04 待ってこんなの聞いてない
ガタゴトと馬車が揺れる。
窓の外を流れる景色は夕暮れに染まっていた。ここまで来て、人や建物が増えてきて随分と中心街に近づいてきたのを感じる。
日が明けるより早く隣領ハミルトンに一番近い町にある宿を出てきた。一日馬車に揺られて、やっと到着しそう。
イースデイル辺境伯家としてハミルトン子爵家に向かっている為、馬車は正式な我が家の家紋が入ったものだ。上等な造りではあるが、途中で馬を変えながらの急ぎの旅は思ったより体に負担が来ているのを感じる。
「これなら自分で馬に乗ってきた方が楽だったかも」
「イースデイル辺境伯令嬢が直々に馬で乗り込んできたら、向こうにどんな目で見られるかわからないけどな」
「わかってるわよ! 今回はイースデイルの代表として行くんだから、出来る限りおとなしく令嬢らしくするつもりよ」
セインに呆れを滲ませた眼差しを向けられたので、ムッと唇を尖らせた。ちょっと言ってみただけよ!
馬車で向かいに同乗しているのは、私の侍従という名目で連れてきたセインだけ。
ハミルトン子爵を警戒しているのを悟らせないよう、隣領に入ってからの護衛は最低限だ。幸い人が行き交う大きな街道を日中に使用している為、身の安全は問題ないだろう。
今回のあくまでも表面的な名目は、
『イースデイル辺境伯家の娘レイチェルが、文通相手であるランス子爵夫人の道中の案内役をしたくて、隣領まで出張ってきた』
なのである。
尚、ハミルトン子爵家には早馬で訪問を通達しているが、相手から返事が届く前に出発している。
道中でハミルトン子爵家からは、「迎えはもっと遅くとも良いのでは?(意訳)」と迷惑そうな返事を受け取った。だが、文は行き違いにあったフリをして向かっているところだったりする。
それにしても父は、お転婆娘らしい自己中心的な言い訳を考えてくれたものだ。
ちょっと許せないけど、私に無理をさせるお詫びとして小遣いを多めに持たせてくれた。そんなことで絆されたわけではないのだけど、我が家としての立場も考えて甘んじている。
(といっても、私はランス子爵夫人と文を交わしたことは一度もないのよね)
実際にランス子爵夫人すなわちアルフェンルート元皇女殿下と文通されていたのは、砦にいる別の人である。
それが目の前にいるセイン。それと王都から派遣されてきた前王宮医師であった、メルヴィン・スラットリー前伯爵だった。
ランス子爵夫人が降嫁なされるまで、彼女の主治医だったのだという。鋭い眼差しと厳しい顔をした、老いても逞しさを感じる老医師である。
何度か擦り傷の治療で世話になったけど、女性に対しては優しい人だった。騎士達には厳しいが、私にはたまにお菓子をくれたりもした。
私がランス子爵夫人と年齢がさほど変わらないから、懐かしく思われて親切にしてくれていたのかもしれない。
砦を出る前も、
「御令嬢にお願いすべきことではありませんが、アルフェンルート様をどうぞよろしくお頼み申します」
と手を取られて、指先に唇を落とす挨拶までされた。
年老いても紳士的な隙のない動作には、ちょっとドキリとさせられたのは秘密だ。スラットリー老があと五十歳若かったら、ちょっと心が揺れていたかも。
辺境にはいかにもな紳士をあまり見かけないせいもあり、あんな態度は心臓に悪い。
それにしても私に対してもあれだけお姫様みたいに接されるなんて、もしかして、が脳裏をよぎる。
「ねぇ、私とランス子爵夫人って似ていたりする?」
「いや、まったく」
似てるところがあったのかしら、と思って聞いたらすげなく却下された。
しかしセインはそう口にした後、小さく首を傾けて「いや」と言い直した。
「髪の色は金髪だったし、目の色も青だから、色だけは似た系統かもな」
「金髪碧眼なんて、この国ではそれほど珍しくないじゃない」
「そうだな。髪質も性格も似たところはないから、本当に共通点はそれぐらいしかない」
淡々と応えたセインだが、少し懐かしそうに目を細めた。
それはいつもの素っ気ない態度とは少し違っていた。その表情を見ていたら、なぜか胸がチリリと焼けた気がした。
(別に、嫉妬とかじゃないけど!)
