領に行くには、一応は三通りある。
まず、今いるハミルトン領を通る方法。
だがこのルートを使う人は少ない。地元民とハミルトン領に用がある者だけが使用している印象だ。
王都から来るならばハミルトン領の隣、大きな街道が引かれている侯爵領を通るのが一般的。
残る一つは、イースデイル領民だけが使う。深い森を抜けてアーチボルト領に行く秘密道である。
だがこれは戦時下において、戦えない民を敵兵に見つからずに逃す為の獣道となっている。平和な現在、道を知っているのは極一部。ハミルトン辺境伯家とアーチボルト伯爵家の人間、避難時に先導する権限を持つ互いの領の高官のみ。
「このアーチボルト領に問題があったことから始まってる」
地図を示したまま、アルは衝撃の事実を語り始めた。
「アーチボルト領は長年に渡り、海を渡ってイースデイル領に不法入国した者を手引きして、自領で奴隷として使役していたんだ」
「イースデイルからの不法入国ですって!?」
驚きのあまり声を荒げてしまった。
視線が一気に集まったので、慌てて自分の手で口を塞いだ。その間も顔から血の気が引いていくのがわかる。
つまりそれは、我が領の管理不備!
「申し訳ありません!」
謝って済む問題ではないけど、即座に頭を下げる。
心臓はバクバクと脈打っていて、握りしめた掌に嫌な汗が滲む。
こんな話なら先に言っておいてよ、お父様!
「顔を上げて。イースデイル領の入国管理にも問題はあったのだと思うけど、今はそれでレイを責めたいわけじゃないよ」
思ったよりもずっと穏やかな声が降ってきた。
恐る恐る顔を上げれば、眉尻を下げた表情のアルと目が合う。そこに責める気配はない。
「個人的には、隣国に面した大きな貿易港を抱えているのだから、全てにおいて万全であれというのは今の技術では難しいことだと思ってる。隙を突いてくる人は最初からそのつもりで来るから、防ぎ切るのは厳しいだろうね」
あくまで私の主観だけど、と困り顔で付け足される。
しかし、それだけでも十分温情だ。
「それとイースデイル領からの不法入国者だと判明したのは、まだつい先日。入国管理に関しては、後日あらためて担当官からイースデイル辺境伯と話し合いがあるから」
「はい」
「今回特に問題となったのは、奴隷として扱っていた事の方」
「奴隷って……禁止されているでしょう?」
「うん。知っての通り、我が国では奴隷制は昔から固く禁止されている。相手が不法入国者であっても認められていない」
アルは嘆息を吐き出した。
イースデイル領の海を指す。その指が、イースデイル領から森を抜けてアーチボルト領へと移動した。
「昔はね、敵兵の敵前逃亡したり寝返った人なんかが、森を抜けてアーチボルト領に逃げ込んでいたみたいなんだ。秘密の避難路があるでしょう? 混乱に乗じて避難民に混じり、アーチボルト領に入っていたんだろうね」
さすが元皇族だけあって、裏事情まで把握されているらしい。
私も、その話はかつて祖父から聞いたことがあった。
しかし敵兵であっても、捕虜だからと奴隷にはしない。逆に我が国の兵が捕虜になった時に迫害されたら困るから、人質として使えるよう、人道的に接していたと言っていた。
しかし当時の状況を考えると、理想通りにいかないこともあったのだろう。ましてや、相手が故国を裏切った者ならば。
「それがいつしかアーチボルト伯爵の主導の元で、密かに行われるようになってしまった。と言っても、最初はそれほど多くいたわけではないようだけど」
避難路として定期的に手入れはされているが、この深い森は隣国との戦いになった場合には、国内に深く侵入されないための自然の要塞となる。野生動物も多く生息しており、慣れている者でも危険な場所だ。
ただでさえ密入国する為に船に潜んできて、体力が衰えている状態だろう。手引きされても、辿り着くまでの生存は賭けに近いに違いない。
「それが、ここ数年で一気に数を増やした。セインは事前にアーチボルト領に調査に行ってくれているから、見て知っているでしょう?」
「ああ。本来は有事の際に難民となったイースデイル領民を迎え入れる為の用地に、普通に人が住んで村として機能していた。働いてる奴らの顔に生気はなかったけどな」
話を振られたセインが頷く。
たまにフラリと姿を消していたセインは、どうやらその調査に出かけていたのだと図らずも判明した。
そんな調査を任される人なのだと知って、今更ながらに慄く。意外にすごい立場の人だったの!?
「そう報告を受けたね。でもその場所は有事に備えて確保されているから、国からその分の助成金が出ている。勝手に使っていい場所じゃない」
アルが深々と息を吐き出す。
この時点で、アーチボルト伯爵は『不法入国者の手引き』『奴隷として使役』『国からの助成金の横領』をしているわけである。
とんでもない悪党ね。よくぞ、ここまで……言葉がない。
「それと。領から正式に提出された会計帳簿が、過去十年間を遡っても、毎年なんの変動もなかったことも問題になってる」
「変動がないのは安定してる、ってことじゃないの?」
良いことなのではないかしら。
首を傾げる私を見て、アルが先生みたいに優しく諭す顔をした。
「いままで使っていなかった分の農地を使ったら、生産量が増えるでしょう?」
「それは、そうね」
「ましてや奴隷として使役しているなら、人件費は掛からないから利益が上がるね?」
「ええと、そう……ね?」
「だけど帳簿上は生産量も変わらなければ、利益もずっと変わっていなかった」
私の引き攣った表情から数字に自信がないのがわかったのか、アルは下がり眉になった。
「つまり、余分に増えたはずの作物とその売上は、いったいどこに消えたんだろうね?」
細かい事はわからなかったけど、アーチボルト伯爵の罪に『領地財産の横領』と『脱税』が追加されたのはわかった。
すべての罪をひっくるめたら、もはや絶句しかできない。
また、それを暴きに来たアルを畏敬の念でまじまじと見つめてしまう。
そんな私の視線に気づき、アルは気まずそうに「一応言っておくけれど」と口を引き結ぶ。
「今回の件は事前に陛下から指示を受けていて、私は視察と称して最終監査をする形で派遣されただけ。私が実際にした事は、帳簿の精査をしただけだからね?」
それだけでも十年分を遡ったんでしょう!? そんな地道な苦行、私には真似できないわ……。
アルは少し話し疲れたのか、背もたれに体を沈めた。
気を遣って、護衛に立っていた細目の男性が水差しからカップに水を注いでアルに手渡す。
「ありがとう。ニコラス」
「いえいえ。強硬軍からの今回のご説明、お疲れ様でした」
「まだ肝心な部分を話していませんが」
私にも護衛が視線で「いかがですか?」と問う。だけど緊張のあまり何も喉を通りそうもなくて、首を横に振る。
アルは一口飲んでから、再び背筋を伸ばした。
「今回、私がここにいる理由を話そうか」
今までの話だけで既に頭はいっぱいだけど、残念ながらアルがここに居る理由はまだだった。
私も改めて背筋を伸ばす。
「実のところ、アーチボルト領の不祥事は事前に把握していたものだから、それほど問題ではなかったんだ。問題は、この後」
思わずコクリと喉を鳴らしてしまう。
「奴隷が急激に増えた理由に、ハミルトン子爵が関わっている可能性が高い。たぶん時期的にハミルトン子爵が代替わりしてから。アーチボルト伯爵は、ハミルトン領から奴隷を仕入れる手段を手に入れたんだ」