誰に突っ込まれたわけでもないけど、必死に胸の内で弁明してしまう。
というより、それ以前に大きな謎がある。
「セインはそんなことを言い切れるくらい、ランス子爵夫人と親しくされていたの? その、お友達だった……とか」
一応は平民を名乗っているセインが、皇女様と?
セインの仕草は平民にしては洗練され過ぎている。私にもそうだし、これから会うハミルトン子爵相手にも緊張したり、気負った様子も見せない。貴族に対して慣れているのだと感じる。
それにスラットリー老の助手だったのなら、ランス子爵夫人と近い年頃のセインが友人であってもおかしくはないと思う。
立場は全く違うとはいえ、スラットリー老からは「アルフェンルート様は、懐にいれられた者には驚くほど寛容で愛情深くいらっしゃる」と聞いていた。
ならばセインもそれに当てはまる、とか?
純粋な疑問を投げかけたら、セインはなんとも言えない表情になっていた。
苦虫を噛み潰したとまではいかないけど、飲み込めないものを無理に飲み込んだような。
「友達……?」
僅かに眉間に皺を寄せて、自分に問いかけているかのよう。
しかしセインはすぐに首を横に振った。頭でも痛むのか、こめかみを指で押さえている。
「友達とか言えるものではなくて、手のかかる主人兼弟みたいなもの、というか……姪?」
「姪?」
思いもよらない反応にドキドキしていたのに、なんだか想像の斜め上の返事が返ってきた。
姪って、姪よね? 一国の皇女相手に弟兼姪とは、一体。
私の中のランス子爵夫人像がどんどんあやふやになっていく。
今のところ、メガネが似合いそうなキリッとした感じであるつつ、見た目は可憐な美少女である。しかしセインに弟扱いされていることを考えると、さらに想像図がぼやけてきた。弟がいないからよくわからないけど、とりあえず子犬っぽい感じを加算してみる。
……まったく想像できない。
脳内で美少女に犬耳が生えただけになった。これではただの人外よ。
「とりあえず、会えば人となりは嫌でもわかる」
「それはそうでしょうけど」
「いかにもお姫様、って感じではないな。見た目はともかく」
セインは息を吐き出しつつ、視線を窓の外に向けた。
馬車は既にハミルトン中心街へと入っていた。屋敷も目の前である。この領で一番栄えている街であるはずだが、観光地でもなく小さい領なので我がイースデイル領とは比べるべくもない慎ましやかさだ。
ようやく辿り着いた屋敷の前で到着した旨を伝えれば、門番は驚いた顔をした。
もう数日後の到着だと思っていたはずだから、当然だろう。
しかし立場的にハミルトン子爵が上位のイースデイル辺境伯家を断れるわけがない。
馬車から降りて玄関ホールで待っていると、慌ててハミルトン子爵が降りてくる。逞しく鍛えていた先代と違い、神経質そうな細身のおじさんである。
「これはイースデイル辺境伯令嬢。もっと後からご到着なさると思っておりました」
「ご無沙汰しております、ハミルトン子爵。急で申し訳ありませんでしたわ。ランス子爵夫人をお待たせしたらいけないと思いましたの。それにせっかく遠方から友人が来てくださるのですもの、気が急いてしまいました」
優雅に一礼してから、高位の令嬢らしく笑顔で邪気のない我儘を口にしたフリを装う。
私がランス子爵夫人と友人であると強調すれば、ハミルトン子爵も何も言えなくなる。
実際は、これっぽっちも知らない方なわけだけど。スラットリー老から事前に私が友人として現れることだけは、ランス子爵夫人に連絡済みなのでなんとかなるでしょう。
私の態度にハミルトン子爵は一瞬苦い顔をしたものの、一応は貴族だ。すぐに押し隠した。
しかし、直後に慌ててやってきた門番の報告にまたも表情が崩れることになった。
「領主様! たった今、ランス伯爵家の使いという方が早馬で見えられました!」
「なんだと!?」
それには私たちも驚いて目を瞠った。
ランス子爵夫妻は、私たちの二日後に来る予定だった。
不正をしたアーチボルト領の監査手続のため、少し遅れるはずだったのだ。それなのに、緊急連絡用の早馬が来るとは予想外である。
さりげなくセインを伺い見たら、セインも予想外だったのか少し表情が固い。
そして早馬でやってきたという人たちが玄関ホールに現れると、セインが息を呑んだ。ハミルトン子爵も顔が盛大に強張っている。
二人の視線につられて、玄関へと視線を向けた。
その先には、護衛を三人引き連れながら、先頭に立って颯爽と歩いてくる小柄な少年の姿。
「ハミルトン子爵であらせられますか? ランス伯爵家を代表して、急ぎの連絡に参りました。急な来訪、失礼します」
少年はハミルトン子爵の目の前に来るなり、臆することなくにこりと微笑む。
「本来は明日こちらへ到着予定でしたが、領境で馬車が野盗の被害に遭って遅れが出ました」
「なんと、それは……! こちらからも援護する者を向かわせましょう!」
ハミルトン子爵は目を瞠り、声を荒げた。
当然だ。領境とはいえ、自領で問題があったとなると最悪、治安の管理不足として罰を受けかねない。
「それには及びません。被害状況は軽微で、ランス子爵夫妻にも大事はありませんでした。ですが念の為に調査をしてから伺う予定となっております。急な予定変更が続きまして、遅れますことをランス伯爵家を代表してお詫び申し上げます」
対して、代表で来たという少年は柔らかく微笑む。
金色の長い髪は後ろで一つにまとめられており、アーモンド型の深い青い瞳は臆することなくハミルトン子爵に向けられている。
いかにも育ちの良い貴公子、といった感じだ。まだ少し幼さは残るが、代表というくらいならそれなりの立場なのだろう。ランス伯爵家の血縁者が旅行に同行していたと考えるのが自然だ。
ハミルトン子爵もそう考えたのだろう。
「私たちにはお気遣い戴かずとも結構です。その、失礼ですが……」
誰なのか、と言いたげな問いに少年は再び微笑む。その笑みは、しかし先程の気遣う笑みより自信ありげに見えた。
「デリック・ランスの名を聞いたことがありませんか? ランス伯爵家の第二子なのですが」
その口から出てきた名前は、私にも意外なものだった。
こうした何かあった時の伝令の為なのか、今回の旅にはランス子爵の弟まで同行していたみたい。デリック・ランスの名を聞いたことはなかったが、思わず目を瞬かせて見入ってしまう。
「もちろん、存じ上げております! 当家に足を運びいただきまして、光栄に存じます」
「私は大したことはありません。私のお父様と兄様が、とても立派な方なだけです」
「そんな、ご謙遜を」
「ところで失礼ですが、今夜はこちらに泊めていただいてもかまいませんか? ランス子爵夫妻が泊まる予定があるからか混み合っているようで、宿には空きがないと断られてしまって……野営の用意はありませんし、護衛達や馬にも無理をさせたのでゆっくり休ませてやりたいのです」
ハミルトン子爵が、上位のランス伯爵家の使い、ましてやその子息の申し出を断れるわけがない。
一瞬渋い顔をしたものの、すぐに気を持ち直したのか「もちろんです」と頷く。
「ですが、今日はこちらのイースデイル辺境伯令嬢もご一緒にお泊りいただくことになります。宜しいでしょうか?」
そこでようやく、置き去りにされていた私たちに視線が向けられた。
深い青い瞳を見た瞬間。ふと、誰かに似てる、と思った。
けれどすぐにふわりと柔らかく微笑みかけられたせいで既視感は消えた。ドキリと心臓が跳ねて頬が熱を持つ。
なにせこの少年、いかにも幼い女の子が読む絵本に出てくる王子様な感じなのだ。線は細いけど上品で、王都の貴族子息はみんなこんな感じなのかと夢を見てしまいそう。
「もちろん問題ありません。こちらこそ、急な申し出で世話をかけます」
そう言ってから、こちらに向き直った少年に「イースデイル辺境伯令嬢?」と呼びかけられた。
「はい!」
思わず上擦った声で返事をしてしまった。だが少年はそんな私を笑うことなく、優雅に手を取られた。指先に触れない程度の唇がそっと落とされる。
その流れるような自然な動作。プロだ。いや、貴公子にプロも何もないけど、プロだわ。
「お会いできて光栄です。しばらくの間ですが、どうぞ仲良くしてください」
上目遣いに微笑まれて、「はい」としか言えなかった。
その横で、セインが強張った顔をしていることにも気づかずに。
*
その後、私達は客室へと通された。
夕闇が迫る時間帯になってからの急な来客に、ハミルトン子爵も使用人達もてんやわんやだろう。客室に入ると廊下が少し騒がしくなるのが感じられる。
私とセインは別室を用意された。だけど、とりあえず今は二人揃ってセインに用意された部屋に集まっていた。
「まさかランス伯爵の子息まで来てたなんて! しかも野盗に遭うだなんて、大変だったわよね。ちゃんと捕まると良いのだけど」
セインに話しかけたが、なぜかさっきからセインは怖い顔だ。
「ランス伯爵家の馬車とわかっていて野盗が襲うなんて、普通に考えてあるわけないだろ。ただでさえアルがいるから護衛をしっかり引き連れてきてるはずなんだから」
苛立たしげにセインが答えたところで、扉をノックされる音が響いた。
まだ晩餐の連絡には早すぎるはずである。なにせ、客室も慌てて用意されたようだったのだから。
首を傾げる私に反して、セインは顰め面のまま扉に向かった。少し気配を窺って、すぐに扉を開く。
扉の向こうには、先程別れたばかりの使いの少年が立っていた。
「少しいいかな。せっかくだから、親交を深めたいと思って」
セインはなぜか無言で部屋へと促す。
臆せず入ってきたのは、少年と護衛騎士が二人。もう一人いた騎士は、どうやら扉の外で護衛に徹するようだ。
少年は中に入ってきて遠慮なく窓際まで進む。さらりと後ろに一つに纏めている金の髪を揺らして振り返った。セインを見て、ちょっと眉尻を下げて笑う。
「久しぶり、セイン。大きくなったね……と言いたいところだけど、その前に顔が怖いよ」
向き合った少年とセインには、不思議な空気があった。
こうして改めて並ぶと先程の既視感を思い出す。どうやら二人は似ている……気がする。
髪の長さと質、黒髪と金髪という差で印象は大きく違って見えるけど、深い青い瞳はよく似てる。セインの方がずっと背が高く、頬もシャープなのでわかりにくいが……
もしセインに弟がいたら、こんな感じなのかも、なんて。
「いつからデリックに改名したんだ?」
セインが目の前の少年を睨みつけた。更に、私の思ってもいなかった言葉を投げかける。
待って。
つまりそれって、彼はデリック・ランスではない、ということ!?
「私はハミルトン子爵に『デリックの名を知っているか』と訊いただけで、私がデリックだとは一言も言ってないよ」
対する少年は、悪びれた様子もなく小首を傾げた。
「それに彼は『デリックをもちろん知っている』と答えた。知っているなら、私がデリックじゃないことは一目でわかるはずでしょう?」
そう言って、唇に薄く笑みを刻む。
柔らかい雰囲気が消えて、一瞬得体の知れない悪寒が背中を走り抜けた。しかしそれも「そういうのを、屁理屈って言うんだ」と一蹴したセインの言葉で掻き消える。
「もちろん、ずっと騙す気はないよ。ただ今は便宜上、デリックの名前を借りる必要があっただけ」
言いながら、デリックの名を騙ったという少年が私の方を見た。今度はちゃんと柔らかく微笑まれる。悪意のない、安心させるような笑顔。
「イースデイル辺境伯令嬢には、驚かせて不躾な態度をとったことをお詫びします」
一歩進んで私に向き直る。
眉尻を下げてちょっと困ったように笑った人は、
「改めて。ランス子爵が妻、アルフェンルート・ランスです」
なんて、言ってのけたのだった。
冗談でしょ!?




